37.絶望の末に
――♧――
今夜起こったことは、一刻も早く『獣の狩人』の全員で話し合う必要がある。
自殺を図ろうとしていたおっさんに、黒い塵が入り込んでいった現象をな。
正確に言うなら、自殺はしなかったが、見ねえフリをしていた恨みを、掘り返したおっさんにだな。
あの後の俺は、アジトへと戻るために帰路を急いでいた。
走りながら、ずっと考え事をしていた。
すぐに狩りを終わらせたとはいえ、心の器にある感情を消費したから、出来れば『先獣教』の奴らとは出会いたくねえもんだ。
とりあえず、分かったことと言えば、獣化の発生条件と、対象となる者だ。
というわけで、獣化した奴らに再び目を向けてみるかね。
まずは、双子の友達に「夜道に気をつけろ」と言って後悔した奴だな。
最初のうちは全然意味が分からなかったが、なんであいつが獣化したのか納得した。
次に、ハートから聞いた件だ。
ハートの話では、同じような状況でありつつも、違う人物が獣化したらしい。
一人の妊婦と、それとは別の男が獣化した二つの例だ。
状況が類似しているにも関わらず、結果が真逆そのもので、食い違っている。
あとは、おっさんだ。
おっさんは死にたがっていた。
もしも俺が止めていなくても、そのまま飛び降りた先で獣になっていただろう。
羽鳥の予言は絶対に外れねえからな……
何も知らねえままだと、獣化は未知なる症状にしか見えねえが、現象には必ず理由があるもんだ。
『完全な獣』は知性を持っているし、獣化は無差別的な攻撃じゃねえからな。
ちゃんとしたきっかけがある。
全ての例には共通点がある。
それは、打ち拉がれた人が対象となって、獣化するって部分だ。
その判断材料に一役買ったのは、獣になる前の行動だ。
心にヒビが入った人は鬱のような状態になって、上手く感情を制御出来なくなっていたからな。
双子の友達に忠告して、それが仇となって強く後悔したり。
流産して泣き叫んだり。
現実から目を背けるために、流産した女を置いてまで、その場から逃げ出そうとしたり。
屋上から飛び降りたくなったり。
理性的な行動が出来なくなるほどに、感情の吐露が乱雑になっている。
心がヒビ割れて、不安定なんだ。
「もしかして、理性まで崩壊するのか? 心にヒビが入るだけなんじゃなくて、理性の蓋も同じようにぶっ壊れる……?」
いや、理性の蓋がどうなるかは後で考えよう。
今、肝心なのは、心と獣化の関係性だからな。
心にヒビが入って、割れる。
だが、それだけじゃ獣にはならねえはずだ。
動物や獣に似て、感情の放出を制御出来なくなってしまうが、実際に獣化するわけじゃねえ。
そんなので獣化してたら、そこかしこに獣だらけの王国が乱立するわ。
獣化させるためには、あの黒い塵が必要なんだ。
黒い塵は、獣が死んだ後に出すものだ。
だが俺達は、その塵が最初に、どこから来るのかまでは知らなかった。
今まで、俺は獣化した後の姿しか見てねえ。
ハート達も、夜の暗さで塵を見逃していたんだろう。
黒い色というのは、それだけで闇夜に紛れるステルス性能を存分に発揮する。
そういえば、狩装束の色が黒で統一されてんのも、それが理由だったな。
『獣の狩人』を秘密組織たらしめているのは、こういった細かい部分に気を配っているからだ。
全員の狩装束が黒いのは、安易に人に見られねえようにするためらしい。
仮面だけは白いから、余計に悪目立ちしそうな気もするが。
「はぁ……姑息な手を使いやがって」
どうやら『完全な獣』も、そういう悪知恵には秀でているようだな。
意思を持った悪意が、巧妙に隠れながらも、人を獣に変貌させている。
道理で、原因が分からねえと言われるわけだわ。
だがしかし、俺は見破ってやったぜ。
喧嘩を売った相手が悪かったな。
『完全な獣』は何かしらの方法を用いることで、人に黒い塵を植え付けている。
それが分かっただけでも御の字だった。
あの塵は、獣化させるためのスイッチ……獣の因子とか何かなんだろうな。
黒い塵を人に植え付けることによって、獣化させることが出来るんだ。
だけど、心にヒビがある人じゃなきゃ植え付けられねえ。
入り込む隙が無えんだ。
それこそが獣になるために必要な素質なんだ。
つまりは、ヒビ割れている心へと、あの黒い塵が無理矢理入り込んでいるって寸法だろう。
獣化によって心が割れているんじゃなく、順番が逆で、既にヒビ割れた心にしか侵入出来ねえんだ。
まとめると、ヒビが入った心に、22〜2時という時間制限の中、あの黒い塵を入れることで、人を獣に化けさせることが可能になるってわけだ。
そんなめんどくせえ順序を踏まねえといけねえとか、『完全な獣』も苦労してんな。
そういう奴がこの街にいねえ日は仕方なく、ダイヤが狩りを担当している、別の場所にするしかなくなる。
だから、獣がアジト周辺に現れるのを毎日に出来ねえんだ。
まず初めに、獣になる素質を持った人がそこにいるかどうかの、運要素が絡んでくる。
まだここら辺の推理は、ダイヤに確認を取らなきゃ前提から崩れちまうもんだけどな。
獣化した日が、こっちと向こうで被っていたら、考え直さなきゃいけなくなる。
だが、十中八九合っていると、俺は確信している。
(一部例外もあるが、喜怒哀楽は感情の主成分で、それ以外は副成分だ)
「あぁ……以外ってのは、そういう意味だったのか」
羽鳥のあの言葉……あれは的を射ていた説明だったんだ。
例外中の例外でありながらも、主成分たり得るその感情。
普通なら、そこまで強くは抱かねえ想いだ。
喜怒哀楽以外の主成分であり、感情の色を一色に塗り替えて、自分の心さえも壊してしまうもの。
それは……
「獣化の原因は、絶望だ」
――♧――
俺は獣道公園に入り、桜がある丘を囲っている、芝生に足を踏み入れた。
自然公園というだけあって、獣道公園にはだだっ広い芝生があり、他にはこれといった特徴は無え。
ボール遊びをしたりだとか、日光浴だとか、ピクニックとかには丁度良いが、遊具なんかも無え。
強いて言うなら、公園の周囲には均された土の道があって、二人が座れるベンチが何個かあるくらいか。
こんな何も無いところで、よく毎日のように遊んだもんだな。
昔、どんな風に弓月と遊んでたのか全然覚えてねえわ。
弓月は今も、ちゃんと勉強してるのかな。
弓道部の選抜には出られたんだろうか。
俺のことは気にしなくていいからな。
「……脱線し過ぎたか」
ここにアジトがあるからか、狩りが終わって帰ろうとすると、いつも思い出に気が向いてしまう。
せっかく獣化の原因が分かったのに、そんなこと考えてる暇は無えだろ。
気持ちを切り替えるために、俺は自分の頬をパンッと叩いた。
この状況を整理せねば。
獣化と、『完全な獣』についてだ。
本当に、絶望の感情が獣化の鍵であるなら、やはり『完全な獣』はペンダントと似た力を持っていると考えられる。
まさに、絶望を司る、五人目の継承者みてえに。
そうやって頭を使っていたせいで、いつの間にか走りを止めた俺は、芝生をゆっくり歩いてアジトに近付いていた。
人は考え事をしていると、他が疎かになる生き物だ。
だから、だろうか。
「こんばんは」
「!?」
誰かに接近されていることに気付けなかった。
いや、接近されても、認識出来なかっただけかも知れねえ。
獣化についての考察なんてのは、頭から吹き飛んだ。
何故なら……
「やっと、お会いできましたね」
まばたきした瞬間に、そいつは現れたから。
俺のすぐ目の前に。
近付かれた気配なんて一切感じなかった。
不穏な空気を感じ、咄嗟に距離を取りはしたが、安心出来ねえ。
俺は大剣を作り出し、油断なくそいつを観察する。
しかし、その俺の行動に驚きすらしねえ。
武器を目の前で作り出したっていうのに、それをさも当然に知っているかのような様子だった。
なんだこいつ?
「誰だよお前は? 名前を言え」
「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗る。それが日本人としての礼儀でしょう?」
柔らかく、高めの声。
俺よりは小柄だが低くはねえ身長。
弓月以上、俺以下か。
大きめなパーカーを着て隠しているが、それでも服の上から分かる線の細さ。
間違いなく女だろう。
そして、特に目を引くのはフードの中から出ている長い金髪だ。
目深く被ってて素顔が見えねえが、その代わりにチラリと見える金髪は、染めた色ではなさそうだった。
ダイヤとは違う自然な金色……外国人か?
「一目あなたにお会いしたかったんですよ。どれほどこの時を待ったことか」
「は?」
「あなたが一人になるこの時を、ね?」
流暢で軽めの敬語、日本育ちと言っていいレベル。
こいつの正体はまだ分からねえが、怪しいフードを被っているので『先獣教』のメンバーと判断した。
ハートが言っていた、灰色のローブを着た『先獣教』の奴らとは、少し見た目が違うがな。
多分、獣の体毛を模しているからこそ、奴らは灰色の格好に身を包んでいるんだろうが、この女は何故か違った。
カジュアルなパーカーを着つつ、フードを深く被っているものの、それは灰色ではない白色だった。
まるで『先獣教』とは無関係と言いたそうだが、そんなチャチな違いで騙されると思ってんのか?
「お前、『先獣教』のメンバーだな?」
「はい?」
「そんな格好で、外出禁止時間に外に出て、俺には見えねえ速さで現れやがったからな。関係無えとは言わせねえぞ」
「……まあ、無くはないですが」
なんか、あやふやな回答だな?
まさか『先獣教』じゃねえのか?
いや、答えを出すには早過ぎるか。
「では、自分からも質問させて頂いて良いですか?」
「あ?」
「あなたは、情君。裁情君ですよね?」
「……」
「えっと、あなた情君でしょう? なんで名乗ってくれないんですか?」
「……答える義理が無え」
何が目的かは知らねえが、これ以上の情報を与えることは避けた方がいい。
しかし、マズいな。
仮面を外してねえのに、素性を知られているみてえだ。
他に『獣の狩人』の何を知ってやがる?
「ふむ、話すつもりは無いですか。それなら……こうしましょう」
「!?」
その言葉を皮切りに、危険を察知した俺の警鐘が激しく全力で鳴り響いた。
全身が震え上がるこのプレッシャーには、覚えがあった。
「ふふっ、驚きました?」
「お前! なんで羽鳥と同じ圧……を?」
女は忽然と、俺の前から姿を消した。
「さあ、どうしてでしょう?」
「何……ッ!?」
すると、背後から声がした。
無意識に常時発動していた【赫怒】にも反応は無く、不意を突かれそうになる。
「チィッ!」
「おっと」
なんとかして大剣を振るったものの、軽く避けられた。
なんだ?
俺が知覚するよりも速く、消えたり現れたりしやがる。
動きに追いつけねえ。
「酷いですね、女の子に剣を向けるなんて」
被っていた白いフードを後ろへと流すその女は、ブロンドのロングヘアーを流星群のように降り注ぐ。
女の虹彩は青いが、瞳孔は縦に伸びてはなく、見た目は普通の人間そのものだった。
「自分はレタリー・ライト。あなたがよく知っているあの方の、失った右腕を補う者です」
「あの方……?」
羽鳥も使った残像移動、さらに同じ力を持つ女……
「羽鳥の何を知ってやがる?」
「何も知らないですよ。だから、知りたいんです」
こいつ、羽鳥とどういう関係なんだ?
―― ――
ハート達が安静にしているか確かめるために、羽鳥は医務室を覗いていた。
自室に設置されたモニターにより、スペードに抱きついて添い寝しているハートを見つつも、羽鳥は手帳を左手に取った。
「フッ……」
少し寝苦しそうにしているスペードに微笑しながら、手帳を開いて、今度はそちらへと目を向ける羽鳥。
革表紙と、少年少女が描かれた一ページ目、そして獣狩りの夜についての記述に目を通し、羽鳥は幾度も読み直す。
「……伝承など、所詮は口伝だな」
だがしかし、その手帳には『完全な獣』や、覚醒についてなどは何も書かれていなかった。
それらは全て、羽鳥が人伝に聞いた話だった。
己よりも、ペンダントと獣化に詳しい者から伝承を聞き及び、『獣の狩人』を設立させた羽鳥は苦悩する。
未来ある者達を使命に巻き込んで、計画を進行させても良いのかを。
獣になりかけたハートを救い、連れて来たこと。
旧知の仲であるダイヤに叱咤されつつも、クローバーの継承者を殺しかけ、自分に殺意を向けさせていること。
人殺しの道を歩むスペードを止め、居場所を与えたこと。
ダイヤに、本当の計画を黙っていること。
そして、このままで良いのかどうかを、悩んでいた。
「ん?」
そうしていると、羽鳥の仮面に、クローバーからの通信が飛んできた。
仮面に装着した探知機によって、凡そアジトの近辺にいることは分かっている。
羽鳥は理解した。
「情……?」
何かあったのだと。




