40.嘘つきの言葉
――♧――
羽鳥とレタリーは、人が知覚できない0.1秒よりも短い世界を知覚しながら、動いている。
完璧に、完全に、万全に、人外の力をコントロールしている。
自分がどう動いているのか、相手がどう動くのか。
敵を見て、攻撃を聞き、隙を嗅ぎ、圧を感じて、知覚している。
力を制御出来てなきゃ、羽鳥は俺を正確に壁まで殴り飛ばすことも出来ねえし、レタリーは俺の背後に器用に回り込むことも出来ねえ。
あの人外の力を己のものにして、0.1秒以下の世界を知覚して、動いている。
こいつらはもう、人間の域を超越している。
人間じゃねえ羽鳥とレタリーは、人でなしってことだ。
色んな意味で。
「では、遠慮なく行かせていただきますね?」
俺の隣に立つ羽鳥と、前に立つレタリーは、一瞬で姿を消した。
俺は二人の邪魔にならねえように、羽鳥の後ろに退いた。
音すら置き去りにする二人。
俺の肌に届くのは風圧……ではなく拳圧だろう。
「ふふっ、楽しいですね?」
「……」
俺には何をしているのか分からねえ、二つの黒い影。
今は夜だと言うのに、その二つの影は夏日のように色濃く、そして影とは違う実体を持っていた。
ただただ、その影同士がぶつかり合っているようにしか俺には見えねえ。
だが、二人は確かに戦っている。
「腕を失っているというのに、よく自分の動きについて来られますね」
「……」
「流石です。もしもあなたが腕を欠損していなければ、自分は敵わなかったかも知れません」
黒く交わる影の中から、レタリーの話し声だけが聞こえる。
反対に、羽鳥は口を固く結び、沈黙を貫いている。
「あなたと手合わせすることを、心待ちにしていました。自分は今、とても楽しいです」
「……私を知っているのか?」
羽鳥も、饒舌なレタリーに釣られてしまったのか、とうとう口を開いた。
「ええ。僭越ながら、あなた達に気取られないように気配を殺しながら、数年間の視察をさせていただきました」
「目的は何だ?」
「それは言えません。自分に勝ってから、この体に直接聞き出してみては?」
一応【赫怒】は発動しているが、二人は怒りを出していないらしく、予知はまったく見えねえ。
攻撃に怒りを乗せないようにしている技術は、今のところは検討もつかねえ。
それに羽鳥も出来るんだな、怒りを乗せねえ攻撃。
というか、もしも【赫怒】に引っかかって、予知が発動したとしても、結局は0.1秒よりも短くなるだろうから、俺がそれを認識出来るかも怪しい。
見えても分からねえ、見たことすら理解出来ねえ、コンマ秒以下の予知だ。
だが、俺のやるべきことは既に決まっている。
俺は右手のみで大剣を掲げて、投げ飛ばすための狙いを定める。
多分だが、羽鳥とレタリーは立ち位置を変えねえようにしたまま、打撃を繰り出し続けていると仮定している。
もしも、立ち位置を変えるような隙を相手に見せてしまった場合、数瞬の遅れを取るからだ。
秒数にしたら、それは些細な一瞬なのかも知れねえ。
だが、それはこいつらにとっちゃ大きな隙となる。
0.1秒より短い時間ではあるが、それには確たる差が出来てしまうんだ。
だから、二人はその場を大きく動くことなく、殴りと蹴りの打撃を打ち合い、相手の打撃を最小限で避けつつ、どうにかして有効打を与えようと画策している。
と、俺は考えている。
その均衡を、崩してやればいいんだ。
(私を殺すために、私を利用して強くなれ。それが、負けた君へと科すペナルティだ)
お前に守られるつもりはねえが、お前を利用させてはもらう。
あんまり守られてる状況と変わんねえが、気の持ちようだな、こんなの。
「っらぁあああああぁッ!!」
大剣を羽鳥の後ろから投げ、拮抗しているパワーバランスに変化を加える。
「……ッ!」
羽鳥は気付いた、後ろから空を裂く俺の大剣を。
咄嗟に体を真横にズラした羽鳥は、大剣を避けた。
「あれ。情君、この方を裏切るのですか?」
そう、俺でも避けたと分かったのだ。
どんな動きをしているのか分からなかったのに、その時は避けたのだと分かった。
それは俺の目からでも、羽鳥の姿を捉えることが出来たということだ。
速度が乗っていた連打を、唐突に挟んだ回避によって中断させられたことにより、俺ですら視認できるくらいの0.1秒以上の隙が、羽鳥に生じた。
「僥倖ですねえ!!」
「うぐ!?」
羽鳥の側頭部から、衝撃波が弾ける。
レタリーが、羽鳥に打撃を与えたようだ。
「くっ……!」
膝を突き、羽鳥はその痛みに苦しむ。
そして、レタリーも霞ませていた姿を露わにする。
二人を見ると、激しく息切れしていた。
多分、目にも留まらぬ速さを発揮させるために、相当の体力を使っているのだろう。
無酸素運動よりも速く動き、相手よりも長く殴打を続ける。
かなりの負荷が、二人にかかっていたんだ。
「でも、よろしいのですか? 情君は暗殺を危惧していたというのに、自分にこの方を捧げてしまえば、次は情君の番になると分かっているでしょう?」
「ああ、自殺が目的だしな」
「は……ッ!?」
穴が開く。
「だが、お前は何か勘違いしてやがるな。俺の自殺願望が叶うより、まず先に……」
血のような色の大剣に、本物が伝う。
絶望が混じった、斑で赤黒い血だ。
「ご……ゔッ!?」
「お前が死ぬんだよ」
レタリーの胴体に、縦長の穴が開いた。
投げ飛ばした俺の大剣が、レタリーの背中を後ろから貫いたんだ。
「はぁ……? ばっ、なん、ぇ……?」
「ハッ、間抜けにも程があるぜ、狂信者さんよ? 羽鳥に恋するあまり、盲目になっちまってたんじゃねえのか?」
俺は、約束したからな。
――♧――
(じゃあこうするか。もしも獣化を終わらせる前に、俺が羽鳥を殺そうと動いたら……お前らが全力で止めてくれよ。そうすりゃ俺も殺しに集中出来るし、お前らの要望も通るだろ)
羽鳥を殺す時には、まずはあいつらに知らせることが、俺達の約束の内だった。
あいつらが何も出来ねえまま、あいつらが何も知らねえまま、あいつらが何も要望を通せねえまま、俺が事を進めるわけがねえ。
約束とはそういうもんだ。
俺は一度、弓月の信頼を裏切った。
弓月を襲っていた黒い獣に殴られて、死にかけて、生きることを諦めかけた。
(これ以上、弓月の大事な人を奪われてたまるか!!)
弓月が部屋からいなくなって、霞さんを家に待機させた時、俺は心の中でそう叫んだ。
でもその時は、弓月の大事な人に、俺の存在を入れていなかった。
弓月がどう考えてるかなんて気にせずに、俺の勝手な判断を押し付けていた。
(ぅぐっ、ぅづぎ……!! 逃げ、るぉ!)
だから俺は、自分を犠牲にしてまで、弓月を獣から守ろうとしたんだ。
それこそが、弓月への裏切りだったんだと分からずに。
(これからは俺が……弓月の笑顔を守ってみせるから!!)
10年前、笑顔を守るって約束したのに……それなのに死にかけて、弓月を悲しい顔にさせた。
それは約束を無下にした、弓月への裏切りに他ならねえんだ。
弓月に似ているあいつらとの約束も、俺は裏切るつもりはねえよ。
例え、どれだけ羽鳥に殺意を抱いているとしても、あいつらに対する友情まで裏切りたくねえ。
弓月も、あいつらも……全部大事なんだ。
――♧――
「どっ、どうしで!? 投げぁはずのっ……!」
「お前は知らねえだろうな? 大剣が、俺の手元に戻ろうとするってことに」
「手元に……戻ゔっ……!?」
「来い」と念じれば、大剣は俺の手に戻ってくる。
どういう原理か分からねえが、必ず来る。
俺はアジト内でしか、この操作を使ったことがねえ。
仮面と同じように、レタリーは大剣の仕様を知らねえんだ。
ブーメランみてえに、俺の手に戻るという仕様をな。
羽鳥はスクリと立ち、体に俺の大剣が突き刺さっているレタリーを見下す。
どうやら、レタリーからの打撃は受けたものの、脳震盪は避けたようだな。
ピンピンしてやがるわ。
「ふむ、作戦通りだな」
「づっ……ぃぶっ! いづ、がらっ……!?」
「クローバーは嘘つきなのだよ。誰に似たのかは知らないがな」
「ハッ、言ってろ」
俺は大袈裟な演技をした。
羽鳥は嘘を見破った。
最初に会った時みてえに、羽鳥は俺の思考を読み取った。
ただ、それだけだ。
――♧――
俺達が意見を交換し、作戦を練ったのはあの時だ。
「お前に守られる謂れはねえ。前衛と後衛で、わざわざ分ける必要はねえだろうが」
前衛と後衛で分けても、意味が無いことを羽鳥に伝えた。
それじゃ数の有利でレタリーを叩けねえってな。
羽鳥と離れて無防備になった時が、一番危険なんだ。
しかし、俺が決定打を与えなきゃいけねえ。
接近しなきゃ斬れねえのに、近付いた途端に詰むという二重苦。
俺は悩んだ。
「言っただろう、私には君を守る余裕が無いと。だからこそ私は、彼奴との戦いに全力を注ぎ、君に意識を向けさせないように動くことしか出来ないのだ」
羽鳥は他の方法も、余裕も無いと言ってきた。
俺に意識を向けさせないように、自分はレタリーの動きを抑えることしか出来ないと。
だが、俺は二人の速さについていけねえ。
決定打を与える瞬間すら分からねえんだ。
「そんなことすれば、あいつを挟撃する余裕すら無くなるだろうが。いいから、俺に構うんじゃねえよ」
なら、挟み撃ちはどうだと伝えてみた。
「しかし、攻撃は最大の防御となる。聡い君なら分かるだろう?」
挟み撃ちをするには、レタリーの背後への移動が必要になる。
攻撃を始める前に移動に臆してしまえば、勝てる見込みすら無えか。
しかも、羽鳥の守備範囲から出ることになって、俺が孤立するから、やはり無防備を晒してしまう。
悩みに悩んだ。
レタリーに攻撃をするためには、俺はどうしたらいいのか。
数で勝っている今、挟み撃ちが有効なのは分かっているが、レタリーがそれを許すはずもねえ。
羽鳥が守れる範囲から移動したらダメなんだ。
俺が羽鳥に殺意を表しているところをレタリーに見せつつ、仲間割れしていると思わせて時間を稼ぎながら、案を出さなければならなかった。
「それに、君が言ったのだぞ。彼奴の動きに追随出来ないので、足手纏いになると。ならば、陣形を保つことは必須条件だと考えろ」
そう悩んでいると、レタリーの後ろに回り込むことに拘らずとも、羽鳥の影に隠れながら、挟み撃ちを成立させる方法は必ずあると言われた。
その言葉で何かが閃きそうな気がした。
ちなみに、さっきから羽鳥に言われたとか、羽鳥に伝えたとか言ってるが、勝手に俺がそうやって捉えてるだけだ。
羽鳥も作戦通りとは言っていたから、俺の意図は伝わってたみてえだがな。
だが、伝わってたかどうかは賭けみてえなもんだった。
クソ。
それって、心を見る羽鳥の洞察力を、俺は信じてたってことじゃねえか。
「今は私への殺意を彼奴に向け、この戦いに集中するべきだと何故分からない?」
殺意……羽鳥への怒り、それを利用しろってのか?
「それとも君は、自殺願望でも持っているのか?」
自殺願望。
一見、塩を送るような危険な行動を取れば、レタリーの油断を誘って、隙を突けるって言いてえのか?
そうすれば、あいつは不覚を取る、か。
寝返るとしたら、俺は羽鳥の次に殺される。
それこそ自殺願望だな。
だがしかし、逆にそれが勝機となり得る。
――♧――
「だから、わざと俺が寝返ったように見せかけて、お前の油断を誘った。俺が安全圏から攻撃するには、これしか無えと思ったんだよ」
「君が私に向かって大剣を投げた時は、本当に裏切られたかと疑ったがな」
「あー、迷ってた。お前があんなのも避けられねえ雑魚なら、マジで裏切るつもりだったわ」
「フッ」
まあそれも嘘なんだがな。
あいつらとの約束だけは裏切りたくねえ。
羽鳥が死んじまったら、今度は俺がレタリーに殺されちまうしな。
自殺願望は通すものの、自殺するつもりなんかねえよ。
メンヘラのお前には慣れ親しんだ嘘だろ?
「ぐぶ……」
「羽鳥みてえに言葉の裏を読み取れなきゃ、ただ単に俺がキレ散らかしているように見えただろうな」
「ぞっ……! ぞんぁのっ! あり得ぁい!! あんな言葉ぇ、通じぃ……!」
蒸発も、監禁も、情と呼ぶのも全然許してるわけじゃねえよ。
作戦を伝えてはいたが、羽鳥に怒りを表したのも嘘なんかじゃねえ。
大袈裟にキレてみせたが、あの怒りは実際に心の中から出た叫びだった。
ただ、真意を乗せながらも、ちょっとばかし脚色してたってだけだ。
「羽鳥を殺すのは今じゃねえ。『完全な獣』を殺すには、俺は覚醒しなきゃならねえんだよ。そのために獣を狩って、獣化の答えを見つけなきゃいけねえのに、無策に羽鳥を裏切ってどうすんだよ?」
あいつらと殺り合うのも……嫌だしな。
「終わりだ、レタリー」
「ぐ……」
前回の後書きで死すとか書いてありながら、まだレタリーちゃん死にませんでしたね。
死にかけですけど。
メンヘラ特有の死ぬ死ぬ詐欺ですね。




