41.死への恐怖
――♧――
「ぐっ……うぁっ」
レタリーから大剣を引き抜いた。
もう、まともに動けなさそうだったしな。
いや、違うな……それは言い訳でしかない。
俺が、死にかけのレタリーを見ていられなくなってきたんだ。
「羽鳥、本当に……殺すのか?」
「ああ。『獣の狩人』の存在を知られている以上、生かしてはおけない」
蒸発と死亡じゃ、やっぱり大きな差がある。
生きているかも知れないという不確定な状況と、目の前で死んだという確定した状況には、決定的な希望の差がある。
残された人か、遺された人かの違い。
蒸気のように消滅するか、土に眠るか。
天と地ほどの差だ。
弓月は、俺よりずっと辛かったはずなんだ。
俺と比べたらよっぽど地獄で、どん底だった。
だから、弓月を悲しませたくなかった。
笑顔にさせていたかった。
羽鳥が……親父が生きてると知って、俺は嘘混じりの怒りをぶつけた。
認めたくねえが、あの怒りと共に出た虚勢は、生きててくれて嬉しいって気持ちもあったんだ。
俺の怒りを、直にぶつけられるのが嬉しかった。
有頂天に近かったと言ってもいい。
(真実っていうのはな? いくら嘘で塗り固めようが、絶対に変わらねえものなんだ。俺達はその真実を追っかける、正義のヒーローなんだぜ?)
獣化の真実を追い求め、『完全な獣』の嘘を打ち砕かんとする正義の味方。
レタリーと一緒に戦って、軽口を叩いて、父さんは俺より強くて。
姿は変わっていても、その使命は10年前となんら変わっていなかった。
父さんは、今でもヒーローだった。
まだ、父さんが羽鳥と同一人物かは確定してはいないけども。
たまたま俺と母さんの名前を知っていて、たまたま洞察力に優れていて、たまたま右腕が無くて、たまたま正義のヒーローで、似ているだけの別人の線も考えられる……けど。
「あぁ、自分はっ……油断して、しまったん、ですね……」
だが、これで良かったのか?
獣の力を持っているとはいえ、人としての姿を保っているレタリーを殺そうとするのは……正しいと言えたのか?
今の俺も、羽鳥も、果たして正気なんだろうか。
正義の味方として、俺達は本当に相応しいのか?
『先獣教』のチビ男をあっさり殺してみせたスペードは、こんな思いをしてまでハートを助けたって言うのか。
俺は今、あいつと一緒の覚悟を背負おうとしている。
口先だけじゃねえ、本当の殺しを。
誰かに「人殺し」と言われることが、自分を蝕む呪いとなる痛みを、この身で知ろうとしている。
羽鳥を……父さんを、クソ親父を殺すことに、俺は耐えられるんだろうか。
俺は、どれが俺としてあるべき姿なんだ?
裁情か、クローバーの継承者か、それとも……ただの人殺しか。
「ぐぶっ、んぁ……」
「レタリー……」
「ふ、ふふっ、情君……? そんな顔をするなら……なん、で……自分を、刺したん、ですか……?」
「お、俺は」
「君は……やっぱり、似ています、ね……?」
体を大剣で貫かれたんだ、もうすぐにレタリーは死んでしまうんだろう。
俺だって、人を殺す覚悟はちゃんとしていた。
普段狩ってる獣も、元は人間だ。
だから殺しも、獣狩りとあまり変わらねえと思っていた。
そう思っていた、はずだった。
だが、何かが違った。
人を殺すという罪と、獣を狩る使命では、どこかが違っていた。
剣がレタリーに刺さった瞬間に、俺の中で、罪悪感とはまた別の花弁が散った。
その花は……黒い獣を斬った後に、俺の部屋で悔やんだ時のと同種だった。
自分自身が怖くなる、殺人への恐怖だ。
俺は、どうすれば良かったんだ。
なんで今、こんなことを考えて……
「あぁ……死に、たくない、なぁ」
「!」
自分が死にそうな時は走馬灯なんて見なかったのに、目の前で人が死ぬかも知れねえ状況に、昔の記憶がどんどん湧き出てくる。
さっきからずっとそうだ。
父さんが出て行く後ろ姿、弓月を助けた記憶、あいつらとの約束……
思い出ばかりが、頭の中をぐるぐるしている。
フラッシュバックが止められねえ。
そのせいか、あの日の弓月まで思い出す。
――♧――
独特な白黒で、線香の臭いがして、重い雰囲気だった。
死という概念に対する俺の印象は、この記憶が最も強い。
「ひっく、ぐす、うぅぅぇえっ……」
その日は、幹柄さんのお葬式が行われた日だった。
「お父さんっ、お父さぁあん!!」
まだ6歳だった弓月には、その現実は非情なものだった。
唐突に告げられた、父親の死。
たった一人のお父さんが死んでしまって、悲しくないわけが無かった。
幹柄さんは、弓月と霞さんから愛されていた。
「置いてかないでぇ……!!」
「弓月っ……」
棺に縋る弓月を、後ろから抱きしめている霞さん。
二人は泣いていた。
弓月は泣き叫び、霞さんはしとしとと。
棺には、白くて、硬そうで、魂が抜けた人形のような幹柄さんが入っていた。
死にかけていたスペードを見た時、人形みたいだなと思ったのは、幹柄さんがまさにそうだったからだ。
幹柄さんとはあんまり関わりが無かったけど、たまに俺達の家に顔を見せては、一緒に遊んでくれた。
優しくて、弓月みたいな人だったのは覚えてる。
弓月は幹柄さん似だ。
顔も似てたしな。
でも、死んだ幹柄さんは、本当に人として生きていたのかと言われても、肯定できるか曖昧なくらいに、人形になっていた。
死ぬってこんな感じなんだ。
こんな顔で、人って死ぬんだ。
天国に行く人は、こんな綺麗に死ねるんだな。
俺もいつかこうなるのかな。
母さんと一緒にお香を上げた時、幹柄さんの死に顔を見た率直な感想がそれだった。
優しかった幹柄さんは天国に行けたんだな、と。
俺は呑気なガキで、そんな馬鹿みたいなことを思っていた。
弓月にとっては、その時こそが地獄だったというのに。
「死んじゃ嫌だよぉっ!!」
俺が死にかけた時にもかけてくれた、同じ言葉。
弓月は俺のことも、一人の家族のように思ってくれていたんだ。
幹柄さんや霞さんと同等の、家族として。
そういや、俺達は二卵性の双子って冗談めかしてた時もあったっけな。
でも、6歳だった俺には、弓月の可哀想な姿を見ていることしか出来なかった。
まだ、死の恐怖に実感が無かったから。
家族が死ぬ、友達が死ぬ、大事な人が死ぬ、誰かが死ぬ、そして……自分が死ぬ。
俺には、怖さがピンと来なかった。
死に対しては、漠然とした「動かなくなる」と「天国に行く」というイメージが頭にあっただけで、本質への理解が置いてけぼりだった。
だから、俺はお人形箱に抱きつく弓月を見ていた。
理解が出来ないから、ただただ見ていた。
けど、どうしても分からなかった。
大事な人がいなくなって、寂しいという感覚が。
幹柄さんは天国に行けたんだから、幸せなのに。
俺なら、精一杯笑って送ってあげるのに。
幼稚な俺には、そうとしか考えられなかった。
印象が薄いからいまいち覚えていないが、確かその幹柄さんの葬式には、父さんも参列していたはずだ。
母さんから聞いたけど、俺と弓月の関係と同じように、幹柄さんとは幼馴染だったようだからな。
俺達みたいな幼稚園の頃からではなくとも、二人は小学生の頃からの親友だったそうだ。
父さんが蒸発したのは、そのすぐ後だった。
幼馴染の幹柄さんが死んで、父さんも消えた。
そうして、ようやく俺も弓月の気持ちが分かった。
辛さが……置いていかれたという寂しさが。
父親がいなくなる瞬間ってのは、どうにも忘れられない記憶になるみたいだ。
俺の場合、なんとか思い出さないように塞ぎ込んでいたけど、レタリーの言葉で思い出してしまった。
羽鳥と父さんを、重ねないようにしていたのに。
弓月も、たまに隠れて暗い顔をするんだ。
時には一人で泣いたりもしていた。
スペードみたいに……いつも孤独に泣くんだよ。
きっかけは些細なことだったりする。
授業で父親の仕事を聞かれた時とか、友達に「お父さんはどんな人なの?」って言われた時とか。
あんまり触れないようにしていたけど、あの弓月の顔はきっと、幹柄さんを思い出していたんだ。
幼かった俺には、弓月の涙が分からなかったけど、同じ辛さを経験した後なら分かった。
いなくなった瞬間が、どうしても忘れられない。
置いていかれるっていうのは、それほどまでに子供の気持ちを抉る。
寂しくて、寂しくて、とても寂しいんだ。
だからこそ……俺と弓月は同じなんだ。
――♧――
父さんがいなくなってからは、弓月と毎日のように獣道公園で遊んだ。
お互いに寂しくならないように、励まし合ってるみたいに遊んでいたんだったな。
俺達は一人じゃない。
ずっと一緒で、ずっと同じだって。
でも……
「お父さん……」
何故か急に、一度だけ俺の前で、弓月は悲しんだ。
俺だって、父さんが蒸発したばっかりだったから悲しかったけど、幼かった弓月は遠慮なんてしなかった。
キモい芋虫を充てがってくるくらいだからな。
子供って無遠慮だから、恐ろしい。
一緒に泣くことだって出来たけど、俺はそれが嫌だった。
弓月を悲しませたくなかったし、悲しい顔なんて見たくなかったんだ。
俺まで泣いてしまうと、もう二度と笑顔を見せてくれなくなってしまいそうだったから。
だから、決めたんだ。
「これからは俺が……弓月の笑顔を守ってみせるから!!」
弓月と約束したんだ。
獣道公園の、桜の木の下で。
その約束をした記憶だけは覚えてるのに、なんで弓月がいきなり幹柄さんを思い出したのか、その前後関係を忘れてしまっている。
約束の記憶以外は、黒く塗り潰されている。
スペードに、お姉ちゃんの記憶を【悲劇】で消された影響なのか、はたまた俺の記憶力が無いだけなのかは分からない。
第一、父さんの右腕の件も仕舞い込んでたんだから、お姉ちゃんの記憶も消されてないかも知れない。
案外、俺が忘れてるだけだったりしてね。
あれ?
というか、俺の口調、戻って……
――♧――
クソ。
「ああ……」
クソ、クソが!
「ああっ……! ああああぁああああぁぁああッ!!」
「!?」
「え……?」
お前のせいだぞレタリー!
クローバーの継承者としての怒りを失ったら、全部お前のせいだ!!
クソがッ……ぁああああああ!!
どうして俺に、クソ親父の右腕のことなんか思い出させやがった!?
どうしてお前は、そんな風に殺しの罪を感じさせて来やがる!?
どうして獣の力を身につけて、人を諦めちまったんだよ!?
どうして……どうしてだよ!?
満身創痍になって、うつ伏せになっているレタリーの首を切り落とすために、俺は大剣を握りしめながら大上段の構えを取る。
もういい、ウンザリだ。
「さっさと殺してやる……!」
「やっ……やめて、くださ……」
ここでお前を殺さなきゃ、俺は前に進めねえんだよ。
クソ親父を殺そうと思い続けてなきゃ、弓月が獣と戦う羽目になるんだ!
俺がきちんと全部終わらせなきゃ、獣化は終わらねえんだよ!!
「死ねよレタリー!!」
俺だけが、クローバーの継承者なんだッ!!
「……残念、時間切れですか。もう少し休んでいたかったのですが」
「はっ……!?」
「ッ!! 離れろクローバー!!」
レタリーと俺の間に挟まる羽鳥は、庇うように戦闘態勢を取る。
すると、唐突に土煙がぶわりと上がり、倒れていたレタリーがゆらゆらと立つ。
俺が殺そうとしていたレタリーは、何事もなかったかのように立ちつつも、その姿をじわりと滲ませる。
刺されて倒れていたはずだったのに、土煙の裏に映ったレタリーは、燃え尽きる隕石の如く、悠然と消えていく。
俺の大剣など、そもそも大して効いていなかったかのように。
「またお会いしましょうね、お二方」
「待て!」
レタリーが逃げようとしているのを予感した羽鳥は、土煙の中に突っ込んだ。
身につけたマントを使って、台風を巻き起こすかのように旋回する羽鳥。
その台風の目の力強さにより、土煙が消え失せる。
だが……
「くっ……逃がしたか」
レタリーも、煙みたいに消えていた。
――♧――
「クローバー」
「あ……? 何だよ?」
レタリーが逃亡してしまったので、仕方なく俺と羽鳥はアジトに戻ってきた。
無言のままで自室に戻ろうとしたら、羽鳥に呼び止められた。
今日の狩りの報告なんて、めんどくさくなっていた。
話さなきゃいけねえのは分かってるんだが。
「彼奴を殺せなかったこと、そう悔やむ必要はない。君に殺しの罪を背負わせようとしている、私こそが無力なのだから」
「何?」
「君は悩まなくていい。私がそうさせているだけで……」
「綺麗事をほざくんじゃねえ!!」
なあ、羽鳥。
俺は一生、お前を許さねえし、死ぬまで恨んでやるから……
「お前と同じで、俺も……『獣の狩人』だろ」
少しは一緒に悩ませろよ。
今まで、一緒に居られなかった分くらいは……
「……ああ」
「それと明日、獣化について報告があるから、ダイヤをアジトに呼んどけ」
「分かった。私から話を通しておこう」




