#03. 野外生活(1)
豊沃祭は、丸三日間つづく。
この期間中、人々は、食べたい時に食べ、飲みたいだけ飲み、酔い潰れて眠り、目を覚ませばまた飲み食いする。
酒や料理を提供する側も、なにせ儲かるのだから仕事をしてても笑いが止まらない。作り置きが可能なものは、できるだけ事前に準備してあるので、自分たちが祭りを楽しむ余裕もある。
身分に関してさえ、少々のことは無礼講になっている。
四日目、水の節、初日になって、イツキは生まれて初めて二日酔いというものをがっつり味わい、軽く地獄を見た。
レイシィとリオンは、けろりと平常運転に戻ったが、イツキは一日、頭痛と吐き気に苦しんだ。
がんがんする頭で、もう二度と酒なんか飲むまい、とイツキは固く心に誓ったのだった(この時は、自分がその誓いをすぐ破るとは思わなかった)。
◆
「ちょっと慣れてきたんじゃないか? 意外とスジがいいじゃん」
「そ、そうデショウか」
リオンに褒められたが、イツキは馬上で落ち着かない。
馬に乗るのが、こんなにも揺れて、衝撃が伝わってきて、疲れるものだとは知らなかった。
乗り降りの際は、義足ということもあり、細心の注意を払わないと、落馬の危険がある。
馬上というのは想像していたよりずっと高く、ただ落馬しただけで、ケガや骨折しかねない。
イツキが乗る馬は、リオンが祭りの最終日に、呑み比べで勝ち取ったものだ。
リオンは巧みに相手を挑発して、馬を賭けさせた。
長旅で実用に耐える乗用馬は高価である。人間の奴隷の、軽く四倍以上はする。
いくらなんでもこんな貴重なもの、ふつうは賭けない。相手がリオンに応じたのは、勝ちを確信していたからだ。
男も、獣人族が酒に強いことは、話に聞き知っていた。それでも相手は、ほんの小娘である。しかも、男が一杯あけるたびに、リオンはその倍、呑むという条件だ。
だから酔い潰れて意識をなくした男は、目を覚まして、自分が負けたことを知らされても、しばらく理解できなかった。
理解できると、激昂し、ふざけるななにかのまちがいだこのケダモノのメスガキが、と叫びながら、リオンに殴りかかった。
市内で人間と獣人が争った場合、喧嘩両成敗にはならない。
人間のための法は、獣人が一方的に悪いと決めつける。
それでもほとんどの獣人は、この状況では頭に血が昇ってしまい、相手に大ケガを負わせ、その結果、人々から報復を……悪ければ処刑され、祭りの、少々変わって悪趣味な余興のひとつになっていた可能性が高い。
リオンは獣人族のなかでも、特別、短気な性格だ。
だが幸いレイシィから、へたな戦い方はするなとしっかり知恵をつけられていたし、男の反応を予想していた。
だから爪を出さないよう気をつけつつ、注目が集まる前にすばやくカタをつけた。
すなわち、拳を容赦なく振るい、すみやかに相手を戦意喪失させた。
おおきな青アザを作り、歯を数本、へし折られ、鼻血で顔を汚した男は、リオンに自分の馬を引き渡す時、この世の終わりをむかえたかのような様相だった。
「ま、あんまり気を落とすな。そのうちツキがまわってくるさ」
男を軽く慰めたリオンは、手に入れた馬を、二頭もあってもいらないからと、イツキにくれた。
イツキは、リオンが最初からそのために馬を賭けたことに気づいて、感激した。
礼を述べるイツキと、照れ隠しにそっぽを向くリオンを見て、レイシィは苦笑していた。
◆
野宿の際は、万が一にも夜魔に襲われないために、一晩中、明かりを灯さなければならない。
ここはイツキが役に立つ場面のひとつだ。スマコンのライトを点けっぱなしにしておけば済む。
季節柄、マントに包まって寝るだけで、寒くはない。
日の出とともに起床し、まず、火を熾す。
レイシィは油を染み込ませた紐を少し切り取って、草葉や小枝に絡みつかせてから、火口箱で着火した。
「魔法は使わナイんデスね?」
「わたし自身、消耗するし、触媒もいるわ。魔法を使うのは必要な時だけ」
イツキが思っていたよりも、魔法は万能ではないらしい。
火が十分な強さになると、鍋をかけて、水筒の水を沸かし、前日に集めていた山菜やキノコ、それに手持ちの干し肉などを煮る。
苦くて硬くて薄味だが、よく噛んで熱い湯で流し込む。
一日の最初に、馬にもエサと水を与え、エネルギーを補給してから、行動開始だ。
なみ足の馬で林のなかを進みながら、周囲に気を配り、食料や燃料になるものは、拾い集めておく。
目的地は、イツキは現時点、近くの町としか聞かされていない。
「待った! なんか見つけたかも」
リオンがふたりを呼び止めて、下馬し、地面に顔を近づけた。
「やっぱり跡がある。……蹴爪はないしシカだな、近い。この子、たぶん狩れるよ」
そう見切ったリオンは馬に乗り、先頭になった。速度を落とし、風向きにも気を配る。
しばらく進んで、馬を止め、また周囲を調べた。
「このへん、獣道になってる。きっと水場があるんだ。ゆっくりついてきて」
指示どおり、レイシィとイツキも馬を降り、なるべくしずかに進んだ。
イツキの歩行速度は遅い。足場が悪いとなおさらだ。レイシィは待たずに先に行ってしまう。進むべき方向はわかっているし、それほど離れることはないので問題ない。
途中で、リオンが言ったとおり、細く浅い水の流れを見つけた。そのまま沢の上流をめざす。
イツキは、移動をやめたふたりに追いついた。
いままでリオンは前方の様子を探っていたようだが、判断をつけたらしい。単独で、這うように前進し、視界から消えた。
イツキの目には、リオンの姿は獲物を狙う肉食獣そのものだった。
獣人は、顔つきもだが、全身の骨格が人間とは微妙に異なるのだろう。人間は、四つん這いで、あんなに速く、音もなく移動することはできない。
レイシィは弓矢を用意し、いつでも撃てるようにしていた。リオンは獲物を自力で仕留めるか、それが難しければ、こっちへ逃げるように仕向けるとわかっている。
……──。
突然、前方から奇怪な音が響きわたり、イツキは息を呑んだ。
ブヘェエ゛エ゛ェェンン、とでもいったような、ひび割れた音、いや、叫び声。
レイシィは弓を構える。手負いのシカが飛び出してきたら、射かけてトドメを刺すつもりだ。
その必要はなかった。長いような、短いような時間ののち、リオンがふたりを呼ぶ声がした。
◆
ちいさな湧き水のかたわらに、シカが倒れている。
リオンはシカの血で染まった顔や手を、水で洗いながら、近づいてきたふたりに気づくと得意そうに笑った。
水を飲んでいたシカに、リオンは忍び寄り、飛びついて、牙と爪で頸動脈を破ったのだ。
シカは暴れて逃げるが、狩猟者はしがみついて攻撃をつづけ、やがて獲物は、力尽きて倒れる。
リオンはそのシカを、泉のそばまで引きずってから、ふたりを呼んだのだ。
イツキの観察力でもそのくらいのことは見て取れた。
「おみごと。今夜はごちそうね」
レイシィが楽しそうに言って、イツキも、無意識に強張らせていた力を抜き、ほーっと息をついた。
「レイシィは弓矢を構えてマシタが、魔法より弓矢の方が強いんデスか?」
「魔法使いは、仲間にしか手のうちを明かさない。だからこれは秘密よ。
すぐれた使い手でも、使いこなせる魔法の系統は二つ、せいぜいが三つなのね。
わたしは精神魔法と幻影魔法が得意で、創生魔法も少し使える。野生動物にはあまり効かないの。
基本的な《魔撃》はできるけど、威力は弓矢と大差ない。
早撃ち勝負ならともかく、さっきみたいな待ち伏せなら、集中力の消耗では弓矢の方が楽なのよ」
言い終えたレイシィは、イツキになにかを投げてよこす。
受け取ったものは、鞘におさまった狩猟ナイフだ。
──……エッ?
イツキはそれを見つめながら、いやな予感を覚えた。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#04. 野外生活(2)、5月15日(金)更新予定。
内容としては、えー……もったいぶっても仕方ないので明かしてしまえば、シカ一頭さばくだけで一話、使います。なんかすみません。でも書いてみたい場面だったので後悔はしていない(開き直る)。




