47.略奪の一手
――♤――
アジトを出た先の、枯れた桜の木の下で、僕は膝を抱えて座り込んでいた。
桜を背にしながら丸まって、止まらない涙を止めようと、目元を膝で必死に押さえていた。
誰にも見られたくないから、一人で、静かに。
寂しく、孤独に。
一人で泣くなんて、今まで何回もやっていたのに、今日は一段と悲しかった。
いつまで経っても、僕は惨めだ。
人になれない、惨めな獣だ。
「うっ……」
意味が分からなかった。
何も分からずに逃げ出して、気付けばここにいた。
二人に見つからないようにアジトを出たのは、とても会えるような状態じゃなかったから。
もしも、どちらか一方とでも顔を合わせてしまえば最後、僕は何を言うのか。
それとも……何も言えなくなるのか。
無性に怖くなった。
どうして情は、ハートに好きだなんて伝えていたのか。
どうしてハートは、それを喜んだのか。
どうして僕は、逃げ出してしまったのか。
最近の二人は、前より仲良くなってくれていたから、僕も自分のことのように嬉しかった。
だけど、さっきは全然嬉しくなかった。
二人の会話の内容が、受け入れられなかった。
言いようのない拒絶反応が起きた。
苦しかった。
情が弓月を諦めたから、嫌だった?
ハートが喜んだから、嫌だった?
二人が仲良くなったから、嫌だった?
いや、どれも本音としては違う。
情が弓月を諦めたのも悲しかったけど、僕が真に嫌だったのは、そういうことじゃない。
自分に嘘を吐きたくないのに、自分に正直に生きるというのは、本当に難しい。
僕は……僕が。
「ぐすっ……ハート……」
僕が、ハートを好きだからこそ、嫌だったんだ。
いつも明るくて、どこか可哀想で、常に優しくしてくれて、たまに意地悪もしてきて、咲き誇るように力強くて、散りゆくように脆く儚げで……
僕に元気を与えてくれるハートが、ずっと好きなんだ。
だから、誰にも取られたくなかった。
情にも譲れなかった。
もう既に、僕の心はハートに絡め取られてしまっているから。
でも、なんで情は、ハートに告白をしたんだろう?
いくら仲が良くなってきていると言っても、二人は悪友のような関係だったのに。
好きになった予兆なんて、全然無かったのに。
情はずっと、弓月のために戦っていると思っていた。
もちろん、羽鳥様を殺すというのも、戦う理由の一つとしてはあるんだろうけど……
それでも、やっぱり一番の理由としては、弓月を戦いに巻き込まないよう、情は戦っていたはずだ。
情は、弓月を大切にしていた。
10年間、二人を陰から見ていたけど、僕の方がドキドキするくらい、情は弓月に好意を寄せていた。
弓月も同じなのに、情はそれに気付いていなかった。
両思いなはずなのに、どうして何も進展しなかったんだろう?
僕には、二人の想いがよく分かった。
だって、お互いを見つめるその目には、好きが溢れていたから。
ハートを見る僕と……同じ目をしていた。
なのに、唐突にハートを好きになるなんて筋が通っていないことを、一途な情がするのかな。
弓月を10年間もあんな目で見ていたのに、二ヶ月くらいで心変わりしてしまうなんて、情に限ってあり得ない、よね?
そうじゃない……かな。
さっき、僕が弓月についてを聞いた時、情は苦い顔をしていた。
僕からの質問に戸惑って、動揺した後、黙って何かを考えていた。
あれは間違いなく、弓月へと思いを馳せていた。
その様子を見て、僕も次第に不安になっていったけど、それでも気になった。
すごく気になったから、続けて追求した。
以前と変わらずに、今も弓月を好きなのか。
弓月を大切に思っているからこそ、君はそれほどまでに強いのかと。
「……」
知りたかった。
あの強さの秘訣を、あの優しさを……誰かのために戦うという、あの人間らしさを。
昔の僕には無かったものだ。
今の僕が追い求めているものだ。
未熟だった僕は、人を殺すことに迷いもしなかった。
そうすればいいと言われただけで、考えることをやめて、躊躇も容赦も無く、人を殺す獣と化していた。
いつだって思い直せたのに。
何も考えず、ただただ従うだけだった。
でも、今は違う。
情という目標がある今の僕は、昔とは違う。
違う……と思いたい。
「……!」
もう、泣くのはやめよう。
昔のように、涙を流すのはよそう。
こんなことしたくない。
一人ぼっちで泣くなんて、今の僕には必要ない。
強くなりたい。
情みたいに強くなるんだ。
情みたいな人になるんだ。
確かめよう。
辛いことになるかも知れないけど、僕は確かめなければならない。
もしそれが、情を傷つけてしまう結果になったとしても……それでも、二人の心を知らなきゃダメだ。
そこに、悪気を感じたりはしない。
罪悪感なんて持ち合わせない。
弱いままじゃいられない。
僕は、ハートを勝ち取るんだ。
泥臭く、面倒臭く、人間臭く。
獣じゃなくて、今度こそちゃんと人になりたい。
それで、いいんだよね、情……?
――♧――
「さて、デートプランについてだが」
「まずは服よね?」
「おう」
スペードの好みは聞けたわけだが、それは人となりの部分だけだった。
他にも服装とか、髪型とかも聞きたかったが、ハートが好きなら何でもいいだろう。
デートが上手くいく自信が出てきた。
それは、俺のやる気にも繋がる。
だが、あいつから告白させるためには、ハートはこんなにも良い女だぞと、示してやらないといけねえ。
奥手なあいつに、ハートに好きだと伝えさせるためには、そういったお膳立てをしないとな。
てかもう、ハートから告白すればよくね?
スペードに告白させるとか怠いこと考えずに、率直にハートから言えばいいんじゃねえの?
もう、好かれてることは判明してんだからよ。
両思いなはずなのに、どうして何も進展しなかったんだ?
十中八九、告白とかそんな大それたこと、ハートには無理なんだろうがな。
情けねえな、まったく。
チッ、歯痒いぜ。
「あんたが考えた作戦によると、とびきり可愛い服を選べってことよね?」
「ああ。スペードが何に対して可愛いと感じるかは聞けなかったが、お前を引き立たせるような服を買えばいい」
「可愛い服、か……うーん?」
本人からしたら、自分の魅力を引き立たせるような服と言われても、要領を得ないんだろうな。
なにせ、ハートは他人のこととなると積極的になるが、自分にはそれほど魅力が無いと思っている節がある。
まあ、俺も似たような感覚を持っているから、そういう気持ちは分かるがな。
自分がそれほど魅力的じゃねえと思ってるから、どう魅せればいいのかも分からねえんだ。
俺がファッションセンスに疎いのも、そういうところがあるからだ。
弓月の着せ替え人形にされていた状況に甘んじていたのは、こんな服を着た男が好きなんだろうな、と考えた上での行動だった。
理に適ってるだろ?
「可愛い服なんて、今のあたしに似合うのかしら」
「さあな? 女の服とか、弓月が着てたもんしか思いつかねえわ」
「……あの子、結構大胆な格好してたわよね?」
「ハッ、まあな」
「うえっ……鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」
「黙れしばくぞ」
肩を出して、セクシー路線に突出した服装でもいいが、そうすると逆にスペードが出血して気絶するからな。
すぐに白旗を上げて降参しやがる。
新手のピタ◯ラスイッチかよ。
「どんな服を着るかは、実物を見ながら決めようぜ」
「そうね」
服屋に展示されている、数多くある例でも見れば、自ずと発想力さんが頑張ってくれるだろう。
ハートの服装のイメージがクール系だから、思い描こうとしても、どうにもパッと浮かばねえんだよな。
だからこそ、ギャップが生まれるわけなんだが。
「とりあえず、怪我が完治するまでは、お前ら安静にしてろよ?」
「えー?」
「えー? じゃねえよ」
「退屈過ぎるわよ」
こいつらのデートに、傷が付いた肌はマイナス点になり兼ねねえからな。
決戦の日には万全を期す。
果報は寝て待て、とはちょっと違うか。
とにかく寝てろというのには変わりねえが。
「土曜日までの狩りはどうするのよ?」
「俺が一人でやるからいいっての」
「なんだかあたし達、腕が鈍っちゃいそうね」
「それが嫌なら、次からは油断しねえことだな」
「むーっ」
頬をむくれさせながら、ハートはべしべしと俺の体を拳で叩いてきやがった。
なんかムカついたから、強めのデコピンをお返ししてやった。
「痛ったいわね!? そんな強く叩いてないでしょ!?」
「あ、そうだ」
「なによ?」
――♤――
落ち着いてきた。
情と戦う決心が出来たからか、背中を当てている桜を椅子にして、リラックス出来た。
意外と座り心地は悪くなかった。
ちょっとした散歩がてら、泣いて赤くなった目が治るまで、僕は獣道公園をぶらぶらと歩くことにした。
長く座っていたから、全身が固まっていた。
温かい風が、頬を伝った涙の跡を乾かしてくれる。
終わりかけの春で、10回も見た光景だ。
羽鳥様に連れて来られてから、もう10年が経った。
最初はペンダントの力なんて使いたくなかったけど、それを払拭したのもここだった。
僕が、大切な人のために力を使うと、決心した場所だ。
「ここは……昔と変わらないな……」
「そうね?」
幻聴かと思った。
咄嗟に振り返ろうとしたけど、視界が暗転した。
あれ?
僕、失明した?
「だーれだ?」
そうじゃなくて、目を塞がれたんだ。
温かくて、小さくて、僕を守ってくれたあの手で。
何度も聞いた声だ。
10年も聞いた、好きな人の声だ。
誰かなんて分かりきっていた。
「ハート……かな……?」
「ぶっぶー」
間違えたようだ。
でも、おかしいな。
ハートのはずなのに。
「正解は、咲さんでした」
「ふっ……ははっ……」
僕が振り向くと、「わっとと」と言いながら、ハートは後ろによろめいた。
多分、僕とハートは身長差があるから、必死に背伸びをして、目に手を当てていたんだろう。
情の身長が羨ましくなる。
それにしても、よかった。
自然に、ハートに顔を向けられた。
落ち着きを取り戻したおかげで、いつも通りに話せそうだ。
昔みたいに迷い続けて、泣いていただけじゃ、こうはいかなかった。
赤い目も大方……問題無いだろう。
ハートに余計な心配はかけたくない。
僕は、強くなるから。
「怪我の調子はどうかしら?」
「平気だよ……? ハートこそ……大丈夫……?」
「うん」
そんな当たり障りの無い会話をしながら、僕とハートは一緒に歩く。
獣道公園を囲む土の道を、二人で歩調を合わせるように。
ハートは僕より歩幅が小さいから、かなり遅めに歩いて、無理のない速さで。
ハートと歩いてるだけで、心が安らぐと共に、心臓がうるさくなる。
話に集中させて欲しいのに、激しい鼓動が耳にまで響く。
「ベンチ、座りましょ?」
「あ……うん……」
「でゅくしっ」
一緒に座ると、ハートが勢いよく肩に寄りかかってきた。
もっと心臓がうるさくなった。
全身が熱い、もう夏になったのかな。
「どうして?」
「な……ぇ……?」
心停止するから、やめて?
僕、死んじゃうよ?
ハートは僕を殺す気なの?
謀反?
羽鳥様への謀反なの?
「どうして、咲って呼んでくれないの?」
「それは……」
ハートがここに来るまでの経緯は、とうに知っていた。
本名が花本咲ということ、落ちてきたペンダントの衝撃で、両親が潰されてしまったこと。
そして、その後のハートに何があったのかを。
「ハートも……僕を本名で呼ばないでしょ……?」
「だって、今更気恥ずかしいじゃない」
ハートも、僕の本名だけは知っている。
殺しの件は伏せておいてと、ダイヤと羽鳥様には伝えたけど、名前だけはお互いに教え合っている。
でも、僕が咲と呼ばないのは、なんだか照れてしまうからだ。
ハートとスペード。
その呼び方から始めたせいで、僕達はそれに慣れてしまっている。
本当は、咲って呼んでみたい。
僕の名前を、ハートの口から聞きたい。
「ん? スペード?」
「何かな……?」
「泣いてたの?」
「えっ……!?」
なんでバレてしまったんだろう。
涙も乾いてて、目もそれほど赤くないはずなんだけどな……
それに、夜だからあまり見えてないよね?
月はちょうど雲で隠れてたから、月明かりも無かったのに。
「なんで……?」
「女の勘よ?」
「……っ」
ハートはズルい。
僕の心を奪っているくせに、更に奪おうとしてくるのだから。
目も、心も、なんでもかんでも持っていってしまう。
僕だって、君が欲しいのに。
「ねえ? どうして泣いて……」
「……ッ!」
その時、僕の体は勝手に動いた。
どうにかしたいなって、思ったせいかな。
だから……
「ふえぁっ!?」
気が付いた頃には、僕はハートを抱きしめていた。
情君ってばある意味で、ちゃんとスペード君を引き寄せてますね……
まあ、実際に抱き寄せたのはスペード君ですが。




