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感情の色  作者: そつぼのろんしっし
乖離する運命 序章
4/65

4.急変する体

――♧――



「情は何が食べたい〜?」


 冷蔵庫を漁りながら、弓月が横顔で俺に尋ねてきた。


「んー、どうしよっかな。何が作れる?」

「カレーに、肉じゃがに、あとは〜……」


 弓月に悪いから、こんなことはあんまり習慣にしたくないんだけどな……


 ほぼほぼ毎日、弓月が料理を作りに来るのが当たり前になっているから、それに合わせて母さんも色んな食材を買ってうちの冷蔵庫に入れている。

 いや、まずその前提がおかしいんだけどな。

 なんで母さんも至極当然のように、この状況を受け入れてんだよ……

 でも、俺は簡単な料理しか出来ないし、仕事終わりにちゃんとしたご飯が用意されてるってのは母さんも助かってる。

 裁家は弓月に頭が上がらないな。


「弓月が食べたいのは?」

「ん〜、特には?」


 俺も弓月も事なかれ主義だし、こういう時は決め手に欠けるんだよな。


「弓月の作る料理はなんでも美味いしなぁ……」

「そ、そう?」

「未来の旦那さんは幸せもんだな」

「旦那さん、か〜……」


 そう、なんでも美味いからこそ困る。

 弓月の料理はどれも美味いからこそ、何が食べたいとかハッキリ決めきれないんだ。


 二段目の野菜室を開けながら、手をぱたぱたさせている弓月。

 俺は食卓に座っているから少ししか顔が見えていないが、また赤くなって……?


「なあ? あんまり冷蔵庫に体重かけて覗き込んだら……」


 弓月は左手をぱたぱたとさせながら、冷蔵庫の持ち手にかけたもう片方の手に、全体重を預けた姿勢を取っている。

 そのアンバランスな体勢がなんだか危なっかしい。


「ん〜? あっ……!」

「!」


 体重をかけていた右手がずるりと滑り、バランスを崩した弓月は転びかける。


「弓月!!」

「うわ!?」


 間一髪。

 駆け寄って弓月の背中に手を回し、腕を掴んで倒れるのを阻止できた。

 思った以上に弓月は軽くて、支えるのは簡単だった。

 食卓とキッチンも近かったし、何よりそうなることを警戒していたから間に合ったようなものだ。


「あ、ありが……」

「あんな姿勢危ないだろ!?」


 だからって、俺の前で危ないことはやめて欲しい。


「情?」

「弓月が傷つくのは嫌なんだよ……」

(お父さん……)


 あんな悲しい顔はもう、見たくないんだ。


「ごめんね……?」

「……いいよ。怪我は無いか?」

「うん〜、情が支えてくれたから大丈夫……」


 転びそうになったのに、なぜか嬉しそうな声の弓月は俺の体に腕を回して、強く抱きしめ返してくる。


「じゃあ、今日はカレーにしぉっふぁ〜……」


 俺の胸元に顔を押し付けてきて、弓月の口がもごもご動いているのが肌で分かる。

 息か体温か、妙に熱い。

 てか、カレー作るんじゃないのか?


「……弓月?」

「あっ、すぐ作るから〜!」


 何かに気が付いたように急いで立ち上がる弓月は、カレーの材料を取り始める。



――♧――



「でね! 今日部長に褒められちゃった〜!」

「へえ、今年の選抜こそ弓月も入れるかも知れないな」

「だよねだよね〜!! やっと試合に出れるんだ〜……夢みたいだぜぃ!」


 カレーを作るために野菜を煮込みながら、弓月は嬉しそうに話している。

 昔から弓道を続けている弓月にとっては、高校の試合にやっと出れるんだ。

 嬉しいはずだろう。

 やっぱり悲しい顔よりも、笑顔の方が似合ってるな。


「一年の時から騒がれてたけどな。弓道部にすごい新人が入ったって、風の噂で俺も聞いたし」


 弦野家の先祖は代々、弓道の達人と言われた家系だ。

 弓月のお母さんも昔は数々の好成績を出したらしく、弦野家にはトロフィーやら賞状やらが多く並んでいる。

 弓月もその弓道の血を引き継いでいるようだ。


「んま、去年の時は腱鞘炎になっちゃったせいで出れなかったけどね〜」


 あまりに弓道部の連中に期待されすぎたからか、練習に励みまくって去年の選抜はおじゃん。

 弓月らしいっちゃ弓月らしいけどさ。


「昔から損する性格だからなぁ弓月。人に頼まれたら断れないなんて、いつか身を滅ぼしそうで心配だよ」

「え? 情が私を心配して……?」

「幼馴染なんだし、大事なのは当たり前だろ? 弓月だって今日、何度も俺を心配してたじゃん」

「んぅっ……」


 な、なんだ?

 今日一番の激しさでぱたぱたしながら、俺から目を逸らして……


「またトイレ?」

「ちがわい〜!」

「ん?」


 弓月の様子に、薄々勘付き始めていた。

 今更、遅すぎると言ってもいいくらいだけど。


「ちょっと、見して」

「何を〜……えっ?」


 弓月の顔に優しく手を添わせる。

 赤い顔、それに少し荒めな息遣い。

 俺が真剣に見つめると逸らすのをやめる弓月の目は、(かす)かに揺れ動いている。


「なっ、なんで私のほっぺた触……」

「……」

「じょ、ぉ……?」


 俺の手にダイレクトに伝わる激しい脈拍、熱い体温。

 間違いない、これはアレだ。

 やっぱり、変だと思ったんだ。

 今日は様子がずっとおかしかったし、転びかけて支えた時にも違和感が残った。


「情、気付いて……?」


 今まで気付けなかった俺は、どうかしてたな。


「……ああ」


 真実は、いつも一つだ。


「んむ〜……」


 目を瞑った弓月は、唇を尖らせながら俺に顔を近付けてくる。

 え、何してんだ?


「熱じゃないのか、これ?」

「はぇ……?」


 熱い。

 手だけで分かるくらい熱く、髪に隠れてて見えていなかった額には汗が(にじ)んでいる。

 両目の焦点はブレていて、気が抜けているかのようにぼんやりとしている表情だ。


「ね、熱ぅ〜……?」

「今日はもう帰って休みなよ。こんな熱出してるんじゃ、料理もままならんだろうに」

「嘘……だって全然〜! あっ……」


 ぺたんと肌がフローリングを叩く音と共に、弓月は力無く座り込んでしまう。


「今朝、時間に厳しいお前が出迎えに遅れてきたし、いつも学校で寝ないはずなのに爆睡してた。それにさっき、冷蔵庫を覗いてた時に倒れそうになってたのもなんだか不自然だったし、朝から辛かったんじゃないのか?」

「うぅ、じょぉ〜……」


 フラフラしながら俺にもたれかかってくる弓月。

 誰にも悟られまいと、無理をしてまで元気なフリをしてたんだろう。


「色々と無理しすぎだ。帰って休んで……ってもう体力が限界か。家まで付き添うから、俺の肩に手ぇ回しな」

「わ、わかった〜……」

「まったく。俺が見抜いてなきゃ、明日も普通に学校行く気だったろ。ダメだぞ? 明日は休むんだ」


 人に心配されるのが嫌なのか、それとも心配させるのが嫌なのかは知らないけど、弓月は優しすぎる性格のせいで一人で無理をしてしまう節がある。

 一年前の腱鞘炎もそれが原因だ。


「でもぉ、練習がぁ〜……」

「選抜に出られんよりはマシ。ほら、立てるか?」


 部活くらい、体調が悪いなら休めばいいのに。

 本番に差し支えたらそれこそ本末転倒だ。


「おっとと……えへへ、危ない危ない」

「駄目そうだな」


 もう立ってるのもままならないようだったので、俺が抱きかかえて移動するしかないようだ。

 仕方ないか。

 これ、照れるからあんまりやりたくなかったけど……


「よいしょっと」

「あぅ〜……」


 お姫様抱っこなんて、かなり昔にやった以来だから恥ずかしい。

 その相手が弓月だったから尚更だ。

 それにしても、やっぱり弓月は軽かった。



――♣︎――



 まさか熱を出してたなんて。

 ちょっと朝から調子悪いなとは思ってたけど、情ってば私より私のこと詳しいんだ〜?


「ふふ〜っ……」

「なんで笑ってんの?」

「な〜んでも、ないよぉ〜……?」


 情だって、私をちゃんと見てくれてたんだ。

 私は情をずっと見てるけど、情も同じだって分かったら嬉しくなっちゃうよ〜。


「ありがとね……情〜……」

「いいんだよ、弓月を一番わかってるのは俺だ。俺もたまにあるけど、自分で自分の状態に気付けない時はある」

「うん〜……」


 ダメだな私、情に余計な心配かけさせちゃって。

 だけど、やっぱり……


「好き……」

「月? あぁ、そういえば明日の夜は満月ってテレビで言ってたな」

「もう……ば〜か」


 もう少し、このままで。

 このままで、いさせて欲しいな。



――♧――



「すぅ……すぅ……」


 疲れが起因したのか、弓月は俺の腕の中で意識を落としてしまっていた。


「着いたぞ」

「うむぅぅ……」


 寝ている弓月に、独り言のように語りかける。

 だけど、やはり返事は無い。

 よっぽど疲れてたんだろう。


「う、うおぉっ! 難しいなこれ!?」


 女の子一人を抱きつつ、インターホンを鳴らすことに苦難しながらも、なんとか俺はボタンを押す。

 いくら軽いとは言えど、バランスを保ちながらそれをこなすのは難しかった。


「はぁ〜い? どちら様かしら?」


 弓月のお母さんがインターホン越しに出て、用件を聞いてきた。

 聞き慣れた声だ。

 かなり昔から知ってる仲だしな。


「お届け物でーす……」

「あらっ、情君? あらあら〜。弓月ったらお姫様抱っこされておねむだなんて、贅沢ね〜」


 インターホンに備え付けられたモニターに映る、すやすや弓月さんを見たであろうお母さんは、俺達のこの姿が微笑ましいと言わんばかりにふふっと笑う。

 こんなの、久しぶりに見るだろうからな。


「こいつ熱あるみたいなんで、すぐにでも部屋で寝かしてやって下さい。部屋までは俺が運びますよ」

「えっ、それは大変……! ちょっと待ってね〜? すぐに開けるから!」



――♧――



「最近頑張り過ぎちゃってたのかしらね〜……弓道部、結構忙しいみたいだし」


 この人は弓月のお母さんで、弦野霞(つるのかすみ)さんだ。

 昔から俺の母さんとも仲が良くて、ぶっちゃけ俺にとっては二人目の母みたいな感じだな。


「本人は熱だって気付いていなかったようです。よく考えると今日はヤケに手で風を仰いでたし、俺が早く気付くべきでした……すみません」


 思い返してみると、度々顔が赤くなってたのは予兆だったのか?


「いいのよ〜。それは情君の前じゃないとやらない癖だから、気付かないのも無理ないわ〜」

「え?」


 そうなの?

 あの癖についてはあんまり意識したことがないから、それは知らなかった。


「あ、やっべ……! やっぱりなんでもないでござる〜」

「ござる!?」


 弓月だけじゃなく、霞さんまでおかしくなってしまった。

 なんだか今日は厄日らしい。

 いや、弦野家が愉快なのはいつものことか。


「ほら、もう弓月は大丈夫だから! 愛ちゃんを心配させないように、早く帰ってあげな〜?」


 と言っても、まだ仕事から帰って来てないだろうけど。


「……そうですね。それじゃあ弓月のこと、頼みます。明日には何か買って看に来ますので」

「じゃあビー……」

「それは霞さんが欲しいものでしょうが! ポ◯リやら、お粥の素やら買ってきますんで!!」

「え〜? 情君のケチ〜」


 病気の娘を差し置いてまで、未成年に酒なんか買わせようとしたらダメやろがい!

 霞さんはいつもこんな感じで、はっちゃけ過ぎてしまうところがあるんだよな。

 弓月にそんな部分が遺伝しなくて良かったとつくづく思う。

 語尾を伸ばすような喋り方と、綺麗な顔は遺伝したようだけど。

 あぁいや、どちらかと言えば、顔は父親似なんだっけか。


「はぁ……ではまた、明日に」

「今日はありがとね〜。弓月が起きたら伝えておくわよ〜ん」



――♧――



「ふぅ」


 なんだか昼寝する前より、どっと疲れた気分だ。

 飯を食べる気も無くなったし、中途半端なまま終わってしまった料理の片付けをしたら、とっとと二度寝しよう。


「ただの風邪、なんだよな?」


 今日の弓月を詳しく思い返してみたけど、顔の赤み、ぱたぱた以外は体調の悪化は見れなかったはずだ。

 俺の家に入ってからも少しは普通に話せていたし、それ以上の異変は事前に察知出来なかった。


「まさか……な」


 夢は夢だ。

 あまりにもしつこいあの夢への恐怖に、俺はうんざりし始めていた。



――♧――



「ん……お?」


 なんだ、もう朝か?

 いつの間に寝たっけ?


「夢も見ないくらい深い眠りにつくなんて、俺どんだけ疲れてたんだ?」


 目覚ましが鳴るよりも前に起きるとは珍しい。

 自分でも驚いたな、結構な寝坊助なんだけども。


「……今日は俺も休むか。あいつの看病してやれんのは俺だけしかいないだろうし、一人じゃ心細いだろうからな」


 あいつはいつも一人で無理をしようとする。

 俺は弓月にしょっちゅう世話になっているけれど、逆に自分の世話が(おろそ)かになっている。

 悪い癖だ。


「仕方ないな」


 弓月は自分に対しては抜けてる部分があるし、誰かが代わりに世話してやらないといけない。

 幼馴染ってのは本当に厄介極まりない関係だよな。


「まったく仕方ないやつだ」


 霞さんだって、朝から遅くまで働いている。

 日が出ているうちにあいつを看てやれる奴は、俺以外誰もいないだろう。


「よし」


 俺は学校に行く時とは違う準備をし始める。



――♣︎――



「はあっ、はっ……!!」


 部屋で一人、苦しそうにもがく弓月。

 身を(よじ)る彼女は、悪夢に(うなさ)されていた。


「情、来ないで……! ダメっ……!!」


 寝る前に外し忘れた片割れのクローバーのペンダントが、ぼんやりと赤く光る。

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