[000-1]
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男嫌い・男性恐怖症などの男が嫌悪される言葉は多々あり、認知や理解をされている社会は築かれている。
しかし、女嫌い・女性恐怖症という言葉は、未だに社会には馴染んでいない。
女性嫌いを代表してこの僕、赤城 蓮が仮に――そう、もし仮にだが、友人や親に「僕は、女嫌いなんだ」なんて打ち明けたらどうなるだろう?
信じてもらえないのは重々承知なのだが、万が一、百が一にも「ホモなのか?」と茶化されることは、人としてあってはならないのである。
だが、女が男嫌いだと打って出たら話は540度変わる。
ちゃんと心配される…
されなくても「百合なの?」なんて億が一、兆が一がありえないと断言できる。
男が女嫌いで何が悪い?!何で理解されない!?
まあ、こんな事を考えても仕方無い。
誰も悪いとも、理解してないとも、実際は確認もしていないのだから文句は言えない。
そんな社会認知度について問いたところで結局、多数か?少数か?なのかだけの話なのだ。
そんなやるせない。
しかし、憎めもできない法則の中で人は生きている。
僕はまだ高校生だ。高校生になったのだ。──僕は、その中で青春を生きて行こうとしている。
これはそう、結論から言ってしまえば、
――「過ち」を
――「葛藤」を
――「恋」を
『青春』という便利な言葉で、カタチで、僕の人生の1コマを勝手に語るだけだったのかもしれないが――今はまだ、僕も知らない。