嘘と現実の経済と農業
ある所に仲が良いとは言い難い兄弟が住んでいた。
その家は古くから農業を営んでいるのだが、兄の方はそのまま農業を続けていく事に反対で、農地を売り払った金で事業を始め、大きな富を築こうという野心を持っていた。弟の方はそんな兄とは対照的に、古くから育てられよく肥えた“土”を持つその農地を充分に活かすべきだと考えていた。
そして、この兄弟は父親の死と共に土地を相続すると、互いに信じる別々の道を歩み始めたのだった。
農地の半分を相続した兄は、その土地を売って資金を手に入れると、直ぐに引っ越し工場を建てて会社を始め、弟はその半分の土地で農業をし続けた。ある程度金を稼いだら、兄が売った土地を買い戻して規模を大きくする算段だった。
兄はそんな弟を伝統に囚われる愚か者だと考えていた。
「農業なんてGDPのほんの1%しかないじゃないか。どうして拘る必要がある? この国は工業をもっと伸ばすべきなのだ。食糧などいくらでも外国から輸入できるのだから」
そう。
兄の言う通り、工業経済が発達していたその国では、農業の経済における重要性は著しく低下していた。少しくらい低迷したところで、ほとんど影響はない。多くの人は問題なく生活ができる。
国際分業論というものがあるが、兄のその考えはそれに則ったものだった。
食糧生産は大量生産が可能な広い土地を持った国に任せ、工業生産が得意な国はそれに特化していけば良いといったような考えだ。
「動物の身体を観てみろよ」
と、兄は言った。
「目は物を見る事に、耳は音を聞く事に、口は物を食べる事にそれぞれ役割を特化させているじゃないか。もちろん、内臓だってそれは同じだ。
動物がそのように進化したのには、ちゃんと理由があるはずだ。きっとその方が効率が良いんだよ。
人間だってそれを見習うべきだ」
弟はそれに何も返さなかった。返さなかったが、彼にだって何も考えがないわけではなかったのだった。
確かに自分の国は土地が狭い。
しかし、それ以外の点ではとても農業に適している。土地は肥沃だし、雨量にだって恵まれている。海に囲まれているお陰で気候だって安定している。世界農業の宝と言っても良いくらいだ。
それに、“GDPのほんの1%”というのは本当に重要性を表している数字なのだろうか?
経済の規模にとっては1%でも、人間にとって重要でないとは限らない。何しろ農業は生命活動に必要な食糧を生産する営みなのだから……
そして月日が流れた。
兄は事業で成功し、大きな富を稼いでいた。最近では金融ビジネスにも手を出していて、投機によって荒稼ぎをしていた。弟の農業も順調に規模を拡大していたが、兄の成功には遠く及ばなかった。
そんな弟を兄は馬鹿にしていた。勝ち誇ってこんな事を言う。
「弟よ。お前は必死に働いてその程度だ。俺を見てみろよ。圧倒的に効率良くしかも派手に稼いでいるだろう?」
弟はそれにやはり何も返さなかったが、内心ではこう思っていた。
“兄さん。あなたのやっている事には、本当に‘実’があるのですか?”
また月日が流れた。
兄はその方が効率が良いと、金融ビジネスに熱中するようになっていたが、弟は相変わらず地道に農業を続けており、規模を拡大し続けていた。
そしてそんなある時だった。大きな気候変動が起こったのだ。そしてそれによって世界の多くの農地が深刻なダメージを負った。しかも、国際分業によって、一部に農地を集中させ過ぎてしまっていた所為で、世界中が飢える事になってしまったのだった。
二酸化炭素の増加、その他の影響で、いつ何時世界規模の天災が起こるか分からない状態だと言われていたわけだが、それが遂に現実になってしまったのだ。
もちろん、その影響はビジネスにも飛び火し、株価や債券や仮想通貨の暴落を招いてしまった。そしてその被害にあの兄弟の兄もまた巻き込まれてしまっていたのだった。金融ビジネスに手を出し過ぎた所為で、巨額の損失を出していたのだ。
一方、農業をし続けていた弟は、その食糧危機による農作物の高騰で、収入が桁違いに伸びていた。
経営が一気に厳しくなった兄は、そんな弟を頼らざるを得なかった。資金を融資してもらい、食料品も安く譲ってもらう。そんな兄に向けて弟は言う。
「兄さん。多分、兄さんは今起こっているのはイレギュラーな事故だと思っているのじゃないか?
偶々の不幸だって。
でも、僕は違うと思う。金融ビジネスなんてどれだけ規模が大きくたって本物じゃない。だって、金融マネーで実物資産を買ったなら瞬く間に高騰して、その“お金の価値”なんて消えてしまうじゃないか。
でも、農業は違うよ。どれだけ工業化が進展しても、絶対に必要なものだもの。実があるんだ。僕は今のこの現状こそが、農業の本当の価値を表しているのだと思う」
そして、一呼吸の間の後で、
「植物の身体を観てみなよ」
と、弟は言った。
続ける。
「身体の機能を完全には分化せず、様々な器官が様々な機能を果たせるようになっている。植物は茎でも光合成が行える。場合によっては根でだってできるんだぜ。
そして、そのお陰で植物は、例え枝葉や根が少々引き千切れたとしても全然平気で生きていける。動物なら致命傷になっているだろうにね。
これは大変に素晴らしい能力だと思う。
植物と同じ様に“生産活動”を行っている人間社会だって、それを大いに見習うべきだよ」