第83話 黄昏の大地
「仙皇、冥皇も消失……」
〈黄昏〉を行き交う女性が、独り言を呟く。
「残るは、天皇と魔皇のみ…………。急いで、リッちゃん………ううん。アル姉」
もう何が出来る訳でもない。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
現状。〈仙界〉は《廻巡祭司》によって崩落し、〈冥界〉は《八行衆》によって崩落した。
ここまでの展開から次に動くのは、おそらく三罫の内の二罫。
だが、その存在が明確に絞れないでいた。
女性が考察するは、《悪鬼》《戦童殻》《占妖姫》の三罫。
この内の二罫が来るはずだが、その明確な理由も確信もなく、ましてや、この三罫というのも怪しいところ。
実質、現在どの程度の戦力が動いているのかさえ知らないため、全てが憶測でしかない。
願うことしかできない女性でも、『何もできない』ということもなかった。
そんな女性は《黄昏の大地》と呼ばれる虚構の世界を訪れていた。
その中でも、女性がいるのはセカイの片隅の方。
遠い彼方を見渡せば、霞み掛かった深い霧の向こうに山のような建造物が見える。
そして、女性の目の前には、クレーターのように巨大なくぼみがぽっかりとできている。
この場所には、この国を象徴する大樹が植えられていた。
しかし今は、その存在は失われている。
つまり、この国はもう終わりということ。
女性が最後に体験した災厄の出来事、《最終戦争》。
それは文字通りの意味ではなく、比喩的な表現をした滑稽な綺麗事に過ぎない。
「今度こそ。悪夢を終わらせる」
それが、いつしかの誓い。
「そして、必ず助け出してみせるから……」
女性は、心に強く刻む。
あの日、叶わなかった願いを叶えるため。約束した家族との絆を取り戻すため。
たとえ独りぼっちになろうとも、彼が背負った〈重荷〉に比べれば、彼女たちの行いなど子供の悪戯ほどもない。
女性の憶測は正しかった。
天界は《戦童殻》が、魔界は《占妖姫》が強襲し、その数ヶ月後にそれぞれは大した反撃ができず崩落した。
これにより、《外の世界》である十界すべてが崩落し、残すは『本核』である虚界のみとなっていた。
その虚界を崩落させんと動くのは、これまで幾多の者たちを下してきた《夜天二十八罫》の中でも最も謎多き存在、《影法師》。
そして、崩落し続けていくセカイを何とかしようと動いているのが、寸手のところぎりぎりで崩落を免れていた星界、妖界に住まう者たち。
その住人は、強襲してきた《夜天二十八罫》と共闘し、他の《夜天二十八罫》との和議の結びに奔走していた。
既に、《華騎隊》は《魔轟獣》《改造仔兵》《水棲貴候》を、《魔轟獣》は《悪鬼》《五虹の工房》の説得に成功している。
だが、それぞれの戦力は《最終戦争》開幕時よりも大きく減少しており、現状で動いているのは二~三割程度でしかない。
《夜天二十八罫》は、他の罫士の情報を最低限程度にしか知らない。
いくら《夜天二十八罫》が束になり、『真の敵』を打倒しようとも、《夜天二十八罫》には《影法師》の情報が少ない。
そんな《影法師》の一人である少女は、濃くなる一方のセカイの中から女性のことを注意深く警視していた。
「あれが、《刻皇》トキ・ユークリッド」
監視という言い方もできるが、少女の役目はあくまで素行の調査。
「『王』の命とはいえ、このまま生かし続けるのはいかがなものか…………」
《零時計画》は第三段階まで完了し、残すは最終段階のみ。
事が順調に運んでいるとは到底言えない。
だが、そんな状況でも少女たちはやるしかなかった。
「『新たな候補者』は選出され、〈賽子〉は振られた」
一度は身の不審を斬られた身。されど、その心は〈影の王〉へと捧げられた。
「《神桜珠》の〈風桜柱〉としてではなく、《影法師》の『朧』として、この〈夢〉何としても叶えて差し上げますッ」
そう胸に刻み、少女は深い霧の中へと消えていった。
その存在は、常に『謎』だった。
いつ、だれが、何の為に造り、そして壊すのか。
あの黄薗郷も、この黄昏の大地も、所詮は創り物であり、幻想の産物。
だが、そんな創り物でも、奇々的な『現象』が起こっていた。
それが、『〈聖遺物〉の消失』。
一般的には《超古代遺失物》と呼ばれており、ここにないものは全て、各所に移送されている。
その〈聖遺物〉とは、何も目に見え手で触れられるような形のあるものとは限らない。
それは、遺伝子であったり、伝承であったりと、その形状は様々。
そして、〈影の王〉が打ち立てた《計画》は、もうじき総てが完遂されようとしていた。
そんな刹那にあるはずなのに、肝心の主要人物は全く別な場所にいた。
「それで。〈夢〉は見られたか?」
「……………」
男の問いに、少年は無言のまま立ち竦む。
「おい、どうした。キミはその為に世界を創造し、この『悪夢』を変えようとしていたんじゃなかったのか?」
「…………」
男がどれほど問おうと、少年は無言のまま。首一つ動かさない。
「………いいだろう。じゃあ、『絶滅』せよ」
男、〈災禍の神威兵器使い〉は神器の手を少年を向け、同時に『敵意』を顕にする。
「“業と為し解を滅せ、柔と介し絶に断て”ッ。“超越経典”!!」
先手は勿論、災禍の神威兵器使い。
「…………」
だが、災禍の神威兵器使いの攻撃は、少年の無言のままの添え手によって欠き消された。
「なにっ!」
「アンタも変わらないな」
ようやく、少年は口を開く。
攻撃を欠き消した右手で空を掻き、少年は改めて敵意を向けた。
「オレは、〈夢〉を見たかったんじゃない。『家族』を守りたかっただけだ」
「………ッ!?」
少年の気迫から冷徹さを感じた災禍の神威兵器使いは、本能的に少年から大きく距離をとった。
だが、それは少年が意図してやったこと。
故に、その行動は無駄な動作でしかなく、既に勝敗は決していた。
「どうしてオレが、あの時アンタに攻撃しなかったと思う?」
少年は、無駄だと分かっている問いを神威の神威兵器使いにする。
「ぐっ……はッ!」
後方から随に撃ち込まれた一撃によって、災禍の神威兵器使いは思考どころか四身の活動さえ封じられていた。
「なぁ?〈災禍の神威兵器使い〉…………いや。『師法矩貞』」
「うっ、ぐっ………」
災禍の神威兵器使いはもう、悲痛さえ唱えることが出来なくなっている。
少年は、奪おうと思えばその他愛無い生命さえ容易く奪うことが出来る。
それをしないのは、少年に遺された僅かな『慈悲』でもあった。
「アンタにも『家族』はいた。だが、アンタはその『家族』を見捨てた」
「い、ぐっ………うっ」
「なら、いったいどちらの〈罪〉を質すべきなんだろうな」
それはもう問いではない。ただの独り言に過ぎなかった。
「かあさんは、最期までアンタ達のことを心配していた。けど、アンタ達はそんなかあさんの慈悲を無下にした挙げ句、利用した」
それは真実で、だけどそこにはもうかつての面影は無い。
「ちがっ、──アッ、ガッ!!」
「もう喉を使うことも出来ないだろう?オレが伝えたかったことは伝えた。今、楽にしてやる」
「───ッ!!」
災禍の神威兵器使いが覚悟を決めた時には、もう手遅れだった。
既に、少年の攻撃は、災禍の神威兵器使いの〈生命維持装置〉を掌握していた。
「呆気ないものだな。人類種とは…………」
それは、幾度もその身で体験してきた、絶望という儚い夢想。
だから。少年は〈夢〉を見ることを諦めていた。
「だったら、その人類種以外の者ともう一度殺り合ってみない?」
「…………」
突然の投げ掛けであったが、少年はピクリとも驚かず僅かに身体を向ける程度に反応した。
そるは声の主も分かっており、少年が自身の気配を察知することも考慮しての大胆な行動だった。
「……………〈白き奇蹟〉。《神桜柱》の主頭核か……」
「………。私たちのこと、もう覚えてないんだね………」
諦めているように、けれどどこか威嚇するように白人で小柄な少女は少年の前に立ちはだかる。
「本当に、殺るのか?」
少年は、慈悲の言葉を投げる。
「…………。さっきまで、容赦なく人を殺していた者の言葉とは思えないわね?」
「コイツらは別だ。オレに、アナタを殺す理由がない」
「あれ、気遣ってくれるの?学園にいた頃はそんな素振りも見せなかったのに」
「『復讐』は遂げた。もうオレの《役目》は無い」
「そ。なら今度は、私たちの〈希望〉を叶えて貰おうかな?」
そう言って、少女は腰に下げていた武器を抜き、臨戦態勢で構えた。
それから先、少年と少女が真っ当な会をすることはなかった。
あったのは、少女が望む〈理想〉という幻想の御伽噺だだった。




