#09. 屋敷の調査(3)
比較的、荒らされていない、一階の応接間に移動した。
なかなか座り心地のいい椅子が手つかずで残されている。賊も家具は重すぎてあきらめたのだろう。
リオンは貯蔵庫に行っている。
だいたい盗まれていたとはいえ、多くても八人の賊で、すっからかんにはできない。
この屋敷の持ち主、故ナタン・ウラントは、派手な業績はないものの、隠居した学師、火層階級である。貯蔵庫には、三人が軽く飲み食いできるくらいの残りものはあった。
リオンに食料あさりをまかせ、レイシィは儀式用ナイフを取り出す。
目測であたりをつけてから、応接間の床に、図形と文字を刻みつけていく。
かなり広範囲だ。ちょうど三人の人間が、内側に寝転ぶことができるくらい。
いわゆる魔法陣だろうが、直線が多く、長方形をひしゃげたような形。
「ニンニク、リコリス、シクラメン……」歌うようにつぶやきながら、小瓶をいくつか取り出し、中身の粉末を配置していく。
「自分のイメージだと、円のなかに六芒星なんデスケド。
ソレ、魔法陣ってやつデスよね?」
「そういう知識はあるのね。そう、魔法陣。
だけど、流派や用途によって、円形とはかぎらない。
これはまあ、念のための措置よ」
イツキは、なにげなく口にした〝六芒星〟という自分の言葉に、なにか引っかかりを覚えた。
そのことについて深く考える前に、レイシィの作業が終わり、同時にリオンが食材を抱えてもどってきた。
火の民が好む食材は、おもにトリ肉であり、味つけは赤胡椒だ。
香辛料をたっぷりまぶした、トリの燻製肉は、かなり美味だった。舌がヒリヒリしてきたら、ドライフルーツをつまむ。
それに、そこそこ質のいいリキュールが二本……ちょっとした酒宴を開くには十分だ。
「現場の保存トカ、いーんデス?」
イツキはいちおう訊いてみたが、レイシィには質問の意図そのものが、あまり伝わらなかったようだ。
指紋をとる技術がない世界で、そこまで気をまわすことはないのだろう。
「さて、これからなんだけど。
現時点の調査報告を提出するだけで、最低限の報酬はもらえるわ。
だけど、野盗を片づけて、近くの安全も確保すれば、もっと上乗せされる。
どうしようかしらね?」
リオンは、ごっごっ、と水みたいにリキュールをあおり、
「八人やそこらだろ? そりゃ、やっちまおうよ。考えるまでもない」
「いつもならそうするんだけど、イツキがちょっと心配なのよ」
「レイが守ってやれよ。あたしひとりで片づけるから」
ちょっと悩みどころなのよねえ、とレイシィは言った。
少なくとも一名は、気象魔法の中級者だ。
それに、一名は、ゲルグ銃で武装。
最低、ふたり、すぐれた遠距離攻撃の手段を持っているということだ。
さらに、他にも魔法使いがいないという保証もない。
結論が出ないまま、日没を迎えつつあった。
レイシィは、リオンに夜魔除けの常夜灯の準備を指示する。
リオンは外に出て、建物の周囲を一周し、壁に備え付けの聖燈を点けてまわった。
もちろん、燃料の残りも確認しておく。
三人はレイシィが床に描いた、魔法陣の内側にごろ寝した。
◆
イツキは寒くて目が覚めた。
だが季節は夏、屋内は暖かかったはず。風邪でも引いたかと焦ったが、そんな感じでもない。
それなのに、たしかに体感温度が下がっていた。
レイシィとリオンはすでに目を覚ましていて、
「ああ、イツキ。自分でちゃんと目が覚めたわね。危険を感じた?」
「危険トハ?」
「たぶん、出るだろうと思ったのよ。
この屋敷に泊まったのは、イツキに見せておきたくてね」
なにを、と訊く前に、それは近づいてきた。
外から差し込む月明かりに、おぼろに照らし出されたもの。
──……? なにかフワフワしてマスね?
そう思って見つめていると、向こうがこちらに気づいたらしく、けっこうな速度で急接近する。
「ひ、ひぎゃああ!」
イツキは悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、リオンにしっかりホールドされる。
魔法陣から出たら危ないぞ。耳もとでそう言われた。
「これが悪霊よ。この魔法陣の内側は安全だから、よく観察しておいて。
ものによっては、直視するだけでダメージを受けるけど、こいつらそういう能力はないようだから、大丈夫」
レイシィにうながされ、あまり気は進まないが、努めて冷静に目を向ける。
三体の悪霊は、魔法陣の周囲をぐるぐるして、どうにか襲いかかろうとしている。
ぐるぐるぐるぐる、バターにでもなりそうな勢いだ。
おおまかな外見は、ぼろをまとい、痩せこけ、ネガティブな感情に満ちた、すごい形相をした人間だ。
しかし全身が半透明であるのに加えて、ぎいぎいときしむような呪いの声をあげながら、ゆがみ、ねじれ、輪郭がぼやける。
ただ、どんなにぼやけても、怨みと悲憤に燃える鬼火のような両眼はくっきりしている。
動きはかなりすばやく、強いていえばヘビを連想させるが、この世の物理法則を無視している。
早送り、巻き戻し、コマ落としやスローモーションの効果を、不規則にかけたかのような。
だが総合的な移動速度を、落ち着いて見積もると、成人男性が全力疾走すれば逃げきれるかどうか、くらいだと思う。
「わたしの得意な精神魔法や、呪令、つまり言葉で相手を降す術は、理性に働きかけるの。
だから言葉がわからない動物や、理性をなくした相手には効果が薄い。
悪霊っていうのは、言わば、非業の死を遂げた時のショックで発狂した死霊なのね」
なるほど、どう見ても、話が通じそうにはない。
「僧侶が使う浄霊術は、悪霊を落ち着かせて、執着を捨てて消え去るよう、説得する。
まあ、上品な対処法ね。わたしにはそういう心得はないけど」
レイシィのやり方なら《火炎球》とかで焼き尽くしそうだ。
リオンの場合、物理でぶん殴りそうな気がする。
イツキがそう言うと、
「そう、霊体に魔法攻撃は有効よ。この魔法陣も、魔力で作られた防壁なのね。
でもわたしは直接攻撃系統の魔法は使えないの。
物理については、ほぼ、無効だけど、生前の感覚が無意識に残っているから、まったく効かないわけじゃない。
たとえば、理論的にはドアも壁も通過できるのに、本人が『ぶつかる』と思い込んでいるから、通過できず、壊してからじゃないと通れなかったりする。
それと、一部の材質……魔導率の高い銀、それにサンザシや、モモなどの木材は通用するわ」
「お祓いか、魔力を介した攻撃、そして三番目の対策が光、デスか」
「そう。悪霊の攻撃が人間に効く原理も、魔法攻撃にかぎりなく近い。
悪霊に触れられると、生者への怨みや妬み、殺意の念をじかに流し込まれる。
犠牲者は、恐怖や悪寒を覚えながら、心停止することになるわ」
魔法防御の心得があったり、精神的にタフだと、ある程度は耐えられるという。
しかしそんな状況に身を置きたくはないものだ。
安全な魔法陣のなかからながめていても、楽しい光景ではない。
リオンもおなじ意見だった。
「さ、そろそろいいだろ。イツキ、例の光でバシッとやっちゃってよ」
イツキはスマコンを出して、フラッシュを焚いた。
パシャ、という音とともに、閃光が周囲を照らす。
悪霊たちはあっさり消滅し、イツキはホッとした。
「……いや、一体だけ、主人の悪霊が残ってるわ。こっちに向けて」
言われたとおり、イツキは明度を下げたLEDを向けた。床を這う不定形のものが、明かりのなかに浮き上がる。
かなり薄くなっており、よく見ないと気づかないかも知れない。
それは寒天みたいに震えながら、のろのろと暗がりへ向かっている。
「あんなふうに弱った悪霊は、闇のなかに息をひそめて、回復を待つ。
ここまで弱っていると、相当時間がかかるか、もしかしたらもう再起不能かも知れないけど。
とにかく完全に消し去って、楽にしてあげて」
言われたとおり、もう一度、フラッシュを浴びせて消滅させた。
レイシィは、床から、なにかを集めているようだ。
木べらのようなものを使って、ゼリーっぽい液体を容器に収めている。
「これは心霊物質。魔法の触媒や秘薬の材料にもなる。
それに冒険者ギルドで換金もできるの、悪霊はだれにとっても危険だから、公益に尽くしたことになるのね」
◆
イツキに、悪霊についてレクチャーする。
フラッシュの効果をこの目で確認する。
心霊物質を手に入れる。
レイシィが思い描いていたとおりになった。……野盗の討伐もこううまく行くといいが。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#10. チコ一家(1)、6月26日(金)更新予定。
内容としては、ようやくの対人戦の、幕開けの部分にあたります。