#02. 黒い森(2)
イツキは森を背にして、村人たち、ざっと一〇人に取り囲まれていた。
その額はぱっくり割れて、流れる血が顔の左半分を朱に染めている。いや、西日の下では、血の色は黒っぽく見えた。
ひとりの男の投石によるものだ。拳大の石が直撃したせいで、まだ出血が止まらず、あごからしたたり落ちている。
──イヤハヤ、まいりマシタ。
──歓迎パーティを開いてもらえると思ってたワケじゃナイケド、ここまで敵視されるとは。
男たちは、憎しみと嫌悪に満ちた視線を向けてくる。
女、子どもはとっくに小屋のなかに避難させられている。
村は、ざっと見渡したかぎり、電気も来ていない……というか、現代にさえ見えない。
知らないが、中世、西洋の農村が、こんな感じなのではないか。
人々は日に灼けた、頑健そうな体つきで、土褐色の髪に、彫りの深い顔立ちをしている。
「鬼とやらが、こんな白い、薄気味悪い肌をしていると聞くぞ」
「いや、あの不吉な髪を見ろ。鬼よりずっと悪いものだ」
彼らは農具を武器のように構えて、イツキをにらみつけながら、そんなやり取りを交わしている。
──つまり、コレって、異世界転生デスヨネ?
──しかも、黒髪が忌み嫌われるパターン。
弁明したいところなのだが、先ほど、それを試みていたら、石が飛んできて黙らされたのである。
男たちは油断なくイツキを監視してはいるが、目が合うと、おびえたように逸らす。
いや、おびえているのだ。過剰におびえて、殺気立っている。
やがて、ひとりの男が現れ、他の者たちは道をあけた。
四〇代半ばくらい、髪はこの人物だけ青灰色の大男で、顔だちが野卑というか、ゴリラっぽい。
しかし他の村人と比較して、少し身なりがいいようだ。
──んー、たぶん、村長デスか?
「村長、あれです」
村長だった。
村長はイツキを目にしたとたん、体をこわばらせ、ごくりとつばを飲み込んでから、
「……なんて醜い……!」
うめくように漏らした。
──年ごろの娘に向かってそこまで言うカナァ、自分こそゴリラ似のくせに。
なんて言ったら、確実に殺されると思い、イツキは沈黙を守る。
村長はしばらく逡巡してから、意を決したように口を開いた。
「おまえは、人に化けた夜魔か?」
居丈高な口ぶりのわりに、声の震えを隠せていない。
返答してもいいのかどうか。そもそも夜魔の意味がわからない。
「……いいえ」
イツキが答えたとたん、男たちは半歩、下がり、「ひ」と小さく声をあげた者もいる。
村長は虚勢を張って踏みとどまったものの、流れる汗がその緊張を物語っている。
「なら、邪教徒だろう?」
重ねて、カッコ震え声で問われるが、どう答えれば正解なのか。
とにかく、害意がないことをアピールしようと口を開きかけたところ、
「黙れエッ!」
耐えられなくなったように村長が大声をあげる。ほとんど悲鳴に近く、完全に裏返っていた。
それを合図に、口々に罵声が浴びせられる。
「森へ失せろ」
「化けもの」
「村に近づくな」
イツキは、男たちに背を向けて、森に向かって駆け出した。
ケガをしている左足がいうことを聞かず、思うように走れない。
がつん、と肩に激痛。その正体を振り向いてたしかめるまでもない、命中しなかった石が、風を切って飛んでくる。
後頭部にヒットしていたら、死んでいたかも知れない。
片足を引きずりながら、懸命に走った。
木立の陰に入っても、まだ投石がつづいている。
石がとどかなくなるまで、怒号と罵声が聞こえなくなるまで、走りつづけた。
地面に頭から倒れ込む。
冷たく湿った腐葉土が、汗ばんだ体を急速に冷ましていく。
「はあっ、……はあっ、……」
体を、仰向けにした。
涙と鼻水、それに乾きかけた血でべとついた顔に、泥や枯れ葉がくっついている。
それをぬぐうだけの気力もない。
左肩は……けっこう痛い。
骨にひびくらいいってるかも知れない。
夢中で走っているうちは、あんまり感じなかったが、左足もかなり痛い。
傷口が拡がったことは想像に難くない。
しかしそれ以上に、あれだけ多くの人間から殺意を向けられるという経験の方が怖かった。
──コレだから外はイヤなんデス。
しかもここは異世界で、元の世界の自分はおそらくきっと死んでいる。
ああ、最悪。