第94話 影依の少年
突如として現れた〈影騎士〉は無言のまま、〈虚皇〉の前に立ち塞がっていた。
「キサマ!いったい、何のつもりだ!!?」
〈虚皇〉の言葉が、その一帯に木霊し、その場が大きな渦潮のように震えた。
しかし、〈影騎士〉は何も答えようとせず、その場に立ち尽くしたまま。
「答えろ!ユウヤ!!」
〈虚皇〉の問い掛けに、〈影騎士〉はゆっくりと口を開く。
「最後の出逢いですから………」
「は………?」
その答えは、おそらく誰も予想打にしていなかっただろう。
〈影騎士〉は、ゆっくりと構える。
「俺と、殺るのか?」
〈影騎士〉の意図を察し、〈虚皇〉は見えるように剣を構える。
「貴方とは初めてですが、勝敗は………すでに決していますから………」
彼らは共に才を学び、武を競い、互いを高め合って、それぞれの想いを幾度も実現してきた。──しかし、そんな彼らの想いも虚しく、その想いは裏切られた。
そこにどのような思惑があるのか、彼ら以外の者には理解の出来ぬ事だろう。
けれど、彼らはそれを非とはしていなかった。
それが、自分たちの願いだと───理想だと信じ、それを叶えてくれた、一人の家族に心から感謝の意を感じている。
「お前は、そうまでして………」
理想とは、人によって在り方の異なるものだろう。
願望とは、その者によって形の違うものだろう。
けれど、彼らは一つ。
その理想も、その願いも。
だからこそ、自分たちを裏切ったというたった一つの事実が、彼らと悠哉さんを対立させていた。
「いい加減、お前の気持ちを聞かせてくれ!俺たちは、何を誤った?何を取り違えたんだ!?」
きっと、一生気付けはしないだろう。
「……………」
〈影騎士〉は、無言を押し通す。
おそらく、気付いてもらえることを望んでなどいない。
たとえ、彼らがソレに気付けたとしても、それは既に手遅れなのだから。
だからこそ…………、
「もう、後戻りは出来ないんです」
〈影騎士〉は、ようやく口を開く。
「どうして…………」
その言葉にまるで重みがあるかのように、〈虚皇〉は次の言葉を詰まらせる。
「だからこそ、取り返しの付かなくなる前に、誰かがソレを終わらせなければならない」
それは、《皇》達も薄々感づいていた。
しかし、そうでは無かった。《皇》達の想いは、その意図は………。
「何で………」
〈虚皇〉はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ!?何故、何もかも一人で遣ろうとするんだ!!?お前は、いつも……………」
〈虚皇〉は、強く叫ぶ。
家族のその想いに気づけなかった自分に。その家族が自分を信頼していなかったその事実に。
〈虚皇〉は、ただ涙を流す事しか出来なかった。
彼は今まで、誰のチカラも借りてこなかった。
だが、彼は決して一人では無かった。
何かを成せば、いつも誰かが隣にいた。
その行動の先には全て、完全な結果に繋がっていた。
どんなに曖昧であろうと、どれほど矛盾だったとしても、どんなに不可能でしかなかろうと、彼の前では、総てが無下に等しかった。
それが、彼の権能───彼の結末。
そして、それこそが、コナギユウヤが導く、たった一つの答え。
彼は、夢も希望も持たず、他者にも自身にも興味の無い人物だった。
だからか、小薙悠哉は他者の想いに気付けず、自身の想いすら上手く表現出来きていなかった。
もしかしたら、それが一番の要因だったのかもひれない。
浮游城の内部は、とてつもなく広かった。
「はぁ~、もう疲れた」
ワタシ達がどのくらい歩いたのかは分からない。
その現実に投げやりになり、ヴィヴィアンさんは適当な壁に腰を着ける。
ワタシとヴィヴィアンさんが浮游城に潜入しておよそ十五分。
始めの内は、ヴィヴィアンさんはとても楽しそうにしていた。
人や魔獣などの気配が全くしない空の部屋に手当たり次第に突撃していた。
しかし、それが数十部屋にもなり、どの部屋にも金品や食料さえ一切無いとなれば、早々に挫折するのも当然だろう。
それに、何度か階段らしき回廊を上がり下りした。
ワタシの方向音痴の性なのか、それも理由の一つとしては考慮すべきだったのかもしれなかった。
ま。愚痴っていても仕方ないのも確かである。
ワタシはヴィヴィアンさんの隣に座り、しばしの休息を摂ってヴィヴィアンさんを奮い起たせた後、再び歩き出した。
そこからは、意外にもあっさりだった。
所要時間としては、先程の半分くらい。
ワタシ達は、大きな庭園のような場所に到着した。
「急に拓けた場所に出たね」
「はい」
ワタシ達は二人揃って呆然としていた。
外から見た時は巨大な大樹のようだったが、中は航空艦のような造りをしている。
そして、今ワタシ達がいる場所は、半径だけでも数百メートルくらいありそうな程巨大な庭園。
その中央付近に、ゆらゆらと揺れる陽炎のような人影を発見する。
「〈影騎士〉…………」
百メートルをきった頃、ヴィヴィアンさんはその姿に唖然とする。
「ほう、まさか君まで来るとは」
まるで、ワタシが来ることくらいは予期していたかのように、〈影騎士〉は振り向き様にそう答える。
「どうして、アナタが………」
「『どうして』とは?」
兜ごしでは分かりづらいが、〈影騎士〉は小さく小首を傾げた。
どうやら、二人で認識が異なっているようだ。
「アナタも、《影法師》の一人ということですね?」
なので、ワタシは端的に答えを述べた。
「そう、なりますね」
〈影騎士〉は、以前会った時とは違い、丁寧な口調で喋る。
「それって………」
おそらく、ヴィヴィアンさんは先程のトトロさんの言葉を思い出しているのだろう。
「それで。アナタは《虚皇》を倒したんですか?」
ワタシは、簡潔に訊ねてみる。
「ええ。先程」
〈影騎士〉は、意外に容易く答えてくれた。
その、刹那────ドクンッ!
「うぐっ」
ワタシの体内で、何かが反応した。
「柚希ッ?」
「ほう………」
この感じ、まさか………。
「聞いてはいたが、本当だったとは」
そう呟き、〈影騎士〉はゆっくりと刀の形状をした剣刃を鞘から抜いた。
「アガッ、ア────カハッ、ハァハァハァ………」
その瞬間、更に強い痛みがワタシを襲った。
「まさか、それは……〈竜器〉…………?」
ワタシは、激痛に堪え絞り出すような声音で問うた。
「へぇ、知ってたのか」
口調が以前と同じに聞こえるが、今はどうでもいい。
「ですが、それは…………」
確か、神宮寺阿莉子が持っていた〈竜器〉は杖の形状をしていた。
それに〈竜器〉が他にもあるなんて聞いていない。
「元々、この東方には各地方の有力な國にのみ〈竜器〉と呼ばれる《竜》を細分化した遺物が奉られているそうだ」
〈影騎士〉は、その嘘のような事実を淡々と口にした。
「俺は、その内の一本を借りているに過ぎない」
「どうして、そんな事を」
話している内に痛みは和らいでいたので、訊ねている間にヴィヴィアンさんの肩を借りゆっくりと立ち上がる。
「少し、試してみたいことがあっただけさ」
嘲笑うかのように、〈影騎士〉はそう答えた。
そして、ゆっくりと構える。
その時、ワタシは気付いた。
この人はきっと、東方人だ。と。
「さあ、剣を取れ」
〈影騎士〉は、鋭い眼孔をワタシに向ける。
「くっ。───〈影騎士〉ッ」
と。ヴィヴィアンさんが間に立ち、剣を抜いた。
つまり、無謀にも立ち塞がるということ。
「フッ。貴様に用ははい、ヴィヴィアン・ランスロット」
が。当の〈影騎士〉はそれを望んでいなかった。
「〈朧〉ッ」
「はっ」
〈影騎士〉がその名を叫ぶと、覚えのあるニオイと共に見覚えのある人物が見たことの無い服装で〈影騎士〉の右後方に突如出現した。
「このはさん………」
ワタシは、眼前のヴィヴィアンさんにも聞こえないくらいの小声で、その名を呟いた。
「オマエはあちらのお姫様の相手をしろ」
「御意」
了承の意を発すると、このはさんとおぼしき〈朧〉と呼ばれたその人物は姿を消した。
だが───、
「なっ────あくっ」
その姿はすぐさまヴィヴィアンさんの眼前に現れ、ヴィヴィアンさんを遥か後方へと蹴り飛ばした。
顔立ちとニオイは確かに似ている。だけど、その気配は目の前の〈影騎士〉と同じなようなに感じた。
その時、ワタシは半年ほど前の彼女と戦った時の事を思い出した。
あの時の攻撃が彼女のものかは解らないが、その気配とニオイが似ているのは確かだ。
「これで邪魔者はいなくなった」
〈影騎士〉は、静かにそう告げる。
「…………」
ワタシは、改めて〈影騎士〉に向き直り、ゆっくりと小太刀を抜いた。
「ほう。今回も小太刀ではないか」
この状況は、ほとんどあの時と同じ。
けど、違いはある。
それは、現状の戦局。
あの時では届かなかった一対一での戦い。
でも今は、互いに邪魔者を排除された状況。
彼は“歌”を、ワタシは『援護』を失っている。
その違いがどのような結果を招くかは判らない。
けれど、きっと〈影騎士〉は生死を賭けた戦いなんて望んでいないのだと感じた。
それは、彼が〈竜器〉を抜いた時に諭っていた。
本当に殺す気で来るなら、それも邪魔者扱いとなるはずだから。
「いくぞッ」
「───ッ────」
〈影騎士〉の轟咆に、ワタシの闘気は奮い起たせられる。
「ふんッ」
「───ぐあっ」
降り下ろされる竜剣。それを小太刀で受け止めた刹那、ワタシの精気を奪う。
それは、以前。阿莉子さんとの戦いでも経験した痛み。
あの時よりかはいくらかマシになっているとはいえ、やはり意識を朦朧とさせるだけの影響力がある。
ワタシは、その苦痛に難とか抗いながら、〈影騎士〉の攻撃を防ぎ続ける。
竜剣から受ける痛みは、以前受けた竜杖の影響よりも遥かに大きく感じられた。
それは一重に、『剣』と『杖』ではその使用方法にいくらかの差が影響しているのだろう。
竜剣から小太刀へと伝わる〈竜器〉の脅威と共鳴。
その両方が、ワタシを何度も何度も襲い蝕み続ける。
「ハァハァハァ────ハッ、アグッ!!」
苦痛は次第に悲痛となり、血ヘドを吐きそうなほどの激痛へと変わっていく。
「どうしたッ?それが、《超導姫》の限界かッ!?」
霞む視界、揺らぐ意識の中で、〈影騎士〉の一喝する声がワタシの精心に強く響く。
「諦めるなよッ。俯くなよッ!この世には、沢山の不条理も理不尽も存在する。それでも、《夜天騎士団》はオマエを最期まで送り届けると誓ったんだからッ!!」
「…………」
まったく、勝手な話である。
「はっ、………ハハッ………」
そんな身勝手な理屈に、ワタシは笑みが溢れ、少しだけ身が軽くなったような心地となった。
「少しは落ち着いたみたいだな?」
「へ?」
突然の身の替わりように、ワタシは一瞬眼が点になる。
「どうやら、〈竜器〉は聞いていた以上に影響力があるようだな」
そう言って、〈影騎士〉は竜剣を鞘に収めた。
「検証は出来た。なら、今度は個人的な用件を済ませるとするか」
その替わりか、〈影騎士〉は竜剣とは殆ど変わりない刀剣を抜いた。
「さあ、ここからはコチラも本気で行かせてもらう」
〈影騎士〉は、ここへ来て初めて、尋常じゃないほどの瘴気を放つ。
ここまで成り行きで来たが、どうやらここからは覚悟を決めなければならないようだ。
「…………」
ふと、視線を〈影騎士〉から外せば、離れた場所でヴィヴィアンさんが大気と攻防を繰り広げている様子が映った。
何度かヴィヴィアンさんの大剣が“空”を斬る様子があるので、ヴィヴィアンさんは〈朧〉の姿、攻撃がそれとなく見えているようだ。
そんなヴィヴィアンさんの様子に安堵し、改めて〈影騎士〉の方へ向き直ったワタシは、今までとは違う『型』で構える。
「覚悟、決めたようだな」
〈影騎士〉が静かに問う。
「正直、覚悟なんてまだ出来ていません」
「…………」
「それでも、ワタシはワタシなりに答えを見出だしたい。《夜天騎士団》や《夜天二十八罫(彼女たち)》がワタシに何を求め、何をさせようとしているのか。せめて今は、それだけでも知りたい」
そう決意表明し、小太刀を握る手を一層強める。
「…………」
〈影騎士〉はその場にただ立ち尽くしたまま。
兜越しでは、彼が何を考えているのかを窺い知れない。
今度は、ワタシが先に先手を取った。
「……ッ…………」
〈影騎士〉がその攻撃を受けた瞬間、ワタシは更に確信する。この人はやはり、東方武術の使い手だ、と。
「だが残念ながら、俺に答えられるモノは何も無いよ」
〈影騎士〉は、ワタシの攻撃を受け流しながら、そう呟く。
「あの〈竜器〉のことも、浮游城へ来たことも、そして《計画》に参加していることも。全ては招かれ導かれて遣ってきたこと」
まるで己が責任ではないかのような口振り。
「だが、それも些末な事」
しかし、それは直ぐに自ら否定された。
「悪いな。それでも今は、せめてもの罪滅ぼしをさせてもらう」
そう告げて、〈影騎士〉は反撃に転じる。
ワタシ達の戦いは、普通のそれとは違っていた。
ワタシ達の間に、生死や勝敗を賭けるような不等な目的などなかった。
あるのは、最期になるかもしれない最初で最後の不器用な意思の疎通。
きっと、彼も言葉を使うのは苦手なのだろう。
だから、ワタシ達の間には、そんな不毛なモノは必要ない。
互いの想いなど、決意などは既にその一撃一撃に込められている。
後は、それを相手がどの程度理解できているかだ。
それでも、ワタシ達はそれを敢えて確かめはしない。
だって、彼もワタシと同じだから。
互いに似た者同士。だから、迷いも愁いも、全てを打ち明けられ、全てを受け止められる。
だが、『現実』はそう甘くはなかった。
────ドクンッ!!
「ア、ガッ!」
「………ッ…………」
突如、ワタシの意識を何かが襲う。
「アアッ、アァァアアアァァァァァ~~~…………ッ!!!」
それは、いままでの、〈竜器〉から受けるものよりも大きな激痛だった。
「お、おいッ!?」
〈影騎士〉の心配するような叫び声が、耳鳴りのように響く。
「ヴォロロロァロロォォォォ~~………!」
もう止められない痛み。薄れゆく意識の中、ワタシは何度目かの過去の記憶を見る。
「頼む。〈影〉を殺してくれ」




