48.落ち着く抱擁
――♤――
「え!? す、スペード!?」
「……っ」
「あわ、あ、あわわ」
とんでもないことをしてしまった。
意識が飛んでもおかしくないことをしてしまった。
いくら体が勝手に動いたとはいえ、いきなりハートを抱きしめてしまうなんて……僕は一体、どうしてしまったんだろう。
どうして、つい抱きしめたくなったんだろう。
自分でも訳が分からない。
息が詰まって、呼吸をするのが難しい。
顔から火が出そうなくらいに、体温が高くなった。
ハートがどんな反応をしてくるのか、不安になる。
でも、なんだか……
「ハート……」
「ひゃ、ぅ」
安心する。
ずっと、こうしていたくなる。
ハートを離したくない。
離れたくない。
僕の鼓動、ハートにも聞こえてるのかな。
僕の存在をちゃんと感じてくれてるのかな。
それなら、もっと聞いてくれたら……いいな。
「……?」
でも、これ本当に僕の心臓の音なのかな?
触れ合っているせいで、僕かハートか、どっちから聞こえてくる音なのかが曖昧だ。
ハートは華奢だし、僕も細身だから、密着しているとどっちかが分からなくなる。
こうして触れ合っていると、どっちの鼓動が激しく鳴っているのかが。
もしも、これがハートの音だったら、なんだか恥ずかしいな。
それは、ハートは僕でドキドキしてくれてるってことになる。
僕を意識してくれているってことになるから。
……あれ?
それなら僕のだったら、もっと恥ずかしいんじゃ?
僕はハートを意識してるよって、言ってるようなものなんじゃないの?
聞いてくれたらいいなって思ったけど、本当に聞こえていたとしたら、僕は……
「はっ……」
「ふぁあっ」
いや、それはあんまり考えないようにしよう。
考えていたら、気が遠くなりかけた。
気絶してしまうところだった。
息を吐いて、なんとか耐えた。
こんな状況でも、何故か僕は落ち着いていた。
気絶しないように、冷静になれていた。
不思議と鼻血も出なかった。
ハートを奪う覚悟が出来たからだろうか?
心の水面を揺らさないように、静かに、今この瞬間のみに集中していた。
ハートもそれに同調してくれているからなのか、僕を突き放したりはしなかった。
力を抜いていて、大人しかった。
急に抱きしめた僕を、受け入れてくれた。
でも、これは僕の独りよがりだ。
ハートの心を確認する前に、勝手なことをしてしまった。
まだ疑って、信じてはいないけど、ハートは情を好きかも知れないのに。
僕は自分勝手だった。
「ありがとう……ハート……」
「んえ?」
でも、もう無闇矢鱈に「ごめんね」とは言わない。
今のを悪いことだと思いたくはない。
ここでそれを言ってしまえば、僕は変わらないままだ。
情が教えてくれた強さを無駄にはしない。
だから、謝罪の代わりに、僕を突き放さなかったハートにお礼を言った。
「僕……どうしても負けたくなかったんだ……」
「そ、そうなのね?」
ハートは今、どんな顔をしているんだろう。
どんな風に考えているんだろう。
二人とも、相手の肩に顔を乗せているから、表情が見えない。
もしかしたら、僕の気持ちに、ハートは気付いたのかも知れない。
「の、の、望むところよ」
「え……?」
でも、ハートは予想外な台詞を吐いた。
僕の背中をぽんぽんと手の平で叩くと、ハートは体を強張らせた。
これから何かをするつもりだ。
「んー!」
「あっ……!?」
ハートがいきなり、さっきの僕よりも一層強い力で、抱きしめ返してきた。
奇襲の仕返しと言わんばかりに、僕をその腕で締め付けてきた。
反撃だ。
「えっと、どう、かしら?」
「ハー……ト……」
抱きしめられるって、こんな威力があるんだ。
僕は、ハートにこんなことをしたんだ。
自分でするのと、人にされるのって、こんなにも違いが生まれるんだ。
僕ってば、僕ってば、こんな……
でも、同時に嬉しかった。
ハートはいつも、僕の想像の上を行く。
急に抱きしめたことを責めたりせずに、ハートは僕に元気を与えてくれた。
ハートは強くて、変わらなくて、嬉しかった。
やっぱり、僕はハートが好きだ。
「あたしの勝ち、みたいね?」
「ふぁぃ……」
「先に戻ってるわよ?」
――♧――
「勝ったわ!」
「何にだよ……って、おいおいおいおい!?」
俺の部屋に入るや否や、腰に両手を当てて勝利宣言を叫んだハートは、いきなり前にぶっ倒れそうになりやがった。
なんとかハートの肩を支えはしたものの、当の本人は心ここにあらずといった顔をしていた。
ベッドに寝転んで寛いでたのに、唐突に差し込まれた救命行動に、俺は困惑した。
何すかこれ?
「スペードったら、ふふー」
「えぇ……」
ハートがこうなったのは、俺が悪いのかも知れねえ。
心当たりが無いわけでもねえ。
俺がハートを焚き付けたようなもんだったしな。
スペードの好みと、今後の方針を話し終わった後に、一つだけ思いついたことがあった。
デートを上手くいかせるためには、まずはハートに、落ち着きを取り戻させるべきなんじゃねえかと。
「何があったんだよ? なあ?」
「ふへへ」
「……ダメだこりゃ」
ハートがこんな腑抜けになってしまったのは、俺にも責任がある。
どうやら俺は【悲劇】だけじゃなく【狂喜】も使えたようだ。
どうにもハートは、スペードの好意に気付き始めたからか、思考が停止している兆候が見えていた。
動悸が激しくなると、挙動不審になって、パニックになることが多かった。
そのままに放置しておくと、デートにも支障が出る恐れがあると睨んだ俺は、ハートにある提案をした。
「今からスペードと会ってこい」ってな。
土曜日までの狩りを俺がやる旨は、まだスペードには伝えていなかった。
だから、それをハートから伝えさせるために、無理矢理にでもスペードの部屋に行かせた。
でも、スペードは自室にはいなかったようで、ハートはすぐに俺のもとに戻ってきた。
外に出ていると予想した俺は、またもやハートを動かした。
そこまでハートからスペードに伝えさせようとしたのには、理由がある。
スペードと接することを、今から慣れさせるためだ。
好意を持たれているのを知ったハートは、デートでも碌に動けるような状態じゃなかった。
へにゃっへにゃに溶けたりしてたからな。
デート中にもそうなる可能性が大いにある。
それに、あまりにスペードを意識し過ぎていて、とんでもないことをやらかしそうな危険性を孕んでいた。
「暴走しそう」とか言ってたから、人前であるにも関わらず、スペードをひん剥いたり……とか。
そんなのは万が一にも無いとは思うが。
しかし、そんな危うさを感じ取ってしまった。
ちょっと俺の方が不安になった。
いつもと変わらないよう、スペードと話をさせて、好意を持たれている現状に慣れさせようとした。
むしろ、多めにボディタッチしてこいとも言った。
全ては円滑なデートをさせるためだったんだが。
それが仇となった。
「もう、泣いちゃダメなんだからねー?」
「泣く?」
スペードは泣いていたんだろうか。
また一人で抱え込んで、誰にも見られないように。
だから、外に出ていたのか?
「……」
人を殺してしまった過去を思い出していたのか?
いつか、詳しく知る必要があるな。
とりあえず、邪魔なユニコーンをどかすか。
なんかこいつ、目を開けながら寝てるみたいで怖えよ。
何がしたかったんだ?
「自分の部屋で寝ろよな」
「うひひ」
「あー……夢の世界に行っちゃってるわ」
イッちゃってるハートをお米様抱っこして、真っピンクのお花畑の中に放り込んでやった。
もう知らん。
俺は悪くねえ、俺は悪くねえんだ。
ていうか「勝った」ってなんだよ?
なんで勝負してんだよ?
俺の指示が間違っちまったのか?
――♡――
「え!? す、スペード!?」
「……っ」
スペードに抱きつかれて、あたしは戸惑っていた。
ていうか、その時にはもう、ほとんど気を失っていたようなものだった。
いきなり半分だけ夢に入ったような感覚だった。
あたしはスペードに何をされているのか、理解しきれていなかった。
クローバーに「ボディタッチ多めに接してみろ」って言われた通りに、後ろから目を手で塞いでみたり、積極的に肩に寄りかかってみたりしたけど、こうなるとは思わなかった。
なんか、スペードが、獣になっちゃった。
「あわ、あ、あわわ」
心停止するから、やめてよね?
あたし、死んじゃうわよ?
スペードはあたしを殺す気なの?
謀反?
羽鳥様への謀反なのかしら?
「ハート……」
「ひゃ、ぅ」
ああ、そんな耳元で声出さないで。
もっとドキドキしちゃうってば。
ぴったり体がくっついちゃってるから、あたしの鼓動が聞こえちゃうでしょ?
スペードに、あたしの好きがバレちゃう。
まだ心の準備が出来ていないのに。
好きって伝えるのは、デートが上手くいってからにしたいのよ。
でも……でも、もっと、ぎゅってしてたい。
聞かれたくないのに、離れたくない。
「……?」
スペードは何かを気にしだしたのか、小さく疑問の声を上げた。
まさか、鼓動に気を向けてるのかしら?
ダメだってば。
そんなに、あたしの心臓の音に集中しないでよ。
こんなことされたら、脈なんて早くなるに決まってるでしょ?
なんでこういう時に限って、スペードったら大胆な行動ばっかりするのよ。
恥ずかしいから、聞かないで……?
「はっ……」
「ふぁあっ」
スペードの吐息が、あたしの耳にふわりと触れた。
くすぐったいけど、もっとして欲しいと思う自分がいた。
今ので気付いたけど、あたしは押しに弱いらしい。
いや、スペードだからそうなのかしら?
ていうか、これって現実だっけ?
夢だったっけ?
吐息とか反則でしょ。
『いいぞ、もっとやれ』
誰よ、今の声は?
あたし?
あたしだったわ。
「ありがとう……ハート……」
「んえ?」
え、こっちこそありがとうなんだけど。
役得よね、これ。
スペードもクローバーもナイス過ぎる。
この状況があまりにも嬉しくて、あたしのIQがどんどん溶けているような感じがする。
スペードに溶かされて、あたし、くらくらしてきたわ……
「僕……どうしても負けたくなかったんだ……」
「そ、そうなのね?」
なるほど?
つまりこれは、元から勝負だったってわけね?
だからスペードも、普通ならしないようなことばっかりしてくるのね。
大胆なアプローチをしてくる理由に納得がいったわ。
あれでしょ?
ドキドキさせて告白させた方が勝ちっていう、恋愛頭脳戦とかいうやつでしょ?
クローバーの部屋に、そういう漫画が置いてあったわね。
スペードも読んだのかしら。
いいわねそれ。
負けず嫌いのあたしを、見くびらないことね。
「の、の、望むところよ」
「え……?」
見てなさい。
あたしだって、やる時はやるんだから。
すっごく恥ずかしいことしてる気分だけど、多分それは気のせいね。
てかこれ、夢よね?
スペードがあたしに抱きついてくるなんて、まずあり得ないもん。
ベンチに座ってたら、いつの間にか寝ちゃったのかしらね。
きっとそうに違いないわ。
スペードに抱きつかれたせいで、あたしも冷静な判断が出来なくなってるとか、絶対そういうわけじゃないわ。
そう、これはあくまで夢の中なのよ。
だから、抱きしめ返すのも変じゃないわよね。
うへへ。
「んー!」
「あっ……!?」
なんでスペードが泣いていたのか、どうして抱きつかれたのか、あたしは何故、こんなことをしているのか。
誰もそれを言及する人はいなかった。
ていうか、そんな邪魔、あたしが許さなかった。
だって、スペードに抱きつくチャンスなんて、今しかないじゃない?
そうでしょ?
今でしょ。
『細けえこたぁいいんだよ』
誰よ、今の声は?
あたし?
あたしだったわ。
「えっと、どう、かしら?」
「ハー……ト……」
あたしが作り出した夢は、再現度のクオリティが高かった。
本当にスペードと恋人になったみたいで、あたしは満足した。
「あたしの勝ち、みたいね?」
「ふぁぃ……」
スペードに勝てるのも、夢だからなんでしょうね。
現実じゃこうはいかないわね。
でも、実際にこうなれるように頑張らなきゃ。
「先に戻ってるわよ?」
酩酊状態みたいになっていたあたしは、翌朝に起きた後でも、どうやって自分の部屋に戻ってきたのか、全然覚えていなかった。
獣道公園で寝ちゃってたのかな?
クローバーが迷惑そうな顔をしてたけど、部屋まで運ばせちゃったのかしら。
夢の中でとはいえ、スペードといつも以上に仲良く出来たからなのか、あたしはあることを誓うことが出来た。
今まではどうすれば心を落ち着かせられるのかを模索していたけど、それを誓えば簡単だった。
デートの日、あたしはスペードに告白するわ。
お姫様抱っこは弓月ちゃん専用。




