第一話
きっかけは、ちょっとした事だった。
異界である魔界へと続く道を歩いていたときに、ちょっと足を踏み外してしまったのだ。
───脇見歩行は厳禁だな。
そんなことを思いながら異界の狭間に落ちていった僕は、いつの間にやら全く違う異界に辿り着いてしまっていた。
「……魔素はあるみたいだけど、聖素はなさそうだな」
人気のない森の中でそう独りごちる。
魔素があるから魔術は行使できるだろうけど、聖素が一切存在しないため、【勇者の加護】は発動できない。
これは、困ったことになったな。
二代目勇者、アーサー・ペンドラゴン。
それが、僕に与えられた称号。
勇者として、世界を、民草を護る……はずだったんだけどな。
せめて、聖素があればどうにかなるのに……。
はあ、と大きなため息が出た。
「聖素がない異界なんてあるのか……」
そもそも、異界とは聖素が集まって発生するもののはずだ。
だからこそ、聖素がないなんて有り得ないんだけど……実際に、存在してるんだもんな。
相棒の聖剣エクスカリバーも、これじゃただの斬れ味のいい剣だ。
……ま、いっか。
僕がいなくなったことで、三代目も勝手に選ばれるだろうし。
剣は…………やっべ、これしかなくない?
……じ、次代勇者君、ごめんなさい!
せ、聖鉱石を見つけるところから頑張って。
ということで、獣も寄ってきたことだし、そろそろ行動を開始しますかね。
のそりと立ち上がると、タイミング良く獣が僕の前に姿を現す。
「……ええと、なにこいつ?」
緑色の肌をした、腰ほどしかない醜悪な鬼。
いや、鬼と言っちゃあれなくらい筋肉ないけど。
と、とにかく頭に角が生えてるから多分鬼だ。
オーラは全くもって感じないから、見た目通り多分とっても弱い。
……聖剣を使う必要もないかな。
無防備に近寄ってくる小鬼に向かって、手刀を振り下ろす。
「なっ!?」
脳天から真っ二つにする勢いで振り下ろしたはずのそれは、チビ鬼に傷一つ付けることなく体を通過する。
ッ!まさかこいつ幽霊種か!?
しかし、聖剣に魔素を注ぎきる前に、小鬼は青い光となって消滅した。
「……はっ?」
僕は大いに混乱した。
もし、幽霊種だった場合、魔素を込めなければ消滅させることはできない。
かといって、死んだ通常種が消滅するはずがない。
となれば────
「どこに隠れたっ!?」
しかし、いつまで経っても小鬼が姿を現すことはなかった。
☆★☆★☆★
「おかしいなぁ。どこ行ったんだ、あの小鬼たち」
あの後、移動中にも何度か同じ種類の小鬼たちに遭遇したが、全てが青い光と共に消え去ってしまった。
あの青い光は、恐らく転移系統の魔術なんだと思う。
転移魔術は光を伴うって聞いたことがあるし。
あんな弱そうな小鬼が転移魔術の使い手だなんて、随分と恐ろしい異界に来ちゃったなぁ。
しみじみと思っていると、ある重大な事実に気がついた。
「……僕、今日の食糧どうしたらいいんだ?」
今のところ出会ったのは、どこかに転移してしまう小鬼たちのみ。
この調子で行くと、あの小鬼たちしか出会わないような気がする。
つまり、食糧がない。
いや、一日くらいは何も食べなくてもやっていけるけれど、この森って一日二日で抜けられるようなものなのだろうか。
もし、この森が深かった場合、餓死してしまう可能性もある。
そう考えると、背筋がゾッとする。
「まずいまずいまずいっ、こんなゆっくり進んでる場合じゃないぞ」
餓死せずとも、食糧がなければ体も満足に動かせなくなり、あの小鬼たちに食い殺される可能性だってある。
「いや待てよ。小鬼たちがいるんだから、その小鬼たちが食べてるものがあるんじゃないか?」
その考えに至ったとき、獣の気配を察知する。
小鬼に見つからないように後をつけていけば、きっと食糧があるはずだ!
そう考えた僕は、気配を消し、小鬼に気付かれないように尾行を開始する。
小鬼の視界に入らない場所に位置取り、足音を完全に消し去り、気配を極限まで薄くする。
「……?」
小鬼は一瞬怪訝そうな表情になるも、僕に気づくことはなかった。
よし、いけるぞ。
僕を君たちの食糧の場所まで連れていくんだっ!
が、しかし。
……いつまでグルグルしてるのかなぁ、この子。
かれこれ五時間は経つと思うんだけど……。
腹が空かないのか?
いや、流石にそんなのは生物としておかしい……はずなんだけど。
陽は段々と高度を落としていく。
そして、完全に月明かりのみになった瞬間、それは起こった。
「……なんだよそれ」
目の前の小鬼が、青い光すらなく消え去った。
代わりに現れたのは、二足歩行の犬の獣。
目を擦っても、その光景は変わらない。
強さとしては、小鬼よりもほんの少しだけ強い程度の獣だ。
「どうなってるんだ……」
完全に今までの常識が通じない世界。
もしかしたら、生物が食事を摂ることすらないのかもしれない。
「……人を探そう」
希望は捨てない。
背後から犬の獣を切り伏せ、出口かすら分からない方向へと歩き出した。
まあ、犬の獣は青い光になって消えてったんだけどね。
なんなのこの世界、まじで。