第98話 決戦前夜
ワタシはその日が終わる数分前に眼を覚ました。
一応耳を澄ませてみるも、就寝直前まで聴こえていた騒ぎ声は一才聴こえてこなかった。
懐中時計で時刻を確認して私服に着替え部屋を出た。階段を降りて居間を抜け、台所に立ちコップに水道水を注ぎ一気に飲み干す。
「ぷはっ」
「柚希?」
軽い息を吐くと、居間の方から声が聞こえた。
「風音さん」
ワタシはコップを流し台に逆さにして、風音さんに近付く。
「寝れた?」
「あ、はい。一応………」
「……お疲れ様。調子は良さそうだね?」
? 珍しい。今はやけにしおらしい。
「そう、でしょうか?」
気に掛かり、カマを賭けてみる。
「そう見えるけど、やっぱりまだどっか痛む?」
…………。物珍しいが、特に裏があるという訳ではなさそうだ。
「柚希は、今回の作戦……どう思う?」
「……………」
正直、作戦と素直に呼称して良いのか分からない概要と現状。
それでも、風音さんは現状をなんとか打破しようと足掻き続け、この作戦に到った。
それは、素直に支援すべき事なのだろう。
だけど、ワタシにはそれが愚策にしか思えず、茶を濁すことしか出来なかった。
「じゃあ、柚希はどうした方が良いと思う?」
所詮は人類種の策。それが〈神〉に近しき存在に通用するとも思えない。
だからこそ、ここで終わらせるしかなかった。
皆の決意を無駄にしない為に、これ以上の犠牲を出さない為に。ワタシに出来ることは、ただ一つ。
早く、この無駄な《計画》を終らせる事。
風音さんの問いにおおまかに答え、ワタシは縁側へ移動し中庭に出た。
「……………」
中庭に脚を踏み入れた瞬間、肌を擽るようなそよ風がワタシ頬を優しく撫でる。
その頃には、既に日が変わっている頃。
心地良い感覚に身を晒した後、ワタシは満天に輝いている夜空を見上げる。
この世界のこの空はこれが最後で、この星々の煌めきも総てが偽りでしかない。
そう思うと、非情に億劫になってくる。
そんな情のモヤモヤ取り払うように、ワタシは家を飛び出した。
現在の時刻は、もうじき丑三つ時と云われる頃。
もうこの世界に、霊界も妖界も存在しない。
なので、そう呼んではいても、それに連なる現象は何一つ発生しない。
そう思えば少しは気が楽になるが、ワタシは最初からそんな不可思議な存在を信じてはいなかった。
だけど、今この状況になって、それが別の意味で異常な事だと悟った。
人類種も世界も事象も変わる。何一つそのままという存在はどこにも存在しない。
だからこそ、今回の《計画》もその一部でしかない。
訪れる災厄。止められぬ現象。その上で、〈神〉は〈人類種〉に神判を下す。
それは、もうずっと昔から決まっていた決定事項。
それを、〈神〉はずっと昔から保留にしてした。
だからこれは、致し方無い事。
そう思えば、少しは気も楽になるというもの。
「そう思いますか?」
「………………」
それは、〈人類種〉の気配ではなかった。それに類似した、あるいは似せた異様な気配。けれど、ワタシはその気配を知っていた。
「まだ、もう少しだけ時間はありますよ」
だから、重要な事だけを口にして声がした方へ振り向いた。
「でしょうね………」
そこに立っていた人物は、その解答などお見通しと言わんばかりに、肩を竦める。
「でも、今はそんな事などどうでもいいんです」
「………?」
「私は、この機会に訊ねてみたかっただけですので」
そう言って二歩ほど近付いていた風音さんと同い年くらいの女性────アンゼリカ・クロイスは柔らかく小さな笑みを魅せる。
「私が訊ねたいのは一つだけ。貴女は、今の状況に満足していますか?」
「……………」
何故だろう。その言葉を聞いた時、ワタシの胸に再び変な感覚が生まれた。
けど、これはついさっき取り除いたモノとは違う。
「貴女はまだ、完全ではありません」
畳み掛けるように、アンゼリカさんは言葉を紡ぐ。
「今の貴女がやろうとしている事は、過去の貴女です」
そんなことなど分かっている。
「今の貴女はどうですか?」
「…………え?」
「本当に、貴女自身で考えて、貴女の心に従っていますか?」
「それは…………」
「先程、貴女はご自身の気持ちに違和感を覚えたはずです」
「………………」
言いたいことはなんとなくでも分かる。だけど、ワタシ自身の情など、当に解るはずのない事。
それに、ワタシにはそれを求める意味も理由もない。
だが、もしかしたらそれこそが『逃げ』だったのかもしれない。
分からないからと眼を反らして、自分じゃないからと流されるように色んな事に手を出し首を突っ込んだ。
そして挙げ句、ワタシ自身は何も変わっていない。
ただ、総てを思い出し、過去の自分にすがっただけ。
「それでもまだ、貴女は過去を再現するのですか?」
どう言われようと、ワタシの考えは変わらない。
そもそも、ワタシに変わったところで、この期限は書き換えることができない。
「このまま夜が明ければ、総てが終わる」
そう。今日の明朝。虚界は再び、崩落する。
「出来れば、なんとか今いる人達だけでも生き残れる方法を模索したかったのですが」
…………ん?
「仕方ありませんね。これも、このセカイの摂理───」
「あの、ところで、一つ聞いても良いですか?」
「?はい、何でしょう?」
小首を傾げるアンゼリカさん。ワタシは改めて彼女の方へと向き直る。
「アナタは、先日の事を覚えているんですか?」
「え?……ええ」
「………?」
何故?
「もしかして、崩落を無かったことにした事ですか?」
「はい………」
風音さんやヴィヴィアンさん達は、すっかり書き換えられている様子だった。
「えと、簡単に言えば、私が《影法師》の一人だからですよ」
そう言われて、そうですよね。というように率直に納得できようはずがない。
「貴女がどの程度ご理解していただいているかは分かりませんが、私達《影法師》は《夜天二十八罫》の中でも最も〈影の王〉に近い存在です」
そういう存在だということは、以前リッチさんやサヤカさんから聞いた。だが、二人ともその二つに何の違いがあるのかまでは知らなかった。
「そもそも、私達《夜天二十八罫》は現在〈影の王〉と呼ばれている少年の内に蠢いている膨大な〈呪い〉を、別の〈依代〉に分割する為に用意された『非験体』に過ぎません」
リッチさん達の話とは多少の語弊のようなものがあるが、その認識はほぼほぼ同じのようだ。
「その中でも、私達《影法師》がその権能を多く受け継いでいるというだけです」
もしかして、《夜天二十八罫》の中には順位がある?
でも、サヤカさんアヤカさんの姉妹とハーメルンとの間には大きな力量差があった。それを示唆するように、神成神社で戦ったアスカさんと星界で戦った数人の《華騎隊》の人達も、それぞれに確かな力量差が存在していた。
そして、それを更に裏付けるように、アンゼリカさんと〈影騎士〉にも天地と相違ない程の力量差が存在している。
「とはいえ、私達の権能は個々の総意ではありません」
「え?」
「皆さんがそれぞれに、ソレに適合していたというだけです」
権能の種類までは選べない。
それではまるで、《烙封印》の実験体とされた〈烙奴隷〉と同じ。
……………。────いや、おそらく〈烙奴隷〉の方が後継基ということ。
「………と。話がずれてしまいましたね」
そう言って、アンゼリカさんは話題の指針を巻き戻す。
「つまり、《影法師》とは〈影〉と類似する存在であり、この世界に埋め込まれている〈瘴気〉を本来の正規の方法とは別の経緯で権能へと換えた存在」
「…………??」
それは、権能の受け継ぎにも千差万別的な要素が存在するということ?
「ですが、勘違いして頂きたくないのは、私たち《影法師》が他の《夜天二十八罫》の中で最も〈主〉に近しい存在というだけで、今回の事も含め、この世界で起こった事象は総て他の《夜天二十八罫》と何一つ変わらない認識しかしていません」
「それって……………」
「ええ。私も他の《影法師》の方々も、虚界が描き換わったとは正面から認識できていないということです」
それは、昨日何が起きたのか知らないというより、思い出せず、そこだけ妙な『空白』があるということ。
「ですから、私から改めて問います。昨日、貴女は何を行い、残る《計画》をどうされる予定ですか?」
「………ワタシは…………」
答えられるはずがなかった。
先程アンゼリカさんが言っていたように、ワタシには意思がない。
この選択は、過去のワタシが求めたモノであり、決してワタシの意見など微塵たりとも含まれていない。
だから、今のワタシが答えられるのは、今まで起きてきたことの総括。その果ての選択だけ。
それでも、これが避けられぬ運命。
あのまま崩落を止めず世界が滅びることを受け入れるか。杭を引き抜くために最後の足掻きを打診するかのどちらかしか存在しない。
無論、誰もが後者を選択するだろう。
だが、現実は違う。
この手の輩は、『別の手段が………』とか『違う方法で………』などと無駄な討論をしたがる。
その言い分には賛同できる。だが、それを討論している暇などこの世の中にありはしない。
総ては、後の祭り。
他者がどれだけ喚こうが、運命など覆すことなど不可能。
だから、ワタシの意見も変わらない。
このまま突き進むというのなら継続して行うし、抗うというのならその策を講じる。
「……………そうですか」
そして、そんな言葉を鵜呑みにしたのか、アンゼリカさんは納得しきれないような面持ちでしばし思考した。
アンゼリカさんが思考している間にも、ワタシは国内をグルッと一周した。
家に到着した頃には、陽が連峰の谷間から顔出し始めていた。
中庭で型付けをしているとヴィヴィアンさんや晴さん達が起きてきて、稽古と称して何本か手合わせを行う。
束の間の休息の時、朝食の時間が迫る。
朝食は、自身の分だけで充分だった。自分で作る気になれないので好都合である。
朝食を求めて、ワタシは再び家を出た。行き先は無論、一つしかない。
だが、そのワタシの廻りには余計な人影が三つ存在していた。
ここまで、未だまともに話したことのない亜蒼晴、ヤマト・ヴィクタール、ニコ・スレプニルの三人である。
「いやぁ、東方には初めて来たがこんたとこだったんだな」
「ま、昨日はまともに街中を歩けなかったからな」
「へぇ~、珍しいお店が沢山」
道中。三者三様に無駄口を叩いていた。
ワタシはそんな三人を尻目に、スタスタと商店街を進んでいく。
お店に到着して早々、ワタシはいつものように定位置になりつつある座席に腰をかける。
ワタシが入店したことに気付いたリグレットさんが、慌ててエプロンを身に付けワタシの背後に付く。
「トトロさんの様子はどうですか?」
ワタシは、手渡されたメニュー表に眼を向けたまま、背後のリグレットさんに訊ねる。
「………………(ふるふる)」
言葉は返ってこない。
「そうですか…………」
だが、ワタシはそんなリグレットさんのことは理解しているつもり。
いくつかの料理で答え、メニュー表も返す。
しばしその場に立ち尽くしていたリグレットさんだったが、二~三分ほどで厨房へと消えた。
「あれ……、俺らの分は?」
リグレットさんが引っ込んですぐに、晴さんが声を挙げる。
騎士達を一瞥し、ワタシは席を立って厨房に向かった。
厨房にいた雅さんに事情を説明して伝票を借り、何故か後ろを着いてきたリグレットさんと共に席に戻った。
そして、騎士達から注文を聞き、再び厨房へ戻る。
少し手間と苦労が掛かったが、入店して十五分ほどでようやく朝食にありつく。
その後は騎士達と別れ、別行動を取ることとなった。
一応、医療棟にも寄ることを雅さんやリグレットさんにも伝えると、何故かリグレットさんは再び同行を志願した。
特に拒絶することでもないのですぐさま了承したが、単独で動けないのはなんだか居心地が悪い。
まっすぐ医療棟に向かったワタシとリグレットさんは、受付で簡単な手続きを済ませ職員用の階段を下っていく。
下った先は、地上から数十メートル以上下層にある限られた者のみが知る領域。
かつて此処は、─────《裔劫の地》と、呼ばれていた。
「医療機関の真下に、こんな世界が…………」
リグレットさんが、後ろでそう呟く。
その言葉から、トトロさんが此処に運ばれたわけではないことが確定される。
トトロさんの事は残念だが、ワタシの中にそれほどの情に揺れは発生しなかった。
何故なら、既にその『可能性』を同じ《影法師》の一人であるアンゼリカさんから聞かされていたからである。
元々、《影法師》とは屍者の『願い』と『想い』を反映し、現世に留めさせる存在。
その二つを維持出来なかったトトロさんは、本来の状態に戻ったというだけ。
それがトトロさんの意思であり、歴とした生命の在り方。
下ること五分ほど。
ワタシとリグレットさんは目的地に到着する。
「おはようございます」
十ある扉の一つを開き、中にいるであろう主に挨拶の言葉を投げ掛ける。
「ん?……あ、おはようぉ」
若干の眠気を帯びたような瞳で、部屋の主ハルナ・エルヴァールシュタインは挨拶を返す。
ハルナさんは鉄製の寝台から上体だけを起こし、目の下にうっすらと出来ていた隈を擦る。
ハルナさんに近付けば、その理由を理解できた。
ハルナさんが使っている寝台の向かいにあるもう一つの寝台には、見覚えのある人物が安らかな寝息を発てていた。
「結羽灯さん…………」
その人物の名を、ワタシはポツリと呟く。
結羽灯さんはトトロさん同様、先日の一件でこの医療棟に運ばれたが、ハルナさんの一任でこの一室に運ばれていた。
ハルナさん曰く、結羽灯さんは《影法師》の影響を受けている模様とのこと。
だが、アンゼリカさんの話ではそれは不可能に近いとのこと。
考えられる可能性は、結羽灯さんもまた《影法師》の一人ではないかということ。しかし、それもまた可能性としては低い。
だからか、ハルナさんは結羽灯さんをずっと看病してきた。
それも、もうじき必要なくなる。
もう数時間ほどで、世界は再び終焉に呑み込まれる。
それに備えて出来ることなど何もないが、もしもの時の事を踏まえてもう一度街を観て廻っている。
「ねぇ、柚希……。私は………、何を間違えたのかな?」
カップにコーヒーを注ぎ一口飲み一度休息を入れたハルナさんが、そう訊ねてきた。
「……………」
ワタシは、その問いには答えられなかった。
何故なら、ハルナさんにせよ結羽灯さんにせよ、二人の過去など殆ど知らないのだから。
ワタシの返答など最初から充てにしてなかったのか、ハルナさんは言葉を紡いだ。
「私が、師法家の事をちゃんと理解していれば…………」
それが、ハルナさんの唯一の嘆き。
ハルナさんのせいではないことを、ワタシは知っている。
だが、それが真実だと誰も証明出来ない。
そもそも、証明しようにも、この世界にはそんな事象が存在しない。
「ねぇ、柚希?私は、もう一度やり直すことができるのかな?」
「……………。────え?」
この人は、何を言って……………。
───いや。それは当然のことだろう。
何しろ彼女は、この一連の《計画》を立案させるに至らせた人物でもある。
そんな彼女だからこそ解る分野なのかもしれない。
だから、ワタシには何も言えない。
それは、ハルナさん本人が既に後悔していることだから。
そして、そんなハルナさんにだからワタシから言えることがある。
「ハルナさん。ワタシは、総てを叶えるつもりです」
「………え?」
一瞬だけ、ハルナさんは困惑したような表情を見せる。
その中に、ワタシは『悼み』のようなモノを感じ取った。
けど、それでも諦める訳にはいかなかった。
誰もが否定した世界。誰もが願った世界。その狭間で押し潰されそうになるからこそ、どちらかを選ぶしかなかった。
「柚希は、それで良いの?」
そんな問いは、何度も聞いた。
そして、『今のワタシ』はワタシを持っていない。
今はただ、その誰かの願いを叶えるだけ。
例えそこに絶望しかなかろうとも。それが、ワタシの使命であり、ワタシが生きる存在理由と言うのなら、ワタシはそれを実現させる決断をした。
所詮、創られた世界。そこに意味があろうと無かろうと、その世界が行き着く先は、所詮同じ。
ただ、それが早かったか遅かったかの違いだけ。
だから、もう良いんだ。
そう分別を付け、ワタシはハルナさんともリグレットさんとも別れた。
もう二度と逢うことは無いだろう。
もう二度と、同じ刻は来ないだろう。
だから、もう間違えることなど出来ない。
悲劇を繰り返すのを、これで終わりにしないと────。
「あ……………」
気が付けば、ワタシの脚は桜公園に足を踏み入れていた。
先日の一件で、此処にあった《神桜樹》は姿を消している。
無理もない。今の《神桜樹》は、ワタシの中にある。
先日、ヴィヴィアンさんや〈影騎士〉達と対峙した際、ワタシはこの地に眠る幾つかの権能を、その身に取り込んでいた。
その内の一つが《神桜樹》というわけだ。
「………………」
もうじき、世界は再び崩落を再開する。
それまでに、ワタシに出来ることは何もない。後は此処で、その刻を待つのみ。
だが、今のワタシには、情の片隅に今までにない『違和感』を感じていた。
それは、今は必要がない。その、はず…………。
────“終極間奏”ッ!!────
しかし、そんな柄にもない感傷も束の間、世界はその刻を迎えた。




