#05. 荒野(4)
【2,566字】
あてもなく歩きつづけていると、先が、途中で切り立った崖になっていた。
崖下まで、たっぷり三〇メートルはある。
そこから、遠く、細く煙があがっているのが見えた。どうやら村があるようだ。
しかし村はどうでもいい。この高さが重要だ。
これはひょっとして、手っ取り早い解決策かも知れない。
ポケットからナイフを取り出し、自分の腕を、無造作に切り裂いた。
血液は、まだ黒っぽく、粘度があるが、前よりは人間らしい赤みがもどっている。
再生にも時間がかかった。
ちょっとやそっと、再生力があっても、ここから飛びおりれば、さすがに即死だろう。
運悪く、生きていても、全身の骨が砕け、ぐしゃぐしゃに損壊しているだろう。けっきょくそのまま死ねるだろう。
──おい……? なにを考えてる。
──やめておけ。そうカンタンには死なねェゾ。
ゲリが、思念を送ってくる。
日中は影から出られないため、この方法でしか対話できないのだ。
その思念には、焦りが感じられた。
たしかに、自分で思う以上にこの肉体はしぶとくて、苦痛が長引くかも知れない。
それでも、やはり死ねる可能性が高い。
ゲリの焦りが、かえって裏づけを与えてくれた。
終わりの見えない悪夢から脱け出す可能性があるのなら、どんなことだろうと、ためしてみる価値はある。
──やめろバカ野郎! オマエが思ってるよりずっと、死ぬのに時間がかかるぞ!
──わかってねェ、イツキ、必ずオマエは後悔する、やめておけ!
──……ほざいてろ。
この世界には、死後の地獄は存在するのだろうか?
もしあるのなら、そこが自分の居場所に相応しい。
崖っぷちに立ち、イツキは薄く笑みさえ浮かべながら。
一三階の屋上に相当する高さから、重力に身をまかせていく。
その時、ポケットのなかのスマコンから、着信音が鳴った。
転落寸前だったイツキは、重心を後ろにもどしつつ、両腕をばたばた振りまわして、あやうく姿勢を立て直す。
一息つく余裕もなく、スマコンを出した。
デフォルトから設定を変えていない、着信音が鳴りつづけている。
考える猶予もなく、イツキの指は機械的に動き、画面をタップして、応答していた。
「……キちゃん……生きて……の?……ぶじ……」
ひどい雑音の奥に、途切れ途切れにざらついた声が聞こえる。
男か女かもわからない。
けれど。
「お母さん? もしもし? ……わたしです! 聞こえないの!?」
耳をすませ、声を張りあげる。
けれども通話は途切れてしまった。
こちらからかけようとしても、やはり、機能しておらず無反応だった。
何度ためしても、むだだった。
通話が切れる直前、奇跡のように一瞬だけ、クリアに母親の声が聞こえた。
それは「あなたはなにを……」と聞こえた。
──いや、ほんとうに。自分はなにをやってるんだ?
生きるために殺すこと。
守るために殺すこと。
快楽のために殺すこと。
そして、自殺。
こういったことについて、よく考えたことがなかった。
しかし異世界とか関係なく、これらは思いのほかみぢかな問題だった。
──自殺は……なんかちょっとチガイマスね。
たしかにイツキは無差別殺人犯だし、これからも殺す危険がある。いや、夜魔の本質から言って、確実に殺すだろう。
好きでやるわけではないが、それは殺される側にとってはなんの気休めにもならない。
命を奪うことは、取り返しがつかない。
しかしだからこそ、自分の命についても、慎重になりたい。
いまのイツキには、自殺が、自分にふさわしい罰であるという確信がないのだ。
深く考えもせず、死んでラクになるのはずるい気がする。
といって、罪とは? 罰とは? などとごちゃごちゃ考えることを理由に、生きながらえてもずるい気がする。
自分ではよくわからないからって、神だか、法律だか、第三者の判断にゆだねるのもまた、ずるい気がする。
どうあれ卑劣というか、すでに自分が取り返しのつかない状態だと受け入れたうえで、どれがいちばんマシなのだろうという話だ。
もちろんすべては生者の理屈だ。
死者は、殺人者を怨むことも裁くこともできない。
この絶対的な不均衡と不可逆性が、殺人が悪であるゆえんだ。
このことについて考える時間を得るために、生きて、罪を重ねるという矛盾。
ふいにイツキは嘔吐した。
吐くものがなくなり、黄色い胃液だけになり、それさえ出てこなくなっても、胃袋はけいれんしつづけた。
涙と鼻水とよだれを垂れ流しながら、ゲエゲエとのどを鳴らした。
──イツキ? オマエ、なにをやってるんだ?
──ええホント、ワタシなにやってんですかね。
──そりゃア夜魔でさえ呆れるヮ。
嘔吐の発作がおさまると、とりあえず生きることにした。
そうなると、情報が欲しいし、食料や衣類も必要だ。
人間と接触しなければならない。
崖の上から見える村。
◆
義足を引きずりながら、徒歩で近づけば、何日もかかるだろう。
やむを得ず、ゲリに頼ることにした。
ゲリは、ノコギリのような背ビレを引っ込めて、イツキが騎乗しやすいよう姿を変えた。
こんな奴に体を密着させるのは、心理的には抵抗がある。
それでも、乗ってしまうと、必死でしがみつかなければならなかった。びょうびょうと風がうなり、目も開けていられない。
夜間、限定だが、ゲリがすぐれた移動手段であることは認めざるを得ない。
村、というより集落に近づいた。
イツキの髪は幻術が解けて黒にもどっている。
所持物のなかに、使えそうな布切れがあったので、それを頭巾にして髪を隠した。
それでも、シャツにルームパンツという服装は相当おかしく思われるだろう。
不用意に近づけば、面倒なことになるに決まっている。
いったん夜を待って、偵察することにした。
もちろん常夜灯が光っているので、ゲリは影のなかに隠れている。
建ち並んでいる粗末な小屋の数から判断して、たぶん、住民は二〇人から三〇人。
──皆殺しにするってェのはどうだ? 欲しいものは奪えばいい。
──アナタはソレしかナイんデスか、もーいーからおとなしくシテナサイ。
イツキが知るかぎり、この世界の人間はみんな早寝、早起きだ。
夜間は寝静まっているはず。
なのに……違和感を、はっきりと背後の気配として知覚した時にはおそかった。
ひやりとする金属が、首筋に押し当てられる。
「動くな。おまえは何者だ?」
ゲリに任せれば、嬉々として惨殺するだろう。
そしてそのまま、皆殺しルートに入ってしまう。
イツキは抵抗をあきらめた。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#06. 邪教徒(1)、9月4日(金)更新予定。
内容としては、謎の村で……あ、タイトルに邪教徒って書いてますね。
あと意外な(でもない)人物と再会したりとか。