SIDE:アーシュ
私が彼女に出会ったのは、腐れ縁の王太子に聖女伝説の調査を依頼されたからだった。
私は初め、調査対象であるコレットに接触した。彼女は天真爛漫といえば聞こえはいいが、自分の言動がどういう風に捉えられるのか全く想像していない女だった。
あちらこちらで彼女の取り合いが起こっているにも関わらず、媚びた目をして私にすり寄ってくるコレットには、心底吐き気がした。
調査対象であるが故に、完全に嫌われてしまうこともできず、のらりくらりと躱していた時に、コレットに妹がいることを知った。
あの女よりマシなら、そちらから情報を聞き出そう。げんなりした気分になりながら、コレットから聞き出したソニアの居場所を探す。あの女は言った。
「私には妹がいるの、全く表情の変わらない可哀想な子なのよ。いつも図書館の奥で勉強ばかりで、つまらないわ」
なるほど、入り組んだ図書館を一年ぶりに歩く。私も本は好きだったから、在学中はくまなく読んだものだった。奥に行けば行くほど、生徒は少なくなる。
一番奥の窓際の席に、少女が座っている。さらさらとした金色の髪を揺らし書き物をしている。後ろに回り込むと、彼女が読んでいるのはだいぶ難しそうな専門書だった。声をかけようとして、しかしその時、少女がペンを落とした。
何気ない風を装い、拾ってやる。どうぞ、と声をかけると少女は、その無表情だった顔をほころばせて、ふんわりと笑った。——いや、正確には笑おうとした、だろうか。
「難しい本を読んでいるんだね」
どうにも、その歪な微笑みが頭から離れなくて、声をかけつつ様子を見る。
「私にはこれくらいしか出来ませんから」
びっしりと几帳面な字が並んだ紙を見る。ソニアと名乗った彼女は、どうやら姉とは違って勤勉らしい。コレットの知り合いだと名乗ると、そうですか、と返事が返ってきた。
もう少し疑うことをしたほうがいいと忠告すると、お優しいのですねと返されて、なんとも言えない気持ちになる。
「姉は、私とは違って優秀ですから」
彼女の声には寂しさが滲んでいた。人形令嬢とは、一体なんだったのだろう。ソニアにはきちんと血が通っている。私は、彼女が普通に笑うところが見たくなった。努めて優しく声をかけ、彼女の反応を待ち、会話する。
彼女に、コレットの話を振るのはやめた。悲しそうな顔をさせるのは本意ではない。その代わり、調査をしなければならなかったので、そんなに時間は取れなかったが、私は彼女のいる放課後の図書館に通い詰めた。
ソニアは日に日に美しくなる。興味のある話題を振ると、頬を紅潮させ瞳が輝く。
「アーシュ様、ありがとうございます」
いつだったろうか。その瞳に恋を見つけたのは。ソニアは私に恋をしている。気付いた時、この身を打ったのは震えるほどの喜びだった。
包んであげよう君を。優しく優しく包んで、私しか見えないようにしてあげる。
それの仕上げに、私はコレットの卒業パーティーを選んだ。
卒業パーティーの日付は、聖女候補の刻印が現れるとされている日だ。その日は本質が見えるという。あの女はきっと破滅する。ソニアの殻を打ち破るにはもってこいだと思った。
飛び出したソニアを追いかけ、走る。よりによってなんという事をしてくれたんだ。ソニアが傷つく可能性を考えなかったわけではない。だが、あの女は性根から腐っていた。
女神像の元で彼女は泣いていた。後ろ姿は頼りなく、儚かった。消えてしまいそうなくらいに。
驚かさないように足音を消してそっと近づく。
「どうしていつも言えないの」
震えている背中を抱きしめたくて、でもその後に続いた言葉に息を飲んだ。
「アーシュ様……ごめんなさい。好きでした。あなたが好きだったんです」
振り絞るようなそれを聞いた途端、もう我慢できなかった。腕を伸ばして、ソニアを抱きしめる。
「残念。過去形、なんだね」
自分でもよくもこんなふざけた軽口が返せたものだと思う。
自分の前でだけ心情を吐露する少女が愛しくてたまらない。
「私のこと、好き?」
これを聞いたのは、別に意地悪したわけではない。彼女が逃げたいと望むなら、逃がしてあげる最後のチャンスだった。
でも、
「……好きです」
彼女は逃げなかったから、
「私も、ソニアが好きだよ」
私はきっと情けない顔をしているはずだ。そっと彼女にキスを贈る。出来るだけ、優しく、逃げられないように。もう、逃がしてあげられそうにないが。
戻ろうと誘えば、彼女は素直についてくる。全く可愛いなぁ。
ホールに入ると、彼女は緊張しているようだった。顔から表情が消えている。
一曲めが終わって彼女の緊張をほぐそうと抱きしめる。無表情のまま腕に収まっている彼女は本当に可愛い。
「次が終われば、もう逃げられないよソニア」
逃す気なんてないのに囁けば、
「アーシュ様こそ、逃げられませんよ」
と返事が返った。逃げるつもりなんて欠片もない。ああ、でもその表情は反則なんじゃないかな。
「わかってるよ。愛してるよ、ソニア」
「……大好きです。アーシュ様」
注目を集めたままの2回めのダンスを終えれば、王太子からの拍手。その拍手は、だんだんと人々に広まり、大きくなっている。私たちは祝福されている。私はとびきりの笑顔をソニアに向けた。