33.謎の力
――♧――
スペード達を医務室に運び終えた後。
羽鳥は黒マントを脱ぎ、二人を横にしているベッドに近付く。
俺と羽鳥は、細かく隅々まで手を洗ったものの、殺菌とかは問題無いんだろうか。
いくら治療が出来るとはいえ、ここは病院じゃねえから、そういう不安はどうしても残る。
それでも、そんな所には連れて行けねえ。
俺達は『獣の狩人』だ、公に出来る組織じゃねえ。
ここで治すしかねえんだ。
「羽鳥様っ……スペードを……!」
「分かっているよ、ハート」
「お願いします……! スペードはあたしの!」
「知っているとも。私にとっても、彼を死なせることは大きな損失となる。必ず治してみせるから」
「あ……! あ、ありがとう、ございます……!!」
二人の会話に、俺なんかが口を挟む隙間なんて無かった。
羽鳥に「ここを押さえて止血してくれ」と言われたので、今の俺はスペードの体に触れているが、体温が嘘のように冷たかった。
そんなことは無意味だと少し考えれば分かるのに、冷たくなったスペードに体温を分けてやるのに夢中で、言葉をかけてやることも忘れていた。
俺も必死になっていた。
さっきからスペードは動かねえ。
本当に死んでしまったかのように、微動だにしねえ。
動くことすら知らねえ、人形になってしまっている。
そして、人形に似つかわしくねえスペードの血が、黒い狩装束を侵食している。
そうは言っても、服にはあまり血が染みてはいない。
撥水性に富んだ繊維だからか、傷の周辺である程度の血が留まってくれてるんだ。
体の表面のままで血が固まってるから、狩装束が止血用の擬似的なガーゼとして役を担っているようだ。
俺がやったことと言えば、羽鳥が治療の準備を済ませる前に、血色が悪いハートを隣のベッドに寝かせて輸血しつつ、軽い応急処置を施しただけだ。
そんなことよりも、やはり重傷を負っているスペードが問題だった。
素人の俺でも、もう手遅れに見えるほどに。
「これは……」
止血している俺の手を一旦止めさせた羽鳥は、スペードの服を素早く器用に、隻腕で脱がした。
血塗れになったその傷を見てみると、黒い曲線が三本付けられていた。
そこだけが一層黒くなっているのは、血が多く出て固まっているからだ。
羽鳥でも、どうにもならなさそうな三つの傷。
左胸から右の脇腹にかけて、大きく傷つけられた跡。
これが、スペードの命を脅かしている原因だ。
「獣の爪か……?」
「ああ、形が似ている」
「でも、人に付けられた傷なんだろ?」
「……心当たりがある」
その傷は俺が以前、右足に付けられたものとそっくりだった。
違う点と言えば、大きさか。
上半身全体に深く傷付けられたそれは、まさに致命傷と呼ぶに相応しい。
「まだ辛うじて脈はある、が」
「なんとかならねえのか?」
「ふむ。どうにか手を施そうと考えてはいたが、これでは致し方ないな……」
羽鳥が治療しようとしても、どうにもならない。
止血して縫うくらいじゃ、スペードのダメージを払拭出来ねえんだ。
深呼吸をする羽鳥。
仮面で阻まれているその素顔は、どんな表情をしているんだろうか。
スペードを必ず治すって、どうして言えたんだ?
俺は……お前を信じてもいいのか。
「ふぅっ……やはり、こうなるか。クローバー、そしてハート。ペンダントの継承者である君達には、いつかはこれを見せなければならないと思っていた」
「羽鳥?」
「何、を……?」
数度の深呼吸を終わらせた羽鳥は、スペードの体に左手を触れさせながら、俺達に目を配った。
「今が、その時だ」
こんな時に何をしようとしてるのか知らねえが、その羽鳥の声は覚悟を決めたものだった。
変声期越しでも分かるほどの、重い覚悟だった。
「はぁっ!!」
あの圧だ。
大きな存在感を持った、強者が発する圧。
俺が向けられたものよりも、ずっと強く感じた。
「がぁああああああああ!!」
刹那、羽鳥の体が黒く光る。
闇と光の矛盾が、医務室内を一色に染める。
そして、スペードの体を包んだ。
ダイヤの【極楽衝動】に似た、黒い光のドームだ。
「なっ!?」
「えっ……?」
「ぐ、ふっ……! ぅぐぅああああああああッ!!」
叫ぶ羽鳥の体から、じわじわと血が滲んできた。
「なあ!? 何してんだよ羽鳥!?」
「羽鳥様!? 羽鳥様っ!!」
羽鳥が何をしているのか分からない。
ただ、スペードを治そうとしているのは分かる。
だけど一体、何が起きているのかが……
スペードを包んでいた黒い光は、徐々に羽鳥の左手の中へと収束していく。
それと同時に、羽鳥が着ている狩装束の内側からは、血の洪水がぼたぼたと溢れ出てくる。
秒数に直すと、それは10秒にも満たないだろう。
でも俺には、その光景全てを目に焼き付けるほどに、長く感じていた。
時間が、すごくゆっくりになっていた。
静寂が医務室全体に流れ、俺は唖然となった。
ハートも何が起こっているのか分からないと言った具合で、ただ口を開けていた。
時間が止まったような感覚すらあった。
だけど、時計の針を押し進めるかのように、羽鳥の重い膝をつく音が部屋に響いた。
「クローバー……スペードの傷を……早く!」
「! あ、ああ!」
その言葉に反応して、スペードの体を見てみると……
「傷が……小さくなってる?」
「え、なんで……」
「その、程度の傷なら、君でも……! 情!!」
スペード。
お前、初めて会った時、俺によくしてくれたよな。
今度は俺が、お前を助けてやるから。
「任せろ!!」
あの時のスペードの縫合を思い出しながら、俺は脳と体をフルで動かし、傷を縫い始めた。
――♧――
「おい、羽鳥?」
「終わった……か?」
「一応はな」
縫合を終わらせた俺は、床に座り込んでいた羽鳥に声をかけた。
羽鳥の息は浅くなっていて、それに伴い、肩を大きく動かしている。
羽鳥は、スペードの傷を肩代わりしたようだ。
体に力を入れて、羽鳥が立ち上がる。
フラフラだ。
「フ……フフッ。下手だな、クローバー……」
「ハッ、そうかよ」
「だが……筋は悪くない」
スペードの傷を見るや否や、羽鳥は少し笑いながら、俺の縫合を評価してきた。
いや、それよりも問題なのは……
「お前の治療も、必要なんじゃねえのか?」
「いらないさ……これくらいなら、な。既に血も止まっている」
「……そうか」
スペードの顔色を見てみると、さっきとは打って変わって、すっかりと良くなっていた。
大量の血を失って青白くなってしまっていたが、今は血色を取り戻して、逆に「暑い……」と寝言を呟いて、身動ぎしてるくらいだ。
体温が戻った証拠だ。
あんなにデカい傷を付けられてたんじゃ、熱くらい出るわな。
回復には向かっているんだろう。
スペードの治療が終わったことで、ハートも緊張の糸が切れたのか、すやすやと眠ってしまった。
こいつの怪我も、浅いというわけではなかった。
致命傷たり得るものだったはずなんだが、何故かハートは平気だったみたいだ。
一応、羽鳥も診てみたが「問題ない」とのこと。
軽い処置だけで大丈夫そうだ。
それと、今回何が起きたかの話は、二人が帰還する前に羽鳥から簡単に聞いていたが、どうやらスペードがハートを助けてこうなったようだ。
助けて、助けられて……忙しい奴らだな、本当に。
まあでも、詳しい話を聞くのは、もう少し後になりそうだな。
とりあえずは、こいつらが目を覚ますまで待つしかねえ。
「くっ……」
羽鳥は弱っているのか、肩代わりした上半身の傷を押さえながら、またもや床に座る。
いや、力が入らなくて、そうせざるを得ないと言った方がいいか。
しかし、今の状況は……
「……」
羽鳥が弱っている。
ハートとスペードは、気を失っている。
俺は、こいつを……
「羽鳥」
「クローバー、君は……」
殺す。
「何を……?」
「うるせえ、大人しくしろ」
でも、それは今じゃねえ。
俺の怒りはまだ、心の内に燻らせておく。
『完全な獣』を殺して、弓月に会うために。
スペードの傷を肩代わりした分、俺にも担がせろ。
お前を支える程度の、肩くらいなら貸してやる。
「まさか君が、私を介抱するとはな……」
「万全な状態のお前を殺さねえと、リベンジにならねえだろ。都合の良い解釈してんじゃねえよ」
「フッ……それでも、ありがとう」
「……黙れ」
羽鳥は、軽かった。
――♧――
「クローバー、ここまででいい」
「なんちゅう部屋だよ……」
羽鳥を部屋に連れて行き、扉を開けると、そこには多数のモニターが設置されていた。
俺が監禁されていた鉄の部屋、食堂、廊下を、鮮明に映していた。
流石にプライバシーに配慮してるのか、風呂やトイレ、俺達の部屋にはカメラを設置してねえみたいだ。
いやまあ、設置してても文句は言えねえんだがな。
もちろん悪態は吐かせてもらうが。
「羽鳥、話は出来るか?」
「問題無い……スペードの傷を、半分だけ請け負っただけだからな」
半分だけ。
それでも羽鳥のこの弱り方を見ると、スペードは生と死の境目を彷徨ってたんだろうな。
人一人が受けていいダメージじゃなかったってことだ。
「お前の力については、また今度聞かせてもらう。それより、スペードが誰にやられたかの方が肝心だ」
「そう、だな」
羽鳥の秘密なんて、他にもたくさんあるしな。
ゆっくり解明してけばいい。
素性、多岐に及ぶ能力、どうやって手帳と継承者達を見つけたのか。
もう何がなんだか分からねえから、羽鳥は後回しだ後回し。
しかし、羽鳥からハート達の通信の内容を聞かされた時は耳を疑った。
まさか、スペードがな。
「守れなかった」……か。
あのスペードの傷は、獣の爪でしか付けられないような切り傷だった。
それが、人が付けたものだと言うんだから、尚更おかしな話だ。
「スペードを痛めつけた奴に、心当たりがあると言ってたな?」
「……」
「別に責めてるわけじゃねえよ。それも、俺達が知る必要は無かったって言いてえんだろ?」
「ああ……」
人に負わされた、獣の爪のような傷。
普通、ああはならねえ。
獣の力を持った人間が出てきたってことだ。
「あれは、狂信者の仕業だろう」
「狂信者?」
「獣を崇拝する者達は、知っているか?」
「そんな宗教が……」
いや、実は俺も知っている。
知ってはいるものの、あいつらはもう存在しない連中と思っていた。
過去の者だからだ。
そんな時代遅れの輩が、厄介な力を持ち始めた。
「そう、その時代遅れの輩だ。彼奴らは自らを、狂っているとは思っていないようだがな。それこそが狂人たる所以だというのに」
「確か、名前があったろ」
「ああ。恐らくは『先獣教』だ」
『先獣教』。
様々なところでその悪名を轟かせていた、犯罪カルト集団。
耳にタコが出来るかと思ったくらい、授業じゃ何度も聞いた名前だ。
現に、不勉強な俺が授業内容を覚えてるというのが、何よりも印象強いという証拠になるな。
原初を象った生物が、獣だ。
獣化に詳しい者には、先祖返りという結論が出る。
俺もそうだ。
人類の歴史を、前時代のものに戻すのが獣化と俺が疑ったのは、元々そう考えた奴がいたからでもある。
その疑いを信じた、過激なクソ野郎共もいたってわけだ。
先と付くくらいだし、奴らは獣化が先祖返りだと信じてんだろうな。
俺の中で獣化は先祖返りと答えが出たのは、今思えば『先獣教』が存在したせいでもあるのかも。
だが、奴らはそんな力は持ってなかったはずだ。
そこまで凶悪な存在だったとしたら、まず記録として残っているはずだが、少しも覚えが無え。
それでも今は『獣の狩人』の継承者のような、人並み外れた力を持ってやがる。
獣化やペンダントとはまた違う、獣の力を持つ人間……
「君も知っていたのではないか? 彼奴らは悪名高いからな」
「そらそうだが……とっくの昔に解体されたと聞いたぞ」
10年前、獣化が起きてすぐに『先獣教』も現れた。
奴らが掲げるカスみてえな御題目は、確か「獣様に心を献上せよ」だ。
自爆テロを至る所で起こしたり、外出禁止時間に数多くの民家や店を襲ったりしていた、劣悪極まりない犯罪者共。
こいつらのせいで苦しみ、死んだ人は何人もいる。
本部に警察の特殊部隊が突入して、摘発され、解体され、今では忘れ去られつつある……まさに人類の汚点だ。
「あれで終わったわけじゃなかったってのか?」
「解体された本部拠点は偽物だった。この街に根を張り、どうにか獣と接触する機会を伺っているようだ」
「だが、力は無かった」
「……今までは。だからこそ、君達に話すつもりも無かった」
「それもだんまり決め込もうとしてたんだな」
「矮小な志を持つ木っ端など、君達の耳に入れる必要も無いと、そう判断していたのだが」
スペードをあそこまで傷つけるような所業は、普通の人間じゃあり得ねえ。
訓練中のあいつなんて、俺の攻撃とかもひらりと躱してみせる柔軟性があるってのに、どうにもただ素直にやられたとは考えにくい。
怪我を負わざるを得なかった、その理由があるんだろう。
「あいつ、わざと避けなかったのか?」
「ふむ……」
スペード。
お前のその覚悟、俺は尊重してやる。
「ただ、一つだけ分かることと言えば、この一件で『獣の狩人』は『先獣教』に敵だと見做されたはずだ」
「先に喧嘩を売ってきたのは向こうだろうがよ。人を諦めた狂人風情が」
にしても、スペードがそこまでやるとはな。
「だが、彼奴らは今回の件で仲間の一人を殺された。このまま黙認しているとは思えん」




