15.原初の感情
――♧――
「そして、クローバー」
とうとう俺の能力についての解説だ。
「クローバーの継承者は怒りを司る。生物の原動力となるその感情の強靭さは、生み出す刃の切れ味に比例し、獣を穿つ武器となる。獣を狩ることに最も長けていると言っても、過言では無い」
そんな肩書きは俺じゃなく、ダイヤが一番当てはまっているんじゃないのか?
さっき俺が獣に殺されそうになった時、あいつは圧倒的な力で獣をねじ伏せてたわけだけど……
「ダイヤは既に覚醒を終えているので、そう思ってしまうのも無理はない。だが、クローバーにしか扱えない能力がある。ハートの【狂喜】や、スペードの【悲劇】、ダイヤの【安楽】といったようなものがな」
「お、おう?」
こいつ、もう当たり前のように俺の思考読み取ってるな。
「クローバーは、相手の怒りさえも掌握する。激昂する獣の攻撃を読み、込められた力の強さや方向などを看破し、それを受け流したり、さらには反撃に活かすことさえ出来る。君が戦いの素人でありながらも、先刻の獣の攻撃に対処出来たのは……つまりはそういうことだ」
獣の攻撃を受け流した時、頭の中で映像が浮かんできて、相手がどうやって動くのかが分かったんだよな。
あれはただの想像だと言うには、余りにも鮮明過ぎた。
無我夢中でペンダントの力を使っていたけれど、言われてみたら納得だ。
俺みたいな並の人間なんかが、獣からの攻撃を落ち着いて処理するなんてことは、普通に考えたら不可能なんだ。
「なぜこのような真似が出来るのか。それはペンダントに秘められている、予知能力を使えるからだ。私達は【赫怒】と呼んでいる」
「未来予知……【赫怒】か」
俺達が現実味のある夢を見たのは、もしかしてその【赫怒】が発動したからなのか?
割れているとはいえ、同じペンダントを持っている弓月も、もう片方が獣になる夢を見ていたし……そう考えると辻褄が合う。
「!」
だったら本当に……俺達は獣に!?
「君の思考を邪魔して悪いが、それは邪推でしかないな。君は力に目覚めたばかりで、予知はまだ不正確なんだよ。それに、【赫怒】は怒りに関係した予知しか見ることが出来ないので、それは単なる夢物語だ」
「そ、そうなのか」
よかった……
「生物を最も突き動かす感情は怒りだ。私達の先祖である類人猿の心が初めに作り出した、原初の感情だ」
「類人猿? まるで俺が獣だとでも言いたげだな」
ダイヤが俺の言葉に口角を上げ、視界の端の方でニコッと笑った。
「ふふっ! 面白いこと言うねぇ、クローバーは」
「そうか?」
なんかちょっと嬉しい。
「目には目を、獣には獣だ。獣と真正面から勝負を挑む戦略が立てられる継承者は、クローバー以外の他にいない」
え、そうかな。
スペード達も武器を具現化出来るし、平然と真っ向から戦えそうなんだけど。
ちょっと買い被り過ぎなんじゃないのか?
「随分と特別扱いしてくれるんだな。でも、ペンダントは割れちゃってるんだぞ? 能力に支障とか……大丈夫なのか?」
「その点については私が補完しよう」
補完か、何を補ってくれるのやら。
「君は心に形があると思うか?」
「心の形?」
なんだいきなり、哲学的な話でもするつもりか?
「ペンダントの能力を使い熟すためには、心と感情の関係について、君は知っておかねばならない。心は私達の体と同調し、実在しているものなのだよ。個人によって差異はあるものの、心にも形はある」
「へぇ、そうなのか。詳しく教えてくれ」
感情というあやふやなものを武器にして、俺は戦うことになるんだ。
強くなるために知る必要があるなら、ちゃんと知識として蓄えておかなければダメだよな。
心と感情、か。
「ではまず、心は感情を支えている不可視の器だ。ガラスのコップのようなものだと考えたまえ」
ガラスのコップとは分かりやすい。
しかし、よりにもよって脆そうなガラス製か。
なんだか頼りないな。
「そして感情はコップの内容物、水のようなものと思え。心の内側にある感情を喜怒哀楽等の色で染め上げ、それを吐露することで、生物は自他を表現している」
着色した水を、コップから溢すイメージかな?
そうやって心という器から出た水が、言葉になったり、仕草や行動になったりするのか。
「そして、感情は常に心の底から湧き出し続けている。いくら消費したところで、尽きることはない」
「水の湧く器ってことか」
「更に、人の心は動物とは違った点があり、理性という心を覆い被している蓋がある。動物は染め上げた感情をそのまま心から発するので、自他の表現に歯止めが効かないのが特徴だ」
理性の蓋の有無が、人と動物の違いなんだな。
自他の表現に歯止めが効かないってのはよく分からないけど……動物は心の器から溢れ出る感情を抑えきれない、と考えればいいのかな。
獣も、言わば動物と同じようなもんなんだろうか。
人としての理性を失って、本能だけで動いてるように見えるし。
「理性の蓋の開閉具合によって、人は感情を放出する量を制御している。理性で心を強く閉ざしている者は塩対応気味だったり、反対に開いている者は直情的だったりする」
なるほど。
うーん……なんだかその理性の蓋ってやつ、嘘を吐くことにも関係してそうだな。
俺と父さんは、無意識に理性の蓋を認識していたのかも知れない。
理性の蓋で心を閉ざし、心(の中)にも無い偽物の感情を見せかけるから、俺達には嘘が不自然に見えるんだ。
「余談だが、際限なく感情を吐き出した生物の心は、一時的に空になってしまう。例えば、激怒した者は感情を多く消費する、ということだ」
「というと?」
「つまり、心の内に秘めた感情の量が少なくなり、虚しさを感じるようになるのだよ。時間が経てば元の状態に戻るがな」
「でも、感情は喜怒哀楽だけじゃないだろ? 怠いとか怖いとか、色々あるよな?」
「君達が行使する感情は、一際強い部類なのさ。一部例外もあるが、喜怒哀楽は感情の主成分で、それ以外は副成分だ」
例えるなら、骨や内臓が喜怒哀楽で、肉や血が他の感情みたいなもんだな。
どっちも大事だが、喜怒哀楽は感情の中でも特に重要なんだろう。
その四つが無ければ心としては未完成なんだ。
「今はまだ要領を得ない話だろうが、継承者が覚醒を成すためには数多の獣との戦闘を経験して、心の底から感情を引き出すことが重要となる。君の場合は怒りを支配し、心から湧かせるんだ」
「怒りを引き出す?」
監禁されて、ペンダントの力に溺れて全くの別人になってしまった俺を思い出した。
あれは羽鳥の言っている、覚醒の予兆だったんだろうか。
「……分かった。俺が戦うことで弓月が戦いに巻き込まれず、獣化がきちんと収まるならそれでいい」
「君の強い正義感と、弓月に対する愛情には感心するよ。改めて歓迎しよう。ようこそ『獣の狩人』へ」
「愛情ってそんな大層なもんじゃ……いや」
近くにいなくなって初めて、弓月がただの幼馴染という関係では片付けられないくらい、大事な存在だったんだと自覚した。
「なあ、羽鳥……」
「どうした?」
弓月に会いたい。
「獣が出現するのは22時から2時の間だろ? もう時間外の真夜中だし、家に帰ってもいいんだよな?」
仮面を付けた顎を左手で支え、しばし考える素振りを見せた羽鳥。
沈黙がしばらく続いた後、羽鳥が左手でサインのようなジェスチャーをした直後、仮面の下の口を動かした。
「ああ、帰っても構わない」
「なんだ、帰っていい……」
その時、空気を裂く音がした。
「がっ!?」
「ただし、ここから帰る手腕があるのならな」
背中に迸った鋭い痛覚。
刃物で斬られた鋭さではなく、高速で何かを打ちつけられて熱くなる痛み。
「ハ、ハート……!? なん、でっ……!!」
バチン、と鞭を両手で引っ張るハートは、仮面越しに俺を見下す。
「……あんたみたいな半端者には、矯正が必要ってことよ」
「ス、スペードぉ……!」
俺によくしてくれた親切なスペードに、手を伸ばして助けを求めるけど……
「僕は……僕には何もっ……!!」
肝心のスペードは、俺からそっぽを向いている。
「黙って寝てなさいっての!!」
「ごッ……!? ぅ……」
ここに拐われてきた状況と似通って、俺は意識を闇の中に落としてしまう。
――♧――
「ぅ、あ?」
目が覚めると、俺は初めに監禁されていた部屋の中に入れられていた。
不幸中の幸いか、今度は拘束されていなかった。
また、あの鉄の部屋だ。
俺はとんだ大馬鹿だ。
ふざけ腐った奴らに絆されてしまうなんて、どんだけボケてんだ!
「クッソ! クソがぁぁああああッ!!」
金属で出来た床をガンと叩くが、自分の拳を痛めるだけだった。
「羽鳥ィ……!!」
「呼んだか?」
この部屋にはいないどこかで、今度こそ憎むべき敵の羽鳥の声がした。
しかし、目の前のデカい窓には奴の姿は無い。
どこにいる!
「羽鳥! ここから出せよ! おい!!」
「それは出来ない相談だ。言っただろう? 君の割れたペンダントの補完をすると」
「はあっ!? どういうことだよ!?」
割れたペンダントじゃ、力が十分に出せないってことだろ?
まだ本当に戦う覚悟が出来たのか分からないけど、獣と戦って強くなればいい話なんじゃないのかよ?
どうしてこんなことをする必要があるんだ……
「……君の心は強い怒りを作り出せる。精々、一人でその感情について考えていろ」
「あっ! おい、待てよ!!」
一人で考えろって……
「それって、いつまでだよ……?」
――♧――
閉じ込められてから数時間が経ったが、羽鳥からの呼びかけは一切無かった。
(……君の心は強い怒りを作り出せる。精々、一人でその感情について考えていろ)
「そんなのどうすればいいんだよ」
いきなり怒りについて考えを巡らせろなんてこと、今までやったことも無いし、まるで分からない。
そもそも、感情なんてよく知らないまま存在してるものだってのに、何について考えろって言うんだ。
「腹、減ったな……」
そういえば、目が覚めてから何も食べていないんだった。
「みんな……元気にしてるかな」
天井に一つだけ設けられた電球を見つめながら、弓月や母さん達のことを考えていた。
弓月の料理が食べたかった。
―♡―♤―
誰もが寝静まる外出禁止時間以降の深夜に、ハートの扉を叩く者。
「こんな遅くに……」
ドアの奥からハートの悪態が聞こえ、グイッと扉が開く。
「誰?」
「ハ……ハート……? こんばんは……」
アジトに住んでいるスペードは、同じく居を構えるハートの元へと訪ねて来ていた。
「スペード? 何?」
「あの……クローバーのこと……だけど……」
「あいつがどうしたの?」
「あれからずっと……監禁されてるんだよね……?」
スペードはスラリと伸びている長い足をもじもじさせながら、ハートの顔色を伺う。
もちろん、この二人もアジトに帰還した後のダイヤと同様に仮面を外して生活をしているので、今は素顔を晒していた。
「……【狂喜】で気絶させたあたしが悪いって言いたいの?」
「あっ……違うよ……! ハートが悪いって言ってるんじゃなくて……!!」
「ふふっ。知ってる、冗談よ」
「えぇっ……ハートの冗談は冷や冷やするよ……」
桃色に染まる鮮やかな虹彩の目を細めつつ、意地悪な笑みを浮かべるハート。
その後は、ピンクのポニーテールを揺らしつつも、キツめの吊り目を上へと向けながら、「んー」と口をへの字にして唸る。
「そうねぇ……あいつの能力はあたし達のと比べて、理解しにくい感情だからなぁ」
「ハートは……可愛いものに囲まれてるだけで喜べるもんね……」
そんなハートとは対照的な、垂れている青い目と青髪のスペードはもじもじする。
司る感情が対照的であり、表情もそれに準じたものであった。
「はー? そう言うスペードこそ、狩りに出る時以外はなんもない部屋で蹲って、一日中ずーっと過去のことばっか気にしてるくせに」
スペードが無自覚に発言してしまった皮肉に、ハートはイラつきを見せる。
スペードはそんな不機嫌さが生み出す空気を感じ取ると、あたふたした。
「ご……ごめん……! そういうことじゃなくて……羨ましいなって……」
「羨ましい?」
「ハートとダイヤはさ……人間にとっては正の感情って言っても……いいじゃんか……?」
「あー、そうね」
なんとなく、ハートは彼の言いたいことを感じ取った。
「クローバーと僕は負の感情だから……飲み込まれるんだ……だから心配で……」
背伸びをして、ぽんぽんとスペードの頭を撫でるハート。
それに驚くスペードは少しだけ目を見開いた。
「スペードに出来ることはね、クローバーを信じることよ」
「ハート……」
「ペンダントに選ばれた継承者がやることなんて、一つだけしかない。あたし達は羽鳥様に従うしかないの」
――♧――
もう丸一日が経っている。
部屋の中に設置されている壁掛けの時計が、嫌でもそれを教えてくれる。
「学校……家……」
今まで弓月のためや家のためにサボったり、授業をまともに受けなかった不勉強な時もあったけど、こんな俺でも学校には愛着があった。
悪い思い出なんて無いからだ。
「ここに閉じ込められてる以上、学校に行けないって思うと……途端に寂しくなるなぁ……」
弓月は今頃、何してるんだろ。
母さんのことも当然気にかかってるけど、弓月が一番根が弱いんだよなぁ……
俺がいなくなって、悲しい思いをしてるんじゃないのか?
あいつの笑顔を守るんだって決めたのに、俺は……
「母さん、警察に通報とかしたかも知れないな……」
そんな想像を繰り広げるだけで、他にやることが見つからなかった。
「強い怒り、か……」
今まで平和な日常を歩んできたからこそ、羽鳥の言葉の意味なんて、俺には理解不能なままだった。
心と感情、理性の蓋などについては、後に投稿する22話と同時公開する補足解説(23話)にて、詳しく説明します。




