#08. 邪教徒(3)
【3063字】
ハーラルは比較的広い自分の住居に、負傷のひどい者たちを運び込ませた。
アズィズも、化けミミズの最初の一撃を受けているのだが、
「わしはなんともない。こんな時のために魔術を修めておるのだ。
祀長、それよりも負傷者を助けねばならぬ」と、ハーラルとともに治療にあたった。
どうにか、死者は出さずにすみそうだ。
ほかのことは、オロフとイブールをリーダーに任せておけば、問題ないだろう。
もともとまずしい集落に、化けミミズの襲撃は痛手だった。
だが、軽くてすんだともいえる。
緊急性のある仕事がひと段落すると、当然ながら、イツキという異邦人をどうあつかうべきかが問題になった。
オロフは、
「あれはきっと荒野の悪魔だ。殺してしまうか、そうでなくても追放するべきだ。
夜魔をわれわれにけしかけて、皆殺しにする気かも知れない。
化けミミズだって、あの女が呼びよせたにちがいない」と主張し、
イブールは、
「いや、彼女は夜闇を統べる方の使いだ。あのお姿を見れば明白だ。
化けミミズを撃退できたのも、あの人のおかげではないか」と述べる。
この両者に賛同するものが、だいたい半分ずつおり、結論が出ない。
やがて、これまで沈黙を守っていたアズィズが言った。
「とにかく、私が本人と話をしてみよう」
有無を言わせぬ口調で、同伴者も断った。
アズィズの人望は厚く、異を唱える者はいなかった。
◆
イツキは溶けたアイスクリームのように笑みくずれている。
幼稚園児くらいの男の子の目を、両手の親指で圧しつぶす。
右の眼球を突き破り、左の眼球はつるりと逃げた。
腕のなかでかわいらしく跳ねる子どもの体を、その母親に向けて突き飛ばし、返してやった。
母親は、我が子を抱きとめて、潰れた眼球を押しもどそうとするが、すべってうまくいかず、眼窩からは泡立てられた桃色と灰色のクリームがあふれてくる。
ああ、ああ、大丈夫よ、大丈夫だからねと母親はくりかえし、イツキが近づいても反応しなかった。
その首筋に陶器のかけらを立てて、切り開く。それでも彼女は我が子の名を呼びつづけていた。その口から出るのは言葉ではなく、もう血泡だけなのに、ごぽごぽと我が子の名を呼ぶ。
ランタンを倒して仕上げを炎にまかせ、イツキは外に出る。
まだまだ殺し足りない。
口の端に興奮した馬のように泡を溜めて、奇怪な中腰で、義足の不自由を感じさせない異常なバランス感覚で機敏に動き、つぎの獲物をもとめる。
……──。
自分の悲鳴で目を覚ました。
ただの夢ではなく、ラグナの町で起きたことの記憶の一部だとわかっている。
死ぬまで安眠は許されないのだろう。
前よりも厳重に拘束されて、倉庫のすみに転がされていた。
コリーとメラニーの姿はない。
──一服、ヤりたい気分デスが。
いまは後ろ手にしっかり縛られているので、ポケットから煙草を取り出すこともできなかった。
どのくらい時間が経ったのかわからない。
やがて、人影が姿を見せた。
フード付きローブのせいで近づくまでわからなかったが、アズィズだ。
一瞬、顔色が悪く見えた。
彼は骨製のナイフで、荒縄を切ってくれた。
イツキはこすれて皮が剥けた手首をさすりながら、礼を述べる。
ついでに煙草を吸ってもいいか訊いてみるが、これは残念ながら却下された。
「そなたの処遇を決めかねて、集落は困惑しておる。
いくつか質問に答えていただきたい」
それはそうだろうと思っていた。しかし予想よりはずっと穏便だ。
極力、アズィズに好印象をもたれるようにふるまえば、解放されるかも知れない。
「夜魔を使役し、黒い髪をもつ、あなたはいったい何者なのか?」
直球だった。
アイデンティティ・クライシスのまっただなかにある人間に、このうえなく答えにくい質問である。
「……はてさて、ワタシは人か魔か?
自分でもよくワカリマセン。
そもそも異世界からきたので、こっちの常識さえおぼつかナイのデス」
「それは、常闇の国から来られたということか?」
イツキの言う〝異世界〟を、また、この人物なりの文脈で解釈されている。
どう答えるべきか、迷っていると、重ねて問われる。
「闇夜と冥府を統べる方がとうとう、この世の調和をとりもどすために、あなたを遣わされたのか?」
話がおおきくなっている。
まあ、プラス方向の誤解なら、あえて訂正しなくてもいい気もするが、できもしないことを期待されるのはこまる。
へたなごまかしを口にして、あとでぼろが出たら、その方が心証が悪いだろう。
「えーとデスね、ご老人。
ワタシがこの世界にいるのは、自分の意思ではアリマセン。
ダカラ、もしかするとその、神サマの意思かもシレマセン。
しかしそうだとしても、いったい神はワタシになにをお望みなのか? 自分にはワカラナイのデスよ」
アズィズは考え、考え、ゆっくりと口を開いた。
「ふむ……そなた自身にわからぬことは、私にもわからぬ。
ただ、夜魔を使役する力をもつ者には、なにがしかの役割があるのであろう。
この集落には、そなたを恐れている者もいる。
そこでどうであろう、もしも当てがないのなら、しばし私とともに荒野に出るのは?」
──んっ? 自分さがしを手伝ってくれるってコト、デスかね。
──怪しまれたままここにいるより、ずっとマシかも。
イツキはけっきょく、アズィズに弟子入りすることになった。
ちなみに、コリーとメラニーのことを聞くと、ミミズ退治に協力した功績が認められ、解放されたそうだ。
ただ、魔動車の修理に時間がかかり、しばらく集落から動けそうにないらしい。
◆
アズィズから、いまや邪教徒のあいだにしか伝わらない、裏の歴史を教わった。
邪教徒たちは秘密主義なので、こんな機会がなければ、イツキが知ることはできなかっただろう。
知識欲のかたまりみたいな性格だったレイシィにさえ、教わることのなかった話だ。
アズィズは、若いころ、パルノー市立学院を卒業しているらしく。
ということは、火層階級であったわけで、どのような人生を経ていまに至るのか、話せば長い物語があるのだろうが。
とにかく、老師の説明はわかりやすかった。
光の五柱神とは、天のエルブロ、地のエルガーナ、そしてそのあいだに生まれた三人の子ども、アギオ、ゼフィーロ、マリアナだ。
では、夜の神とはなんなのか。
もともと古い神話では、いちばん最初に生まれた娘がいたのだ。
しかしその子は、黒髪であることが忌まれ、じつの親である神によって殺された。
彼女は地下にくだって国を作り、痩せた娘の姿のまま、不遇なる死者たちの神となった。
「その御名を、暗冥神ンザヴェイラという」
かつて、世界の四大国、バルデン、ランシール、ルナキア、イスペルタは争っていた。
鉄と炎の時代であり、また多神教の時代でもあった。
その当時は、ンザヴェイラ信仰は正式に認められていたし、〝第六の元素〟冥をあやつる魔術も使われていた。
しかし、約一五〇年前、四栄和平条約が締結され、超国家的な聖教会が創立された時。
聖教会は、ンザヴェイラ信仰を禁忌とし、その名を口にすることも、書き記すことも厳重に禁じた。
ンザヴェイラも、五柱神以外のその他の神霊もすべて、表の歴史から抹消された。
邪教徒と呼ばれる者たちは、共同体ごと、それぞれの〝褪せし神〟を崇拝しており、生活様式も異なるが。
共通して、他の〝褪せし神〟を尊重するとともに、ンザヴェイラには格別の篤信をおいている。
夜魔という災いは、ンザヴェイラ、他の神々、それに不遇なる死者たちの魂が怒っている証であり、破滅のさきぶれである。
正しい信仰、世界の調和をとりもどすことが、救いに至る唯一の道である……という信念をシェアしている。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#09. 老師(1)、9月25日(金)更新予定。
内容としては、魔法の基礎の説明。どこかのタイミングで、くわしめに書きたかったんですよね。




