第92話 真闇の道化王
戦いは再び拮抗した。
先程は二人で互角のような戦いだったのに、今は四対一でも戦局に変化はない。
それはまさに、手加減されていたということに他ならない。
「これほどチカラをいったい何処で…………」
「おそらく、《影法師》でしょう」
「そもそも、《影法師》って何者なの?」
「…………。サヤちゃん………」
「……一言で言えば、屍体を漁る外道共」
「屍体………」
「じゃあ、《影法師(あの子たち)》は皆それに該当する子たちってこと?」
「おそらく…………、私たちが認識している彼らで合っているならだけど」
前衛で攻防を続ける、リグレットとアヤカ。後衛で支援を行う未美とサヤカ。
彼女達の連携は完璧だった。
それは、繰り出す攻撃にも、受ける攻撃にも寸分の狂いなのど無いほどに。
だが、そんな彼女達でさえ、《影法師》の〈アークピエロ〉には全く通用していなかった。
「さて、どうしたものか…………」
「ねぇ?今のトトロが、アナタたちと同じ《影法師》なら、一つ試したいことがあるんだけど」
「…………」
未美は、トトロが今尚《影法師》という肩書きの中にいることを読み、一つの秘策を提示する。
「ホントに、それで上手くいくの?」
「モノは賭け。でも、やる意義はあると思う」
「………それで、私たちは何をすればいい?」
〈錬金術〉というものの知識を全く持ち合わせていない三人にとって、今はそれに賭けてみるしかなかった。
「二人はトトロの相手を、時間はなるべく稼いで」
「分かりました」
「う、うん。やってみる」
「リリはその場から動かないで」
「…………(フルフル)」
未美の発言が『リグレットは戦力外』と言っているように聞こえたリグレットは、全力で首を横に振った。
だが、本当はそうじゃない。
「大丈夫、リリには一番重要な役目があるから」
「…………?」
未美が言っていることの意図が理解できず、リグレットは首を傾げた。
その瞬間。
リグレットの足下に、紫紺色の錬成陣が浮かび上がる。
「リリは、さっき霊皇から貰った権能を制御出来るようにしてて」
「…………?」
解りやすくなったはずの指示にも、リグレットは首を傾げる。
「…………要は、“トトロ”と“影法師”の間にある〈空間〉にリリを飛ばすってこと」
要約された指示。しかし、リグレットには理解の及ばない作戦だった。
「それって、そもそもが可能なの?」
「理論上は」
そう。理論上では、可能だ。
それは決して不可能ではない可能性。
そこへ至る為には、三人の想いを合わせなくてはならない。
「本当に《影法師》が『屍体を漁る』のなら、今はその僅な可能性に賭けるしかない」
そう言う間にも、未美は〈術〉を構築し、リグレットの足下の錬成陣に細かな“式”を刻んでいく。
「なかなかに緻密な作業みたいだね?」
「好機は一度きり。成功の確率は窮めて低い。………それでもやるからには、寸分のズレも赦されない」
可能性は一度。
それは、未美の技能もしかり、トトロやリグレットに掛かる負荷を加味しての作戦だった。
錬金術士にとって、生命とはそれほど謎が多く、未だ不可思議な現象も多々報告されている。
そしてコレも、まだ解明されていない錬金術の一つ。
錬金術とは、心身だけでなく、時に生命にまでその〈業〉を蝕ませる罪禍の術。
それはおそらく、《影法師》と何ら違いはないのだろう。
だから、未美はこの策を提案した。
《影法師》に出来て、錬金術士に出来ないことはないと憤っていた。
その憤りは、自身よりも上位にいるであろうその存在ではなく、そのモノが行った悪逆非道な行いそのものだった。
共に暮らしたのは一年あまりだろう。
それでも、一応は共に暮らした仲だ。
まして、そうまでさせる理由を植え付けてまで行っていい事じゃない。
「リリ、よく聞いて。トトロと『影』との間の〈空間〉までは〈門路〉を繋げる。だけど、そこから先はどうなってるか解らないし、私たちにはどうしようもない。でも、本当に《影法師》という存在がその通りなら、リリの権能であの子を救い出せるはず────」
「──ッ!?」
それが、理論上での可能性。
それは空想の中の無想。
成功する確率は万に一つというほど低いが、ゼロというわけではない。
《影法師》を倒す算段は、全くと言っていいほど立っていない。
どちらが有効かと言えば、僅な芽吹きが見える前者だろう。
「いくよッ。リリ!」
「──(コクッ)!」
「〈白狼〉〈黒狐〉。一秒だけ、トトロの動きを封じてッ」
「分かってる、けど───」
「そう簡単には『奇術』を止められない」
「やっぱり、そう巧くは………」
「けど、一秒でいいんだね?」
「不可能は承知の上。だったら、やるしかないよね?」
何とかトトロの動きに食らい付き、その刹那を掴もうとするアヤカとサヤカ。
その戦闘を見極めつつ、錬成陣を維持し続ける未美。
互いに尽力を尽くしている。
けれど、やはり《影法師》の〈権能〉は想像通りに桁違いだった。
それでも、その中から難とか逆境を見出だす為、アヤカとサヤカは必至に足掻き、未美はその刹那を見極めていた。
「お姉ッ!────“アクセラレーション”ッ!!」
サヤカの魔術により、アヤカの全ステータスが二倍近くに飛躍する。
「ハァアアアァァァァァァッ!!!」
アヤカの振るう騎士剣の一閃が、トトロが放つ無数の刃を薙ぎ折る。
おそらく、これが限界。
射程はアヤカの方が上。だが、それを上回るほどの素早さを、トトロは持ち合わせている。
だからこそ、この刹那が一瞬の隙だった。
「いくよ、リリっ」
「───(コクッ)」
幾重にも張り巡らされた錬成陣が、リグレットの足下で無数の輝きを放つ。
「───“鏡界異門”ッ!!」
刹那────。
リグレットの身体は現世を離れた。
それとほぼ同時、トトロの動きが止まった。
「これで、成功?」
「うん、転移は。後は、あの二人の絆を信じるだけ」
もう、未美達に出来ることはなにもない。
あるとすれば、最悪の事態に備えて、僅かばかりの休息を摂るくらいだろう。
「此処が…………」
其処は、昏き世界。
何処までも続く闇夜の空間が、リグレットの畏怖をより一層大きくさせる。
「トトロッ。トトロッ!」
リグレットがいくらその名を叫ぼうと、声は山びこのように反響するばかり。
「トトロ………ッ、トトロ………ッ!」
それでも、リグレットは諦めることなく、叫び続ける。
「なんで……、どうして…………」
そんな想いが通じたのか、反響する声の中から違う声が聞こえてきた。
「トトロ!」
声が聞こえた方へと駆けるリグレット。
「憎い……ッ!ニクい、にくいニクいニクい……憎い……………─────アアァァアアアァァァァ~~~~ッ!!!」
「トトロ…………?」
そこには、リグレットよりも小柄なトトロによく似た幼女が蹲ってブツブツと独り言のように呟き、そして叫んでいた。
「トトロ……。───ッ」
リグレットが手を掛けようと腕を伸ばした瞬間、リグレットの脳裏に何かの『映像』が過った。
孤児院を離れたクリスティーナは、養子縁組を交わしたアースリー宅のある西洋の南部までの道のりをアースリー氏が手配していた馬車で進んでいた。
その道中。クリスはずっと、物珍しい外の景色を窓から眺めていた。
「それほど珍しいかい?」
「え?うんッ」
アースリー氏が訊ねるも、クリスは窓の外の景色に眼を奪われたまま答えるだけ。
孤児院周辺しか知らないクリスにとって、外の世界の景色はとても珍しくたいへん貴重なもの。
西洋は、四大陸の中でも最も大きな大陸。
各国境を越えるだけでも一日は掛かる。
なので、最短ルートを選択しても、その旅は十日ほどの長旅となる。
この時西洋では、永きに渡る大戦が半世紀以上にも及び続いていた。
そんなご時世だからこそ、クリスは当然、あの孤児院にいた子供達は皆、大人になれば軍への『出荷』が約束されていた。
だが、上流階級の仲間入りをしたクリスとてその対象から外れたわけではない。
その証拠に、クリスは出掛けにアースリー氏から分厚い書物を手渡されていた。
それを十日十晩掛け、下宿先で寛ぐ代わりに暗唱していった。
もともと、クリスは勉学にそれほど乏しいわけではない。
ただ、孤児院にあったほとんどの書物は一目見ただけで暗記できた為、学習するということに勤しんではいなかった。
その天賦の才とも云える才能と、あの大森林を縦横無尽に駆けられる体力と好奇心を見込み、アースリー氏は三十人近くいる子供達の中からクリスを選んだのだ。
そして、そのクリスの使い道は最も過酷で悲惨なモノを代償とした。
アースリー氏の屋敷に到着したクリスは、まず上流階級の人間として相応しいあらゆるマナーを叩き込まれた。
起床から就寝、就寝中に至るまで総てを徹底して改善され、間時間を有効活用して一日一冊は兵法のような気難しい書物を脳内に念写していった。
アースリー家は元々、武術の名家というわけではなかったため、クリスに求められたのは如何なる策略、謀略、軍略を練り、暴くかの知略のみ。
そんな安息の暇も無い連日から、およそ半年。
激動の大戦は、ほどなく終息に向かおうとしていた。
が。その努力は最悪の火種を生む。
日時は九月二十一日、午前三時────。
ほぼ夜襲に近いこの時刻だからこそ、その成功率は大幅に拡大したといえよう。
「んん……。義母?シュナさん?」
ごそごそとちょっと荒っぽく、この半年では一度も聞かなかった不穏な騒音にクリスは眼を醒ました。
「ん?こども?」
「おい、情報にはなかったぞ」
全身を兵装した軍団が、邸宅に押し掛けていた。
「クリスちゃん、ダメっ!?」
養母が静止させるも、その言葉は彼女の生命と共に虚しく邸宅内に木霊した。
「………ぁ……………。…………マ、マ………………?」
義母や使用人達の無惨な姿に、クリスは酷く脱力しその場に倒れ込んでしまう。
「各所に火は放った、後は退さ────って、こどもがいるッ!?」
「………ママ………、シュナさん…………」
「どうするんだ?」
「……なんで………、………どうして…………」
「まぁ、あの状態なら大丈夫だろう。もうじきコチラにも火の手が伸びるだろうし」
その場に倒れ込んだままのクリスを捨て置き、襲撃者達は早々に邸宅を離れた。
迫り来る黒煙、忍び寄る業炎がクリスを襲う。
だが、クリスに近付くのは、目に見えるものだけではなかった。
「アアァァァアアアァァァァァァァ────ッ!!」
今までに感じたことのない失望感と消失感に、クリスの心は大きく失落した。
「やはり、間に合いませんでしたか………」
そこへ、先程の襲撃者よりも一層怪しげな人影が現れた。
「ですが、これで『条件』は概ね揃ったはずです」
そう呟き、人影はクリスに闇色に揺らめく『何か』をクリスに植え付けた。
それからおよそ一年半が過ぎた。
人影によって連れて来られた組織に保護され、クリスは再び新たな名と居場所を与えられた。
其処でクリスはほぼなに不自由無い、何も無い生活を過ごした。
しかし、そんなクリスにも一つだけ心残りがあった。
それは、自分の養母と側付きを殺された一年半前の一件。
クリスは組織の上層部に必死に掛け合い、難とか当時の序列三位の助力を得ることができた。
この時、クリスは組織とある盟約を交わしていた。
それは、『もしキミが、そこで何らかの成果を得たのならば、キミの序列入りを検討しても良い』というもの。
それはある意味、『役得』であった。
既に約束されていた結末は、彼女の思い通りの結果を具現化させた。
だが、現実はそこまで甘くはなかった。
クリスの未だ未成熟な〈奇術〉では、大の大人十数人を殺しきることはできなかった。
そのツケが、クリスにとっても最も残酷な悲劇をもたらした。
「……そん、な…………」
立ち上る黒煙、総てを喰らわんとする業炎。
それはまさに、あの時と全く同じ光景であった。
『また、守れなかった…………』
それが、クリスの絶望の声音だった。
だけど、それだけで終わらせる訳にもいかなかった。
そう決断し、クリスは懐かしき屋敷に脚を踏み入れる。
「し、聖教者………?」
ふと、ハウスの近く一本だけ咲く大樹に寄り掛かるように倒れている、その人物によく似た人影を発見した。
「………ぁ…………。……クリス、ちゃん……………。どうして、此所に?」
「ごめんなさい……」
「………ぇ……………?」
クリスの突然の謝罪に、聖教者は困惑する。
「………リース」
「聖教者?」
「……お………い………。…………ス………」
「聖教者。今はゆっくり休んでいてください」
そう告げて、クリスはゆっくりと立ち上がり、フードを深めに被り直す。
「な、なんだキサマ……────ぐあっ」
現れた偽装兵の言葉に見向きもせず、偽装兵の喉元にナイフが刺さる。
そのナイフは、今のクリスの感情の顕れだった。
この時のクリスは、既に〈道化師〉としての権能を開化していた。
故に、今のクリスには、既に迷いも理性も無かった。
ハウスを襲撃した不遜な輩は二~三十分と持たずして、ようやく断罪された。
「あとは、リースの行方か…………」
先程、聖教者が呟いていた言葉が気にかかり、クリスはハウスの周辺を歩き出した。
それは、大切な友を捜す為。
その子は唯一、時分がハウスを離れる時に見送りにはいなかった人物。
いつも何を考えているのか解らず、それなのに総てを解っているかのように接してくる。
そんな同い年でありながら、とてつもない上位に存在しているかのような彼女が、ずっと妬ましかった。
自分に無いモノを多く持ちながら、それを見せびらかすこともなくずっと一人で色んなことをこなしていた。
そして、今もそうだ。
まるで、この事態を予測していたかのように、自分だけ既にハウスを離れている。
そう感じたクリスは、妬ましさと共に、自然と沸き上がる胸のざわめきを心の奥底に閉まった。
リースの捜索は、序列三位の助力を再び得てその数十分後に接触した。
この一連の一件は、僅かな足跡を残した状態で自衛局の局員に託す算段となっていた。
その数日後、過去の未練を一応断ち切ったクリスは、直前の約束であった序列入りを果たした。
リグレットと出逢ったのは、この一件の少し後である……………。
「これが、トトロの────ううん。クリスティーナ・アースリーの過去………」
無慈悲な過去だとは思う。
だが、それ以上にリグレットはこれが仕組まれた過去だということに気付いていた。
「いったい、誰が……………」
いくら考えも、リグレットがその答えに辿り着く事はない。
そんなリグレットには、今はやるべき事があった。
「私は人形使い。私の能力は、〈死霊使い〉───ううん、《影糸使い》。これは、私にしか出来ないこと。だから───ッ!!」
それは、未美達との約束。
唐突にもたらされたチカラは、リグレットにどのようなリスクを与えるかは解らない。
けど、それでも未美達はリグレットを此処への路を拓いた。
「───ッ!!」
だから、今度は自分がやり遂げる番だと決断をした。
「そうそう上手くはヤらせませんよ?」
「────ッ!?」
どこか聞き覚えのある言葉と共に、リグレットの身体は闇夜色の世界へと飛ばされた。
リグレットを送り出した後の未美達は、立ち尽くしたままのトトロに最低限の警戒を持ちつつ、いつ終わるとも分からない休息に就いていた。
「本当にあの子で大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。リリなら」
「〈魂魄の傀儡姫〉………」
それは、《魔導協会》でのリグレットの二つ名。
「ねぇ?言い得て妙だよね」
サヤカは元味方であり、未美やアヤカにとっては元敵であった存在。
それが今は、こんな形でその成功を待ち続けていた。
グギッ、ギギギギ…………。
油の抜けたブリキ人形のように微かに身体を動かすトトロ。
その直後、サヤカはある気配を感知する。
「サヤちゃん、これ…………」
「ええ……」
「とてつもない気配」
遅れて、未美とアヤカもその気配を察知する。
それとほぼ同時、トトロから闇夜色の物体が吐き出される。
「あ、あれは………」
その見覚えのある人影に、未美はいち速く対応する。
「リリッ!リリッ」
「ん……。トト、ロ………」
「いったい、何が……」
やや困惑する未美達の元に、強大な気配が姿を現す。
「まさか、こんなタイミングで現れるなんてね。ハーメルン?」




