36.失意の暗示
――♧――
羽鳥の指示を聞いた俺は、単独で獣が出現する現場へと向かっていた。
俺にも『先獣教』からのコンタクトがあるかも知れねえが、そんな悠長なことを言っている暇も、余裕も無く、ひとまずは狩りのみに集中することになった。
幸いなことに『先獣教』の奴らには、獣の出現地を事前に知るなんて芸当は出来なさそうだ。
ハートの話を聞く限りでは、スペードが殺したチビ男は「年数をかけて探し回っている」とかって言ってたみてえだしな。
やっぱり、羽鳥の手帳は、情報のアドバンテージとしてデカ過ぎる。
覚醒に関する伝承が載ってるかは、未だに確認出来てねえが、獣の居所を現れる前から指示するってだけでも最早チートだろ。
いやーズルい、予知能力って本当にズルいわー。
血も涙も無えな羽鳥、お前。
一回でもいいから獣の身にもなってみろ。
ほとんど出待ちだな、こんなの。
悪質すぎて、これがアイドルとかだったら即、卒倒するだろうな。
どこに行ったとしても、武装した変な仮面の奴らが追っかけ回してくるんだもんな。
どこぞの蛮族かよ。
その種族、人を食らう習性でもあるのか?
継承者は獣と似ている面があるし、あり得るな。
突撃、お前が晩ごはん。
「まだ着かねえのか……少し遠いな」
地獄みてえな訓練の成果か、近頃は長く走っても息切れしなくなってきている。
今の俺の体力は、弓月を越えてるかも知れねえな。
帰宅部だったのに、たった二ヶ月でここまで変わるとは。
いや、これもペンダントの力なのかも。
よく考えてみると、十三日も飲食禁止で監禁されたっていうのに、餓死しななかった俺も十分、理を逸脱している。
人は何も摂取しないと、一週間も経たずに死ぬ。
そうならないように代わりのエネルギーとなる、他の何かを糧としていたと捉えられる。
例えば……自分を、とか。
獣を殺す罪悪感や恐怖といった、副成分の感情に縛られていた俺は、あの監禁で変わった。
心の形が、変わった。
あん時の俺……自分の腕を食おうとしたよな。
一度正気には戻ったけど、体はまだ潜在的に同じことをしてたのかも知れねえ。
気付かぬうちに、自分の心や感情を餌にして、活力にしてたってことなんじゃね?
ある意味、これも一種の自食作用になるのか?
疑問系なのは、ハッキリとした確証が無えからなんだけどな。
獣化についても、ほとんど憶測だ。
憶測だが、説得力だけはある。
クローバーの継承者として、無駄な感情や心を自分で食らい尽くしたからこそ、俺はここまでガラリと変わったんじゃねえかと考えている。
俺の花弁は、どうやら食用だったらしい。
羽鳥の狙いは、まさにこれだったんだろう。
短期間で余計なモンを削ぎ落とし、怒りに目覚めさせる一石二鳥を狙ってたってわけだ。
あのまま獣と戦ってただけじゃ、ここまで早くはペンダントに順応出来なかった。
おかげさまで、激おこぷんぷん丸の誕生が叶った。
あーうぜえ。
あいつのよく燃えそうな髪の毛、帰ったらムカ着火ファイヤーにするか。
焼き羽鳥の完成だぜ。
それじゃあ……ペンダントと似ている獣化は?
クローバーの継承者として目覚めた俺が、それらを糧とすることが出来たんなら、獣はどうなんだって話だよな。
獣が人を襲う理由は、実はそれこそが目的なんじゃねえかと思っている。
羽鳥も、獣は人の血肉で成長しないって言ってたしな。
心を失う運命の獣は、心を欲する。
突撃、お前の心が晩ごはんだ。
それじゃあ、ご近所さんへとお裾分けに肖りましょう。
獣宅さんのお命いただきます、と。
「……ここか」
今夜の獣は、どうやら建物の屋上に現れるらしい。
指示された場所まで行ってみると、なんてことはない中小企業の、よくある事務所的な建物だった。
上を見ると、横長のガラスに、電灯の光が点いている一室があった。
22時はとっくに過ぎてるっつうのに、残業してるやつがいるのか。
社会の黒さを感じるね。
人に見られないように細心の注意を払いながら、俺はその事務所へと入った。
屋上に繋がる階段を探して、見つけだしたので、遠慮なく上って行く。
獣化まで、あと数分。
もうすぐだ。
――♧――
「無理なんだよ、俺には……」
あー、どうすればいいんだこれ。
「落ち着けって」
「もう無理なんだよ! なんでこんな時間まで、俺だけ一人で残業させられて、挙げ句の果てにサービス残業なんて……こんなの、死ねって言ってるようなもんだろ!?」
「そういうわけじゃねえと思うが」
「もう外出禁止時間なんだぞ!? 国への申請書もクソもねえ!! 俺なんか、獣に殺されてもいい使い捨ての駒だってことじゃねえか!! 俺が、俺が……何をしたって言うんだよ……」
屋上へ行ってみると、胸らへんの高さの鉄柵を越えて、後ろ手でその柵を掴み、縁のギリギリに立っていて、飛び降りようとしているおっさんがいた。
屋上までは五階あり、頭から落ちれば死ぬ高さだ。
冴えねえ見た目で、太り気味な体の、髪が薄いおっさんだ。
どこにでもいるような、ありふれた特徴の中年男性だな。
呼び止めようと近付くと「来るな」と言われ、今の状況になった。
さっきから、膠着状態が続いている。
今にも飛び降りてしまいそうだ。
階段を上る途中で確認したが、一つの部屋以外に、電気は点いていなかった。
つまり、おっさんは一人でここに、外出禁止時間を超えてまで残ってたみてえだな。
「少しでもあいつに、あいつらに! 俺の苦しみを知ってもらうために……! ここで死んでやるんだよ!!」
「……」
似ている。
俺が最初に殺した、黒い獣が見せたような、死にたいという想いの強さが。
今すぐにでも、ここから消えてなくなりたいって顔だ。
このおっさん、既に目が死にかけている。
疲れて、絶望しきった表情になっている。
普段から何も言わねえで我慢して、感情を正直に出せなかった。
表に出せず、ずっと溜め込んでいた。
それが積もり積もって、こんなことを仕出かそうとしてるに違いない。
その結果が獣化って……あんまりだろ。
「お前が止めようとしても、今日こそ死んでやるって覚悟を決めたんだ! 邪魔するな!!」
もう、限界なんだよな。
逃げ道を探す気力も無くなって、ただただ終わらせたいという気持ちだけで動いている。
自殺っていうのは、視野が狭くなってしまうから起こるんだ。
それしか、逃げる方法が無えって思い込むんだ。
「そんなに必死になってやることが、自分の人生を無残に捨てるだけかよ」
「う、うるせえ!!」
止めても無駄なら、逆に押すしか出来ない。
俺が背中を押せば、死の怖さに身が竦んで、戻ろうと決心してくれるかも知れない。
羽鳥の予言が間違っててくれたら、良いんだがな。
だが残念なことに、確実におっさんは獣になっちまうんだろう。
そういう……運命なんだ。
だから、その死を無駄にしねえためにも、このまま飛び降りさせるわけにはいかねえ。
獣化を、俺に教えてくれ。
あんたの人生、俺が無意味にはさせねえ。
俺はあんたの死を理解して、獣化の解決に必ず楔を打つ。
助けることは出来ねえが、それだけは誓う。
ハッ、俺もおっさんを追い詰めた奴らと同じで、極めて自分勝手だな……
「自殺をすることで、あんたをこんな風にした加害者を、重い罪で縛り上げてやりてえんだろ?」
「そ、そうだよ……! だから今!!」
「はぁ……生きたおっさんの心を殺したそいつらが、死んだ心に寄り添うとでも思ってんのか?」
「え?」
「あんたがここから飛び降りたところで、あーアイツ死んだかで終わるだけだろ? あんたも分かってんだよな? そんなことは」
「うっ……」
胸糞悪い話だ。
『獣の狩人』として言っていいのかは分からねえが、なんでこんなおっさんが獣になって、ここまで追い込んだ人でなしがのうのうと生きてんだよ。
むしろ、そいつらの方がよっぽど獣に相応しい。
「じゃあもう、どうしたら……!」
「そんなの俺にも知らねえけどさ、少なくとも飛び降りる必要は無えんじゃねえの?」
俺は、こんな人を斬らなきゃいけねえのか。
「俺で良ければ、話聞かせろよ」
「……っ」
――♧――
「毎日辛かったんだ……! 仕事や雑用を押し付けられて、ずっと寝る時間なんて無くて……今日だってあいつの! 篠原の仕事を代わりにやらされてたんだ! 何故か俺がな!!」
「……」
「なのに、役立たずだクズだって罵られて、俺はもう……」
このおっさんは、戦えないのに、そうやって逃げ道を塞がれて、今までいじめられ続けても黙ることしか出来なかったんだ。
仕返しなんて、そう簡単に出来るわけがねえ。
倍で返されることが何よりも怖え。
その視野狭窄にハマるから、こういう類いの問題は厄介極まりねえんだ。
いじめやパワハラなんか生温い言い方で済まされるものじゃなく、心の殺害だ。
おっさんは心を殺されたんだ。
「どうしたら良かったんだよ……」
何も答えてやれねえ。
いや、答える必要が無え。
おっさんだって、本当はどうすれば良かったのか分かってたはずだ。
でも、それすら出来なかったんだ。
「あいつに逆らうと、殴られて、蹴られて……他の奴らも、ゴミを見るような目で見てきやがって! いつか変わる、良くなるって信じてたのに……! くそォッ!!」
何も出来なかった。
ただ流されるままに、放置した。
変わらないのに、状況が変わることだけを信じて、待ち続けた。
心にヒビが入り、割れて、壊れそうになっていることにも気付けずに。
やっぱり、獣の心にヒビがあって、一週間で壊れるっていうのは……
「クソがぁっ!! うぁあああああああああっ!!」
そろそろ……時間だ。
「クソっ、ぉ……! く、くクッ、く、そぉ……おぉッ!?」
「……」
様子が変わった。
獣化の初期症状である、爪、牙、顔、体毛の変化が起きた。
「おっさん……」
「ぐ、げェエ!? がガッ、ガハ!」
どうして、こんな人が獣にならなきゃいけねえんだよ。
何も報われねえままで、何も復讐を果たせねえままで、やられっぱなしで死ななきゃいけねえなんて。
「ガ、オアアァッ!!」
この人の命を、無念を、絶望を無駄にするな。
よく観察して次に活かせ。
見ろ、見続けろ、何も見逃すな。
俺はペンダントの力で大剣を創造し、【赫怒】を発動した。
おっさんに切っ先を向けた大剣が、常に機能する【赫怒】で微かに光り、闇夜に赤い閃光が輝く。
「……ん?」
その光のおかげで見えたからか、獣に変貌しかけているおっさんの体に、違和感を覚えた。
正確に言うなら、体の周囲に何かがあった。
「黒い塵?」
【赫怒】の光で照らさなければ、夜の暗さで見えなかった獣の証。
それが、おっさんの口や鼻といった、穴という穴に入っていくのが微かに見えた。
あまりにも粒子が細かくて、俺が【赫怒】を発動していなかったら、それを見ることは叶わなかっただろう。
おっさんが飛び降りた後に獣化していても、分からなかった。
説得して、一度自殺を思い止まらせたから、それが分かったんだ。
スペードとハートなら、距離を取って獣化を見届けていた。
ダイヤはお気楽なままだったろうな。
だから、あいつらは今まで気付けなかったんだ。
だが、俺は三人とは違う。
役割が違うんだ。
獣の近くに陣取りながら、【赫怒】という事前に発動する能力を持っているからこそ、分かったんだ。
俺じゃなきゃ分からなかった。
「グルゥアアァッ!!」
「おっさん、ありがとうな」
だから、せめて苦しまずに済むように。
「あんたは役立たずなんかじゃねえよ」
すぐに終わらせてやる。
「俺が……保証するから」
――♧――
獣化の判明に進展があった。
睨んだ読み通りだった。
獣の心が壊れて、一週間で死ぬということ。
それは獣化の際……または以前に、何かがきっかけで心にヒビが入っていたんだ。
これが人が獣になる素質、必須条件なんだ。
狩りを終わらせた俺は、電気が点いた部屋に来ていた。
一つだけ気になったことがあって、確かめに来た。
どれだけおっさんが追い込まれていたのかを。
白を基調とした部屋の中、乱雑に書類やファイルがばら撒かれている一つのデスク。
他は綺麗なのに、そこだけが汚かった。
どんな扱いを受けていたのか、それを見ただけでも分かる。
それに、おっさんのデスクや椅子には、コーヒーの染みが数多く付着していた。
頭から掛けられたか。
こんな惨状がまかり通る会社とか、ふざけてんな。
「お前だな」
おっさんのデスクに置かれた、数々の書類の責任者欄に一番多くある名前……篠原。
こいつが首謀者に違いない。
指の腹を少し噛み千切って、血を滲ませた。
コピー機から紙を一枚拝借して、そいつのデスクに血文字のメッセージを残すことにした。
おっさんの無念を、少しでも晴らそうと……
「……くたばれ」
「獣が」と、書き捨てた。
情君の髪、目、武器に宿る【赫怒】の光は、常時発動の時は微かに光り続け、相手の怒りを掴んだ時はより一層光ります。
髪の毛に関しては、赤色のメッシュ部分だけが光っている感じですね。
にしても情君、掟(その二、組織の秘匿化に妥協は許されない)に反することを平気でやってますね……
まあまだ若いからね、しょうがないね。




