#10. 酒場にて(2)
青灰色の髪に、粗野な無精ひげの大男。
──アー、この青髪ゴリラ、見覚えがありマス。
イツキは記憶をさぐり、思い出した。村の村長だ。
かなり以前に一度、会っただけだが、向こうは向こうで、イツキの〝化けものじみた外見〟が印象的で、覚えていたのだろう。
髪は頭巾で隠しているし、服装も変えてある。それなのに……。
この世界は、治安が悪く、撮影や録画機器が存在しないぶん、人々の他人の顔を覚える能力が高いのかも知れない。
もしくは、意外と物覚えのいいゴリラなのだろう。
それにしても、村で初対面の時は、この男、かなり弱腰だったはずだが。
あの時、イツキがすぐに逃げ出したことと、市内ではめったなことはできないだろうという推測。
それにけっこう飲んでいるようで、酒のいきおいも手伝って、強気らしい。
武骨な手が伸びてきて、頭巾を払おうとしたので、イツキはあわててのけぞって、かわした。
「衛兵を呼べば縛り首」とこの男は言った。はったりでもなんでもなく、事実だ。
自分の黒髪がどんなに忌み嫌われるか、理解している。
頭巾を奪われなくても、大声を出されたら、おしまいだ。
逃げようとして、脚がもつれ、酒場の汚い床にしたたか顔面をぶつけた。
「なんだその脚は……義足か? ぶざまだな」
男は、イツキの背中を思いきり踏みつける。
肺のなかの空気が全部出て、ピンで止められた虫みたいに動けなくなる。
「おいみんな! 聞いてくれ。おれは村長だ。この女は……」
破裂音とともに、村長の顔面で、細かな粉末が飛び散った。
「!?」
涙と鼻水、それにくしゃみが止まらないらしい。
目をこすりながら、途切れ途切れに、
「てめえ、……ッなにしやがる。……おれは……村長だぞ」
「へえ? それならおいらは、その村を救った英雄ですが?」
少し離れた位置で、スリングショットを構えているのは、緑黄色の髪をした、一五歳くらいの少年だった。
徐々に視界がもどったらしい村長は、相手を見て口ごもる。
「う……これはご無礼を。しかしね、私あ……」
少年は、悔しさを押し殺した、かつ、長くなりそうな、相手の言い分を聞く気はないようだった。
「いや、どうでもいいから。
とにかくおっさんさ、仲良く、楽しく飲めないんなら出て行けよ」
村長は肩をすくめて、「調子に乗りやがって、若造め」とこれはイツキにしか聞こえない小声でつぶやき、足音高く、立ち去った。
◆
テーブルに着くと、少年は、「一等、上モノのエールと肉料理」を注文した。
「あざましたー」
「いいっていいって。じつはあんたに話しかけたくて、機会をうかがってたんだよね。
なんで村長なんかにからまれてたのか知らねえけど」
日焼けした頬に刀傷があり、どことなく隙のない物腰から、冒険者と思しいが、笑顔にはあどけなさが残る。
旅装ではないということは、この都市に滞在中なのだろう。
「おいらはコリー。あんたは?」
「イツキ。……イツキ・ミナセ、デス」
コリーは一瞬、なぜかけげんな顔をしたが、
「そっかイツキな! まあ、飲め飲め!」
すでにできあがっているテンションで、酒と料理をすすめてくれる。
イツキはこの世界にきてから、おもに、干からびた黒パンと、お湯に野菜くずが浮かんだスープしか口にしていない。
大皿にたっぷりと盛られたソーセージ。
それに、串焼きの方は、コリーに訊けばシカ肉らしい。
どちらもハーブを利かせてしっかり味つけされており、とんでもなくうまかった。
つい、酒を飲むペースも早くなる。上質なエールはさらっとしていて、麦のうま味があり、アルコール度数も高い。
半時も経たないうちに、イツキはかなり酔っていた。
「コリー、ひさびさにマトモな料理にありつけマシタよ。
あざますケド、ナンデ、自分なんかに親切にしてくれるんデス?」
酔っているとはいえ、自分の容姿が、こっちでは醜いという自覚はある。
元の世界では、少なくとも人並みだと思っていたけれど。
酒場で、うまい酒や料理をおごって心を開かせる……相手が、有力者か美人でもないかぎり、メリットがあるとは思えない。
イツキは、有力者にも美人にも見えないだろう。
「まあ、退屈してたってのもあるけど、あんた、なんか、変わってるからさ」
肉をくちゃくちゃ噛みながら、コリーは言った。
「変わってる。どのへんが?」
「そうだな、まず、場ちがいだ。第二市区の酒場なんて、それなりに羽振りのいい連中が集まるところだぜ?
村長だって、ちょっと背伸びしてる、まあ領主さまと、収穫について談合の帰りにでも寄ったんだろうけど。
だけどイツキは、外道……だれかの奴隷だろ」
「イエス。そうデス」
シカ肉の、ちょっと硬いところをエールでぐいと流しこんで、イツキは答えた。
コリーは言葉をつづける。
「そのくせ、あんた、掲示板を見てたよな? 真剣な顔で。字が読めるってこった。
ふつうの外道ならありえねえ。眼鏡をかけてるのも変だしよ」
コリーは、イツキの、ここ数日の様子を観察した上で、こうして声をかけてきたらしい。
眼鏡がおかしいというのは、外道が所有するには高価すぎる品だからだ。
「それに、さっき苗字を名乗ったのは、冗談か? ミナ……とか。
苗字を持つことが許されるのは、貴族サマの特権だぜ」
「アー、そーなんデスね」
そこまで、不自然さがバレているのなら、多少は事情を明かしてもいいか。
酔いも手伝って、イツキは愚痴っぽい気分になっていた。
「じつは自分、奴隷の身でね、ご主人サマに借金があるんデス」
「はーん、いくら?」
返すアテがあるのなら、貸してやらないでもない。
この年下の少年は、たぶんそんなことを考えていたと思われる。
「銀貨、二〇〇枚以上」
イツキが簡潔に答えると、コリーは思わずエールを吹き出した。料理にもかかってしまった。
相手の動揺を予想していたので、イツキは気に留めず、新たな串焼きに手を伸ばし、肉を頬ばる。
「二〇〇枚ィ? とんでもねえ額じゃねえか!」
「ほんそれ。で、イイ仕事がないか、困ってるんデスよ」
コリーは、しばらく絶句していた。
「……なにがあったら、そんなことになるんだ……?」
「まあ、おもに治療費デスね、この義足トカ」
しかしこの世界の常識なら、たかが奴隷にそこまでの治療費をかけるくらいなら、死なせるのがふつうなのだろう。
義足代だけでも銀貨五〇枚だったが、一般的な奴隷は六〇枚前後で取り引きされるとレイシィは言っていた。それなら不具の奴隷を放り出して新しく買う方がいいに決まっている。
イツキが特別あつかいを受けたのは、異世界人だからだが、それはさすがに明かせない。
酔いが醒めたような面持ちのコリーをよそに、イツキはわしわしと肉を食い、エールをあおる。
うまいものを飲み食いできるのも、どうせいまだけだ。
読んでくださってありがとうございます♪
【次回】#11. 酒場にて(3)、すみません、ちょっと変則なのですが、次回の更新は、3月30日(月)になります。分量が少ない時などは、時々、月曜に更新というパターンもはさんでいきたいと思っております。
内容としては、もうひとり、新キャラクタを登場させつつ、会話による状況の説明がつづきます。