18.無力ゆえに
――♤――
「情……!!」
目が覚めた僕は、医務室のベッドで寝かせられていた。
そして、起きてすぐに理解した。
僕は、情を止められなかったんだと。
僕のように感情の檻に囚われて、ずっと辛い思いをしてしまう。
獣化を終わらせるためには、情の心を怒りに慣れさせるのは仕方のないことだけど……それでも!!
「僕は……! どうしてこんなに……無力なんだよ……!」
「よお」
僕の耳に、ふいに声が届いた。
幻聴とさえ思うほど、その呼びかけは知り合いに話しかけるようなトーンで、呆気なく。
本当に、気軽なものだった。
僕が返事をするのも忘れるほどに。
「さっきぶりだな、スペード」
僕が寝ているベッドの真隣に、包帯でぐるぐる巻きにされて、複数のチューブで繋がれている情が寝転がっていた。
全身に巻かれた包帯の下は、薄っすらと黒かった。
内出血……または打撲痕?
でも、声から察するに、命に別状はなさそうだった。
――♧――
「やめろォッ!!」
あの時、羽鳥に殺されるかと思ったが……
「……!?」
羽鳥はそのまま俺の体を左肩に抱えながら、扉に向かった。
「お前何を……!?」
「先程君に使った力は、残滓だ」
その言葉に、言いようのない何かを感じた。
恐怖、憎悪、殺意、どれにも当てはまらない何かだ。
俺を吹き飛ばしたあれは、羽鳥の本当の力じゃない。
それを「残滓」という一言だけで、十二分に分からされた。
「ク……ソがッ!!」
今の俺じゃ、羽鳥に勝てない。
「……情」
「あぁ!?」
「君は今まで以上に強くなれる」
「!」
あの二人に守られていただけの、羽鳥の力が底知れない。
何故あいつらが従っているのか分かった。
単純なことだ。
それは……羽鳥が全てを凌ぐ、圧倒的な強者だからだ。
羽鳥の「残滓」という言葉に、俺が感じた言いようのない何かは、強者に対する屈服そのものだった。
「私を殺すために、私を利用して強くなれ。それが、負けた君へと科すペナルティだ」
「チッ……」
俺が……
「チクショウ……!」
「さあ」
羽鳥を殺すためには……
「クソがッ!」
「どうする?」
こいつを知る以外、他に方法は無え。
「ああ分かった! 分かったよ!? てめえを殺すにはそれしかねえんだろ!?」
「……それでいい」
俺は半ば自棄になりながらも、天使のフリをしている悪魔のような人間と、契約を結んだ。
――♤――
「じょ……クローバー……?」
「あ? なんでわざわざ呼び方を変えやがる。俺を気安く情と呼びやがる羽鳥の野郎は気に食わねえが、お前に呼ばれるのは別になんとも思わねえ」
「あぁっ……! あああああ……!!」
「だから、クローバーって呼ぶな」
嬉しかった。
もしも情が僕達に勝ってしまうとしたら、その後は羽鳥様と戦うことになり、負けることになるのは必然だったから。
何事もなく、情が無事でいてくれただけで……
「お前とハートを殺すつもりはなかった。なんでだろうな? なんでかって言われてもよ、俺にも分かんねえんだよな」
「クローバー……」
「あのな、情って呼んでもいいって俺が言ってんだ。今更お前に気ぃ遣われるのは逆にうぜえっての」
羽鳥様はこれ以上、情を甚振らずに心をちゃんと生かしてくれたんだ。
目覚めた怒りで形は変わってしまったけれど、それでも情の優しい心は残されたままだ。
でも……だからと言って、僕なんかが面と向かって、君の名前を気安く呼べるわけがないんだ。
「ごめん……」
「俺と戦ってた時は情って呼んでたくせに、よく分かんねえやつだな?」
だって、君は……
――♧――
「あーもう嫌になるわ! こんなところ男臭すぎて、戻ってくるのも億劫になるわね!!」
チッ。
また口だけが達者な、クソ雑魚クソ女のクソハートが戻ってきやがった。
「クローバー! よくもあたしの腕を深く斬り刻んでくれたわね!? トイレだって面倒臭いし、痛いし、不便極まりないわ!!」
「おいベッド蹴んなよクソハート!! 壊れたら弁償すんのお前だからな!? 後で請求されて泣きを見ても俺は関係ねえからな!!」
俺が羽鳥に抱えられ、医務室に連れて来られて寝かせられたパイプベッド。
それをクソ女はゲシゲシと平気で蹴ってきやがる。
「そんな下らないことはどうだっていいのよ! あたしはねえ!? クローバーのあんたよりよっぽど怒ってんのよ!!」
「うおっ!? 馬鹿か危ねえっつの!!」
このメスゴリラめ。
俺が飢餓状態のまま何日も生き残れたのも大概おかしな話だが、なんで腕を斬られてこんなに元気でいられんだよ。
羽鳥信者のくせに、俺が寝てるベッドを散々蹴りやがって!
あいつの意に反するようなことしていいのかよ!?
「死ね!!」
「お前いい加減に……!」
「何? 文句があるなら言ってみなさいよ? 羽鳥様にノされたかわいそーーーーーなクローバーさん?」
「ああ!?」
さっきの戦いで仮面が外れて素顔は見えていたが、改めて見てみるとやっぱこいつの顔面はムカつくな。
クソうざい性格と同じで、強気そのものでございって顔してやがる。
俺にその汚え面を近付けてくんじゃねえ。
「喜びを司るんだったよな? だったら、俺に命を奪われなかっただけでも、喜んで媚び諂いやがれクソ女!」
「はぁ!?」
「てめえが今こうやって満足に口利いてられんのも、俺の広大過ぎる器で成り立ってるってこと、忘れてんじゃねえぞ!?」
「むきぃー!!」
ハッ、地団駄を踏んで顔を真っ赤にしてやがるぜ。
流石にこれを言われちゃあ、ベッドを蹴るような真似は出来なくなるわな。
「まるで猿だな」
「うっさいボケ! 髪の毛に付いた血も落とせない、不器用赤黒ヘドロ男め!!」
「お前の髪の毛もギラッギラのピンク色だろうが! ピンク髪ポニーテールとか、俺がヘドロならお前は差し詰めユニコーンだなぁ!?」
「誰がユニコーンよ!?」
まさに頭ぱっぱらぱーのお花畑な部屋にお住まいになさってる、メルヘンチックなクソハートお嬢様にお似合いのあだ名だな。
遊園地の回る台座に串刺しにされて、馬車馬のように一生働かされてろ。
「……あ?」
そういえば、羽鳥も白くて長い髪を後ろに束ねてたっけか。
「え」
いや、いやいやいやいや。
いくらハートが脳内お花畑で羽鳥に心酔してるからって、髪型まで一緒にするとかちょっと、うわぁ……
「ハート、お前……」
コイツが少しだけ可哀想に思えてきた。
「な、何よ。あたしのユニコーンが……じゃなくって! ポニーテールが気になって仕方ないのかしら? この童貞!!」
「チッ、男子高校生が気にする所にズカズカと踏み込んで来やがって……!」
はあ。
やっぱり『獣の狩人』に正式に入るなんて言うんじゃなかった。
この全身の怪我が治って、絶飲食で失った筋力を取り戻すまで、このクソアホ女と一緒の部屋なのは死ぬほどめんどくせえ。
てか、もう死にてえ。
「あはは……クローバー……性格も口調もすっかり変わっちゃったね……」
「おかけでウザさが三倍増しになってウッザウザよ! まったく!!」
「お前それ……!?」
こいつ、俺が赤い力を使うからって普通三倍とか言うか!?
シャ○専用継承者とか、ダイヤやこいつなんかに言われるのはそれこそめんどくせえぞ!!
だが待て。
ここは一旦落ち着いて、合理的にユニコーンを黙らせるとしよう。
「暴れてえなら好きなだけ暴れてればいいがな、こっから出て一人で勝手にやってろよ。ヒンヒンうるせえユニコーンさんよ?」
「まぐれであたしらに勝ったくらいで調子に乗りやがってぇ……!! ぐぬぬぬぬぬぬっ!!」
「ハート……? クローバー……? そろそろ喧嘩はやめようよ……二人とも傷が開いちゃうよ……?」
「うっせえよ、クソ共が」
こいつはこいつで優しすぎんだろ。
なんで命に関わるような危ない目に遭ったっていうのに、俺なんかを気にかけてくれんだよ?
スペードを生かしたのは実際のところ、温情だと認めてやってもいい。
だが、ゴキブリから生まれたユニコーンのクソハートを生かした理由は違う。
この頭真っピンクバカは、弄ぶために生かしただけだ。
俺が勝ったという事実は覆らねえ。
「いくら俺が怒りに囚われてると言われようが、ゴキブリを始末してやった恩を仇で返したこと、絶対に忘れてやんねえからな!」
「ちっさ!? こいつ器ちっさ!!」
「んだと!?」
「まあまあ……二人とも落ち着いて……」
「お見舞い持ってきたよぉー!!」
ダイヤが医務室のドアをバンと開けて、白いレジ袋二つを両手にぶら下げて来やがった。
てかこいつ、俺達が戦ってる間にコンビニ行ってたのかよ。
いや、そんなことよりも問題なのは中身だ。
「な、なあ。それ……」
「ん? おぉ、起きてたんだねぇクローバー。回復も早そうだし、こりゃあ任務への復帰もすぐだねぇ」
「もしかしてそん中に入ってんのって……」
怒りで多少なりとも我を忘れていたのは事実だが、一つだけ鮮明に覚えていることがある。
「じゃ○りこがどうかしたのぉ?」
「じゃが○こだけは勘弁して下さい!!」
傷だらけの体をすぐさま折り畳み、情けなく土下座する俺。
ただのスナック菓子なんかに、トラウマを植え付けられちまった。
「えぇ、美味しいのにぃ」
お前のじゃ○りこには、美味しくもなんともねえ苦い記憶しかねえっつの。
「ぷふーっ! アホクローバーの弱点、見つけたり!!」
傍らでヒステリックブスがなんか言ってるが、気にしないでおこう。
――♧――
「さっきの戦い、ぼくも混ざってよかったのかなぁ。でも、お菓子買わなきゃいけなかったしなぁ」
ダイヤはお見舞いのために持ってきた菓子を一人で平らげながら、ベッドに座っている俺らを無視して独り言を吐く。
てかそれ自分用なのかよ、お見舞いはどうした?
「ダイヤ……僕にもちょっとくれるかな……?」
「えぇっ!? ぼくからお菓子を取るつもりぃ!?」
「あっ……ごめん……!」
だから……お見舞いで持ってきたんじゃねえの?
「にししっ」
あ、こいつ、スペードの慌てる反応を見て楽しんでるだけだな?
弓月みてえな趣味してやがる。
あいつもよく悪戯するんだよな。
「それにしてもクローバーさぁ」
「んあ?」
「よく怒りに飲み込まれなかったよねぇ? スペードも心配してたのにぃ」
「ダイヤ……! それは言わないでって……!!」
そうなのか、やはりスペードを生かした判断に間違いはなかったな。
ユニコーンだけは始末すべきだったと後悔してるが。
「ハッ。いいや、俺は飲み込まれた。飲み込まれたが、食らい尽くし返して、力に変えて……羽鳥をブッ殺してやろうと考えてただけだ」
「ふぅーん?」
「あいつも言ってただろ? 心の底から怒りを引き出せってよ。俺の心は怒りを生む前に、萎縮しちまってたからな。だから閉じ込められてる間に自分を見つめ直して、根本から作り変えたんだよ」
あん時の俺は何日も時間をかけてまで、普通のままでいたかったのかも知れねえな。
だが、もう変わってしまった。
変えてしまった。
「逆にお前らが感情を行使して、力を使いこなし始めたきっかけはなんだったんだよ?」
「やっぱ、そういう話になるよねぇ」
俺は不慣れだった怒りに慣れることで、強力な力を解放することができた。
なら、こいつらは?
「あたしは……」
「お前はいいや。どーせぬいぐるみに囲まれて、あてくししあわせーって感じだろ?」
「なっ!?」
図星だな。
「なんでよ! ここはあたし達がどうやって力を目覚めさせて、どう使いこなしているのかを聞くところでしょ!? あたしの話もちゃんと聞きなさいよ!!」
「いや、なぁ。あの部屋見れば誰でも……なぁ?」
頭くるくるぱーなヒステリック女の程度なんて、たかが知れてるわ。
「クローバー……ハートはね……ペンダントの力が目覚めて戸惑ってたところを……羽鳥様に拾われたんだ……」
「あっ、スペードぉ!」
まあ、大体は予想の範疇だな。
「羽鳥様に拾われたことで……ハートは初めて心から喜びを司ることができたんだ……それがきっかけだよ……?」
「自分で言いたかったのに、スペードのばか」
ショボンとするハートに、慌てるスペード。
「あっ……! ごめんよハート……!!」
「いいわよ、別に。気にしてないよーだ」
今度はツーンとして、スペードにそっぽを向く。
忙しいやつだな。
面倒くさいとも言う。
「このままじゃ話が進まなさそうだし、ぼくが代わりに教えてあげるよぉ。ハートは分かりやすいけど、スペードの話は……」
助かるぜ。
スペードの過去は、かなり気にな……
「僕の話はしなくてもいいでしょ!? やめてよダイヤ!!」
俺達の話を遮るスペードの大きな叫び声が、医務室を静寂で覆い被せた。
「……どうしたんだよ、スペード?」
「あっ……」
大きい声で叫んだのは自分なはずなのに、スペード自身が一番驚いていた。
「ごめん……」




