#13. 暗い森(1)
レイシィ、リオンと別れ、馬をつないだ場所にもどるあいだに、濡れねずみになってしまった。
これなら、洞窟の入り口で雨宿りしていた方がよかったのではないか。
──イヤ、危険すぎマスね。
あのふたりは、容赦なく暴れるにちがいない。
運よく生き残った野盗が、奥から殺気立って飛び出してくるかもしれない。
あのふたりと対峙して、命があった、悪運の強い野盗がもしもいて、イツキを目にすれば、すぐに仲間だと気づくだろう。
イツキに戦闘力はゼロだ、確実に殺される。
やはりレイシィが気づかってくれたとおり、なるべく離れておいた方がいい。
登りの傾斜で足場は悪く、途中から風雨が強まった。
転倒すれば大ケガの危険があるので、細心の注意を払ってゆっくり進んだ。
それでも、短距離の移動なので、ちゃんとこうしてもどってこれた。
ちいさな森では、三頭の馬も、叩きつけるような雨の下、心なしか悄然としているように見えた。
ダブレットやズボンはぐっしょりだが、その下のシャツとルームパンツには《状態保持》効果が働き、少しは体温を守ってくれる。
自分の移動速度の遅さを考えると、レイシィとリオンが仮に手こずったとしても、もう、敵を全滅させているのではないか。
あのふたりが負ける心配は、まず、しなくていいと思う。
──いまにも、意気揚揚と帰ってくるんじゃナイかナ。
その点については楽観していたが、しかしこの雨のせいか、気がふさいでしかたがなかった。
いや、天気なんてどうでもいい。
イツキは暴力について考え込んでいて、その思索が彼女の気分を滅入らせていたのだ。
食べるためにシカを殺す。
それは、なんだか腑に落ちた。
イツキは殺すことについて、正面から考えてみたこともなかったくせに、体験が先んじる格好になった。
それなのに、その行為は感覚的にすとんと飲み込めるものがあった。
その気づきは、なにかすがすがしいものでさえあった。
殺されないために、あるいは殺させないために、敵を殺す。
これだってつまるところ、「生きるために」と正当化しているわけで、おそらくレイシィとリオンにとってはまちがいなく、シカを殺すことの延長線上にあるのだろう。
いや、犯罪者を殺すことは、シカよりオオカミに例える方が適切か。
しかしこっちは、釈然としないのはなぜだろう。
もやもやと不愉快で、すがすがしさとは程遠い。
無意識にスマコンを取り出していた自分に、イツキは苦笑した。
自分で考えなくても、データの海のなかで検索すれば答えが見つかるつもりでいるのだ。
──ソレってつまり、自分って莫迦だってコトデスね。
ため息をつきながら、習慣化しているきょうの日記を書いておく。
雨に濡れても、《状態保持》のため、絶対に壊れる心配はない。
手持ち無沙汰に数日前の記録を読み返すと、エンリヒの料理の味が思い出されて、我ながらのん気なことに、空腹感を覚えた。
それと同時に、たまらなく「帰りたい」と思った。
◆
男は、洞窟に敵襲が発覚した時、なによりも先に、どうふるまうのが自分にとっていちばん得かを考えた。これまでの人生で常にそうしてきたように。
軽率に逃げ出して、仲間入りをはたしたばかりの野盗たちから、不興を買うのは望ましくない。
しかし野盗たちが負けるなら、自分だけ逃げ出すべきである。
野盗と異なり、男はカタギにもどってやりなおす選択肢も準備してあるのだから。
最初は頭領のそばにいたが、趨勢をみて、徐々に後退した。
洞窟の奥にいても、激しい戦闘の音が聞こえてくる。
しばらく、耳をすませてようすをうかがったが、ここも危険だと判断し、はしごを使って地表に出た。
嵐のおかげで、視界が悪く、移動の形跡も残りにくいだろう。
その代わり、自分も周囲の状況を把握しにくい。
どう動くのが自分にとって最善か、思いめぐらしながら歩いていて、木立のなかに光を認めた。
ランタン……いや魔法の光のようだ。単独とはどういうことだろう。
男は、ダガーを取り出した。
頭領に手渡され、寝ているフーゴののどを切り裂くのに使ったものだ。イスペルタ製のデザインがめずらしいと言うと、頭領は、気に入ったのならくれてやる、と言った。初めて人を殺った記念だ、と。
男は記念の品を後ろ手に、慎重に近づいて行った。
◆
「よう、こんばんは! ひでえ雨だなあ!」
大声をかけられて、イツキはびくりとした。
夜闇のなかからふいに現れたかのように、近くに男が笑顔で立っている。
雨風のせいで、物音に気づかなかったのだろうし、男が声をおおきくしたのもそのためだろう。
しかしイツキは驚かされて、まだドキドキしていたし、なんだかいやな気がしている。
「見たところ、馬の番をさせられてるみたいだな。
ひどいご主人さまだねえ。あんた、気をつけないと風邪引いちまうよ」
人好きのする笑顔に、気さくな口調。
野盗っぽくは見えないが、イツキは警戒していた。
決して油断はしていないつもりだった。
それでも、ほがらかな表情のまま、眉一つ動かさず女を全力で殴る人間は想定できていなかった。
泥のうえに血の混じったつばを吐きながら、思う。
──だめデスね、自分、まだまだ甘いんだナァ。
身を起こそうとしても、脚に力が入らない。
男はイツキに目線を合わせるように、かがんで、ダガーを突きつける。
「あんたと、馬を二頭、殺して、残った馬をもらって逃げることにするよ。
どうにもヤバイ気がするし、こういう時のカンは外れたことがないんだ」
イツキに武器はないし、あっても使えない。
スマコンのフラッシュも、悪霊や夜魔には致命的でも、人間相手ではちょっと驚かせるだけだろう。
会話で時間を稼ぐのが、自分にできるせいぜいだ。
「アナタがナニをしたか、知ってマス。
自分の仲間も、ソレに、報告を受けた警団もサスガに動くデショウ。
そうカンタンに逃げられルと思いマス?」
「警団が手配するのは、地の民のベンだ。青い髪のおれは嫌疑をまぬがれる。
どこか遠くで、名前を変えてやりなおすことにするよ」
そう、暗くてすぐにはわからなかったが、この男の髪は青灰色だ。
絶対とは言えないが、逃げおおせる算段がある。
──イヤ、デモ、気づいてないフリした方が、時間、稼げるか。
「ナニ言ってるんデス? アナタがベン、デショウ。
ああ、エンリヒさんがカワイソウ。息子を殺シタ犯人を教えてあげたいデス」
目の前に火花が散って、イツキは転がり、木立に強くぶつかった。
燃えるように顔面が熱く、蛇口をひねったようないきおいで鼻血が流れ出す。
ダガーの金属製の柄頭で殴られたのだ、と遅れて理解する。
前歯が折れなかったのは幸いだが、唇が裂けたようだ。
「可哀想なのはおれだろうが!」
男は突然、感情的な怒声をはりあげた。
そして、フラットな口調になってつづける。
「おふくろが死んだのがけちのつきはじめさ。おれは婚約してたんだ。
相手は町の資産家のお嬢さんでね、たらしこむのにどれだけ苦労したことか。
だが親父は店をたたんでこんな田舎に引っ越した。おれの苦労はむだになった。こんな郊外じゃ一生成功できない。
いっそ野盗になる方が、いい暮らしができそうだろう?」
そこで一瞬、声を詰まらせる。
イツキはその顔を見上げて、自分の目をうたがった。
雨に濡れているのかと思ったが、ちがう。泣いている。
エルマーは心の底から自分をあわれんでいた。
「なのに、あんたの仲間のせいでぶち壊しだ。
どうして幸せをつかもうと努力する平凡な男を、よってたかってじゃまするんだ?
だけど、おれは自分の身は自分で守るぞ。
文句ばかり垂れてなにもしないような連中とはちがうんだ」
ダガーをかまえて、近づいてくる。
男の履いたひざ丈のブーツが、イツキの顔に泥水を跳ねかけた。
──レイシィ。時間切れデスよ……。
──借金を返せナイのは、アナタが遅いせいデスカラね。
イツキは固く目を閉じた。
夜よりも黒々とした殺意が、嬉々として刃を振るう。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#14. 暗い森(2)、7月24日(金)更新予定。
内容としては、2ndの最終話です。




