金色のリング
珍しく入荷した金色のリング。それはまだ誰にもつけられたことのない、気高き処女のようだった。
傷つけぬように、手袋をつけてそっとショーケースに陳列する。
k24で作られたリングは他の銀色のリングたちとは0が二つも違う価格がつけられていた。
k24、つまりは金である。
私にはただ色が違うだけのようにも見えるが、触れてみれば、確かに重さも他の銀のリングとは倍近く重く感じる。
きっと指にはめていたら、それだけで指が疲れてしまうのではないかと思える。
都心から離れた大型デパートの一角にあるジュエリーショップで私は働いている。
ただ同じ階にあるアパレルブランドに比べれば、私の働くジュエリーショップ『リ・シエル』は随分と売り場面積が狭い。
服などに比べてアクセサリーは陳列するのにも場所を取らない。
それに都心から離れた店舗ということもあり、お客様など1日に数人くればいいほうである。
ガラス張りのショーケースに入れられた金色のリング。
腰を折ってそれを見つめていると、このリングは誰にも買われることがなく、このままここで朽ちていってしまうのではないだろうかと考えた。
きっと、このままガラス越しに見つめられるだけ。動物園でみる動物のように、見ることは出来ても触れることはない。
「すみません」
金色に見惚れていると、お店の前には一人の女性が立っていました。
まるでスーパーモデルさんのようなスラリとした美しいラインをした身体が、タイトなスターサファイア色のスーツに大切そうに包まれている。
顔立ちは若くはないけれども、女優さんのような美しく凛々しい顔立ちをしていらっしゃる。
思わず口を開けて見惚れてしまう。
「はい、どうされましたか?」
「その金の指輪、試着してみてもいいですか?」
「はい。ただいま用意いたします」
試着するということは、少しでも買う意志があるのだろうか。
てっきり誰にも買われることなく、しばらくはこの金色を眺める日々が続くのだろうと想像していた日々は今日にでも終わりそうだ。
手袋はつけたままだったので、ショーケースの鍵を開けて、牛革を鞣したトレーに金色のリングを載せた。
お客様は上から横からとリングの全身を、まるで子供が動物園の動物を面白がるように眺めている。
そうして、やっと金色のリングはまだ誰にも渡していなかった処女を、お客様へと渡した。
指に光る金色は重くないだろうか。
お客様は重さなど気にはされていないようで、鏡に映る指先ばかりを見つめていた。
見た目も美しいお客様にはとても似合っていらっしゃった。
「とても……とても似合っていらっしゃいます」
「下手な営業トークね」
「いいえ、本心です。お客様は本当に美しいです。だから――その指輪もよく似合っていらっしゃいます」
「そう? ありがとう」
私の言う事など信用していないような苦笑。
でも、そんな顔でさえも美しく感じてしまう。
今処女を失ったこのリングだって、きっとこのお客様につけていてもらいたいと思っていることだろう。
リングだって、美しく作られた以上は、美しい人につけられたほうが本望だろう。
「ねぇ、あなた」
「はい」
「もし、この指輪を買ったなら、私をVIP扱いしてくださる?」
「勿論です」
一度に数百万のお金を落としていくお客様は少ない。
お店では年間でいくら使ったかをお客様ごとに計上している。そうして、ある一定の額以上を購入していただいたお客様はVIPとして扱い、VIP専用のパーティ(という名の即売会)や、先行販売のDMなどを送っている。
今お客様がつけているリングは、それ一つでVIP入りするものだ。
「VIPといってもね、私がいうのは貴女に寄り添ってほしいの」
「と、おっしゃいますと?」
「これを買ったら、私とお茶してくださらない?」
恐らく、この人はプライベートでの付き合いを望んでいるのだろう。
たまにいるのだ。こういったお客様が。
買うから、俺と付き合えだとか、買ったんだからサービスしろという頭のネジが外れた輩。
しかし、お客様は女性だし、店員である私も女だ。
そこに何かやましいものがあるのだろうか。今の世の中、何があるかは分からない。
だが、このお客様といったら見た目は美しいし、腹の中に何か抱えているとしてもそれは暗いものだとか、下品なものがあるようには感じられない。
それからお客様はさっさとクレジットカードでリングを購入すると、閉店後に向かいのカフェで待っているといって去っていった。
この後どうなるのだろう。
今日はワンオペだったので、一人で売り上げを計算しながらレジの中のものを纏める。
といっても今日の売り上げは先のお客様が買っていかれたリングのみ。
ただ、一日の売り上げとしては最高額を記録していた。金額にして216万円だ。
売り上げに対していくらかのインセンティブがあるため、次のお給料は期待できると邪な考えがよぎりながら、私は閉店作業を終えてさっさとデパートから出た。
都心から離れたデパートである。閉店時間である21時を過ぎた一帯はすっかりと静かになっている。
さっさと歩きながら向かいのカフェへと向かえば、窓際のソファ席で先ほどのお客様が優雅にドリンクを嗜んでいる。
グラスを持つ指には金色のリングが光を反射しているのが、ここからでもわかる。
「おまたせしました」
「待っていたわ。来てくれてありがとう」
「それで、私は何をすればいいのですか?」
これだけの金額のものを買っていただいたのだ。私的には何か出来ることがあるのならばしたいと思う。
もしもこのお客様が男性だったり、イケすかない女性ならば、そもそもここには来なかっただろう。
だが、目の前のお客様は美しい女性。
こんな女性とならば――私なんでもしちゃいますよ。えぇ。
「あのね、実はね」
気品ある美しさとはかけ離れた乙女がいた。
伏し目がちで、視線をきょろきょろ泳がせると、両手を股に挟んでもじもじしている。
なんだ、この可愛い生き物は。私が肉食動物だったならば、すぐにでもかじりついていることだろう。
「あなた、アクセサリー雑誌に何回か載っていたでしょう?」
「見られたんですか?」
乙女はただコクンと頷く。
アクセサリー雑誌に載ったことは何回かあった。
といっても新作の紹介や、今売り出したいブランドの宣伝のためにわざわざ原宿だとか渋谷に出向き、表向きは『町で見かけた素敵コーデ』といった風に写真を撮られて雑誌に載る。
勿論それは会社の指示であり、仕事のうちだった。
ただ、アクセサリーを扱っていると、そういったことがたまにあるのだ。
お客様はその雑誌を見たのだと話す。
「一目惚れしてしまったの。この世の中に、こんなに可憐な人形のような乙女がいるんだって。だから、私一目会いたくて、探し回ったの」
「そんな乙女だなんて」
「ここの店員さんだってことは分かっていたの。でも、会ってどう話しかければいいのか分からなくてね、とりあえずお金をためてお客さんとして行こうと思って」
そんな経緯でここに来ていたとは。
雑誌にのると、こんな特典まであるとは知らなかった。
「でも、実際会ってみたら雑誌で見るよりも何倍も可憐で……もうどうしようもなかったの」
「そうだったんですか」
一切目を合わせてくれない乙女が、指をもじもじさせると、グラスから零れた雫をいじる。
人差し指につけられたリングがそのたびにキラキラしている。
「正直にいうとね、お友達に……なって、欲しいなって」
「いいですよ。やだ、私ったら、てっきり身体目的とか恋人になれって言われると思いました」
笑ってみせると、お客様は恥ずかしそうに両手で顔を塞いだ。
ますます可愛くて、思わず頭を撫でてしまいそうになる。
「そんな、早すぎます。でも、そんな関係も……憧れます」
「じゃぁ、もう私たちはお友達です。そういえばお名前をうかがってませんでした。なんておっしゃるんですか?」
いじらしい指先を手のひらごと捕まえると両手に包んだ。
余計に恥ずかしそうにするお客様は口ごもりながらも、自分の名前を口にする。
「三城です」
「下のお名前は? せっかくのお友達なんですから、下の名前で呼びたいです」
「ゆえ、です」
「ゆえちゃん。ゆえちゃんですね。私の名前はもうご存知ですよね?」
「雑誌の通り、鈴木カナンさんですか?」
「はい。カナでいいですよ」
「じゃぁ……カナ、さん」
「呼び捨てでいいですってば。ね、ゆえ」
「か、かな……」
「はい♪」
恥ずかしそうにする顔を、今すぐベロベロに舐めてやりたいと思う。
先ほどまでは自分が食われる側だと思っていたのに、すっかり立場は逆転してしまっている。
そこからはお互いの話を、カフェの閉店まで話し続けた。
お仕事の話、互いの趣味の話、雑誌にのったときの話。恋愛の話。
話している間、私はずっとゆえの手のひらを握ったままだった。
カフェが閉店して、私はゆえをつれて居酒屋を目指した。
「どうせならお酒飲みながら話しましょう」
「は、はい。よろこんで」
ゆえの手を引きながら、スキップでもしだしそうな足取りで駅前の居酒屋を目指す。
無論、このまま酒をずるずると飲んで終電をあえて逃して、行くところまで行かせるつもりだ。
ゆえは金色のリングの処女を奪った。
だから、次は私がゆえの――




