12.飛び散る命
――♧――
硬いアスファルトの地面を粉砕する、凄まじい打撃音。
「うっ、ぐぅう……!」
痛むのは爪で引き裂かれた足だけで、死んだ時の苦しさなんてのは無かった。
あの黒い獣に殴られた時のような明確な死とは、また違っていた。
人では太刀打ち出来ない圧倒的な暴力の前に、ただただ目を瞑ることしか叶わなかった。
特別な力に目覚めたんだと思っていたけど、やっぱり俺は普通の人間でしかなかった。
「俺……死んだのか……?」
獣と……人と戦うなんて、烏滸がましかったんだ。
あまりにも呆気なさすぎる最期だった。
足の痛みがドクドクと脈打っている他には、何も……
「よくやった」
だけど、その死を容易に否定する羽鳥の声と、何かがベキベキと折れる音に反応して、俺は目を開けた。
「ダイヤ」
それを表現するなら、柱だ。
黄色く光る柱のような物体が、俺の視界一面に映った。
「グ、ァ……」
「ボクの【安楽】で死ねるなんて、君は幸せものだねぇ」
いや、あれは柱じゃない、ハンマーだ。
それは、人の体の幅で表すなら大人二人を横に並べたほどの太さで、ダイヤよりも大きかった。
獣はトマトを破裂させたように赤い液体を撒き散らし、円柱状の巨大なハンマーで叩き潰されていた。
「べギャ……」
骨が折れる痛々しい音。
どの部位から発せられたのか分からないほど、ハンマーの範囲から逃れている獣の手足はそれぞれ、別の方向へと伸びていた。
そのハンマーは並大抵の力では扱えなさそうな、規格外の代物だった。
俺の大剣とは異なる異彩を放っていた。
黄色を基調にしているが、雰囲気が、何かが違う。
奇妙な黒線が柄に入っていて、鱗状のヤスリがゴツゴツと無数に飾り付けられている。
殺伐としたデザインの鱗は疎らに生え揃い、一つ一つが拳大で、全てが菱形で構成されていた。
そんな荒々しさと、無慈悲を体現する凶器を軽々と振り下ろしたのは、ダイヤと呼ばれた少年だった。
「すぐに楽にしてあげるからねぇ!!」
快楽に身を震わせて楽しそうにしながら、何度も獣をハンマーで叩き潰し続ける、無垢な少年の後ろ姿。
「ピ……ィッ……」
「あははははははっ!!」
満足に声も出なくなってしまった獣の代わりに、次々と破壊されていく骨と肉と血の、アンサンブルが奏でられる。
「あ、ぁ……?」
(ゴロ……ィデグレェ……)
唐突に、俺が殺してしまった黒い獣の言葉が、胸中を苦しめる。
「うっ、ああぁっ!?」
「はぁ、はぁ……ふぅぅー! 終わった終わったぁ!!」
それはまるで、馬鹿な野良猫の末路に似ていた。
車に轢かれてしまった猫の亡骸みたいに、全身が満遍なく潰され、獣の体は原型を留められなくなった。
人でも獣でもあった血肉が、放射状に散らばっている。
初めて見た誰かに、あれが元々は人間だと教えても信じてもらえなさそうな、飛散した命。
あの圧殺から逃れたのだろうか。
どっちに入っていたのかすら判別不能な目玉が、ころりと俺の元へと転がってきた。
縦に伸びているその瞳孔は、既に生きていた時の光を失っていた。
「ぷぐ……ッ!!」
不快で気持ち悪い鉄臭さが鼻腔を刺激し、嫌でも目が離せられない肉の塊が、胃酸を逆流させようと俺に訴えかける。
ハンマーにこびり付いた肉片が、それが獣などではなく、確かに人間だったと物語っていた。
「ぉご、ぐぶっ! げぇええええっ!!」
俺の口から、胃液に混じって黒い炭のようなものが吐き出された。
なんとか現実逃避したくて、獣から目を逸らしていると、異様にそれが目に入った。
いつの間に、こんなもの食った……?
「クローバー! どーだった? ボクの力はさ?」
「あっ! あぁぁああ……」
でも、現実はそう簡単に変わらなかった。
近付いてきたダイヤが持っているハンマーから、もう目が離せなくなった。
逸らせなくなった。
肉と化した元人間の残骸を見せつけられ、俺の心はどんどん荒んでいった。
「お……俺はこんなことをするつもりなんて……!」
でも、間違いなく同じだった。
こいつと一緒で、俺は殺しに手を出しかけていた。
だからこそ、目が離せなくなった。
獣化の答えを知りたいがために、獣を殺すとはどういうことなのか。
俺は理解が出来ていなかった。
「あれぇ? お気に召さなかったのかぁ。ぼくショックだなぁ」
これが現実なんだ。
やっぱり獣は、人なんだ。
「あっ……」
一度獣になってしまった人でも、せめて最期は人として死ぬことを許してあげて欲しいと思ったけど……
「そ、そんな!?」
この人は血痕すらもその場に残さずに、全てを黒い塵へと変えていき、風に流されてしまった。
何事もなかったかのように、ただ、獣を潰した時に出来たクレーターだけが残された。
楽観して想像していた状況と、酷い現実とのギャップに、握っていた大剣をつい落とした。
手に力が入らない。
「ご、ごめんなさっ……!」
「クローバー」
俺を呼ぶ羽鳥の声に、体がビクンと跳ねる。
こいつらはずっと、こんな惨過ぎることをしてきたっていうのか?
「羽鳥っ、羽鳥ぃ……」
羽鳥の全身を覆う黒いマントに、俺は縋る他なかった。
弓月のためとはいえ、人を殺そうと戦っていたことに、恐ろしくなったから。
「役立たずめ」
「……っ」
あまりにも非情で冷たい声に、ぶるぶると震えていた体が更に寒くなる。
多分、体中の血の気が引いていたんだろう。
「アジトに戻るとしよう」
俺はもう、一人の獣でさえも殺すことが出来そうにない。
たった一人といえど、それは一人の人間だったという垣根を越えた重責に、心が溺れていく。
「大丈夫……? クローバー……」
スペードが俺を気にかけて背中をさすってくれるけど、返事すらもままならなかった。
――♧――
絶望に打ちひしがれている俺を、スペードが介抱してくれているようだったけど、意識は別の方向に向かっていた。
いくら考えても分からない。
何が正しかったのか、何が間違っていたのか。
俺には何も分からなかった。
「クローバー……? 着いたよ……」
俺が監禁されていたであろう場所に戻って来たんだろうけど、どうやって戻ったのかなんて覚えきれていなかった。
心の中は、俺の軟弱すぎる力では救えない人達への悲しみで溢れていたから。
「?」
ふと嗅いだことのある懐かしい匂いと、俯く俺の視界で、桜の花弁がひらひらと舞い踊るのを垣間見た。
顔を上げて見ると、綺麗な咲きかけの桜を彩る一本の木が、凛として咲き誇っていた。
「えっ、ここ……!?」
俺が立つ地面は、盛り上がった丘だった。
何度も何度も小さい頃に来ていた、思い出の場所。
ここは、獣道公園の……
「丘の上で咲く、桜の木!?」
途端に、痛みが頭を劈く。
「うぐっ!?」
現実の桜の木と同じように、記憶の中の桜も風に揺らされながら、春の匂いを広げるように振りまいていた。
記憶の中の桜はいつ見ても満開で、現実の桜よりも華やかな香りが強かった。
(忘れないで)
その桜の木の下で、割れている二つのペンダントを持つお姉ちゃん。
綺麗な赤髪を靡かせながら、まだ幼かった俺の前に屈んでいた。
だけどやっぱり、顔だけは黒く塗り潰されていた。
「お姉、ちゃん……!」
俺と弓月のクローバーのペンダントは、確かにここで渡されたんだ。
そう思えるほどに、俺は絶対的な確信を持てていた。
徐々に記憶が蘇りつつあった。
スペードが俺を心配してくれているようで、横から白い仮面を向けて覗き込んでいるのが分かった。
覗き穴なんか無い仮面で、一体どうやって俺を見ているんだろうか?
いや、そんなことは今どうでも……
「クローバー……辛いの……?」
「あっ……? あぁいや、なんでもない」
「そ……そっか……」
そんな当たり障りの無い会話をしてみたものの、やはり長くは続かなかった。
スペードも他の奴らも、今まで何にも面識が無かったんだ。
どうやって話せばいいのかなんてまるで知らないし、俺はこいつらと話す気もあまり起きはしなかった。
スペードは俺を心配するようなセリフを吐いてきたけど、それが本心とは限らない。
少なくとも、こいつらは人を殺し続けていることだけは間違いないんだ。
だから、優しい言葉も信じるつもりはなかった。
俺がそう考えていると、何故かスペードは奇妙なことを言ってきた。
「ごめんね……クローバー……」
「はっ? な、どうしてお前が謝るんだよ?」
謎の謝罪に困惑していると、ハートの女がわざとらしく「んんっ」と咳払いをした。
気が付けば、目の前にいる羽鳥が顔を少し傾けながら、後ろ姿を見せつつ、視界の端に俺とスペードを捉えていた。
仮面で顔が見えていないが、羽鳥は俺達のやり取りに聞き耳を立てて、静かに待っていたようだった。
「開けるぞ」
そう言うと、羽鳥は桜の木に左手を当てて静止した。
手を当てたまま羽鳥は時を止めて、石像みたいに固まってしまった。
「何……してんだよ?」
「しっ! 黙ってなさい」
ハートが声を上げた瞬間……
「!?」
獣に襲われていたあの時、弓月がもたれかかっていた桜の木がうねうねと動いて、根を張っている土を割り始めた。
「これは……!?」
木の根が蠢いて、小さめの地震を起こしながら……
「扉!?」
一枚の木の扉を作り上げる。
「任務完了。帰還する」
木で出来ている扉を羽鳥が開けると、地下へと続くコンクリートの階段がかかっていた。
――♧――
階段を降りた先は、頑強な鉄の柱とコンクリートの壁で構築されている廊下が、奥まで続いていた。
長屋のような造りなんだろうか?
「お、おぉ……」
今まで知る余地もなかった秘密の基地に、少しワクワクしてしまう。
あんな悲惨な目に遭った後で、それなのに、非現実的な光景に心が躍る。
でも、そんな呑気なことを考えてしまうような自分に対して、嫌悪感も抱いた。
色んなことがひっきりなしに起こって、俺はどうしたらいいのか混乱していたんだろう。
階段を降りて直ぐにある右側の壁に、シンプルなトグルスイッチが設置されていた。
先行していた羽鳥がそれを傾ける。
すると、廊下の天井の奥の方まで、寸分の狂いもなく複数個設置されている電灯が、チカカカカと音を立てて生き返る。
「スペード。クローバーの足を治療した後、部屋を案内してやってくれ」
そういえば、スペードに肩を貸してもらっていたから意識してなかったけど、一人じゃ歩けないくらいの怪我を負っていたんだった。
「治療が済んだらクローバーと共に会議室に来い。ハートとダイヤはそれまで自由時間とする」
「はーいっ」
「わかった……」
「じゃあまた後でねぇ、羽鳥ちゃん」
羽鳥が指令を出し、奥の部屋の扉を開けて入っていく。
「獣相手に無様な格好を晒して、その程度で済んだのなら喜びなさい。本来なら自分の傷は自分で対処するのに、羽鳥様ったら優しいんだから……」
ハートは仮面のまま一瞥し、自分の部屋らしき一室へと入る。
「ぼくは気分転換に外に出るかなぁ。スペード、クローバーの足をちゃんと縫ってあげるんだよぉ?」
「うん……」
ダイヤは浮遊し、階段を使わずに外へと向かって行く。
あれがあいつの能力なのか?
「クローバー……医務室に行くよ……?」
「お、おう」
ていうか、何故こいつは俺にここまで良くしてくれるんだ?
獣と戦う覚悟とか、俺にはまったく無いっていうのに。
――♧――
俺が連れて来られたのは、監禁されていた鉄の部屋とは違う、白くて綺麗な部屋だった。
医務室と言う通り、病院や保健室なんかに似た雰囲気だ。
スペードに「ここで待ってて……?」と言われ、四つ並んでいるパイプベッドの内、一番入り口に近かったベッドに座らせられた。
医療器具は一通り揃っているらしく、部屋の隅に配置された棚から、傷を縫う用の針、糸、麻酔薬、注射器、包帯、それにガーゼと消毒液を取るスペード。
ガーゼに消毒液を染み込ませてから、俺の傷口の血を綺麗に拭き取ってくれる。
そして、スペードは注射器に麻酔薬を入れた後、空気を抜き始めた。
その一連の動作がテキパキと素早くて、治療に慣れていそうだった。
「ちょっと……我慢してね……?」
「……ッ!」
怪我した傷の周辺に、注射器で麻酔薬を入れられた。
「僕に……任せて……?」
獣を狩るとか綺麗事を並べていながら、実際は人を殺してる殺戮集団のくせに。
「痛かったら……我慢しないで言ってね……?」
「あ、あぁ。分かった」
何故かこいつといると、調子が狂う。
「能力が目覚めてばっかりなのに……すぐには戦えないよね……」
どこに覗き穴が付いているか分からない仮面を付けたまま、スペードは器用に傷を縫合していく。
「僕も最初は……獣を狩れなかったんだ……」
「それにしては、慣れた動きだったような?」
「でも……実際にさっきの獣と戦ったの……ダイヤとクローバーだよ……?」
確かに。
ハートは人を気絶させて、スペードは……何してたんだ?
よく分からない青い霧のようなものを、倒れた人達から吸い取ってたけど。
「あ……僕の能力のこと……話してなかったね……」
俺の頭から出ている疑問符を見破ったのか、スペードは足をもじもじさせ始めた。
俺に尽くしてくれるところといい、変な仕草といい、なんか弓月に似ているような気がする。
なんなんだ、こいつ?
「ハートは人を気絶させてたけど、スペードは青い霧を光らせた手で吸収してたよな? それに【悲劇】がどうとかって……」
スペードの傷を縫う手が少しだけ止まった。
でも、すぐに再開した。
「僕の【悲劇】は……悲しい記憶を消す能力だよ……」
「悲しい記憶?」
「人の悲しい記憶を取り込んで……獣に襲われた過去を消してるんだ……」
家から外に出るまでの記憶は、こいつに消された?
もしかして、お姉ちゃんの記憶も!?
あれがお姉ちゃんとの別れだと知っていたら、俺の中では悲しい記憶になるはずだ、消す条件は揃う。
「僕達『獣の狩人』は……人に見つかってしまえば追われる身になるかも知れない……だから僕の能力が必要なんだ……」
「……そうか」
獣と戦ってる姿が誰かに見られてしまうと、いつか捕まって人体実験されたりとか、されるかも知れないしな。
一瞬だけ不信感が募りかけたけど、記憶を消すのは秘密組織なら仕方ないのかも知れない。
お姉ちゃんも『獣の狩人』に関わっていたとしたら、俺達にペンダントを渡した記憶も、消さなければいけない理由があったんだろう。
「うん……終わったよ……立てそう……?」
話に集中していたら、治療が終わったようだった。
いつの間にか包帯まで巻かれていた。
足に力を入れてみて、立とうとしてみる。
「あっ!?」
「情……!」
だけどやっぱり、傷を縫っただけでは足に上手く力が入らず、倒れかけてしまった。
幸い、すぐにスペードが支えてくれて、倒れずに済んだ。
「危ないよ……」
「ご、ごめん」
俺の脇に手を差し込みながら、スペードは少しだけ考える素振りを見せると、再度話し始めた。
「えっと……これは君を悲しませるわけじゃないけど……戦いに慣れるまでは……治療を続けなきゃいけない……かも……」
「マジかよ……」
戦って、怪我して、治して……また戦って。
そんなことをずっと、こいつらは続けてきたんだろうか?




