28.優しい笑顔
――♡――
クローバーがアジトに帰ってくる前のこと。
「もう……なんなのよあいつ」
スペードが説得してくれたから、とりあえずアジトに帰ってきたけど、まだ腹の虫が収まらないわ。
あいつは帰って来てないみたいだし、このまま締め出してやろうかしら。
今は食堂で、スペードとテーブルを隔てて座ってるけど、すぐにでもアジトの扉に鍵をかけてやりたい気分よ。
仮面と同じ指紋認証装置が、桜の木の幹に設置されてるから、鍵なんてのは無いんだけどさ。
桜が鍵の代わりになってるから、あいつも好き勝手に出入り出来ちゃうのよね。
はーぁ、このまま帰って来なければいいのに。
アジトじゃなくて、土に還ればいいのに。
そんなこと言っても、獣化を終わらせるためには、クローバーの力も必要なのよね。
もう一人のクローバーがどんな性格か知らないけど、あいつよりは絶対マシだと思うわ。
今すぐにでもチェンジしてくれないかしら、羽鳥様。
それにしても、羽鳥様は本当にすごいわ。
アジトには継承者達の部屋だけじゃなくて、食堂やお風呂、会議室や医務室等があるけど、この設備は全部、10年前に羽鳥様が用意したものだし。
ほとんどが狩りの毎日で、あたし達には自由が無いと言ってもいい。
でも、あの人には返しきれないほどの恩があるから、そんなのは大した問題じゃないわ。
それに、羽鳥様はあたし達のために、窮屈感すら生じない住処を用意してくれたんだから、むしろ感謝してもしきれないくらいね。
ここに自由は無いけれど、不自由な思いをしたことは一度も無いもの。
あたし達は勉強も、常識も、ペンダントの詳細も、羽鳥様に全部教えてもらったから、あの人は教養もきちんと兼ね備えてる。
クローバーは羽鳥様の爪の垢でも煎じて飲めば良いのよ。
……あそこに比べたら、ここはまさに天国ね。
獣を狩ることで、羽鳥様のためにもなるし。
「クソーバーめぇぇ……」
なんであいつに貧乳とか言われなきゃいけないのかしら。
別にあたしだって、好きで小さいわけじゃないのに。
女の子のコンプレックスを土足で踏み荒らすなんて、あいつは一生童貞に違いないわね。
妖怪・童貞クソヘドロだわ。
「ハート……そんなに怒っちゃダメだよ……本当はクローバーも……ハートと仲良くなりたいんだと思うよ……?」
「あいつが? あり得ないでしょ」
口を開けば憎まれ口を叩くわ、訓練の時は隙あらばあたしを殺しかけてくるわ、散々馬鹿にしてくるわ。
仲良くしようだなんて素振りは、あいつからは微塵も感じられないわよ。
なんでスペードは、あの破天荒極まりないクローバーが、あたしと仲良くなりたいだなんて考えたのかしら。
「……ねえ、どうしてそう思うの?」
なんでだろう。
スペードの考えてることは、なんでか気になっちゃうのよね。
つい、そんな風に思うのも、あの時にかけてくれた言葉が忘れられないからかな。
出会って10年も経ってるから、変わっちゃったところもあるけど、その優しさだけはちっとも変わらないわね。
スペードなりの考えも、きちんと聞いておきたい。
「えっと……クローバーはここに連れて来られて……まだ一ヶ月半しか経ってないよね……?」
「そうね。よく一ヶ月半も耐えたわよ、あたし」
「だからクローバーは……昔のハートと一緒なんじゃないかな……?」
昔のあたし?
「それって、スペードと出会う前の?」
「うん……」
そうだっけ?
あの頃のあたしって、あんな感じだったっけ。
え、ていうかスペードって、そういう風に覚えてるの?
似ても似つかない気がするんだけど……
あ、でも、あたしは喜びを司るし、あいつは怒りを司るから、表面上は違って見えても根本は一緒なのかも知れないわね。
急激に変化した環境と、初めて関わる面々。
あたし達が世界を平和にするための仲間で、全員が運命共同体のようなものだと言われても、そう簡単に受け入れられるわけないわよね。
あいつのあのウザさは、どうしたらいいか分からなくてまだ戸惑ってるから、一番自然体になれる感情に任せた接し方なのかしら?
それなら、ある意味一緒なのかもね。
――♡――
「君は……笑う癖があるの……?」
「え?」
それが幼いあたしに向けられた、スペードからの初めての言葉だった。
スペードは同い年だけど、あたしが連れて来られる前からいた。
初めて出会ったスペードは誰よりも優しそうで、そして誰よりも暗そうな印象だった。
第一印象は「日蝕された太陽みたい」だった。
「羽鳥様から……新しい子が来るって聞いたんだ……だから挨拶しようと……」
あまりにも優しい声で、温かくて、なんだか溶かされてしまいそうだった。
だけど、あたしは人なんて信じてなかった。
スペードに対しても、適当に誤魔化せばいいと思ってた。
「挨拶とかいいのにーっ! ふふっ!」
だから、あたしは嘘で固めた笑顔で返事をした。
いつも笑ってるだけでいいと思っていた。
それが、それこそが、あたしの生きる目的だった。
笑顔を作れなくなれば、自分の存在価値を失うとも思っていた。
「君は……どうして……」
「んーっ?」
でも、スペードの顔は優しそうな表情から一変して、悲しそうなものになった。
暗く、影が差した顔に。
「笑顔を貼り付けてるの……?」
「……は?」
その言葉には本当にビックリしたなぁ。
あたしが無理矢理笑ってるのを、初対面の人にバレたのは初めてだったから。
咄嗟に出たあたしの素っ頓狂な声は、冷たかったとすぐに自覚した。
だから、急いで温厚な表情を取り繕った。
どうしても笑顔を手離せなかった。
「な、何のことーっ?」
あたしはひたすら微笑み続けて、動揺を隠すことしか出来なかった。
それでもスペードは真っ直ぐあたしの目を見据えて、更に悲しそうな顔を見せてきた。
「僕……分かるんだ……無理をしてる人は……」
スペードも過去に闇を抱えてるからこそ、闇に溺れているのかどうかを見破れたんだと思う。
あたしは笑顔以外、誰にも自分を見せなかったから、尚更驚いた。
「し……!」
「……? どうしたの……?」
抑えられなかった。
「知ったような口利かないで!! あたしはいつでも完璧なのよ!? あたしの笑顔は完璧なの!」
「え……?」
「みんな馬鹿でアホでノロマなのに! あたし以外なんて、全然頭良くないくせに!!」
一度崩れたら、もう止まらなかった。
それだけは、笑顔を馬鹿にされることだけは、あたしにとっては一番の屈辱だったから。
「なんで、あんたなんかに! あんたみたいな何も考えてなさそうな!! 根暗なんかにッ!!」
あたしの心を全て見透かされているようで、すごく焦っちゃって……あの時はスペードに酷いこと言っちゃったな。
――♡――
「あの時のハートは……ちょっと怖かったな……」
「ごめんごめん、余裕が無かったのよ」
どうしても人を信じられなかった。
いくら明るくしてても、返ってくる反応は嫌悪、罵倒、暴力……
それでもあたしは、笑顔だけは手放さなかった。
そうしなきゃ、約束を破ってしまうことになるから。
「いや……僕が臆病なだけだし……謝らなくてもいいよ……? あんなことが起きたら……余裕が無いのも仕方ないよ……」
「あんなこと、ね」
スペードはいつも優しいわね。
その優しさが思い出させてくれる。
クローバー以外には知られている、あたしの過去を。
――♡――
「咲っ」
あたしの頭に、根強く残っている記憶。
お母さん。
あたしが6歳まで生まれ育った、花本家。
普通の両親の元に生まれたあたしは、平凡な女の子で、月並みな人生を送っていた。
だけど、とっても幸せな日々を過ごしていた。
「お母さん! お弁当作ったけど、どこに行くの?」
「今日はね? お父さんが久しぶりに咲と遊びたいって言ったので、近くのお山さんに行きますっ!」
今でも思い出すと、目頭が熱くなってくる。
叫び出したくなる。
また会いたい、今すぐ会いに行きたい。
お母さんとお父さんは、愛情を込めてあたしを大切に育ててくれた。
大好きだった。
「ははっ、最近仕事ばかりで忙しいからね。咲と一緒に過ごすことなんて少ないから、休日に咲と遊んで咲成分を補充しなきゃ、お父さん干からびちゃうんだ」
「うぇえっ!? しわしわになっちゃうの!?」
「そうよ? お父さんは咲と遊ばないと、しわっしわのミイラさんになっちゃうんだからっ!」
「そ、そんなのだめ! これからは毎日ずっと遊ぶから、しわしわだめ!!」
「毎日は、ちょっと困るなぁ」
あたし達は、休日に三人で車に乗って、ピクニックに行こうとしてた。
お母さんとお弁当を一緒に作るために早起きをして、お父さんに「よくやったね、頑張ったね」って頭を撫でられて。
二人といるとふわふわした。
その感覚こそが、幸せなんだと知っていた。
あたし達は、車で山道を走っていた。
運転はお父さんがしてて、お母さんは助手席に座っていた。
後ろの席に座っているあたしが寂しがらないように、お母さんはたくさん話しかけてくれて、たくさん笑いかけてくれた。
その優しさが、今となっては少し辛い。
「咲、幼稚園はどう? お友達と仲良くしてるっ?」
「うん! あたし、みんなから好きだよって言われて嬉しいの。みんなに優しくしてあげると喜んでくれて、あたしも嬉しくなるの!」
あたしは幼稚園じゃ友達みんなから好かれてて、明るい子だった。
あたしには、目標があったから。
「えらいえらいっ!」
「えへへ」
お母さんはいつも優しくて、いつも笑顔で、嫌な顔を絶対に見せない強い人だった。
お母さんみたいな人になるのが目標だった。
あたしも、お母さんを幸せに出来ていたのかしら?
そうなら嬉しいわね。
「ねっ、咲? 私との約束は覚えてる?」
「うん! あたし、ちゃんと覚えてるよ?」
「ふふっ」
あたし達は一つだけ、大事な約束をしていた。
それは……
「「辛い時でも、悲しい時でも、どんな時でも笑顔を絶やさないこと!!」」
その約束だけは、ずっと守るって決めてたわ。
その時だった。
「ん? なんだこの……火?」
お父さんが、いち早く気付いた。
何かが燃える光が、車のフロントガラスに反射していることに。
「何の音かしら……?」
あたし達が乗っていた車は……
「あっ!?」
「!? 咲ぃっ!!」
「え……?」
落ちてきた隕石に、呆気なく潰された。
――♡――
隕石が落ちて来た時の記憶は、ほとんど残ってない。
覚えてることは、お父さんが焦っていて、お母さんがあたしに手を伸ばしていた場面だけ。
「こりゃ酷い……潰されて、前の大人は二人とも……」
「おい、まだ後部座席に子供がいるぞ!!」
山道から転落して、ボロボロになった車を、駆けつけた救助隊が見つけだした。
「大丈夫か!?」
あたしは助けられた。
その時にはもう、ハートのペンダントを握っていた。
いつの間に持っていたのかは、分からない。
「ふ、ふふっ……」
でも、代わりにそれだけは分かっていた。
「大丈夫……っ」
お母さん達とは、もう会えないということを。
「あたしは大丈夫だよっ! お母さん、お父さん!」
だから、天国に行ってしまう二人に、別れを告げた。
お母さんとの約束だけは忘れず、何があっても絶対に笑顔を守り続けるために……
あたしは笑って、「さよなら」を口にした。
お母さんが最期に残した贈り物と思って、それからペンダントは離さないようにしてた。
笑顔と、ペンダントだけは……
――♡――
無理をして貼り付けている笑みだと言われて、腹が立った。
お母さんとあたしの大事な約束を、全て否定されたように感じちゃって。
だから、抑えられなかった。
「あんた、なんかにぃ……ううっ……」
気が付けば、幼いあたしはスペードの胸を叩いていた。
二人にまた会いたくなって、涙を流して、それでもあたしの願いは叶わないと知っていたから、叩くことしか出来なかった。
スペードは、決してお母さんを否定してるわけじゃなかったのに。
「ご……ごめんね……? だけど……ほら……」
「え……?」
無理して笑っていると見破られて泣きじゃくるあたしに、スペードは笑いかけてくれた。
今度は悲しい顔なんかじゃなくて、お母さんと一緒の……優しい笑顔で。
「君はそうして素直になれるんだから……怒った顔も素敵だけど……心から笑えばもっと素敵だよ……?」
「あっ……」
スペードの言葉には、お母さんとおんなじ優しさを感じた。
「いつかきっと……心から笑えるようになるから……それは何よりもずっと……幸せなことだよ……?」
「うっ、うぅぅっ! うわぁああああん!!」
「あっ……ごめん……!? ごめんね……!? 泣かないで……!」
あたしだけだって、勘違いしてたんだわ。
「もう無理なんてしないで……大丈夫だよ……これからは僕が……ずっと側にいるから……ね……?」
二人が死んで、あたしはこの世界に一人ぼっちにされて、誰も気にかけてくれなかった。
誰も知ろうとさえしてくれなかった。
あたしはこのまま孤独に生きていくんだろうなって、そんな風に思っていた。
だけど、スペードと羽鳥様は、ずっと側にいてくれた。
「うぁああああぁぁあっ……!」
あたしは、一人なんかじゃなかった。
咲という名前の由来は、咲(笑み)とも読めることから。




