第77話 忘却の姫騎士
十二月初旬。
残された猶予は、残酷な程に短く、尊い程に虚ろだった。
もう猶予はない。
それは、解っている。いや。解っているつもりだった。
ただ、その実感がワタシには全然と言っていいほど無いということ。
そして、『その為』の下準備がまだまだ終わったわけでもないこと。
それも理解してはいる。その、つもりだと思い込んでいた。
いや。そういう流れなのだと、今は理解した方が良さそうだ。
何故なら…………
「ハハハハハッ!遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よッ───」
ワタシとリッチさんの目の前で起こっていることが、ことのほか問題事過ぎたのだ。
そう。それは、遡ればほんの数時間前の事。
いつものように、クラウスさんからいくつかの依頼を受領したワタシは、依頼主の元を順当に廻りつつ、簡単なものから順番にこなしていった。
そうして、依頼が残り一つだけとなった時、ワタシ達はこの日最も面倒そうな依頼をこなす為、鉱山区画へと向かった。
此処は、よく魔獣が出没するエリアである。
なので、魔獣討伐の依頼地がこの辺りであることが多い。
出現した魔獣の情報は、一般人からの人伝によるものなので、その信憑性は極めて低い。
時おり、無理難題であったり、尾ひれの付いたような情報であったりしていた。
今回もそうだと判断するのも早計だし、そうは言っても油断も禁物なのが、一番困る。
ということで、魔獣討伐の依頼のときは、他の依頼よりも特に念入りに準備した。
いつものように同伴しようとしていた鳴滝家の現当主・鳴滝火垂は、示し会わせていたお目付け役の人の元に誘導しておいた。
今頃、神代家のお膝元で監禁状態を味わされていることだ。
これで、当面の問題は無いだろうと、鷹を括っていた。
が。現状は、それほど甘くなかった。
情報にあった魔獣は、ワタシとリッチさんがその地に足を踏み入れた時には、その魔獣の気配すらも薄れていた。
今回の情報は正確であった。
だが、聞いていたこととはまるで違う状況が、ワタシ達の目の前にはあった。
『誰も手出し出来ない巨大な魔獣が出没した』
それが、依頼受領時に聞かされた一番信憑性の高い情報だった。
そう聞かされたはずなのだが、まぁ、感違いでないのは間違いではなさそうだ。
その証拠に、『巨大な魔獣』は確かにワタシ達の目の前にいる。
だが、問題はその状態だった。
聞いていた情報には、『巨大な魔獣』はサイあるいはカバのような姿をしている体長五メートルくらい。であった。
目の前にいるソレは、ワタシの目測でその半分である二~三メートルくらいのように見える。
ま。それはそうだろう。
なにせ、その魔獣は既に殺られて倒れているのだから。
「これは、どうしましょう………」
ワタシの隣で、リッチさんが軽く頬を掻く。
一度リッチさんを顔を見合わせ、魔獣の方へと視線を戻した。
その時、ワタシはあることに気付いた。
魔獣との距離はまだ詰めていないものの、それほど距離が離れているわけでもない。
その距離から見えたのは、小さな『影』。
いや。魔獣の側にソレがあるので気付かなかっただけで、ソレは確かにヒトの残影を象っていた。
その唯一と言える手懸かりから考えられる可能性は、あのヒト影の正体がその魔獣を倒したということ。
「あ、ヤバっ。見つかっちゃう!」
一瞬、目があったはずなのに、そのヒト影は途端に踵を返しそそくさと近くの岩場を登って行く。
そして、この鉱山地で最も高い場所まで登った彼女は、あの名乗り文句を謳い出した。
「我が名は、ヴィヴィアン・ランスロット。夜天騎士団に所属し…………」
それから先は、面倒な程に長く、憂鬱な程に聞く気になれなかった。
そのため、ワタシは一瞬目に付いた小さな物置小屋へと歩いていく。
「また、あの御方は…………」
リッチさんの目を盗むように移動してみたが、どうやらその本人は壇上の人物に釘付けだった。
というか、微かにしかその声を拾えなかったが、リッチさんは彼女のことを知っているかのような口振りに聞こえた。
物置小屋から『あるもの』を手にして戻ると、リッチさんは呆れたような表情をしており、壇上の人物の口上はそろそろ佳境へと向かっていた。
「あ、柚希さん。何処かに行っていたのですか?」
近付くワタシの存在に気付いたリッチさんの視線が、ワタシの手に握られているモノに向けられる。
「え?ちょっ、ソレは!」
驚愕の面持ちに変わるリッチさんの表情。
ワタシはそんなリッチさんのことなどお構い無しに、持ち出したモノの先端からぶら下がる糸に火を灯した。
「それに、導火線に火までッ!」
ワタシの行動を止めようと地を蹴るが、その行動ではもはや届かず、それは無駄な判断だった。
既にワタシの手からソレは離れてしまっており、ほぼ同時に壇上の彼女は「とうっ」という威勢とともに壇上から勢い良く跳躍した。
それは、既に予測されていた行動。
ワタシが投げ込んだダイナマイトは、綺麗な弧を描き彼女の着地予想地点に投下される。
簡素な造りをしたダイナマイトは、地面に着地すると同時に盛大な爆発音を鳴らす。
「え、何?」
飛来中の女性は、足下で起きた事に一瞬驚くが、白黄色の鉱山に何の変化も起きておらず、それはワタシにとっては想定内の下準備であった。
「よっ、と。さぁ、イく────ほひょっ?あああぁぁぁぁ~~~~~ッ!」
一瞬垣間見えた女性の表情に何か素に近い何かを感じたが、今回はそんな気にはなれなかった。
その変わり、
「とりあえず、依頼にあった(人型の)魔獣は討伐完了ですね」
リッチさんに聞こえる程度の声量で、そう呟いた。
「え?……………あっ。いやいやいや」
一瞬、ボケて言ったことに気が付いていなかったリッチさんだったが、ワタシの日頃の行いをしばし思い出し、大振りなワタワタとした身振り手振りでツッコんだ。
「どうされるんですか?」
リッチさんは、クレーターみたいにぽっかりと空いた大きな穴を指差し訊ねてきた。
「なんだか、メンドくさそうでしたので。つい………」
そう答え、軽く後頭部を掻く。
「えと………。一応、大丈夫だとは思いますが……」
何だか、後ろめたさが垣間見える言い方と表情だったが、今は考えまい。
そう思い込み、ワタシとリッチさんは先程の女性を置き去りにして、鉱山区を出て今日一日の報告に向かった。
そして、ようやく今日は終了した。
夕飯時、リッチさんは後悔が残っているかのように表情が暗かったが、ワタシには正直どうでもいいことだった。
それよりも、ワタシには一つ気掛かりがあった。
それについて、リッチさんに訊ねてみたかったが、彼女のあの言動や行動から察するに、おそらくあの人とはまた近い内に何処かで会うような気がしたので、言及することは断念した。
「ひえぇぇ~~。ひ、酷い目にあったよぉ~」
夕刻時の奈岐穂市内にある居酒屋まで戻ってきた女性ヴィヴィアン・ランスロットは、悲哀に満ちた面持ちで同行者の向かいの席に座る。
「お疲れ様です。姫様」
「ん~」
素っ気ない態度で、ヴィヴィアンは先着していた銀髪の少女に反応する。
「夕食は、何にしますか?姫様」
そんなヴィヴィアンの態度などお構い無しに、銀髪の少女はメニュー表をヴィヴィアンが見易いように開いて渡す。
「んん……。出会した魔獣とやらは大したことなかったし、例の子には袖にされちゃったし………」
メニュー表を一瞥しそんなことを呟きながら、ヴィヴィアンはメニューを決める。
「ああ、なんだ。もう始めてたんだね?二人とも」
ヴィヴィアンの前に料理が運ばれて来るとほぼ同時に、一人の少女が和風ぽさが醸し出されている黒髪を靡かせてやって来た。
その黒髪少女は二人の間の席に座り、捌けようとした店員を呼び止め料理を注文した。
「で。彼女はどうでしたか?」
料理に手をつけ始めたヴィヴィアンに、黒髪の少女が訊ねる。
ヴィヴィアンは三口ほど料理を食らうと、先程軽く話した程度のことをそのまま話した。
「……やはり、一筋縄ではいかなそうですね」
「ねぇ、サヤちゃん?」
「分かってるから、お姉は黙ってて」
「あい……」
何かを言いかかった銀髪の少女を、黒髪の少女は軽くあしらいしばし思考した。
「ま。私はもう一度アタックしてみるつもりだけど」
「あ。お姫さまは好きにしてください」
「そ。それは助かる」
早々に食べ終えたヴィヴィアンは、その一言で会話を締め、宿へと戻っていった。
「お姉。明日はお姫さまに付き添ってあげて」
「良いのッ?」
「どうせ、いつもみたいにワタシの言うことなんて聴かないんでしょ?」
「そ、そんなこと無いよ。サヤちゃんがダメって言うなら、素直に従うよ?」
「ホントに?」
「ま、まぁ。気が向いたらね…………?」
そんなことを言って、少し視線をずらす銀髪の少女。
「はぁ………」
その反応は、黒髪の少女にとっては予想内だった。
「でも、『お姫さまに付き添って』って言ったのは、ホント」
「でも、それじゃあサヤちゃんが一人になっちゃうよ?」
「大丈夫。《学園》も《図書館》も見付けた。後は、あの子の補佐をするだけ」
「ユウヤさんが立てた、三十七の《計画》」
「それが、もうじき終息を迎える」
だけど、それは彼女達のお仲間が勝手に“予見”したことであって、このセカイで本当に起こっていることを彼女達はまだ知らない。
後日。
秦へ来てから行きつけとなりつつある店で、今日も食事にありつく。
「それじゃあ、お姫さま、お姉。コレが今回の仕事」
黒髪の少女は、テーブルの中央に依頼書を置く。
「『放牧地に出現した魔獣の討伐』?」
銀髪の少女が、依頼書の一文目を読み上げる。
「そ。体長も見た目もオリジナルとは変わらないみたいだから、見分けるのは至難の技。そして、それを利用した捕食を行う」
「け、結構エグいなぁ……」
「今回は、これをやっていればいいんだね?」
「はい、お願いします」
「それで、サヤちゃんはその間に何をするの?」
ヴィヴィアンが立ち上がると同時に、銀髪の少女は訊ねる。
「ん?もうちょっと調べもの」
二人の少女はほぼ同時に立ち上がり、黒髪の少女がレジの前に立ち清算を済ませる。
「まだ、何かあったっけ?」
そもそも、秦には二人の少女にとって必要なモノなど存在していない。
偶々、ヴィヴィアン・ランスロットがここへ来る用事があって、それに同行して来たに過ぎなかった。
「とくには、ね。とりあえず足は踏み入れたし、それなりに調査してみようかな?って思ってね」
「ふ~ん」
興味無さげに、銀髪の少女は相づちを打つ。
「ところで、お姫さまはもう店の外出ちゃったけど、付いて行かなくていいの?」
「ふぇあッ!?ああぁぁぁぁッ!!ま、待ってくださいよぉ~、姫様ぁ~~」
銀髪の少女に気付かされて、黒髪の少女は慌ててヴィヴィアンの後を追った。
「………さて、と」
ダダダッと。銀髪の少女の足音が遠退いていくのを確認すると、黒髪の少女は少し遅れて店を出た。
そして、踵を返して目的の店に向かって歩き出す。
この地にある《超古代遺失物》は、彼女の知人が“予見”した通り、確かに点在していた。
それは、既に跡形もなく破壊された『古巣』。
けれど、それは確かにその地にあった。
不可思議なことは重々承知している。
だだ今は、ソレがソコに存在しているという何よりの事実が、少女にとっては嬉しかったのだ。
同刻。
ワタシは、クラウスさんのお店で朝食を頂いていた。
いつもであれば雅さんのお店で済ませるが、時季が時季ということで、数日前からその辺の配慮を取り入れることとなっている。
それも理由の一つではあるが、本来の理由は別にある。
先日の鉱山地での一件もしかり、ここ最近何者かが魔獣討伐の依頼のみを受領しているとの噂があった。
そして、それは本日も同じであった。
ワタシの中では一応、目星は付いているつもりだ。
だが、彼女がどうして秦にいるのかが不明瞭であり、気掛かりなこと。
リッチさんはその彼女のことを知っているようだったが、今日に至るまで聞けていない。
とはいえ、この機会は逆にチャンスと言える。
だから、今度は足蹴にせず、正面から向き合ってみよう。
そう決断して、例の彼女が既に受領したという討伐依頼を受領した。
「じゃあ、お願いね?」
「はい」
朝食を済ませ、会計と受領を同時に踏んで踵を返した時───
「あ、此処にいたんだ。最近、いつもの所にいないから、少し探しちゃったよ」
店の出入口である扉から、やや落ち着いた声音が聞こえてきた。
扉が開いたままのせいか、外から吹く風が扉の前に立つ少女の単一色の黒髪をフワリと靡かせる。
「あ。アナタは………」
存外、ハデな登場だったためか、店内にいる全ての人から注目を浴びてしまう。
その中でも、リッチさんではなく、クラウスさんが一番珍妙な表情をしていた。
ここで、ワタシとクラウスさんとで、僅かな食い違いが生じていた。
どうやら、やや小柄な二十歳前後くらいの黒髪少女が、クラウスさんの言っていた人物だったようだ。
しかし、それは大きな勘違いではなかった。
なにせ、その黒髪の少女は昨日の可笑しな女性の仲間なのだから。
「って、言っても。私は不本意なんだけどね?」
そう言って、小さく苦笑する。
そんな彼女の名は、サヤカ・ヘイゼル。
《魔導協会》の一部、《黒導詩書》の一端であるが、今はその《魔導協会》とも別行動をとっていると言う。
そんな彼女が何故、《夜天騎士団》の一人と発言していた昨日の彼女の仲間なのかは後日、もう一人と共に合流出来たらと静止された。
「という訳で、今日はそんなおバカ二人を迎えに行きますかッ」
サヤカさんは、ワタシが持っていた『放牧地の魔獣討伐』の依頼書を指差した。
その放牧地への移動中、サヤカさんはここ最近の不審な魔獣討伐受領の経緯を説明してくれた。
それは全て、サヤカさんによって仕組まれた最も手っ取り早い方法だった。
そうまでしなくても………、と言いかけたが、それはまたしてもサヤカさんによって静止された。
昨日の女性のことを考えて、最もいざこざの無い方向で、ということだがそれはそれで新たな問題の発生を危惧していた。
「さぁさぁさぁッ!遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よッ!!」
「…………」
同じ時刻、同じ状況であることが相まって、昨日と全く同じ展開が始まった。
唯一違うことを上げるとすれば、今回の彼女は一人ではないことだけだろう。
そんな状況化で、ワタシ達は昨日とほとんど変わらない距離から一通りの珍劇が終わるのを待っていた。
「うわぁ…。ホントにやってる………」
ただ、サヤカさんだけは一人違う感想を抱いていた。
それは、呆れを含めたシタリ顔。
つまり、この名乗りもサヤカさんが仕組んだことだった。
「とぅッ」「はぁッ」
一通りの名乗りを終え、昨日と同じように高台から跳躍して降りてくる二人。
さすがに今回は、前回のような状況を造ることは出来ない。
そう、思っていたのだが…………。
「“ディスペンション・アークホール”ッ!!」
隣で、そんな言葉が聞こえてきた刹那。目の前の二人の足下に、昨日のワタシがやったことのような巨大な大穴が出現した。
「へっ、え?またッ!?」「うひゃい!」
まるで暗示でも掛かっているかのように、スムーズに大穴へと吸い込まれていくガッツリとした甲冑装束の二人。
「これが、《子供たち》の一角、《聖導図書館》の皇能…………」
さらにその反対側で、リッチさんが感心したように何かを呟いた。
「もうそろそろですか……」
二人が穴の中へと消えた後、途端に消えた大穴。
それはまるで、幻でも見ていたかのように幽漏と消えていく。
サヤカさんの言葉は、そんな黒い大穴についてではない。
「ぶはっ」「ハァハァ。やっと、出られた」
大穴があった場所から、先程の二人が地中から出現した。
これは『おしおき』だと、サヤカさんが言っていた。
それはやりすぎではないかと一瞬脳裏を過ったが、先日の自分がほぼほぼ同じような事をしていたと思うと、何も言えなくなってしまう。
とはいえ、変なドタバタはあってもこれで『合流』は完了した。
これで、今回の〈楔〉は打たれた。
それでも、心配は軽減できないだろう。
だが、いくらかの安堵は可能だ。
ただ少し、違和感があるのがもうしても気掛かりなのだが、それは追々で良いだろう。




