42.忍び寄る影
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ある日の午前5時。
春が終わりきっていないからか、この時間になっても辺りは暗かった。
日がまだ上りきっていなかった。
出歩く人は見当たらず、足音より寝息の方が多い時間帯だ。
それなのに、とある家に二人の刑事が訪問していた。
こんな時間に迷惑だと思われようが、刑事達は否応無しにそうしなければならなかった。
むしろ、外出禁止時間直後の深夜に訪れても良いくらいに、誰にも見られてはいけない行為をしていた。
そんな時間に来たのは、妥協した上でのことだった。
「おはようございます、まだ眠っていらっしゃいましたか? ですが、ご容赦ください。なるべく人目を避ける必要があったんです」
「……いえ、いつも起きていますので」
「そうですか」
「……」
その刑事達は、対照的だった。
やさぐれたイメージを持たせるような、綺麗とは言えないコートに身を包んだ30代の男と、堅苦しいスーツを着ていて、真面目そうな20代の男の二人だ。
その二人と相対する者の顔貌は、病人のように悪く、そして痩けていた。
目元には大きな隈があり、日常的に眠れていない様子だった。
ボサボサになっている髪の毛にすら目もくれず、刑事達の来訪など気にしない、ガサツな女だった。
「早速ですが、本題に入ります。昨日、お子さんに関する手掛かりが出てきました」
「なっ……ほ、本当ですか!?」
女は、刑事のその言葉を聞いた途端に、影が差していた目に光を蘇らせた。
長く、それを聞くことを待っていたように。
「ですが、あなたにとってはお辛いことになるかも知れません。それでも聞きますか?」
「え……?」
「覚悟をしておいた方が、いいですよ」
刑事は重苦しい空気を発しながら、女がどうするか、どうしたいかの反応を待った。
女は戸惑いつつも、何かを察したように目尻に涙を溜める。
「でも、私……」
女は動揺したものの、目を固く閉じ、胸に手を当てて、荒くなりかけた息をなんとか整えた。
そして目を開き、コートを着ている刑事に視線を一直線に向ける。
「それでも……!」
「……分かりました。おい、見せてやれ」
「はい」
コートが上司で、スーツが部下なのだろう。
上の立場であるコートの刑事がそう言うと、二人目のスーツの刑事がゴソゴソと内ポケットを弄る。
そうして、女に一枚の写真を渡した後、再びコートの刑事が口を開く。
「この家に残っていた、行方不明の息子さんのDNAと、その写真に映っている血痕……その両方が一致しました」
「これは……?」
「本来なら、一般の方に見せる情報ではないのですが……我々はあなたに伝えるべきと判断しました。くれぐれもこのことは、ご内密にしていただきたい」
守秘義務を違反してまで、刑事達は真実を教えることを選択したのだろう。
二人は硬い表情を取り繕っているものの、目だけはそわそわと泳がせていて、どこか忙しなかった。
誰にも見られていないかを、常に警戒していた。
「そ、そんな……嫌、嘘……」
その写真を見た女は驚きを隠せなかった。
それはあまりにも鮮明に、そしてハッキリと示し出されていて、求めていた答えを知った女は、目尻に溜めていた涙を頬に伝えた。
「昨日の朝、通報がありました。酷く怯えた男性からで、『あいつに殺される』……と」
「あ、あぁっ……」
「我々はすぐに現場に向かいましたが、そこは既にもぬけの殻でした。しかし、獣の痕跡と、ある物を見つけました。それこそが、渡した写真に載っている血の痕です」
獣化は22時から2時の間に起こると決まっているはずなのに、朝に通報されたという疑問点には誰も気が付かない。
獣の痕跡が共に存在したこともあり、その過ちに拍車をかけていたからだ。
男が消えた理由は恐怖による逃亡であって、その場にあった血痕が別の人物のものだとは分からない。
獣に関する事件では、被害者の死体が消えることはさほど珍しくはなかったからだ。
故に、二人の刑事は勘違いをしていた。
通報をした男が獣に襲われ、連れ去られ、殺された……もしくは、食われたのだと。
彼らの推理には、根本的な間違いがあった。
「……た、が……」
「獣は何処かへと消え去ってしまっていた後でしたが、我々は捜査を続け……」
「あ……達が……」
「? はい?」
写真を握り潰し、女は全身に緊張を走らせる。
こんなことを言っても無駄だと知っていても、それでも喉の奥から出る怨嗟を止められそうもなくなっていた。
「あなた達が……!」
わなわなと震えながら、女は唇を噛み締める。
血走った目で、二人の刑事を睨む。
「あなた達がそうやって、無責任な仕事ばっかりしているから、消え去ったとか平気で言えるんでしょうね!?」
女は文句を言う相手を間違えている。
だが、そうせざるを得なかった。
怒りをぶつけたい仇の行方すら、不明故に。
「獣が何処かに消えたですって!? じゃあ探してくださいよ! 獣なんて、早く駆除してくださいよ!!」
「……すみません」
獣化への対策として、後手でしか動けない警察に、その女はイラついた。
二人に憎悪を向け、カサついている唇に八重歯を食い込ませ、握り潰していた写真を地面に落とした。
というよりも、そうやって罵っているうちに手の力が段々と抜けて、落としてしまった。
「これを残した息子は……獣が現れた場所にいたってことでしょう……?」
「はい」
「こんな、こんなことが許されますか!? どうして、息子が……!」
嗚咽混じりに刑事を責め立てるが、女もそれが無意味だと知っている。
知っているからこそ、罵倒の途中から縋りつくように、女は中腰になり、刑事のコートを掴んだ。
それ以外に出来ることが無かった。
ぐしゃぐしゃになった写真には、女の息子が書いた文字が写されていた。
何故、そのような遺言を残したかなんて、誰の目にでも簡単に分かり得るものだった。
自分を殺そうとしている者を、ダイイングメッセージとして誰かに伝えるために、咄嗟に残したのだ。
「ジョーが!!」
血で書かれた「獣が」という文字が、それをありありと示していた。
――♧――
「確かに、獣化が重複した日は無いな」
「この町で限定するなら、重なる日はあるっちゃあるけどねぇ。だけど、この町と他の場所の獣化を合わせても、二回起きた日は無かったはずだよぉ」
ダイヤと羽鳥が、俺からの質問に答える。
「じゃあ、ダイヤが担当している獣はあぶれた奴、で確定したな」
「ふむ……その点においては盲点だった」
「まさか覚醒一番乗りのぼくが、ハブられちゃんを狩ってたなんてねぇ。余り物には福があるって言うけどさぁ、ぼくはご立腹のぷくぷくだよ、もぅ」
全員を集めたアジトの会議室にて、俺の推理を全て話した。
『完全な獣』は『獣の狩人』を目の敵にしていて、俺達を潰すために、この街にわざと獣を現れさせていること。
絶望の感情は心にヒビを入れて、鬱のような状態にさせること。
獣化はそれを利用して、ヒビ割れた心に黒い塵を忍び込ませていること。
黒い塵は獣の因子であること。
「俺が分かったのはそんだけだ。だが、絶望の感情がどうやって自分の心にヒビを入れているのかも、なんで獣が狼に似ているのかも、まだ知らねえままだがな」
「でも、絶望して精神的に病んだ状態が、心がヒビ割れているっていうのは、なんとなくイメージとしては納得出来るわね。昨日、心が割れるって呟いてたのは、これを考えてたのかしら?」
「まあな」
妊婦と夫の二つの例に納得したのか、ハートは「小狡いやり方するわね」と『完全な獣』に悪態を吐き、何度か頷いた。
やっぱり、『完全な獣』に知性が備わってんのは厄介だな。
汚え方法で人を獣に変えるくせに、自分だけは雲隠れだしよ。
伝承によれば、覚醒した四つの力で現世に誘き寄せられるらしいが、未だに『完全な獣』がどこにいるのかも、どんな姿をしてるのかも判明してねえし。
しかし、昨日の今日だからあまり代わり映えはしねえが、ハートの怪我は全然大丈夫そうだな。
なんなら、今日からまた、訓練とか始めそうなくらいに平然としている。
だが、スペードは……
「……」
何故か一言も話さず、黙りこくっている。
眉間に皺を寄せて、目を見開きながらそのままで止まっている。
じーっと、不安そうに何かを見続けている。
ていうか……俺?
お前が見てんの俺だよな?
さっきから俺ばっかり見てるよな?
瞬きもせずに凝視してて、ずっとそんな調子で無口になったままなんだが。
もしかして、俺の顔に何か付いてんのか?
そらまあ、この話の内容はあくまで推理でしかねえが……辻褄は合っているはずだ。
スペードなりに、何か思うことでもあんのか?
おかしいところとかに気付いたんなら、言って欲しいんだがな。
「スペード。俺の推理、お前はどう思ったんだよ?」
「………………えっ……? 何……?」
「おいおい」
俺がかけた言葉が不意を突いたのか、スペードはキョロキョロと目を泳がせ始めた。
どうやら、獣化とはまったく関係無えことに気を取られてたみてえだな。
「ちゃんと聞いとけよ」
「あっ……ごめん……ね……?」
ん?
何だよこれ?
今日のスペード、なんかおかしくねえか?
いつも内気で、すぐ謝ってくるのは変わらねえが、俺のことをしきりに見てくるというか、なんというか。
注意された今でも、チラチラと俺の顔を伺ってくるし、一体何なんだ?
最近、ハートが大人しい代わりに、お前が「童貞ヘドロ」とか言ってくるつもりか?
ハートの貧乳を弄ったの、まだ怒ってるんですか?
「あぁ、そうだ」
スペードの粘着質な視線に気を取られてたから、もう一つの議題を出すのを忘れていた。
レタリーと、羽鳥の繋がりが気になっていたんだった。
「羽鳥、お前とあのメンヘラ女の力についてだが」
「……忘れていなかったか。話題にしなければ、言わずに済むかと期待していたのだが」
「ハッ、そりゃ悪かったな。だが、ここいらでハッキリさせとかなきゃだろうが」
俺と羽鳥独自の話だからか、ハートとダイヤは頭に疑問符を浮かべている。
でも、スペードだけは変わらず、俺の顔をじっと見てくる。
気にするだけ無駄だ、何考えてるか分かんねえし。
「どうしてお前の力が、獣由来だって黙ってやがった?」
「えっ……? そうなんですか、羽鳥様?」
「わーぉ、びっくりびっくりぃ」
ハートは俺が望んだ通りに驚いてくれたが、ダイヤはわざとらしい反応を見せてきた。
多分、知ってたんだろうな。
羽鳥と一番関わりがあるみたいだから、今まで黙ってたんだろう。
隠し事ばっかりで、ダイヤも性格が悪い。
「私のこの力は、ただの獣の力ではない。前にも言ったように、残滓だ」
「残りもんにしちゃ強過ぎるだろうが」
「ああ。何故なら、これは……」
覚悟を決めたように、羽鳥は胸を撫で下ろす。
そのことを俺達に話すつもりはなかったかのように、弱く囁いた。
「……『完全な獣』本人が、直接私に移植した力だからだ」
「「「!?」」」
そんなの……予測出来るかよ。
スペードも俺を見ることをついやめて、羽鳥の発言に驚愕している。
「そう驚くのも無理はない」
「……言っても良かったのぉ?」
やはりダイヤだけは知っていたようで、上目遣いになりながら、人差し指でちょんちょんと羽鳥の足を突く。
羽鳥は反撃とばかりに、ダイヤの頬に左手を添えて、優しくふにふにと撫で回す。
「んむむぅっ……」
声が漏れて、心地良さそうに瞼を閉じるダイヤ。
こう見てると、甘えん坊なだけのガキンチョに見えるんだがな。
しかし22歳だ、騙されるんじゃねえぞ。
「いいさ。殺意に塗れた追求は、私が止めようとしても止められん」
「チッ」
羽鳥は俺に仮面を向けて、いつものように真っ直ぐと見据えてくる。
いや、そりゃあどんなもんなのかは気になってたし、この好奇心を抑えるつもりは無かったけどよ。
なんで俺が悪いみてえに言ってきてんだよ、クソ親父め。
「人体のままでは到達し得ぬ身体能力、知覚、及び反応速度の鋭敏化、心を見る目など……全てはこの身に侵食を許し、『完全な獣』に蝕まれた結果、残った力だ」
「それって……獣化とは違うのか?」
「ああ。獣化と似て非なるものではあるがな」
これに関しては、心が割れていない状態で、黒い塵を植え付けられたと考えるべきか。
「まさか、『完全な獣』に会ったことがあるのか?」
「そうではない、が……」
「が?」
「彼奴は人の心に取り憑くことで、私に接触してきたのだ。直接会ってはいないが、確たる存在を感じた」
なんだよそれ。
『完全な獣』はそんなことも出来んのかよ。
獣化という間接的な支配とは異なる方法で、人に憑依してから、羽鳥に会いに来たってことか。
その方法なら、心が割れてようが割れてまいが関係無えんだな。
「『先獣教』の力はどう説明すんだよ?」
羽鳥は、スペードの傷に心当たりがあると言っていた。
あの言葉はつい口走ってしまった台詞なんだろうな。
最初から、どういった手段で奴らが力を手に入れたのか知っていたんだ。
つまり……
「『先獣教』は、黒い塵を摂取していると考えられる」
ダイヤちゃんが担当している獣は、「獣化させる力を余らせるのも勿体無いし、とりあえずやっとくか!」みたいな感じで作られた存在です。
それと、ダイヤちゃんが「この町限定の獣化なら、重なる日がある」と言っていたことと、27話で一日に一回「前後」と言われていた理由を説明します。
これは、一度目は24時〜2時に現れて、二度目は22〜24時に現れるという、少しややこしい出現によって成り立っています。
一度も現れない日もありつつ、そのような特殊な例で二度現れる日もあるということですね。
日で分けるよりも、一度の22〜2時の間に一回ずつと覚えた方がいいです。
というか誰だよ?
こんな面倒臭い設定考えた奴はよぉ、なあ?
もう許せるぞオイ!
もう許さねえからなぁ?(獣化)




