10.違う感覚
――♧――
「ふむ、短期間でここまでの怒りを発現させるとはな」
頭を貫かれているはずの羽鳥が声を出す。
「チッ……」
頭に赤い大剣が突き刺さった羽鳥は、煙のように霞んでいく。
羽鳥は情の攻撃を事前に察知し、姿をその場に残したまま、瞬時に避けたのだった。
「だが、そのペンダントの力は君にとっては未知なるもの。自分の身に余る超常の力を使えばどうなるか、それすらも君はまだ知らない」
薄ら笑いの混じった羽鳥の声が、情の四方八方から聞こえてくる。
素早く移動し続けている羽鳥の位置が掴めず、情は遠くの壁に刺さった大剣に手を伸ばすのみだった。
そうすると、まるでその手に吸い寄せられるように、大剣と化したペンダントは回転し、中空を切りながら継承者の元へと戻ってくる。
「弓月を死なせたくはないのだろう? ならばその力、確固たる自分の意思で使いこなしてみせろ」
「……」
――♧――
壁に潰されかけた時。
とにかく、俺は必死だった。
「ッッッああああああああああああ!!」
壁がもう目の前に迫ってきてる!
どうしよう、どうすれば助かる!?
こんなところじゃ死ねない!!
何も出来ないまま死んでいいはずがない!!
それに俺が死ねば、今度は弓月があいつの毒牙にかかるってんだろ!?
ふざけんなッ!!
思い出せ……!
あの時の状況をどうにか思い出すんだ!!
一度死にかけたけど、再び体を起き上がらせた! あの赤い大剣を出した時の!!
「クローバーああああああああああああああああああああああッ!!」
怒りを!!
天井が俺の鼻先に触れそうなほど迫ってきていた瞬間、残った空間の隙間を全て埋めるほどの、眩い赤の光が輝きだした。
あの光だ。
「来い!!」
咄嗟に叫んだが、どうしてペンダントを呼んだのかすら理解していない。
ただひたすらに、羽鳥への怒りのみに集中させるように、俺の心がそう動いたんだ。
そして、俺の叫びに応える赤いペンダントは、縛り付けられている手に吸い寄せられて来た。
「はぁぁぁぁああああああああああ!!」
手元に来ると同時に、ペンダントは大剣に変化した。
そして、そのまま手首を固めていた拘束具に柄が勢いよくぶつかり、その強い衝撃によって、手錠は硬質な悲鳴を上げながら歪み、壊れた。
ぶつかった時に少し痛みが走ったが、そんなのはお構いなしだ。
すかさず俺は大剣を握り締め、すぐ目の前まで来ていた死を切り刻み、足掻く。
「奴を……! 殺すッ!!」
――♧――
「弓月を殺すつもりなのか? その前に俺が、お前を殺してやる」
「フッ……」
……いちいちムカつく奴だ。
「フフフ……! ハハハハハッ!!」
「何がおかしい?」
手足を引き千切って、泣き叫ぶこいつの顔面をズタズタに斬り裂いてやりたくなる。
こいつが媚び諂いながら謝る姿を見た後、それでも尚無残にぶっ殺してやる。
「私が弓月を殺すだと? フフッ、笑わせないでくれ。彼女も君と同じ、ペンダントを受け取った継承者……いや」
羽鳥の薄汚い笑い声が、俺の怒りをふつふつと煮やしてくる。
「継承者候補だというのに」
「候補?」
やっぱり、弓月もペンダントの力と関係があるのか。
この片割れのペンダントは俺達二人に渡されているものだし、羽鳥は弓月を継承者候補と呼んだ。
それはこのペンダントを、弓月も使えることの裏付けになる。
だが、この裏付けには、羽鳥の話を全て信じた上でという前提条件が必須だ。
腹ただしいことに、羽鳥はペンダントの能力の秘密を知っている。
つまり……
「君がクローバーの力を継承したので、弓月に用は無い。だが、君が死ねば彼女が代わりに……」
こいつの話を信じるなら……
俺達の力を知っている羽鳥を消しさえすれば!
弓月は危険に脅かされずに済む!!
奴の位置は見破った。
そこに俺の全身全霊をぶつけてやる。
「そこだ!!」
鉄の部屋に響き渡る、二つの硬質な物質がぶつかり合う音。
俺が振りかざした大剣の陰に、羽鳥は姿を現した。
一人の男の後ろに。
「ダメだよ……クローバー……」
「……お前」
見覚えのある長身の男に、アキレス腱に沿うように装着した青い刃で、俺の攻撃が防がれた。
その刃は縦半分に分割したスペードの形だった。
ブーツの踵の後ろには、棘のような鋭角の刃がある。
更に、ふくらはぎ近くへと続く部分には、中央が膨れている丸い刃が施されていた。
棘と丸い刃の間にある溝を上手く利用した右足の後ろ蹴りが、俺の大剣を受け止めていた。
「邪魔をする気か?」
「悲しいことに……羽鳥様の力は有限なんだ……こんなところで使っちゃダメなんだよ……」
青いスペードの柄が描かれているだけのシンプルな白い仮面を付けた、俺よりも10cmは身長が高い青髪の男。
だが、体型は俺よりも細い。
しかし、右足のみで攻撃を止めているのにも関わらず、こいつの体幹がブレる気配は無い。
細くて長身の痩せ男が、どう見ても筋力だけでは成し得ない方法で、大剣に込めた俺の力を相殺している。
「お前も継承者ってやつか?」
こいつらは一体何なんだ。
こんな奴らに弓月を好きにさせてたまるかよ!
「俺の邪魔をするなら、お前も殺すぞゴボウ野郎ッ!!」
「こ……怖っ……!?」
俺の殺意にたじろいだのか、怯えた様子で後方の羽鳥を見るスペードの男。
「ねえ……羽鳥様……? クローバーってこんな性格だったっけ……?」
「どうやら、ペンダントに無理矢理怒りを引き出されているようだな。その影響で、性格がガラリと変わってしまっている」
怒りを引き出される?
「どういうことだ?」
「あっ……話……聞く気になった……?」
油断したな、馬鹿が。
「失せろ!!」
「あっ……!?」
大剣に乗せていた腕の力をわざと抜き、長身の男が乗せていた足を流しつつ、一度大きく後ろに退く。
男が体勢を大きく崩した、チャンスだ。
「はぁっ!!」
俺は退いた直後に足をバネのように曲げて、前へと跳躍し、羽鳥の首を掻っ切るために高速で詰め寄る。
赤の大剣が羽鳥に肉迫し、首を跳ねようとした瞬間……
「【狂喜】!!」
「がっ!?」
俺の背中に鋭い痛みが走った。
女の声と、鼓膜を突き刺しかねないほどの音と空気の振動が、鉄面張りの部屋に響き渡る。
目の前にいる羽鳥は微動だにしていなかったし、奴の攻撃ではないことだけは分かった。
「スペード、油断したらダメでしょ?」
「力、が……入ら……ぁ?」
全身に凄まじい倦怠感を感じる。
何をされた?
「ちょうどあたしが来て良かったわね。喜びなさい」
ほとんど力が入らなくなってしまった体を強引に動かし、背後から聞こえてくる声の主に目を向ける。
また、新手かよ……!
「だって……今の絶対話し合う雰囲気だったのに……あんな不意打ち……僕じゃ……」
「ああもう! ネガティブになりすぎだってば!」
今度はハートの絵が施されている仮面を付けた、ピンク色の髪の女が持っている鞭で、俺の背中を打ちつけたようだ。
その髪と同じように、鞭もふざけた色をしてやがる。
「お前、らァ……!!」
「ハート、現れたか?」
「はい。羽鳥様」
俺の怒りを何とも思ってなさそうな羽鳥が、女に質問を投げかける。
余裕のつもりかよ、ふざけやがって。
「羽鳥様のおっしゃった通り、南西の方角で……」
「殺す……! 全員ブッ殺してやる!! 弓月に手を出したら、お前らただじゃ済まさねえからな!!」
「一回じゃ足りないみたいね?」
とどめの一打が、倒れた俺に追い討ちをかけた。
「ぐっ!? が、あぁ……」
――♧――
「ジョー」
……父さん?
「俺はこれから、やらなきゃいけねえことがある」
それは家族と一緒に暮らすよりも、優先すべきことなのかよ?
「だけど、必ず俺は帰って来る」
そう言ったくせに、10年も帰って来てないだろ。
「ジョー……お前に」
うるさい……
「会いに行くから」
うるさい!
嘘ばっかりだ!!
――♧――
「ハッ……!」
気が付くと、俺は外へと出ていた。
後ろへと流れていく景色の中で、黄色い光に包まれながら……
「うぉおおぁぁあぁああ!?」
俺は、夜空を飛んでいた。
「大丈夫……?」
動揺する俺に声をかけ、誰かが手を差し伸べてくれる。
「ありがと、う!? あっ!? おっ、お前は!!」
「あ……はは……」
相手はスペードの仮面を付けた、さっきの男だった。
「えっ? 何? 俺、何して……?」
「えっと……」
覚えている限りでは、怒りに任せて羽鳥を殺そうとしていた俺の姿が、ハッキリと頭に浮かんでくる。
でも、あれは俺なのか?
なんで、あんな……
「君は……羽鳥様を殺そうとして……」
「俺、がか?」
自分の体を動かしていたはずなのに、実感がいまいち湧かない。
その記憶は確かにあるんだけど、まるで別人だったかのような、そんな風な、訳の分からない感覚だった。
「今はダイヤの力で……皆で移動してるところだよ……?」
「い、移動? 俺をどこに連れて行くつもりなんだよ?」
こいつらは何を目的にしてるんだ?
俺を痛ぶって、殺すつもりだったんじゃないのか……?
でも、こうして生かされてはいるしな……
「あいつらは?」
確か、こいつ以外にもいたはずだ。
「いるよ……? ほら……そこに……」
ある方向へと指を差す、スペードの仮面の男。
「ふむ、起きたか。クローバー」
その指先には、三人の人物がいた。
黒いマントに身を包む羽鳥と、俺を鞭で叩いて気絶させた女と、後ろ姿を見せている金髪の少年(少女?)だった。
羽鳥は飛んでいる前方に体を向けながらも、仮面を付けた顔だけを俺に傾けた。
革表紙の手帳を左手に持っていて、それを月明かりと黄色い光で照らして読んでいるから、顔を傾けたのは少しだけだ。
「意外と起きるの早かったわね」
ハートの面を付けた女がくるりと振り返り、後ろ手に腕を組む。
「あのままクローバーが羽鳥ちゃんを殺せてたら、それはそれで面白い展開になりそうだったけどねぇ」
そして、黄色の光を手に宿し、何かの能力を行使しているであろう幼い後ろ姿が一つ。
後ろからじゃ見えにくいけど、どうやらこの子も同じように白い仮面を付けているみたいだ。
「滅多なこと言わないのダイヤ! スペードが悲しんじゃうでしょ!?」
「冗談に決まってるでしょぉ? 羽鳥ちゃんが死んだらぼくも困るっていうのにさぁ」
「羽鳥様が……死ぬ……? そ……そんな……」
先ほどは照れくさそうな仕草をして、俺に手を伸ばしていたスペードの仮面の男が、重い空気を生み出して体育座りになる。
「ほら!」
「スペードはもっと心を鍛えた方がいいよねぇ」
こいつら、一体何なんだ?
それに、どうして俺はこんな空高くを?
「……クローバー。君が私を襲いかかってきたので、ちゃんとした説明が出来ていなかったな」
革の手帳を閉じた羽鳥は、今度はきちんと俺に体を向けて話し始めた。
クローバーってのは俺……なんだよな。
「君はクローバーのペンダントに選ばれたんだよ、裁情。あの大剣を覚えていないとは言わせないぞ」
弓月を襲った獣を殺して、そしてこの羽鳥と名乗った奴をも殺そうとした力……
「あ、お、俺……! なんであんな力を持ってるのか分からないんだ!!」
でも、あの剣で殺した獣は、確かに人間に戻ったんだ。
俺は確実に、この手で人を殺めてしまったんだ。
「ふむ。では、君でも理解しやすいように、まずは私達の目的から話すことにしよう」
目的?
「えっ、あぁ」
「私達は『獣の狩人』。文字通り獣を狩り、世界に救済を齎そうとしている組織だ」
はっ?
獣を狩るだって!?
「なっ! 何を言ってる!? あれは人間なんだぞ!?」
仮面の裏で溜息を「はぁ……」と吐きながら、羽鳥は大きな黒いマントをはためかせて、前方に向き直る。
落胆したと言うような溜息だった。
俺が間違ってるって言いたいのかよ?
「元は人間でも、既に獣と化した者は戻れない。君も獣化については無知という訳では無いのだろう?」
人間には二度と戻れない不治の病、それが獣化だ。
何回か国同士で協力して、獣を捕らえて治療するというニュースもあるにはあったけど、どれも上手くいかず仕舞いだったらしい。
捕らえられた獣は、何故か一週間が経過した直後、黒い塵をその場に残して、忽然と姿を消してしまったと聞いた。
だから10年間も末路が分からずに、警察や自衛隊は獣を殺すしか手が尽くせなくなった。
それがあったから、俺は獣化を呪いだと信じきっていた。
でも……
「俺が殺したあいつは人間に!!」
そうだよ……!
あの黒い獣はそんなんじゃなかった!
塵を出して体は崩壊してたけど、それは人間に戻る前段階だったんだ!!
「奴は特別だった、それだけだ」
「特別……? 特別って何だよ!?」
特別に人間に戻れた奴だったから、他の獣化した人は殺していいって言うのか!?
それは違うだろ!!
「それでも、獣を殺していい理由にはならない!! それは人殺しとなんら変わらないんだぞ!?」
「人類はお構いなしに獣を殺しているがな。獣と化した人間を救う手立ては無いのだよ。故に、我々も殺すまでだ」
「だけど……」
「うるっさいなぁ!!」
ハートの仮面を付けた女が、俺の言葉を遮るように大声で叫ぶ。
「獣になった人は、あたし達が殺してあげた方が喜ぶのよ!! あんたまだ理解出来ないの!?」
「喜ぶだって!? 当事者でもなんでもない、ただの他人に分かるわけないだろうが!! そんなのお前らの……!」
その時、俺が手にかけてしまった、あの黒い獣がチラついた。
(ゴロ……ィデグレェ……)
「……っ」
(あ……ありガ……と、ォ……)
ハートの女の言った通りに、あの獣は殺されることを望んで、斬られたことを喜んだ。
こいつらが言っていることは正しいのか?