#04. 荒野(3)
【2,639字】
イツキは荒野をさまよいつづけた。
荒野の、昼夜の気温差は激しい。
むき出しの腕と太ももは、凍てつくような空気にさらされている。
しかしイツキの肉体は変容し、この程度の寒さで体調をくずすことはない。
明け方、曙光が差し込むころ、もっとも夜魔の力が弱まるようだ。
この時間帯だけ、ほんの束の間、比較的安らかな気分でうとうとすることができた。
睡眠時間は貴重だ。
ゲリ自身が教えたとおり、食事や、睡眠が、人間性を保たせる。
ポケットのなかの水と食料は、すでに食べ尽くし、なくなっていた。
飢えて衰弱すれば、意志の力が弱まって、夜魔の制御ができなくなってしまう。
食べなければ。
食べなければ。
そればかり考えながら、幽鬼のように歩く。
日が高くなると、直射日光が肌を焼き、ぬぐってもぬぐっても汗が流れる。
素焼きのように干からびた口のなか、かわいた舌がふくれて上あごに張りついている。
沢を見つけた。
地面に這いつくばって、犬みたいに舌を出し、音を立てて泥水をすする。
無意識に顔がほころんでいた。
おおきな石がある。思いついて、両手で持ち上げ、どかしてみた。
思ったとおり、石の裏に食べものも見つけることができた。
ミミズやナメクジをつまんで、口に入れて噛み潰す。
陰から急に日光を浴びせられ、あわてて土にもぐって逃げようとする。
イツキは苛立ちを覚えながら、湿ってやわらかくなった土を掘った。
ミミズやイモムシ、さらにおおきくて肥ったコオロギに似た虫を何匹も掘り当てることができた。
腹を食い破れば、腐りかけたミルク粥のような味が広がる。翅や肢がのどに引っかかるが、かまわずに飲み込む。
イツキは自分の体が、いまではちょっとやそっとの病気や毒性には耐えられることを自覚していた。
まず、たいていのものは、食べてエネルギー源にできる。
サボテンも、コケも、食べられる。
トカゲやヘビを捕獲できれば、虫より食べごたえがあった。
もちろん抵抗がないわけではないが、自分の体が怪物に乗っ取られる恐怖の方が上回り、また自罰的な気分にもなっていた。
◆
夜になっても、日中、むりに食事しているおかげで、精神の錯乱はまぬがれている。
眠れないことにも、寒さにも、まだ耐えられる。
「やれやれ、みじめだねェ、ご主人サマ」
影から出現したゲリが、苦笑いした。
イツキはそれを無視した。
この世界にも警察に似た組織があることはわかっている。
無差別殺人犯イツキを目撃した人間は、生きていないはずだが、組織は正体不明の殺りく者をさがしていることだろう。
おそらく魔法で捜査している。
組織には、《解析》や《追跡》といった魔術で犯罪者を追う専門家がいるにちがいない。
イツキ……というか中身はゲリだったのだが、犯行の際、魔法を使っていない。
レイシィに教わった〝魔導痕〟は残しておらず、容易には足がつかないはずだ。
しかしレイシィたちが、組織に、犯人がイツキであることを証言して、人相風体を伝えている可能性がある。
たとえば、この世界にFBIのような組織があって、国際指名手配されていたら、逃げるのはむずかしいだろう。
黒髪、義足、色白で痩せた小柄の女。どこに行っても目立ちすぎる。
そんなことを考えていたせいか、ふと狙われている気配に気がついた。
数匹のオオカミだ。
ゲリはとうに気がついており、臨戦態勢でいたらしい。イツキは夜魔が戦うところを、はじめてちゃんと見た。
オオカミと比較すると、ゲリがあらためておおきいことがわかる。クマに近い。
そして速く、柔軟で、しかも形状を変化、伸縮できるらしい。
ゲリは正面を広く薙ぎ払うと同時に、反対側からイツキを襲おうとしていた残りのオオカミを、地面から突き出した杭で串刺しにする。
あっという間に片づいていた。
一匹だけ、即死をまぬがれたが、前脚を両方、斬り落とされて、後ろ脚だけでむなしく地を蹴りながら、あわれっぽく鼻を鳴らしている。
ゲリはいったん、地中に沈む。
その直後、下から巨大なあごを開けて飛び出し、獲物をひと呑みにした。
いまのは、完全に有名なサメ映画のワンシーンだった。
「面白ェ……! オレは強くなってる」
もとの姿にもどって、ゲリは耳まで裂けた口で笑った。
夜魔は、自分が思いつかないようなものには変化できないという。
イツキの記憶のなかにあるゲームや映画のイメージを借りることで、戦い方のバリエーションが広がっているのだ。
「オレは、いやオレたちは特別だ。夜の支配者にもなれる」
「ハァ……。アナタは、楽しそうデスね」
ジト目でしらけるイツキを前に、ゲリはふと落ち着いた口調になる。
「なあ姐御。こそこそ隠れることはない。
これほどの力を持ちながら、なぜ地べたに這いつくばって虫なんか食う必要がある?
村や集落をさがし、殺して食い尽くそう。ニンゲンの食い物も金も奪い取ればいい。オレはアンタを背中に乗せて風より速く走る。だれにも捕まりはしねエ」
真剣に、熱っぽく語りかけてくる。
意外だ。こいつは、徹底的に皮肉屋で、虚無主義のはずだ。
「夜魔にだって寿命はあるんだ。深く地中にもぐっても、日光から完全には身を守れない。少しずつ弱って消えちまう。
だが、オレだけはちがう、イツキの影のなかは完ぺきな安全地帯だ。
イツキの肉体だって、夜の力を受け入れれば、不老不死にもなれるかも知れないぜ」
不老不死ときたか。
イツキの認識では、夜魔は刹那的な快楽主義者で、未来のことなど考えないはずだ。
自分もだが、ゲリもまた、人間と同化するという特殊な体験を通じて、夜魔としてのまともな感覚、いわば正気を失いかけているのではないか。
「ゲリ、アナタは……ナニか目的があるのデスか?」
ゲリは「ある」と即答した。紫の目が興奮に輝いている。
「生きとし生けるすべてのものの最期の吐息を聞くことだ。
世界の終わりを見ることだ。
最後の日没が見たい。オレは神々の黄昏が見たい」
夢見るように、焦がれるように。
「夜と闇の絶えないかぎり、どこへでも行ける。世界の果てまでも。
こんな自由を感じたことはない。
どこまでもいけるだろう。屍の山を越えて、血の海をわたり、どこまでも」
「はい中二病おつ。
水を差すようデスケド、自分はアナタを取りのぞいて、しずかにひきこもるか、ソレがムリなら、うまく死ぬコトしか望んでないのデスよ」
がるるっ、とうなりを発すると同時に、ゲリは瞬時にイツキに肉薄しその眼前ぎりぎりでガチンと牙を閉じた。
イツキは顔色ひとつ変えない。
ゲリは不満げに、イツキを睨みつけていたが、やがて夜明けが近づくとまた影に沈んだ。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#05. 荒野(4)、8月28日(金)更新予定。
内容としては、『荒野』の最終エピソード。イツキの自殺を止めたものは?




