#10. 老師(2)
【3261字】
「しかし先生、自分、すでに五〇人、罪のない人を殺害してマス。
ワタシなんかが生きていてもイイのデショウかねー?」
「その答えをすでに出しているからこそ、こんな老骨に師事するのであろう?」
そのとおりだ。他人に訊くようなことではない。
だまって死なないのなら、すでに生を選んでいるということだ。
ただ、自分の存在をだれかに肯定してほしいだけだった。
だが、アズィズが肯定したところで、イツキは、自分が楽になることを許せないだろう。
夜魔の記憶と衝動も、否応なくイツキを苦しめつづけるだろう。
愚問だった。
◆
魔法がこの世界で重用される、ある意味ではもっとも重要な用途。
それは遠隔通信手段である。
魔法通信に先立って、この世界は物質界と非物質界に分かたれるという概念がある。
非物質界に《潜行》できなければ始まらない。
体を、安全で、安心できる場所に横たえて、目を閉じる。
一本の線を引き、その上に立つ自分を想像する。
その自分が、自分そのものと感じられるほど、集中する。
なにもない空間に、リラックスして直立している自分、その足下の地面さえ、リアルに感じられるほど、集中する。
こうして自我の置き場を、肉体から霊体にシフトする。
そのあと、後ろに倒れて《潜行》するのだが、これがかなりむずかしい。
現実に、直立したまま、全身の力を抜いて、後ろに倒れるのとおなじことだ。
つい、バランスを取ろうとしたり、無意識に体をこわばらせたりしてしまうだろう。
だが無意識の抵抗が生じているかぎり、《潜行》は成功しない。
うまく落ちれば、横たわる自分の体を見下ろすことができる。
霊体で移動するにはコツがいり、慣れるまでは水あめのなかを泳ぐように不自由だ。
しかし慣れれば、速度は向上し、周辺を偵察することができる。
他人の霊体に攻撃して意識を奪うこともできるし、自分の魔法耐性も高まる。
アドレスを知っている場所には、瞬時に移動することもできる。とはいえ長時間、肉体を離れるのは危険なのだが。
魔法使い同士で《霊絡》、つまりアドレスを交換するためには、左手に切り傷を付けてから、握手して、血を交ぜる。
イツキとレイシィは《霊絡》しているはずだが、イツキは無属性であり、アドレスを読み取れなかったので、レイシィは困惑していたのだ。
物質界に《帰昇》するのも、《潜行》同様に練習がいる。
最初イツキはうまく行かず、アズィズのフォローがないと肉体にもどれなかった。
最低限、意のままに《潜行》と《帰昇》できるまで、訓練した。
これだけできれば、応用は、これから独学していける。
いちいち《潜行》までしなくても、《霊話》はできるのだが、そのためには、先んじて理論と、物質界と非物質界の行き来を体感しておく必要があるのだった。
◆
最後に学んだのは、攻撃である。
もちろん、ちゃんとした攻撃系統の魔術ではなく、プレーンな魔力をぶつけるだけでは、効果は薄い。
それでも練習と工夫次第で、かなりの力を引き出せる。
適当な岩石に、左手をあてて、接面から送り込むように力を解放する。
〝発動〟の技法のひとつ、《魔掌》。事前にどれだけの力を貯めていたかにもよるが、岩石に細かなヒビくらいは入れることができた。
殴りつけるように力を送る《魔拳》は、タイミングがむずかしくなるが、もっと出力が上がる。
慣れれば、相手を失神させる、スタンガン程度の威力は見込めるらしい。
しかし、魔法を使う利点は、なんといっても遠距離攻撃だ。
単純にリリースするだけでは、数メートル先の相手を「見えない手で、どんと突き飛ばす」くらいがせいぜいになる。
だが、指先から一点集中して力を放つ《魔撃》では、弓矢で射抜く程度の破壊力を得られる。
チャージ完了までの時間短縮や、精度が向上するまで、何百発も撃った。
いちど、ほんの少し気がゆるんでおり、暴発させてしまった。
人差し指の先に激痛が走り、見れば、指先が黒く焼け焦げて、爪がほぼ剥がれかけていた。
イツキはその爪を噛み、ぶちりとむしり取る。痛みは、油断した自分へのいましめだと思うことにした。
それ以降は、しばらくほかの指で練習した。
剥がれた爪がもとどおりに生えるころには、三メートルくらいの距離なら、かなりの精度で狙った箇所に着弾できるようになった。
同時に、《防壁》も教わった。
手のひらから、魔力を、盾のような形に、練りかためて伸ばす。
これは攻撃よりずっとかんたんだった……強度を高めるには、まだまだ訓練が必要だが。
◆
今朝は、いつになく空が曇っている。
こんなことはめずらしい。
ともあれ、気の滅入るような曇天でも、日差しに照りつけられるよりずっといい。
イツキは、アズィズの目の前で、指示に従い、ひととおりのことをやってみせる。
その結果に、老師は満足した。
「私に教えられるのはここまでだ。
最初で最後の弟子は、まこと優秀であった」
「は? ソレはどーゆう……」
おおきな岩石にもたれているアズィズは、おだやかな視線をイツキより遠くに向けた。
イツキが振り返ると、ハーラル、それにふたりの若者……たしかオロフとイブールが近づいてきていた。
「アズィズどの。期日までの首尾はどうでしたかな」
「上々じゃよ、ハーラル祀長。
そのふたりはなすべきことを心得ておるようじゃな。
私は黙っていたはずだが?」
オロフとイブールは、無表情に、穴を掘りはじめた。
イツキはわけがわからないものの、ふたりのこわばった顔は、悲しみをこらえているせいだと気がついた。
ハーラルが苦い笑いを浮かべて、答える。
「わしもすっかり年をとった。頭のめぐりが悪い。
それでもな、一定期間後に若者をふたりともなって、会いにきてほしいと言われれば、さすがにわかったよ。
あんたの強がるくせは、むかしから変わらぬ」
「引き伸ばしても先が見えておったのでな。
私の夜がくる前に、最後の仕事はなにかと考えた。
それはもう、成った。
自分の蒔いた種がなにを生み出すか見とどけることはかなわぬが、良きものと信じておる」
ふたりの会話を聞いていると、なんとなく事情がわかる。
どうやらアズィズは化けミミズの攻撃を受けた時点で、自分が致命傷を負ったと悟っていたらしい。
死期に、ハーラルに迎えを頼んでおいてから、イツキをともなって荒野に出た。
魔術で自身を延命しながら、自分が感じている苦痛を隠して、なに食わぬ顔でイツキに指導した。
──うん。ハイ。ナルホドね。
状況は理解できても、感情がともなわず、イツキは突っ立っている自分がただ間抜けに思えた。
アズィズは、安らいだ表情に、しかしいまやくっきりと死相を浮かべている。
「光のなかで視えざるものが、闇のなかで視えることもある。
人は太陽にあざむかれ、夜に救われることもある」
声が聞き取りづらいので、イツキは近寄り、ひざまずいた。
「世界がいかなさだめをそなたに課すとも、まことの善にして大いなる御旨にゆだねよ。
おのれの力をうたがい、にごった目で見てはならぬ。
見えるものがすべてと決めつけてはならぬ。
さすればそなたの力は、本当にこの世に呪いと災いをもたらすものとなってしまう」
「イヤイヤ、自分そんな大層なモンじゃナイってか、ただの人殺しッスよ」
思わずさえぎってから、あ、こういうところがKYってかコミュ障なんだよなーワタシ、と反省する。
ここは雰囲気的に、だまって神妙に聞く場面だろう。
が、アズィズにはもうイツキの返答は聞こえていないようだった。
「よいか。ゆめ忘れるな。
われわれは選ぶことはできるが、支配することはできん。
そなたの力も……」
老人はそこで激しく咳き込み、言葉をつづけるだけの体力を使い切った。
イツキを見上げ、最後に苦笑いを浮かべてから、低く深く吐き出す息とともに、表情からなにかが抜け落ちていく。
かすかに震えていたまぶたが静止すると、アズィズはもうどこにもいなくなっていた。
イツキは気まずいみたいな思いで、少し言葉をさがしてから、
「お世話になりました」
ぽつりとそれだけ呟いて、師の埋葬に立ち会った。
曇天はいつしかちいさく硬い雨粒を落とし、四人の邪教徒と枯れた地を濡らした。
次回から不定期更新とします。
更新予定や近況は、活動報告でお知らせ致します。
完結までおつきあいいただけると幸甚です。