#12. チコ一家(3)
レイシィは、リオンといっしょに地面に這いつくばったまま、銃創のぐあいをたずねた。
「右腕が動かしづらいな。でも戦えないほどじゃない」
痩せ我慢している口調でもない。いちばん危惧した、バイタルエリアの損傷はまぬがれたらしい。
レイシィはひとまず安堵しつつ、魔術を発動させた。
《蜃気楼》。ほとんど瞬時にして、六つの、幻のデコイを出現させる。一流の幻術使いとしての面目躍如といえる。
ゲルグ銃の装填時間から考えて、そろそろ次弾がくるだろう。
その命中率で、リオンへのヒットがまぐれ当たりだったのかどうかがわかる。
──轟音。
もっとも入り口側に近い、デコイが打ち消された。
着弾点は上半身、やはり正確な狙いだった。
撃ってきたのは、レイシィとリオンが通ってきた通路の陰からだ。
とりあえずひとつわかったのは、一本道を通ってきたつもりだが、途中で脇道を見逃したということだ。
周囲に気をつけてはいたが、アルゴの背中を追って走ったから、チェックが不十分だった。
この広間のどこかに、入り口側へ抜ける狭路があるのだろう。
レイシィは以前、バルデン護国騎士団員の知人に、ゲルグ銃の機構と、射撃練習のようすを見せてもらったことがある。
あつかいに慣れた人間なら、この距離ではまず外さない。
だが、野盗たちは銃を見るのがはじめてだったはず……。
はじめて銃をさわるなら、この薄暗いなかでは、狙いを定めるどころか、弾を込めるのもむずかしいと思うのだが。
とにかく、ずっと腹這いになっていても仕方がない。
レイシィとリオンは立ち上がった。
レイシィの目眩ましが効くことは証明された。狙いが正確でも、本物を撃たないと意味がない。
ピアージョもまた、立ち上がった。
「へえ、まだやるんだ? お仲間同様、あんたも粗挽になりたいわけね」
リオンが挑発するが、ピアージョは軽く腰を落とし、剣──アネラスをしっかり両手で構えて、切っ先を地に向ける。ラギスト流剣術の基本的な構え。
「……おまえの粗暴な力押しでどうにかなるほど、おれの技は甘くない」
額に汗を浮かべている。リオンから受けたダメージが、効いていないはずはない。
だが、持ち前の冷静さを取りもどしている。
仲間の援護射撃が、彼をすっかり勇気づけてしまったのだろう。
レイシィの選択肢として、精神魔法がある。
だがこの系統の術は、敵に心理的ストレスを与えたり、乱したりするもので、覚悟を決め、臨戦状態になった人間には効きにくい。
もちろん構築に時間をかければ効果は高まるが、それなら、幻影魔法で守りを固める方が無難だろう。
レイシィは、射手について、先ほど思いついたことを確認した。
「ねえチコ! 仮にも頭領なら、女に撃たせてないで勝負に出たらどう?
手下がほとんど全滅したんだから、自分で仇を討つのがスジじゃないの」
少し間があったが、男が暗がりから姿を現した。
ひゅんひゅん、と槍を回転させながら、悠然と歩み寄ってくる。
「ああ、ずいぶんやってくれたな。
正直、小便くせえ小娘ふたりに、ここまでコケにされて頭に来てるぜ。
楽に死ねると思うなよ」
いちおう、読みは当たったわけだ。
カルメンは化身魔法を使う。
一般に、鉄と魔法は併用しづらいものだが、化身魔法の一部は例外的に、あまり支障がないといわれている。
ネコに《変身》できるなら、より単純な《暗視》が使えないはずがない。魔術で視界を確保していたのだ。
チコからの槍を避けながら、援護射撃にも注意を払う……。
自分の身体能力ではきつい。そう判断したレイシィは、背中を合わせたリオンに伝えた。
「ごめんだけど代わって。後ろのふたり、わたしには勝ち目がない」
「それはかまわないけど、この剣士もかなり強いぞ。大丈夫か?」
ふたりはくるりと立ち位置を入れ替えた。
「いくらリオンでも、二対一では苦しいと思う。あなたもケガしてるんだしね。
ピアージョを倒したら援護につくから、それまで持ちこたえて」
「……あいよ」
リオンはレイシィの言葉に安心し、唇の端を吊り上げた。勝算があるのだ。
ならば、自分の仕事は考えることではなく、動きまわること。
レイシィは魔力を駆使して、ピアージョと交戦する。
魔法使いが、戦士を相手に、接近戦を余儀なくされるのは、もっとも避けたい事態だ。
不幸中の幸いは、ピアージョの剣術は守りが主体であることだ。レイシィは幻影魔法と精神魔法を併用しながら時間をかせいだ。
ピアージョもあわてなかった。魔法使いという連中は、思いもよらない隠し玉を持っていることがある。深追いは危険だ。
長期戦になれば、自分の体力と、相手の魔力、どちらが尽きるのが先か、という話になるが……ピアージョは自分でも意外なほど、落ち着いていた。あばらの痛みも気にならない。この調子なら、ローリスクな立ち回りをつづけていれば必ず勝てる。確信があった。
だから、自分の方が先に息が上がっていることに気づいた時、ピアージョはわけがわからなかった。
とにかく、これはもたもたしていられない。積極的に攻撃し、勝負を決めるべきだ。
守りを重視するスタイルとはいえ、こちらは剣術のプロである。本気で攻めかかれば、ひ弱な魔法使いが動きについてこられるはずがない。
それなのに、ひょいひょいと避けられる。状況に理解が追いつかないまま、ピアージョの焦りは頂点に達した。
「ば……莫迦な! なぜ、当たらん……! いったいどうなっ」
途中で言葉は血のかたまりに変わった。
ふいに、視界が黄色く染まり、激しい耳鳴りがする。胸が痛む、苦しい。そのまま意識が闇に吸い込まれていく。死にぎわに女の言葉を聞いたが、けっきょく意味はわからなかった。
「あなたの動きが鈍すぎるの。わたしでもかわせるほどにね。
疲れたでしょ? おやすみ」
レイシィは、ピアージョに精神魔法をかけていたのだ。
ひとつは《沈静》。もうひとつの魔術がメインなので出力を高められなかったことと、もともとこれは味方にかけるものであり、不快刺激がないため、ピアージョは自覚できなかった。
そしてメインは《痛覚阻害》である。
ピアージョは気づかずに動きまわり、体内で折れた肋骨が、やがて内臓を傷つけ、内出血が始まった。貧血と酸欠で倒れたのだ。
リオンは、獣人族の特性として、もともとある程度は夜目が利く。
加えて、チコの攻撃は、太刀筋が単調であり、見切るのはむずかしいことではなかった。
槍と斧ではリーチがちがいすぎる。そのため、こっちから攻撃できないのは不満だが、リオンの役目はチコとカルメンを釘づけにしておくことだ。それがはっきりわかっているから、焦らなかった。
時々、銃弾が飛来するが、どれも見当ちがいの、幻影のデコイに当たる。
しかも、はじめのうちは慎重だった女は、いまや身を隠さず、おそらく無意識にだろうがかなり近づいてきており、歯を剥き出した怒りの形相で銃をかまえている。
撃っても撃っても空振りで、いちいち槊杖で弾を込めるのも面倒くさく、完全に頭に血がのぼっているようだ。
せめて姿勢に気を配ればいいものを、立ち撃ちである。
リオンにとっては、カルメンが近づいてくる方がやりやすいのだ。
本人は、単純に、命中率が高まると錯覚しているらしいが。
銃口がどこを向いているか、はっきり見えるから、リオンは自分が狙われると、さり気なく位置を調整してあいだにチコを挟んだ。こうすれば撃てない。
「なにやってんだ、カルメン! さっさと撃ち殺しちまえよ!」
「うるさいね! あんたこそそんなメスガキ相手にあしらわれてンじゃないか!」
カルメンの発砲、これもミス。
「《視覚阻害》」
背中にその声を聞くと同時に、リオンは疾駆。
チコの視界はとつぜん闇に閉ざされた。闇は死を連想させ、死への恐怖を呼び覚ました。情婦の前であられもない悲鳴をあげずにすんだだけ、幸いだったとするべきか。
声より先に斧が一閃し、チコの頭は洞窟の天井にぶつかって転がる。
弾を込めようとしていたカルメンは、ゲルグ銃を放り出して逃げ出した。
すかさずリオンが投げた戦斧は、カルメンの背骨を断ち、内臓破裂を起こして即死させた。
◆
唯一、ネフだけ生きていた。
攻撃に不向きなレイシィの全力では、短時間、気絶させるのがせいぜいだったのだ。
拘束しておいて、あとで警団に引きわたすつもりだったのだが、この男は余計なことを言った。
「タダですむと思うなよ。私はギルティーナにもつながりがあるんだ。
私を殺せば、組織を敵にまわすことになる。賢明になるがいい」
「ダイナ、カロライナ、聞き覚えは?」
知るか、とネフが吐き捨てると、レイシィはリオンに、バルデンの符丁で『殺せ』と伝える。
ネフは勉強家だったのか、それとも雰囲気で察したか。
彼の頭は、「お、おい待て! 私を殺せば組織に追われるんだぞ、本当だぞ!」と叫んでから、胴体と別離した。
「すでに追われているのよ、わたしは」
レイシィは首なし死体に告げた。
自分たちの損傷をあらためる。レイシィは賦活魔法を使えないが、よく効く傷薬を常備している。
レイシィは全身に、ネフの魔術と、ピアージョの剣により切り傷を負っているが、命に別条はない。
リオンもほとんどは軽傷だが、肩の銃創だけは出血が止まっていなかったので、応急手当てをした。弾は幸い貫通していた。
洞窟に突入する前に、イツキには、馬のところまで引き返し、森で待つように指示しておいた。
待ちくたびれていることだろう。
入り口に引き返そうとした時、ふと、リオンが気づいた。
かすかな水の音。奥から聞こえてくる。
向かってみると、天井から水が伝って流れていた。外は嵐になっているはずだ。雨水が侵入している、つまり上方に抜け道がある。
はしごが掛けてあり、そこから出られるようになっていた。
上がってみると、このルートは、地表からは目立たないように隠されていた。
「帰りが近道できたわね」
レイシィは全身に強い雨を浴びながら、機嫌のいい声を出す。自分の血や返り血で、全身が汚れていて気持ち悪かったのだ。
リオンは、地表の出入り口を調べていたが、緊張した声音で言った。
「しばらく前に人間がとおった形跡があるよ。
例の使用人のベンって奴がここから逃げたんだと思う」
レイシィも、リオンがなにを危惧したのか悟った。
可能性は低い。まさかとは思う。
ベンとイツキが鉢合わせした可能性。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#13. 暗い森(1)、7月17日(金)更新予定。
内容としては、少し時間が巻き戻った時点から、一方そのころイツキは……みたいな。




