#04. 魔女の家(1)
熱いような、寒いような。
口のなかがねばつき、からからに干からびて、不快な汗にまみれている。
それでいて、凍えるようにガチガチと歯を鳴らしている。
頭のなかで、血膿のような色彩がぐるぐる渦巻いている。
熱さと、寒さと、吐き気と、痛みが、波のように寄せては返す。
まるで発情期の猫の鳴き声のような、奇妙な声が耳につく。
……と、思ったら、それは無意識に苦痛を訴える、ほかならぬ自分が発しているものなのだった。
意識が不規則に飛び、時間の感覚が狂う。
唇は無残なほどひび割れて、顔色は蝋のよう、目の下のクマばかりどす黒く。
これで、かすかに胸が上下していなければ、土葬されても文句は言えないようなありさま。
◆
焦点がぼやけて、遠近感がおかしい。
ぐにゃぐにゃにゆがんで見える。
やがて、徐々にピントが合って、自分が見ているものが、薄暗い、木材を組み合わせた粗末な天井であることに気づいた。
首を横に向ける。
人がいる。なんとなく、女性であることがわかった。
「……ぅぅ……」
それだけの声を出すのが、重労働だ。
けれど女性は、気がついたようだった。
「お飲みなさい」
木製の椀を当てがわれ、とろりとした液体が口に流れ込んでくる。
一瞬、舌がしびれるほど苦いのに、そのあとは不思議とマイルドな口当たりで、ミントのような清涼感が鼻に抜ける。
飲み終えると、わずかながら、力が回復したような気がした。
「ここは?」
気のせいではなかったようだ。
かすれているが、ちゃんと声が出せた。
「わたしの、おうち」
そう答えた相手を、イツキはしげしげと観察した。
三〇代くらいに見えるが、年齢不詳の印象がある。
やや鷲鼻で、薄い唇。
消炭色の髪を無造作にたばねて、右肩から前に垂らしている。
左目は義眼なのか、黒っぽいガラス玉のようだ。ウロコ状のめのうにひび割れており、率直な印象としてかなり不気味だ。
──魔法使いのおばあさん、ってカンジ?
──イヤ、髪の色で老けて見えるダケで、おばあさんはナイわ。失礼失礼。
──ともあれ。
「自分を、助けてくれたんデスよね?
えっと、ありがとう、ゴザイマス」
なんとか最低限の礼を述べた。しゃべるだけで、ひどく消耗し、気を抜くと、ふうっと意識が飛びそうになる。
貧血に似た症状だ。というか貧血なのだろう。
しかしまだ訊きたいことがあった。
「あのー、自分、どのくらい、寝てたんデスかね?」
相手は、無反応だった。
聞こえなかったのかな、とイツキがいぶかしんだころ、返答があった。考えていたらしい。
「四〇日……もっとかしらぁ?」
そんなに長いこと、生死の境をさまよって、この世界の医療技術でよく助かったものだ。
なにか回復魔法的なもので世話してもらっていたのだろうか。
「お友だちを、呼んだのよぉ。
たぶん、じき、着く」
それだけ言って、相手は口をつぐんでしまった。
名前を訊けば、ベルガと、短く名乗ってくれたが、それ以降は会話に応じてくれない。
──コミュ障デスか? みょうに間延びしたしゃべり方だし。
──イヤ、自分が言うのもナンデスケド。
そのまま、たぶん一週間くらいがすぎた。
不規則に寝たり、起きたりをくりかえすので、時間の流れをおおまかにしか把握できない。
体が火照っていると同時に、悪寒が治まらなかった。高熱が下がらないようだ。
イツキは、上半身を起こすだけの力も入らず、待つことしかできなかった。
意識がある時、例の、謎めいた液体を与えられる。
なぜかトイレを催さないので、助かった。ふつうの食事をとっていないせいだろう。
◆
目を覚ますと、だれかが自分をのぞき込んでいた。
「お? 起きた起きた」
ベルガ……ではない。
緑黄色の髪を、いわゆるツインテールに編んだ、若い女性。丸眼鏡をかけている。
「わたしはレイシィ。よろしくねー」
「あ、ハイ。イツキ、デス」
レイシィは、眼鏡の位置を直すようなしぐさをして、気の毒そうな表情になる。
「さて、イツキ。いきなり悪い話なんだけど、急を要するからさ。
左足、どんな感じがするかしら?」
そう訊かれて、気がついた。ひどく……かゆい。
考えたくもないが、水虫になったらこんな感じなのかなと思った。
「うんうん、そういう錯覚が生じるって聞いたことがあるよ。
でも、そんなわけないわよね。あなたの左足はもうないんだから」
そのとおりだった。幻肢痛、というやつか。
「それで、その、残念ながら、化膿がひどい。
あ、ベルガの手当ては、ちゃんとやってくれてたんだよ? でなければ、とっくにあなた、死んでるから。
ただ脚は、ちょっとその、処置がいる。
荒療治だけど、放っておくと熱も下がらないし、けっきょく死んでしまう」
狭い小屋のなかに、腐ったパイナップルみたいな悪臭が満ちていた。
これが、自分が発しているものだと理解して、羞恥心を覚える。
しかしそれ以上に気になるのは……。
──処置トカ、荒療治トカ、言いマシタ?
ものすごくイヤな予感がしてくる。
とたとた、と軽い足音が近づく。一瞬ベルガかと思ったが、また、知らない人間だ。
小柄なイツキよりも、なお低いくらいの背丈。ぱっと見、一二歳くらいの少女に見える。
だがその顔は、おおむね、少女の顔立ちだが、いささか目が大きすぎた。
対照的に小さな鼻の、すぐ下に口があり、鼻と口のあいだ、上唇部に亀裂がある。
もふもふした耳は、人間のものより明らかに大きく、水平にぴょこんと飛び出している。
ちゃんとというべきなのか、よく見るとしっぽも生えている。
人間ベースではあるものの、猫、あるいは犬に似ていた。
──ああ、そーゆー、ね。獣人、とでも呼ぶのデショウか?
「レイ、準備できたよ」
そう言って、獣人の少女は戦斧をかざす。柄は短めだが、刃が両側についているタイプで、見るからに禍禍しい。
その刃はじゅうぶん熱してあるようだ。暖炉の火で炙っていたのだろう。
「このリオンは、刃物のあつかいはだれよりじょうずだから、安心して任せていいよ」
レイシィはイツキに笑顔を向けるが、やはりどことなく、気の毒そうだった。
「おう! 任せろ!」
リオンはなぜか嬉々として、ぶんぶんと斧を素振りする。
「……はぁっ……」
イツキは目を閉じた。全身が、冷たく総毛立っている。
「ひざよりも下。すねの中央から、やや、ひざの方に近いくらいの位置で」
「ん、このへんな? じゃ行くぞ」
レイシィの指示を受けて、リオンは気負いなく、斧を振り上げた。
「まままま待って待って待って」
泣きそうな声が出た。
「うん? 待つのはいいけど。イツキ、っつったっけ。
怖がってる時間が長引くぶん、損だと思うが」
斧を両手で構えたまま、耳をぴこぴこ動かしながらリオンが言う。
「それは……そうデスケド……」
あの、夜魔に、足首を切断された時の記憶がよみがえる。
──無理、ですって。ゼッタイ、二度も耐えられナイ。
「わたしが見たところ、あなたはまだ体力が回復していない。
ショック死することはないでしょうけど、たぶんすぐ意識が落ちるわよ。
痛いのは、一瞬、がまんすればいいから、ね?」
「先に、意識を落とすか、感覚をマヒさせる薬とか、魔法とか、ナイんデスか?」
イツキは、レイシィにすがるような目を向けた。
「なくもないけど、わたしはあなたの体質……魔法耐性をよく知らないし。
感覚阻害系の魔法は、注意しないと後遺症が残る危険があるからなるべく」
レイシィが言い終わる前に、イツキの足元から、脳天まで突き上げるような衝撃がつらぬいた。
リオンなりに気を利かせたのだ。
「がっ……あ……──」
高圧電流を流されたかのように、イツキの体は二度、びくん、びくんと跳ねてから、白目を剥いて気絶した。
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【次回】#05. 魔女の家(2)、2月21日(金)更新予定。