第88話 《烙奴隷》VS《D》
南蛮。
風音の思惑によって激突することとなったリシュト達は、彼らが経験したことのない大きな戦禍に呑み込まれていた。
「ぐっ──、どうして、俺たちが戦わなくちゃいけないッ?」
それは、ずっと疑問に思い、ずっと問うてきたこと。
だけど、風音がその問いに答えることはなかった。
ただ戦禍の渦が、激しさを増すのみ。
「答えてくれ、風音ッ!」
「もう、後戻りはできないから…………」
「………え?」
聞き逃しかけたその解答に、リシュトは一瞬困惑する。
「それは、いったい………」
当然、その意味は理解しているつもりだ。
だけど、それなら何故、君はそんなに哀しそうなのか。
そう問うとしたリシュトだが、どうしても今の風音の表情にその言葉を言うことができなかった。
「…………」
無言のまま、深緑の奥地に二人の剣劇がぶつかり合う音だけが響く。
二人の力量はほぼ互角。
だからか、リシュトにはどうしても理解できないことがあった。
それは、風音が哀しそうな表情を浮かべている要因なのだろう。
リシュトには、その心当たりはない。
だけど、同じように誰かを想い、誰かのことを心の片隅にでも置いているのなら別だ。
「だったら、こんなことをしている場合じゃないだろッ?」
それを、言葉に乗せて剣を振るった。
「───ッ!」
その一撃が効いたのか、風音の体勢は少しだけよろめいた。
「…………そんなの、解ってる。分かってるよッ!」
その言葉とともに、風音は体勢を戻し威勢ある一撃を加えた。
「風音…………」
「アナタなんかに言われなくても、とっくに気付いてる」
「なら、何故………」
「…………」
風音はそれを口にしなかった。いや、できなかったのだ。
何故なら、それが約束だから。───それが、風音がずっと〈彼女〉に協力している条件だから。
---どのみち、あの娘には〈柱〉となってもらいます。
---だから、邪魔しないでよ?
「私は…………」
本当なら、今すぐにこんな『任務』を放棄して、リシュトに「助けて」って言いたい。
だけど、それは〈契約条件〉には入っていない。
だから、やるしかないんだ。
そう決断して、ココまで来た。
けど、やはり根本の迷いは捨てきれない。
「ゆずき…………」
そう名付けた小さな命であり、唯一の希望。
だけど、その〈贄〉に風音は情が移っていた。
一緒に居られたのは、たった半年ほど。
けれど、今日に至るまで、風音は沢山の苦労と多くのモノを喪っていた。
だから、もう喪うわけにはいかない。
いや、絶対に喪いたくないッ。
だから、風音はその為の『最善』を尽くし、沢山の可能性をかき集めた。
けれど、結果はご覧の通り。
だけどせめて、その最善が何処まで届くのか、その可能性がどれほど通用するのか。
それだけでも、この眼で確認したい。
---ココから先何が起ころうと、私達にはそれを歪める権限はない。
---〈十三皇〉は、云わば観測者。何者にも縛られない代わりに、一才の望みを捨てた者。
だから、この可能性に賭ける。
例え、これ以上に大きな代償を支払おうとも、もう畏れるものは何もないから。
「フッ…………」
「風音………?」
風音の不適な笑みに、リシュトは背筋を強張らせた。
「そう。そう、だよね………」
「お、おい……」
不自然に笑い、一人言のように呟く風音。
その言動に、リシュトは畏怖も抱く。
「ははは………ッ、───はぁ~~………」
想いをかき消すように笑うと、今度は大きくため息を吐いた。
それで、迷いが晴れるわけではない。
それでも、この場だけはやり過ごすことができる。
「───ッ」
「風音………」
風音は敵意剥き出しの眼光を突き付け、リシュトはそれに一瞬たじろぐ。
「本気であると言うのなら仕方ない。元々そのつもりだったのだろうからな」
リシュトは納得した。
ここからは、再び刃を交えるだけ。
「ハァアアァァァ~~───ッ!!」
「遅いっ」
リシュトの放つ一迅が、空を斬る。
「くっ、…………やはり見切られるか」
「当然……ッ」
この好機を風音が逃すはずもなく、リシュトに二迅目の太刀を与える。
「ぐあっ」
力の差は歴然だった。
だが、それだけではリシュトが諦めるには到れなかった。
「……俺にだって、譲れないモノはあるッ」
己が意を込めて、リシュトは反撃の一撃を振るう。
「そうそう当たる訳がないでしょ」
だが当然、その一撃も空を斬る。
「だが、俺とて同じことを何度もやっているわけじゃないッ!!」
そう言って、リシュトは交わされた刃を反し、二撃目、三撃目へと繋げた。
「う、くっ……」
圧倒的に思えた戦局が一変し始めたにも関わらず、風音の表情は先程の様子からは想像できないほどに真逆のような笑みを浮かべていた。
「ははっ、───やっぱり、こうでなくちゃッ」
それは、昔を思い出しての感覚だった。
しかしその昔というのは、三年前の霊界でのことではない。
それよりも更に前の《最終戦争》と呼ばれている、元の世界での出来事のこと。
一度は終わりを迎えかけた、三度目の世界大戦。
だが、とある組織の介入により、未曾有の災厄へと豹変してしまった。
その組織の中に、風音はいた。
何も知らされぬまま、ただ『刻は来た』という号令の下に決起した子供達は、〈敵〉だと認識してしまっていた祖国の人々を次々と殺戮していった。
そして、子供達が事の真相を知った時には全てが手遅れで、その後始末に追われていた頃、唯一の一報が子供達の《統括者》の元に届いた。
それは、『キミたちを唆した者たちが、別の世界を造り出し、そこへ逃げ込んだ』という朗報。
無論、これも組織の大人達によって出路上げられた誤報だった。
だが、子供達はそんなことにも気付けず、その策略にもすんなり嵌まってしまった。
そこから、悲劇は連続した。
始めに転移した《聖導図書館》達によって霊界の皇は殺害され、そこから幾日の果てに他の皇達も、他の子供達によって後を追うように殺されていった。
子供達が再び事の真相に気付いた時には刻既に遅く、全ては本当の終焉を向かいかけていた。
そんな時、組織の次期当主と謳われていた少年と初めて邂逅した風音は、少年から《三十七の計画》のことを聞かされていた。
それと同時に、この策略が正しいことも聞かされていた。
それは、彼女達の《統括者》がこの地に来ていないことの裏付けでもあった。
総てを喪ってでも押し進めようする《計画》に、風音は初めあまり気乗りしていなかった。
しかし、幾つかの《計画》が始動し、完遂されていく内に、それが正しいことだと錯覚していった。
『総て』を擲ってでも完遂させようとする最終計画《夜天計画》とは、それほどまでに大規模で崇高な《計画》となっていた。
「ガッ、あ───ガハッ、ハァハァハァ……………」
だがそれは、当然風音の身勝手で傲慢な判断でしかない。
「くっ───。そんな事の為に、俺たちはオマエに従ってきたのかッ」
それは、リシュト達から見れば単なる我が儘。
「ご苦労様でした。…………今は、そう言わせてもらう」
「ぐっ…………」
手も足も出せぬほどに届かぬ、チカラの差。
けれど風音にとってはこのチカラでさえも届かないチカラと称している。
それほどまでに、《影の王》とは強大な存在であり、そんな未知の存在を今だずっと抑え込み続けている彼は、尊敬以上の想いを抱く存在なのだ。
「だから、もう終わりにしよう」
「風、音………」
起死回生をも望めぬ戦況に、リシュトは絶望の淵を覚悟する。
それと同時、風音は二年間配下にいた元部下に引導を渡すべく、剣を振り翳す。
「させるかッ!」
────ガキンッ!!
「うくっ!」
風音が振るった一閃は、岩壁にぶつかったかの如く大きく弾かれた。
予想打にしていなかった出来事に、風音の身体はその心と共に少しぐらついた。
「レオ………」
「レオンハルト……」
二人の間に立つ人物の名を、ほぼ同時に呟く。
「も、申し訳ありませんッ」
と。そこへ、その男と戦っていたであろう少女が藪の中から謝罪と共に現れた。
「さすがに、タイミングが良すぎじゃない?」
風音は少女を庇うように前に立ち、からかうように問う。
「はっ。ま、激化する戦場じゃあ何が起こるか分からないってのも軍の教えだろ?」
「…………」
それでは答えになっていないとでも言いたげに、風音はため息を吐く。
「この状況、アナタ一人が増えたところで戦況に揺るぎはないと理解してる?」
「ったりめーだ。だがな、俺らもこれ以上仲間を失うわけにもいかないんでね」
「あっ…そ」
「双葉隊長………」
風音がこれからやろうとしていることを予期した少女は、不安そうな表情を見せる。
「なら、これ以上私の仕事の障害になられても困るし、ここいらでこの〈島〉共々本格的に消えてもらおうかな?」
「くっ………」
平然と剣を構える風音に、覚悟を決めるレオンハルト。
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!」
その二人の間に、少女は両腕を拡げて入る。
「オマエは……?」
「シルヴィア………」
目の前に立つ少女の姿に驚く一方で、少女は風音に対し刃を向けた。
「キミもそっち側?」
「…………」
何か言い返そうと思った少女だったが、今までに見ない風音の覇気に凄んでしまう。
「それでも、今の貴女からは軍規のカケラも見受けられませんッ」
「………でしょうね?」
「まさか、自分の直轄の部下にすら容赦しないと言うのか?」
「当然。誰が相手になろうと、私たちの道を阻むモノは総て消すだけ」
「双葉隊長…………」
たとえ現在の部下であろうと、容赦なく切り捨て、容赦なく刃を向ける風音の姿に、シルヴィアはただ言葉を失っていた。
「風音。ソレは本当に、双葉風音がやりたい事なのか?」
「…………」
それを、風音が答えるはずがない。
それでも、リシュトは問い続ける。
「当然……ッ」
風音は、意気揚々と意思(剣)を|魅せる(振るう)。
振るった刃は旋刃と化し、リシュト達を圧倒する。
「ぐあっ───」
「これが、双葉風音………」
「これでは、師匠から教えて頂いた戦技も…………」
リシュトやシルヴィア達三人だけでなく、《D》の子らや、《烙奴隷》の面々も風音に挑むが、風音のチカラはそれらさえも大きく上回っていた。
二方の子供達だけでも、兵力は百を超えている。
なのに、それでも届かない風音との力量差に、子供達も意気消沈とし出す。
「さて、と………」
皆の戦意喪失具合を黙認し、最期の仕上げへと移行しようとする。
「あら。もう引き上げるんですの?」
「まぁね。もう用済みだろうし……」
「無情ですね。ほんのさっきまで、共に戦場を駆けた『仲間』だと言うのに」
「それが下等種族である以上、もう利用価値も無いでしょう?」
「くっ───。貴女はまた、そんなことを言って…………」
「ふっ…………。だったら、貴女も私に挑んでみる?」
「…………。やめておきます、それが目的で此処へ来たわけではあませんから」
「そう、残念だね。折角、場が暖まっているというのに。───ねぇ、アンゼリカ・クロイス……さん?」
「アンゼリカ……、クロイス…………?」
「アン……」
「アン………」
「お姉ちゃん…………」
「どうしてここに、お前が………?」
「誰?」
「六年前、此処で消息を断ったとされている人物」
「……………」
どう反応していいのか分からず、シルヴィアは紗輝の言葉にただ聞き入ることしかできなかった。
「その方は、亡くなったということでいいのですよね?」
「分かりません。ですが、此処で起きた事件は『事故』と処理され、当時の第零号自衛小隊は隊長を含めた隊員全員が『消息不明』と《局》の報告書にはありましたが……」
「そんな………。まるで、二年前みたい」
「ええ、おそらく同じかと」
「───ッ!」
二年前、神威柚希を含む《烙奴隷》を救出する為に発足された、即席であり捨て石としての側面を持った大規模作戦。
「二年前もこのような感じだったのでしょうか?」
「はい、そのようです」
親族として人伝で聴かされたシルヴィアと、直接《局》の報告書を読んだ紗輝。
二人の知る一件は違えど、それは同じ事件。
シルヴィアは、その事件で父親を喪い、この間まで《烙奴隷》という存在を恨んでいた。
だがそれは、彼女の勘違いだと思い知らされた。
それは、およそ半年前────。
「お父様…………」
半年前まで、シルヴィアは毎日のように哀しみに暮れていた。
娘の姿を観かねた母親は、およそ半年前に《局》に頼んで事件に関わった重要参考人と面会できないかと交渉した。
その時に出逢ったのがセレナで、当時の柚希は政府最高部によって〈断罪者〉扱いとして『特別な施設』に収監されていた。
柚希の腹心、あるいは右腕のような存在であったセレナと邂逅したシルヴィアは、自身の思いたけをセレナにぶつけた。
「どうして……、どうして………。返して、還してよッ、私の、私たちの大切な────」
その先の台詞は、セレナ達も同じだった。
セレナ達は赤子同然の頃に《教団》によって誘拐され、風音達当時の《第零号自衛小隊》の手で救出されたが、彼女達の存在は政府の分厚い規制がかかり一件そのものごと隠蔽された。
それを知ったシルヴィアは、互いの『痕』を嘗め合いセレナと目的を同じくした。
それからは、まるで姉妹のように共に過ごすようになっていった。
そして、シルヴィアは軍学校在学中に多くの武勲と功績を挙げていった。
そのお陰か、シルヴィアはこの春に軍学校を卒業し、東方へと渡った。
だが、東方の状況も芳しくなく、シルヴィアが想像していたほどの成果は得られなかった。
だからこそ、この秋から風音が発足した《第零号自衛小隊》とは違う《特殊部隊》への入隊を志願した。
しかし、それままた名目上の存在だった。
集められた人員は五大隊分。二年前の約三分の一ほど。
部隊の運用目的は、西洋で今だ沈静化していない《内戦》の早期終結。
現地に到着してみると戦況は芳しくなく、とある《勢力》の介入とその策略により、その戦況は別の方向へと傾きかけていた。
この時、再始動されていたと言われている西洋の《計画》は既に完遂されていた。
それに、今回は珍しく複数の《計画》が同時に進行している。
それは、異常な事態といえよう。
「私の目的は、あくまで『共闘』」
「ふぅ~ん?」
まるで相手の懐を探るかのうに、風音はアンゼリカの言葉を半信半疑で受けとる。
「その申し出にこの地を任されたのですが、これは骨が折れそうですね………」
「……………」
アンゼリカの判断に、風音は微かな苦悶の表情を見せた。
「はぁ~~………。まぁ、いいけど」
その後、根負けした風音は、アンゼリカに一つだけ条件を呈示した。
「その換わりの条件として、アナタの正体を教えてもらうよ」
「────ッ!?」
「……………」
「どういうこと?」
「(まさか………)」「(ふっ、そういうこと………)」
「アン………」
アンゼリカは、暫し思考し答えを出す。
「………良いでしょう。今の私は、《影法師》の一人───」
「当然、貴女にも《偽号名》はあるんでしょ?」
「……………、『死苑』、それが私の異名です」
「『死苑』……。さすがに、謂い得て妙な異名だね」
「恐れ入ります。では、これで『死苑』のお手伝いをしてくださいますか?」
「あれ、『私たち』じゃなくていいの?」
「はい。これは、あくまで個人的な要件ですので」
「ふぅ~ん。まぁ良いけど」
「───そうです。ところで、私も一つお訊ねしたかったのですが────」
アンゼリカが、以前から気になっていた事を訊ねようとした刹那─────
ゴゴゴゴゴゴッッ…………
「な、何ッ!?」
「地鳴りッ!?」
「───い、いえ。これはッ」
アンゼリカは、思考を切り替え現状を解説する。
「《浮幽城》の起動ッ?」
「ま、まさかッ」
「い、いえ。さすがに早すぎますッ………」
「じゃあ、なんで……………」
「考えられる可能性は、《計画》を無視しているとしか…………」
現状を整理する風音達の頭上──いや、セカイの真上に巨大な大樹に似た謎の飛行物体がいつの間にか存在していた。
考えられるのは、先程の地鳴り。
だが、それが起動時に発生するものでないことはアンゼリカが知っている。
それでも、その飛行物体はアンゼリカ達の頭上に突如として現れた。
「まさか、このセカイごと見捨てる気───ッ?」




