39.大きな背中
――♧――
五感で知覚して、脳に伝達し、そして神経に命令を通すことで、人は行動に移ることが出来る。
それまでにかかる時間の最速は、約0.1秒と言われている。
所謂、反射神経とか言われてるやつだな。
厳密に言うなら反応速度だ。
例えば、陸上のスタートの合図がこれを元に、ルールが定められている。
音が鳴ってから走り出すまでは、人の限界を考慮して、0.1秒待たなきゃいけない。
予測で動いて、もしも0.1よりも速くスタートしてしまったら、失格になっちまうらしい。
中には0.099秒でスタートして、失格になった選手もいるんだとか。
普通の人の反応速度は平均0.2秒くらいだそうだが、俺は地獄の訓練の成果によって、普通の壁はとうに超えている。
そう聞くとなんだか凄そうに見えるが、反応速度を0.1秒にすることなんて、誰でも努力次第で簡単に出来る。
あんな獣みてえな奴らに扱かれ続けてたら、人間の限界ギリギリまで速くならざるを得なかっただけだ。
そうしないと、俺がボコボコにされるだけだし。
二ヶ月間という短い期間だけでも、あんな訓練を毎日続けてたら、人は嫌でも成長するようだ。
奇しくもハートの言ってた通り、何度も死に目に遭ってりゃ強くはなれるらしい。
火事場の馬鹿力も、出番の多さに呆れ果てて、そのまま居座るってことなんだろうな。
だがしかし、痛ぶられた事実だけは許さんぞ!
鞭打の喜びを知りやがって……!!
スペードは通す、ダイヤも通す。
ユニコーンは通さない!
ユニコーンは継承者の面汚し、義務教育の使命を捨てた者!
恥を捨て、外聞も捨てた!
小さいおっぱい、弱いおっぱい!
って、こんな下らねえこと考えてる場合じゃなかった。
一人でアレコレこねくり回してても仕方ねえし、羽鳥の意見を聞きつつ、どう戦うかを考えねば。
「俺はお前らの動きについていけねえ。だから、確実に足手纏いになるぞ」
「しかし、二対一の優位性を捨てるには惜しい」
「ああ。お前ら二人が持っている力が同じ程度の強さなら、パワーバランスは拮抗する。勝つためには俺が絶対に必要不可欠だ」
「……継承者の誰かが殺されるだけでも、私達の負けとなる。だが、その話を聞く限り、私が君を守る余裕も無いのだろうな」
覚醒さえ出来てりゃこの状況、なんとかなったんかな。
これからどうにか覚醒する方法を探そうと思ってたところに、いきなり現れやがるんだもんな。
まったく、嫌なところを突いてきやがる。
嫌なことを思い出させてきやがったし、嫌なところを突くし、嫌な女だ。
「ハッ、俺はいつ壊されるか分からねえが、勝利するためには必須な諸刃の大剣ってわけかよ」
「彼奴は一体何者だ?」
羽鳥は「私に匹敵するほどの、この力を引き出す者がいるとは」「あり得ん」「何故」等と独り言をアレコレ呟きながら、俺達の作戦会議を未だに待ってくれているレタリーを凝視、そして敵視している。
あの女にとっちゃ、作戦会議を見過ごしているのは不利になるはずなのに、こういう時は律儀に待ってくれるようだ。
羽鳥同様、掴みどころが無えな。
案外、憧れの羽鳥が出てきてくれたから、嬉しくなって見てるだけかも知れねえが。
それならもう少し、考えを張り巡らせよう。
レタリーの速さの秘訣を、羽鳥を参考にしてずっと鑑みていた。
人が、人の反応速度よりも速く動くことは可能なのかと。
その答えは是だ、そんなのは誰にでも出来る。
例えば、相手に反応させないくらい速くパンチすりゃ、殴られる方は防御することも出来ない……とかな。
誰だって、0.1秒よりも速くは動ける。
だが、こいつらは違う。
羽鳥とレタリーの場合、速く動け過ぎるんだ。
精々、0.1秒内じゃパンチ一発が精一杯なはずなのに、こいつらは何十発もゆうに打てるくらい、途轍もなく速く動いているんだ。
羽鳥が一瞬で俺を蹴散らしたのも、ただ単純に人の運動能力の限界を超えて、俺をタコ殴りにしてたんだ。
どうやってそんなに速く動いてるのかは分からねえが、そうとしか考えられねえ。
ダイヤの【極楽衝動】は光の速さ、もといそれ以上を出せるらしいから、流石にあいつよりは遅えとは思うが……それを差し引いても速過ぎる。
人が知覚出来る速さを超えて、素早く動き続けられるのなら、まるで消えたように見えるだろうな。
それこそ、瞬間移動と見間違うほどに。
まだ瞬間移動の線も捨てきれねえが、それが本当だとすると、俺の勝ち目がなくなっちゃうでしょ!
そんなのお父さん許しませんからね!!
つまりは羽鳥もレタリーも、人の反応速度を遥かに超えた速さで動き続けることによって、消えたように見せかけていた。
本当にその場から消えていたわけじゃねえ。
俺の目に見えないだけで、走り、止まり、殴り、蹴っていたんだ。
こいつらは人間の形をしているだけで、獣よりもずっとバ獣だったってことだ。
バッケモーン!
簡単に人の限界を超えるなー!!
人の毛髪の限界を己が身で試す雷親父の説教が、いきなり俺の思考を支配した。
こいつに俺の頭が支配されるって言うと、こっちまでツルツルにされそう。
「あー、違う違う違う……今はそんなふざけたこと考えてる場合じゃねえだろうが」
「クローバー、どうした?」
「なんでもねえよ」
どうやら俺の頭は策が思いつかねえとなると、コミカルな想像力を用いて、現実逃避しちまう癖があるらしい。
父親に関係する想像ばっかりしてんのも、さっきの嫌なことを思い出したのと関係してる、と思う。
是が非でも、頭から離れなくなっちまった。
なんだ?
アレを思い出したから、心に余裕が出来ちまったってのか?
それとも、羽鳥がここに来たからなのか?
無駄な余裕とか作ってねえで、ちったあ純粋な怒りでも作りやがれってんだ。
俺の意思と関係なしに、勝手に気を休めてんじゃねえよ。
奴を殺さなきゃならねえ状況は、今も変わってねえんだぞ。
「いずれにしても、我々は彼奴が付け入る綻びすら許さぬほどの、強固な連携を取らなければならない」
羽鳥。
白くて長い髪を、後ろで一纏めにしている羽鳥。
第一印象としては女性と見てしまうようなこの髪型も、わざとそうやって思わせることが目的の、カモフラージュなのかも知れねえ。
あるいは本当に、女なのかも分からん。
どこで生まれ、どこで育ち、どこから来て、はたまたどこで尋常ならざる力を手に入れたのか。
謎の擬人化。
「やけに待たせてくれますね。自分はいくらでも待つつもりですが、随分と様子見が長くないですか?」
……と、レタリーと話をする前は思っていた。
「どうしたもんか、悩んでんだよ」
「ふむ、仕方がない。対抗策が思いつかないのなら、突破口を戦いの中で見つけるしかない。クローバー、しばらく私の後ろに隠れつつ、作戦を練っていろ」
「は?」
もう手遅れなんだよ、そんなことをしても。
いくら俺にそんな背中を見せつけてこようが、今更お前に対する怒りが収まるはずがねえんだよ。
何もかもが遅えんだよ……
「ハッ、羽鳥。俺はもうお前の言いなりになるつもりはねえよ」
「……何だと?」
もう無理なんだよ。
全部、全部。
――♧――
「ジョー」
クソ親父の記憶は、母さんに土下座してた時のものが一番強かったから、その特徴は頭からすっぽりと抜け落ちていた。
普通の父親だと思っていた。
大きな存在感を見せてくるのも、息子が父親の背中を見た印象程度にしか考えていなかった。
でも、そうじゃなかった。
洞察力に優れている血を持つ俺は、微かにその違和を感じ取っていたんだ。
しかし、最後に見たのが6歳だから、記憶が朧げだったのも仕方ないのかもしれない。
だが、レタリーの言葉で思い出した。
思い出してしまった。
奥底から、呼び覚ましてしまったんだ。
「俺はこれから、やらなきゃいけねえことがある」
自分を正義のヒーローだと豪語し、家族を見捨ててまで下らねえ矜持を守りにいった、父親失格の男。
「だけど、必ず俺は帰って来る」
涙ぐんだ幼い俺に顔を傾け、口角を上げた薄汚くも醜い覚悟。
俺が誘拐されて、ダイヤが最初に【極楽衝動】で移動させた時と同じ、傾けたのは少しだけだった。
「ジョー……お前に」
そうやって俺に笑いかけ、背中を見せつけてくる傲慢な性格。
嘘を吐いているようならしくない話し方も、俺の心と思考を何度も見破る能力……洞察力も、秘められた何かを感じさせるのも、俺に恨まれてでも力を付けさせようとしたのも。
全てに意味があったんだ。
「会いに行くから」
右腕を失っていた親父は、幼かった俺を左手で撫でた。
――♧――
羽鳥の大きな存在感と、親父が重なる瞬間は、今まで何度もあった。
どうして俺は、親父に右腕が無いことを忘れていた?
いや……違う、そんなの最初から知っていた。
羽鳥を殺したいと思えば思うほどに、俺の心がその理解から遠ざかろうとしていたんだ。
分かりたくなかった、思い出したくなかった。
レタリーとの会話で、親父に右腕が無かったという特徴を思い出した。
理解するのが嫌だった、嫌な記憶を思い出させられた。
殺したいと考えている羽鳥が、自分の父親かも知れないなんて、考えたくなかったんだよ。
いくら家族を捨てた無責任なクソ親父とはいえ、肉親をこの手にかけるという罪を、犯すつもりだったなんてのは。
だけど、罪悪感という花弁を振り落とし、かなぐり捨てた今の俺には、そんな事実は関係ねえ。
俺にはもう……父親はいねえ。
『完全な獣』を殺して、羽鳥も殺すという目的だけは変わりようがねえんだよ。
「クローバー。ならば何故、私をここに呼んだ? 二度も同じことを言わせるな。彼奴を倒す案が浮かぶまで、君は私の守護範囲から出るな」
「嫌だと言ったら、お前はどうすんだよ」
「……君は何をするつもりだ?」
正義のヒーローは、正しくあり続けなきゃいけねえんだろ?
家族を捨てて、そして信頼を失ってでも、世界を守らなきゃならなかったってか?
そう言いてえんだよな、お前は。
ハッ、そんなのクソ喰らえだ。
俺は絶対に、お前を許すつもりなんかねえよ。
「私と連携し、彼奴に勝つのではないのか? 拒む理由を……納得が出来る理由を説明しろ」
「お前に守られる謂れはねえ。前衛と後衛で、わざわざ分ける必要はねえだろうが」
「言っただろう、私には君を守る余裕が無いと。だからこそ私は、彼奴との戦いに全力を注ぎ、君に意識を向けさせないように動くことしか出来ないのだ」
「そんなことすれば、あいつを挟撃する余裕すら無くなるだろうが。いいから、俺に構うんじゃねえよ」
「しかし、攻撃は最大の防御となる。聡い君なら分かるだろう?」
息子を聡いと言う、その傲慢さ。
それって要するに、自分の血を賢いと思い込んでるってことだろ?
賢い自分は、家族と世界の平和を天秤にかける権利があったってか?
そんで、「正しい方を選んだ」って言いてえのかよ?
全然違えよ。
お前は天秤にかけてはいけないものを選んで、そして間違った方を選んだんだよ。
お前は守るべきものを、秤の器から……心という器から捨てたんだ。
「それに、君が言ったのだぞ。彼奴の動きに追随出来ないので、足手纏いになると。ならば、陣形を保つことは必須条件だと考えろ」
「……黙れよ」
「今は私への殺意を彼奴に向け、この戦いに集中するべきだと何故分からない?」
「うっせえ……うるせえんだよ……」
「それとも君は、自殺願望でも持っているのか?」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ!! お前に守られる筋合いは無えって言ってんだ!! 俺に……今更俺に! 気なんか遣ってんじゃねえよ!!」
虫唾が走る、気持ち悪い、不快だ、反吐が出る、吐きそう、消したい、殺したい。
だから思い出したくなかったのに。
だからしまい込んでいたかったのに。
「クローバー……いや、情」
「気安く俺の名前を呼ぶな!!」
自分から放り捨てたもんに、固執してんじゃねえ。
「ここに来てまで、仲間割れですか?」
「こいつはハナっから俺の敵だ!!」
こいつはもう、父親なんかじゃねえんだよ。
「はぁ……お前に守られるなんて、死んでも御免だ。俺はそんな柔じゃねえんだよ。間違って俺に殺されねえように、あいつとの戦いに集中してろ」
殺意と大剣を、俺達の前に立つレタリーに向ける。
「俺がなんとかすっから、お前は自分の身のことだけを気にかけてろよ」
保身だけを考えてろという嫌味も込めつつ、言い放った。
話はもう、俺には必要なかった。
「……そうか、分かった」
精々、後ろから刺されねえようにな?
【次回予告】
やめて!
羽鳥の翼神竜の特殊能力で、獣化した人を焼き払われたら、黒い塵で獣と繋がってるレタリーの精神まで燃え尽きちゃう!
お願い、死なないでレタリー!
あんたが今ここで倒れたら、情君や断さんとの約束はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。
ここを耐えれば、『獣の狩人』に勝てるんだから!
次回「レタリー死す」。
デュエルスタンバイ!




