#03. 荒野(2)
【2,623文字】
イツキは、夜魔に「憑依された」などと表現するより、もっと深いレベルで融合してしまったらしい。
そうと理解すると、絶望からかえって理性的な思考が生まれた。
まず、自分と、夜魔の、考えていることが入り交ざって、やりにくい。
はっきり区別をつける必要がある。
「名前を、名乗りナサイ。言葉に出してデス」
しずかに告げると、夜魔は、首をかしげた。
名前などないのかも知れないと思ったが、相手は奇怪なうなり声で答えた。
「ゲルュィーイ゛」
「……それではゲリ、主従関係を明確にしておきマス。
あくまでワタシがマスター、アナタはスレイヴの立場デス。
自分の許可なく、勝手なコトは許しマセン」
「仰せのままに、姐さん。
アンタが主で、オレが従。
夜と冥府の神にかけて誓い、ここに契約する」
ゲリはどこか面白がっているように、あっさり言い放った。
予想していた反応とちがう。信用できるわけがない。
その考えを読んだかのように、ゲリは言った。
「心配ねェよ。オレはもう呪令に縛られた。
姐さんに犬コロみてェに忠実さ」
意外なことに、ゲリの言葉には、ウソがなかった。
部分的に同化してしまっているせいだろう、そのことが、イツキには感覚的にわかった。
ただ口約束を交わしただけだが、いまので本当に主従の契約がむすばれ、それに、ゲリは、逆らうことができない。たしかだ。
──ナゼだ。ワタシが優位に立ったダケ。
──この契約、コイツになんの得がある?
「さてなァ? 考えるだけ、むだかも知れねェぜ?
種族がちがうんだ、でけえ溝がある、価値観のちがいってヤツさ」
「ゲリ。ワタシの考えを、無断で読むのはヤメナサイ」
「あいにくだが、わざとじゃねェことでは従えないンだよ。
姐さんにも、オレの思念が流れ込むのを、とめられねェだろ。
それとおなじなんだよォ」
夜魔の思念。
それには、本当にうんざりさせられる。
夜魔の内面は、ウワサ以上に、荒廃し、腐りきっていた。残虐非道、品性下劣なサディストだ。破壊衝動と破滅願望のかたまりだ。
シャットアウトできればどんなにいいかと思うが、否応なく流れ込んでくる。
「そのカラダで四八人殺した、感じるよな? 覚えてるよな?
半数以上は女子どもだった。
ああそれと正確には五〇人、ちょうどだぜ……妊婦がふたりいたからなァ」
「や・め・ろ」
吐き気をこらえながら、低い声で命じた。
ゲリは楽しげに応じる。
「姐さんがごちそうを食ったとするだろ?
王さまから、その味を〝忘れろ〟と命令されても、はいわかりましたと忘れられねェだろォ?
自分にも不可能なことは命令しないでくださいませな、ご主人サマァ」
比ゆ的な意味でも人を食ったようにうそぶくゲリに、憎しみを覚える。
スマコンのフラッシュをあびせてやろうか。
その考えが伝わったらしい。ぞくり、と身を震わせて、うれしそうにゲリは言った。
「これはこれは、ごほうびをいただけるんですかァ? ご主人サマ」
「……どういう、意味デスか?」
死ぬほど強い光をあびせられると、夜魔は、全身に、幾千、幾万の灼けた針でつらぬかれるような激痛を覚え、これがたまらなく快感であるらしい。
しかしこの、死という快楽は、夜魔といえども、一度しか味わえない。
ところがゲリにかぎっては、イツキの影のなかでしばらく眠れば復活できる。
「姐さんには感謝してもしきれねェ。何度でも、死を味わえるなんてなァ」
イツキは歯ぎしりしたい思いで、考える。
この変態を弱らせる方法がないか。
「自分が、アナタに、〝影のなかから出てくるな〟と命令したらドウしマス?
人間を食べなければ、イツカ、餓死スルのデハ?」
「夜魔はしぶといンだ。ハンパなく時間がかかるぜ。
まァ欲求不満は溜まっちまうが、オレの欲望は姐さんにも流れ込むってことを忘れンなよ。
ガマンくらべだなァ。ニンゲンの理性と、夜魔の欲望、どっちが強いだろうなァ?」
イツキは、ゲリがかんたんに主従契約をむすんだ理由がわかってきた。
どうあれ、両者は離れることができないのだし、ゲリはこの状況を楽しんでいる。
「そうだ、オマエの肉は痩せこけて、心も弱弱しく無力。
ゆっくり、ゆーっくり時間をかけて、内側から犯してやるよォ」
どうやら、やはり、自殺するしかなさそうだ。
イツキの肉体は、夜魔からエネルギー供給を得ながら、変容してしまっている。
それでも不死身ではないだろう。
「あいにくそれもイイ考えだとは言えねエ。
肉をそこなえば、たしかにオレもイツキも同時に弱っていく。
だが、オレの精神の方が強いってことを忘れるなよ、姐御。
アンタが弱れば、一時的に契約の呪力も薄れるンだ。その隙に、オレはそのカラダを乗っ取る。そのあとは、おなじことになるんだよォ」
イツキの自我は、眠った状態になり、そのあいだ、ゲリが肉体の支配者となる。
ゲリは、殺りくしてエネルギーを補給し、じゅうぶん回復してから、イツキに体を返すだけのことだ。
周囲に、まったく人がいない場所で、自殺をこころみればどうか?
夜魔は、動物をエサにしても力を得られる。
人間のものよりはるかに劣るが、動物にだって痛覚はあり、生存本能に根ざした原始的な恐怖もあるからだ。
もしも、ゲリが動物で食いつなぎながら、人里までたどりつけばどうなるか。
「オレはニンゲンのガキを殺して、食って、それから姐御に体を返すかもなァ。
どんな気分になる。気がつくと、目の前にはらわたをぶち撒けたガキの死体が転がってて、口のなかに血とはらわたの味が残っていたら?
人質みてェなモンさ。姐さんが気をしっかり保ってないと、だれかが殺されるンだよォ」
努めて冷静を保っていたイツキだが、ぷつん、と頭のなかで張りつめたものが切れる感じがした。
イツキは声にならない叫びをあげながら、両手で地面を殴りつける。めちゃくちゃに、何度も何度も何度も何度も。
やがて息がきれた。ぜえぜえと荒く呼吸する。
両手は、黒い血にまみれている。肉が削げ、骨が見えていた。
憤怒という鎮痛剤が切れてみると、笑ってしまうほどに痛い。
かわききった哄笑が、夜の荒野に響く。
両手の無残な損傷は、少し経つと再生した。
「ははははははは!」
人間と魔物は、声をそろえて笑った。
「ゲリぃぃいい!」
イツキは吠える。
「殺してやる! 必ず殺してやる!」
「そりゃアいい! オレは死ぬのが大好きだ、殺すこととおなじくらいなァ!」
ぎりり、と下唇を噛みちぎってから、イツキは冷静になる。
とりあえず、ゲリに「失せろ」と命じた。
夜魔はすなおにしたがい、イツキの影のなかに沈んで姿を消した。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#04. 荒野(3)、8月21日(金)更新予定。
内容としては、まだ夜魔との対話がもうちょっと続きます。




