第95話 桜魂の果実
「それが、〈影〉の願い?」
一瞬、驚いたような表情を見せたが、少年の情はすぐさま現実を受け入れる。
「分かったよ。じゃあ、ボクがその願いを叶えてあげる」
本来ならば聞き届けられるはずのない願望。
しかし、たった一つの大切な『家族』の為、少年は走ることを決意した。
始まりは、何時だっただろうか。
「……………」
今のワタシには、それを思い出すことすら苦痛となっていた。
「ん…………、……ぁ………」
眼を開けた時、目の前に拡がるのは虚無のような真っ暗な世界。
「お。やっと起きたみたいだね?」
視線を左右に動かしていると、下方から少女のような声が音声越しのように聴こえてきた。
その声音から、歳はワタシより下か同じくらいだと予想される。
「すまないね。こんなカタチで」
それは、どっちのことを言っているのだろう。と疑問に思ったが、今は考えるのを止め、まだ開ききらない瞼のまま、眼下の少女に視線を送り続ける。
「悪いけど。今の私はアナタをそこから出してあげられない」
まるで、ワタシが牢に幽閉されているかのような言い回し。
だが、今のワタシにはこの状況はむしろ寝台に横たわっている患者の様。
「…………」
「…………」
「…………」
しばし沈黙が続くと、少女は机に向かい何かの書類仕事に巡視しだした。
仕方がないので、ワタシは眼を閉じ再び休眠することにした。
それから、そう少なくない歳月が流れた。
「さて、これで終わり」
もう実験は終わったらしく、少女はワタシを〈ゲージ〉から出した。
「……っ………」
「およ、大丈夫?」
足下をおぼつかせるワタシに、少女は何気無く手を貸してくれる。
「あ、ありがとうございます。お母さん」
「何?水臭いわね、私達、親子じゃない」
「……ッ………」
何気無いその言葉に、ワタシの情は大きく揺らぐ。
「じゃあ、早速だけど。アナタに遣ってもらいたいのは、二つ」
そう切り出して、少女はある要望を提示した。
それは、無理してこなさなくていい仕事。だけど、必ずどちらかは果たさなければならないお役目。
「それじゃあ、お願いね。此花咲夜」
それがワタシに与えられた最初の名前。
ワタシはそこからおよそ三年程を、その名で生活した。
得られるものは何もなく。総てが既に持ち合わせているかのような状態。
それは、この記憶も感情も同じだった。
誰かとしての前世。誰かに抱いた恋心。
それは決して自分のモノではないと思い込みながら、ワタシはあの人と出逢った。
前世で何度か出逢った少年。ワタシはその人に初恋を抱き、言葉届かせることなく朽ちていった。
そんな何百回、何億回もの人生を繰り返したという記憶があるせいか、ワタシは人類種としての箍を失っていた。
多分、周りの人達は恥ずかしく感じるくらい、過去の自分が羨むほどに、『今』のワタシは、見境無くその情を体現した。
だけど、それと同様に過去の災厄も再び引き起こされる。
西暦一九九六年十二月二十七日。
世界は、大きな革変の渦に呑み込まれていった。
南蛮対西洋、北欧、東方の戦い、後の第三次世界大戦はこの年に勃発した。
戦果は、既に目に見えていた。
西洋が戦線到着までの間の時間稼ぎをすることとなった北欧と東方。しかし、彼らの健闘は虚しく、僅か数ヶ月で東方は陥落し、北欧も後を追うように敗戦した。
自国を守る為と奮走した東方であったが、その努力は実らず追撃の南蛮と後続の西洋に挟み撃ちにされ敗戦。
その後、南蛮と西洋の戦いが一年以上も続いたが、両陣営の納得の後、世界大戦は冷戦へと移行された。
無論、両陣営のトップは停戦に持っていく算段を組んではいたのだが、ワタシの祖国が両陣営を兆略し、事態は再び動き出した。
再び開戦した第三次世界大戦。
その影響を受けてか、ワタシは命を落とした。
それにより、少年は己の体内に封じていた〈呪い〉を呼び起こし、世界そのものを崩落させた。
その世界は十に別けられ、それぞれに別の概念と真理を持つセカイへと再構築された。
「……ぅ…………。あ………」
ワタシは、その刹那に眼を覚ました。
「間に、合いませんでしたか…………」
そう悲観した声を漏らしながら、ワタシはゆっくりと上体を起こし、近くの塀に凭れかかった。
まだ、《夜天二十八罫》も組織も世界と戦っている。
そんな中で、ワタシに出来ることは限られていた。
「いか、………なきゃ…………」
きっと、彼は諦めている。
この世界を壊し、世界を再び調律することで、この現実から逃れようとしている。
少年にはその権能があった。
その権能を用いて、少年は総てを描き換えた。
災厄の世界は十の理により分断され、新たなセカイが古き概念により誕生。そして、それらは災禍の呪いという事象によって外界から閉ざされた。
そんなセカイは《零時計画》を期に再び一つに戻されようとしていた。
“無”から“零”へ………。
崩されたセカイは、奏でられ、換えられて、閉ざされる。
だが、それは決して『進化』でも『退化』でもない。
言うなれば、『一歩』だろう。
これだけのことをして、これだけのことを成して、セカイはようやく前進する。
それだけ世界は終わっていた。
護ることも、取り戻すことも不可能な世界。
それでも少年は足掻き続けていた。
何がそこまで彼を動かしているのか、何をそんなにガムシャラになれる要因があるのか。
ワタシには、それが全く解らなかった。
だから、ワタシはそれが知りたい。
「ハァハァハァ…………」
痛む身体、霞む視界でも頼りに、ワタシは黒炎の焔の中をただひたすらに進んでいった。
家がある住宅地は、既に〈焔〉によって焦土と化していた。
それでもワタシは諦めず、家があったであろう場所に到着する。
「えっと、たしか………」
僅かな記録と微かな気配を頼りに、目的のモノの前に立つ。
「あ、いた」
「サクヤさんッ」
そこへ、四人の少女が合流する。
「みなさん。どうして此処へ………」
「え?」
「どうしてって…………」
「んん……、何となく?」
ふざけているのか本気なのか、相変わらず分からない人達である。
「それで、サクヤさんは此処でいったい何をされているのですか?」
淡蒼髪の少女が、そうワタシに訊ねてきた。
「…………」
ワタシは、少し間を置いて、皆に今回の一件のことを話した。
無論、ワタシや彼の本当の『正体』までは話さない。
その上で、ワタシは皆を追い返そうとする。
「サクヤさんは、どうするの?」
しかし、その厚意を無下にするかのように、灰紫髪の少女が訊ねてくる。
「ワタシは……、ワタシの出来ることをするだけです」
「それって…………」
ワタシは、“癒しの奇蹟”を用いながら、焦土の大地に素手で穴を掘る。
「何をしてるの?」
「…………」
灰紫髪の問いには応えず、ワタシはただ黙々と穴を堀続けた。
「…………」
何度か彼女達のことを無視している内、次第にワタシ達の周りには遠くから聴こえていた戦闘音のみが響く。
ザクッ。
沈黙が幾分か続いた後、ワタシの目の前に鋼鉄の刃が突き刺さる。
「……………」
ワタシが顔を挙げると、目の前には仁王立ちで立つ四人の少女の姿があった。
「みなさん………?」
「ここ、掘れば良いの?」
朱髪の少女が、しゃがんでワタシと目線を合わせてそう訊ねる。
「え?ええ……」
ワタシは、突拍子もない彼女達の厚意に戸惑い、本当のことを口にした。
そこから意外と速かった。
女子だけとはいえ、五人もいればそれなりだ。
しかし、大地を掘るだけでなく瓦礫も撤去するとなるとやはり時間は掛かる。
「よ、ようやく終わった………」
女子五人の手で三時間半。地下への入口が完全に見えた時、彼女達は一斉に脱力した。
だが、その扉はワタシ達の苦労を嘲笑うかのように、ワタシ達に更なる試練を敷いていた。
「やはり、一筋縄ではいきませんか………」
「え……?」
ワタシの呟きを聞き、少女達がゆっくりと扉の前に集まってくる。
そして、ワタシ達の目の前には、ぐしゃぐしゃに歪んだ黒鋼色の扉が鎮座していた。
「これって………」
ただでさえ重い鋼鉄の扉。それがこのような状態ではどうしようもなかった。
「ど、どうするの?」
薄金髪の少女が訊ねる。
「…………」
正直、どうしようもない。
だが、それでも諦めるわけにはいかなかった。
「そうですッ、梃子の原理なら」
「そっか。待っててッ」
薄金髪の少女の提案に、灰紫髪の少女と朱髪の少女は即座に対応する。
現状、この焦土と化した大地でそれに使用できるほどの強固な物質はない。
可能性があるとすれば、この扉と同じ材質を持つ物質だけだろう。
「これで、イケるかな?」
が。少女二人はソレを難なく見付け出した。
「よしッ。じゃあ、それの尖端をどこかの隙間に射し込んで」
「よ、よしッ」
薄金髪の少女の指示通り、朱髪の少女は僅かに空いていた扉と枠組みの間に鉄の棒を勢いよく突き刺した。
小柄な彼女の腕力では上手く入らなかったが────
「ていッ!」
灰紫髪の少女が後ろから鉄の棒を蹴り、鉄の棒は僅かに扉を浮かせて隙間に深々と刺さった。
「はぁぁあああぁぁぁぁぁぁッッ!」
そこへ、いつの間にか避難していた朱髪の少女が助走の後、天秤のやうに跳ね上がった鉄の棒の反対側に全体重を掛けて飛び乗る。
バンッ!…………ガラガラガラ、ガシャン!
壮大な破裂音と衝撃波を轟かせて、鋼鉄の扉は空を舞い、今だ燃え立つ焔の中へと消えていった。
「………これで、成功?」
「え、ええ。ありがとうございます」
深々と頭を下げてお辞儀をし、ワタシは地下へと降りていく。
「えと、電気は………。あ、良かった。電気はまだ使えるようですね」
もしもの時の為に敷いておいた地中電流が役に立ち、地下の照明はいつも通り灯る。
「へぇ、中ってこんななってるんだ」
「此処って、何処?」
「地図上では悠哉さんと彼女のご自宅のはずですよ」
「────って。みなさんッ!?何故地下に?」
「へ?なんでって、此処まで来たんだし………それに腐れ縁ってやつ?」
「ま。どっちかって言うと、一蓮托生ってやつかな?」
「はぁ~……」
どうやら、暢気な事を言えるだけの能天気さは持ち合わせているようだ。
「ねぇ、これ何?」
室内は、およそ二十畳分ほどの広さを持つが、それは『外』から見た場合の話。
この『空間』だけは、組織のチカラを用いて創造された場所。
おそらく、それが要因かこの場所だけは焔の影響を受けていなかった。
「それが、目的のモノです」
「大きな水槽ね」
「なんか、ゲームに出てくる培養槽に似てるね?」
「モチーフはそれかもしれませんが、その用途はそれよりもずっと質が悪いですよ」
「どういうこと?」
その問いには答えず、代わりに奥の機械を操作する。
「もうすぐ、このセカイも崩落します」
ワタシは、ドストレートに真実を告げる。
「「「「???」」」」
四者四様に、皆首を傾げる。
だが、それは承知の上。
その上で、ワタシにはある意味時間がなかった。
彼女のことを気にせず、ワタシは一人作業を続ける。
「ちょ、ちょっと待ってッ」
カプセルの中に入ろうとしたワタシを、薄金髪の少女が止める。
「どういうことなのか、ちゃんと説明して下さいッ」
「…………」
作業を止め、彼女達を一瞥すれば、彼女達は往々に戸惑っているようだった。
「悠哉さんは勝手に居なくなってるし、貴女は此処で何かをしようとしている。いったい、あの子も貴女も何をしようとしているの?貴女たちは、いったい何者なの?」
「……………」
答えるのは正直面倒だが、この状況では答える他なかった。
「…………」
意を決し、ワタシは彼女達に彼の正体、彼の素性について、ワタシが知っている限りの情報を話した。
始めは戸惑いながらも聞いて彼女達だが、少年がこれまで見せた素行についてと照らし合わせる内にその信憑性に納得した素振りを見せた。
「これが、ワタシが知る総てです」
そう片付けて、ワタシは再びカプセルの中に入ろうとする。
「だ、だから、ちょっと待ってってッ!」
「な、何ですかッ?ワタシにもあまり時間は無いんですよ?」
そう。こうしている内にも、世界は崩落していっている。
もう時間がない。
こうしていう内にも、彼は本当の意味で取り返しの着かないことをしようとしている。
「だから、そこをちゃんと説明して下さい。何故、彼は消えたんですか?何故、貴女は此処にいるのですか?まだ、それを説明してもらっていませんッ」
彼女達に話したのは、ワタシ達の素性について。
ワタシ達が何故此処に来たのかも、何故彼が急に居なくなったのかも全然触れてはいない。
いや。まだ側面しか知らない彼女達では、それに気付けようはずもなかった。
だが、それを教えればどうなる?
今のワタシにはそれを一番に危惧していた。
そもそも、何故彼女達は此処へ来た?何故、彼女達は少年がいないことに気が付いた?
それは至って単純なのだ。
なにせ、今の彼女達は、ワタシと同じなのだから。
「……………」
そう思えば、無性に嬉しくもあり、同時に妬ましくもあった。
「サクヤさん?」
ああ、そうだ。
違う。今の彼女達がワタシと同じじゃない。今のワタシが彼女と同じなんだ。
ワタシはずっと、彼の傍にいたワタシが、傍にいると誓ったワタシが総てを受け止めてあげるべきだと勘違いしていた。
本当はそうじゃない。
彼はちゃんと、あの人の想いに応えた。あの人が願った通りの人間に成長した。
だから、これはワタシ一人だけの問題じゃない。
これは、ワタシ達の問題。ワタシ達がその身をとし
て背負っていく問題なんだ。
「分かりました、総て話します」
ワタシがしようとしている事。彼が何かを望んでいる事。
それは互いに決して交わらない想いだろう。
だけど、だからこそ、ワタシ達は足掻く必要があった。
大切なモノを護る為、大切な人を取り戻す為。もう一度、あの場所に帰る為。あの平凡な日常を続けていく為に、ワタシは今度こそ自分の脚で歩く。
ワタシはあの日、そう過去に決めたから。
「そう上でお願いします」
彼女達の言葉が嘘偽りでないのなら、彼が助けたこの娘達なら、きっと大丈夫だと信じてる。
「どうか、ワタシに、ワタシ達にチカラを貸して下さいッ」
一通りの説明をした後、ワタシは彼女達の目の前で土下座し、深々と頭を下げた。
「それで、これからどうされるのですか?」
到着して早々、薄金髪の少女が訊ねてきた。
今だ出来ることは何一つないが、それでも走ると決めたからには、その一歩を踏み出すほかなかった。
だけど、その前に対策を打っておく必要があった。
「〈朧〉」
「はっ」
その名を呼ぶと、忍装束に身を包んだ少女がワタシ達の前に姿を見せる。
「うわっ」
「な、何ッ」
「び、びっくりしました」
「と言いますか、どちらにいたのですかっ」
皆、それぞれに驚く。
ワタシは、そんな彼女達を他所に、現れた少女に役目を与える。
「御意」
忍装束の少女は内容を深くは聞かず、再び姿を消した。
「何を頼んだの?」
入れ替わるように、灰紫髪の少女がワタシに訊ねてきた。
「ただのお使いです」
適当な嘘で誤魔化しつつ、ワタシはお使いの成功を祈った。
「では、ワタシ達も行きましょう」
「え?あ、うん」
「それで、何処に行くの?」
宛もなく歩くのは得策ではないが、現状がどのような状況下にあるか解らない以上、今頼りにできるのは自分達の脚だけだろう。
「とりあえず、親族を捜してみます」
「……?誰の?」
「ワタシ達の、です」
いるかいないかは今問題ではない。
とりあえず、捜してみることに意義があるはずだとワタシは信じていた。
だが、結局誰一人見付けることはできなかった。
セカイが創造され、幾つかの《計画》が完遂された頃、ワタシ達はある可能性を見出だした。
「無ければ造ればいい、届かないなら至ればいい」
そう世迷い言をぬかしながら、ワタシ達はその愚策を発動した。
とはいえ、人類種の叡智では、それを叶えることなど不可能に等しかった。
しかし、それでも諦めないのが人類種の性と云えよう。
幾度も考察し試行錯誤を続けている間、《計画》は遂にワタシ達が叶えようとしていた愚策へと遂進した。
《計画》の内容は、〈神〉を人類種の叡智で創り出すことと、〈竜〉を人類種の世に顕現させること。
両者は交わらぬが、決して不可能ということもなかった。
そして、ワタシ達は両者の《計画》を逆手にとり、ワタシ達の願いを叶える人柱とした。だが、それは《夜天二十八罫》も同じだった。
友好的だった《夜天二十八罫》の内の何人かと協力し、二十三年前に十四年前、八年前、そして二年前と。ワタシ達は彼女達と結託し、希望を紡ぎ願いを叶える〈杭〉を創造した。
その〈杭〉を最期の舞台へと押し上げるため、《計画》はいよいよ最終段階を迎える。
ああ、そうか。
ワタシは、その為にワタシが創り出したのか。
忘れていた過去をようやく思い出し、ワタシは総ての〈鎖環〉を断ち切った。
「…………」
身体に痛みなど走らない。
なぜなら、これが本当のワタシであり、本来のワタシなのだから。




