#07. 魔女の家(4)
「レイシィ。あなたに協力はしてもらったけど、この子を拾ったのはわたしよぉ?」
ベルガが口をとがらせる。
間延びした口調は変わらないが、杖を構え、目つきが鋭くなっている。
「まあ、その主張はもっともね」
レイシィは答えながら、眼鏡を外す。細い鎖でつないであって、首から下げるかたちになった。
眼鏡をはずしただけ。それなのに、レイシィのまわりに威圧的な空気が生まれる。
リオンを見れば、もっとあからさまだ。手に握っているのは、投げナイフだろう。
──……ええー? コワイ。
つぎの瞬間、ベルガとレイシィのあいだで、見えない力がぶつかった。
はたで見ているイツキが、たじろぐような圧。
杖をかざしたベルガと、レイシィのあいだで、気流のようなものが渦巻いている。
目を凝らすと、くっきりしてきた。
空間に、色のついた砂のような、細かな粒子が見える。
レイシィの周囲には、緑と金。
ベルガの方は、杖の先端に青い燐光を集めている。
両者は色のついた粒子を操っている。ちょうど、磁石で砂鉄を吸い寄せるように。
なぜ自分にこんなものが視えるんだろう、と考えて、イツキは思い至る。
眼鏡の、《ものを視る》機能が拡張されて、視えざる力の流れが、視えているのだろう。
刻々とかたちを変えてうねる力の流れは、互いの隙をうかがっているようだ。
「魔女の杖は、軽々しく人に向けていいものじゃないわよ」
言い終わると同時に、レイシィは左の手のひらを前に突き出す。
粒子が、瞬時に収束し放たれる。
ビーム光線的なそれを、ベルガは左手で受け止めた。その手から粒子が薄く、盾のように拡がっており、それに阻まれた光線は、ぱきーん、とでもいったような高音とともに霧散した。
「軽はずみに発砲したのはあなた」
言葉とともに、右手の杖を薙ぐ。
杖の途中から、水銀のようなものがからみつき、稲刈り鎌に似た形状に伸びて、その刃がレイシィの首を切り裂いた。
しかしレイシィの姿は、液体のように揺らめいてかき消え、ベルガの側面に出現する。
そして不敵に笑んでみせた。
「よく狙いなさいな」
ベルガは舌打ちして向きを変え、リオンに背中を見せた。
びゅ、と風がうなる。
放たれたナイフはしかし、ベルガのうなじに突き立つ寸前で、鞭のようにしなる青い光に弾かれて。
軌道を逸らされ回転し、壁に刺さった。
「ちょっとぉ……本気で、投げたわね?」
ベルガが杖をおろしたとたん、張りつめていた空気がゆるむ。
無防備に、レイシィに背を向けて、ベルガは壁に刺さったナイフを引き抜くと、リオンに放り投げる。
「ババアもわりとマジだったろ?」
ぱし、と受け取りながらリオンが応じる。
「若いのに、冗談も通じないのねぇ。二対一で正面から仕掛けるわけがないじゃない」
「ま、そうでしょうね。互いの手のうちを知っているわたしたちで争っても、長引いて疲れるだけだし……」
レイシィも眼鏡をかけなおした。
「でも、不満は不満なのよぉ?
お金持ちの後ろ盾があるあなたとちがって、わたしはかつかつなんだから。
その子、レイシィに譲ってもいいけど、わたしの取り分をちょうだいよ」
「わかってる。かけひきするほど、知らない仲でもなし……銀貨七〇枚でどう?」
「冗談! 倍よぉ、一四〇」
「八〇よ、業突張り」
「一三〇」
レイシィは、ため息を吐いてから言った。
「一〇〇。これで納得できないなら、それこそ本気でやりあうしかない」
「……ま、妥当だわぁ。成立」
そう聞くと、レイシィは外に出ていった。
イツキはあとで知ったことだが、外の馬に金を積んであったのだ。不用心なようだが、魔法で防犯対策をしてある。
取引相手の姿が見えなくなると、ベルガはほくそ笑んだ。
「邪教徒に売るより、得しちゃったかもぉ。
でも、その子にそんな価値があるのかしらね。リオンも、いいの?」
「銭勘定はレイに任せてるからな。
あたしは用心棒であって、金はこていく……? アレだし」
リオンは投げナイフをもてあそびながら、興味なさそうに答えた。
固定給、と言いたかったのだと思う。
別れぎわ、ベルガはレイシィに言った。
「もう一〇年以上経つ。話したように、カヴンの連中に訊いても手がかりはなし。
まぁわたしの情報網なんてたいしたことないけれど。
さすがにあきらめた方がいいんじゃないかしらねぇ?」
「わたしには彼女が生きていることがわかるの。
償わないわけにはいかないわ。
それよりあなたこそ、夜魔は退治されたらしいけど、当分村人は気が立っているでしょうから気をつけなさいよ」
ベルガは片方の唇の端だけ吊り上げた。
「ええ、また顔を見せにいらっしゃい。つぎもロイヤルで負かせてあげる」
レイシィは少し苦笑して、「じゃあね、元気で」と軽く手を振った。
◆
かくして、イツキの所有権はレイシィに移った。
「しかし、平然と人身売買してマシタよねー」
「イツキの国ではどうか知らないけど、こっちじゃ日常茶飯事よ。ふつうの奴隷で、相場は銀貨六〇枚くらいね。
言っちゃ悪いけど、イツキの外見では、タダでも買い手がつかないでしょうけど」
「あたしら獣人だって、安く買い叩かれるからなー。腕っぷしなら、人間よりも強いのにさ」
リオンがフォローというか、補足する。
「ベルガがあなたを邪教徒に売ったとしても、あの人たちもまずしいから、まあよくても八〇枚くらいの稼ぎを想定していたはずよ。
わたしはあとくされがないように、ちょっと奮発したわけ。意味、わかる?」
「え? ハイ。ベルガさん……ベルガは、予想より二〇枚、儲かったワケデスよね」
道理でほくほくしていたはずだ。
レイシィはちょっと、意外そうな顔をしていた。
訊けば、出自が商人か、かなり上流階級でないと、教育を受ける機会はないらしい。
もしくは、レイシィやベルガのような、フリーランスの実力主義者であるか。
イツキは自慢ではないが、ひきこもりとはいえ、三桁くらいまでなら、乗算、除算もそらでできる。
これはこちらの世界では、ちょっとした特技になるようだ。
それに、語学力と識字……。
ないよりマシだが、地味なスキルであることは否めない。
「そういうことだから、あなたには銀貨一〇〇枚。
いえ、手間と時間、諸々、込みで、最低でも一五〇枚以上の利益を生み出してもらわないと困るの。
のんびりしてたら、どこかに売り飛ばすわよ?」
レイシィあらため新しいご主人さまは容赦なく無茶振りしてくる。
こっちには地味なスキルしかないというのに。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#07. 城塞都市ブライヒェン、3月13日(金)更新予定。
内容としては、イツキが、レイシィとリオンに連れられて、近くの大都市に行きます。手当てを受けたとはいえ、義足を作らないといけませんので。領主さまに会えたりは……しません。