第72話 初露の庵則
この世に綺麗なモノなど何一つ無い。
そう教えてくれたのは、いったい、誰だっただろうか。
まぁいい。それを今考えたところで、何かが変わるわけではない。
それよりも────。
妖界、諏訪砦前。
《門》を難なく抜けた小薙伊織と数人の《華騎隊》達。
「此処が、妖界」
「何だか、殺伐としてるね?」
伊織と行動を共にするのは、《蒼毒草》、《博姫花》、《鏡禍花》、《魔隆花》、《吸縛花》のわずか五人。
彼女達の助力を得て、故郷へ帰還した伊織であったが、そんな彼女を待っていたのは星界のように悲惨した現状であった。
「やはり、此処もか……」
それは、当然の結果だった。
ここ妖界を攻めるのは、《華騎隊》が星界を攻めることになったのとほぼ同時期のこと。
「で?妖界を攻めてるのは………」
しかし、どの子供達が攻めているのは、当然のごとく知らない。
霊界は《聖導図書館》、神界は《機械天使》、獄界は《竜》。そして、星界は《華騎隊》であった。
この四組に関連した共通点はなく、むしろバラけ過ぎていた。
とはいえ、打算的にもいくつかの可能性は浮かび上がる。
「可能性としては、《戦童殻》か、《七罪聖典》くらいかな?」
と、《吸縛花》が推論を挙げる。
「どうだろ。ワタシはむしろ、《魔轟獣》か《魂骸蟲》ぐらいしか思い浮かばないけど」
それに対し、《魔隆花》が自身の推論を述べる。
「皆さん、伏せて下さい。『敵』の正体、解るかも知れませんよ」
鏡禍花の言葉に、六人全員が茂みの中に身を潜める。
『敵』とは言っても、《華騎隊》にとっては身内も同然。それでも、彼女達はその感覚を疑問に思うことも無かった。
それは、組織の教えでもあるからである。
昔の言葉に、同じ釜の飯を食らわばそれすなわち家族も同然というものがある。
しかし、彼女達は既に別組織という扱い。
今の彼女達は伊織と共にこのセカイを廻る仲間という認識に切り替わっている。
「ここらはもう制圧しただろう?なのにナゼ、今更偵察なんぞ………」
「(アレって………)」
その存在に、《華騎隊》の面々はそれぞれに顔を見合せる。
「さぁね。だけど、カムイからのお達しだ。どうやら、妖界の《門》が何者かによって開かれたらしい」
「ふうむ。とすると、コチラに誰かが?」
「《門》を潜れるのは、そのセカイの《皇》のみ」
それが、万国共通の認識であった。
だが、それは偏った認識。現に、伊織も燈架李もその《門》を潜ってきた。
しかし、それは誰かの助力を得てのもの、決して一人の権能だけではない。
「なら、妖皇が戻ってきたということか?」
「ティオさ────ばぉッ!!」
妖皇の名に反応した伊織であったが、即座に対応した蒼毒花と吸縛花によって引き戻される。
「「ッ!?」」
突然聞こえた声に反応する夜道を歩く二人。しかし、その場に何者かの姿も気配も確認できず、すぐさま見廻りに戻る。
「(もう少し進むと、《門》に着くわね………)」
「(まずいかな?)」
博姫花が思考していると、鏡禍花が小首を傾げて近くで二人の様子を伺う。
「(どうやら、魔隆花のおっしゃる通り、《魔轟獣》みたいですね)」
「(《魔轟獣》………。もの凄く、厄介だね)」
「(正直、この人数では無謀かもしれないですね)」
「(けど、これ以上の人員が割けなかったのも事実でしょ?)」
「(それはそうですが。流石に、《魔轟獣》は想定外でしたよ)」
ガックリと肩を落とす博姫花。その背を宥める鏡禍花。魔隆花は辺りの警戒に尽力し、蒼毒花と吸縛花によって羽交い締め状態にあっている伊織。
伊織と《華騎隊》それぞれ茂みで息を潜めて偵察の二人が立ち去る刻を待つ。
彼らの警戒は執拗で、息を潜める伊織達には刻々と限界が近付いていた。
「…………。どうやら、誰も通っていないようだな」
「そもそも、三度も(・・・)を開けられるのか?」
「ん?何を言う。一度目のは《橋》、今回のは外側からだ」
「………そうだっけ?」
「(三度?)」
博姫花は、蒼毒花と吸縛花に指示を送り伊織を少し離れた場所へと連れていかせた。
その疑念は、その時に飛び出した不穏分子であった。
偵察の二人が博姫花達からだいぶ離れたことを確認した博姫花は、他の二人と共に先攻した伊織達と合流する。
「どう?」
三人の姿を肉眼で捉えた蒼毒花が、自然な感じで問う。
「ダメですね。目欲しい情報は手に入りませんでした」
博姫花の落胆する姿に、他の《華騎隊》達は苦虫を噛み潰すような表情をする。
「ですが、一つだけ。不可解な情報はありました」
伊織が、妖界の《橋》を開き虚界へ渡ったのが、一度目。自分達《華騎隊》と共に妖界に渡るに開いた《門》で、三度目。ならば、二度目の界渡はいったい何時、誰が。
「妖妃、さま…………」
博姫花が思考していると、伊織がポツリと唯一の可能性を口にした。
そうだ。《橋》も《門》も、本来開くことが出来るのは、そのセカイの皇だけ。
だとすれば、可能性はその一択だけだ。
「とはいえ、その事実が判明したところで、この先の私達が不利であることに変わりないのでは?」
「そうですね。せめて、妖皇様だけでも居てくだされば…………」
最もアテにしていた策は、その事実によって断念せざるをえなくなった。
「て。言ってても、妖皇が目の前に現れるわけじゃないし、ワタシ達にはワタシ達に出来ることをしよう」
「そうだね」
出来る事……。デキる事…………。
「……………」
そんなモノ、あるはずが無いのではないか。
それが、六人全員の答えだった。
翌日、正午過ぎ。
ワタシとリッチさんは、依頼のあった場所、奈岐穂市にあるカジノ地区に足を踏み入れていた。
ここのオーナーが、盤卓に使われている機材の部品調達の為の護衛として、クラウスさんの元に依頼が届いていたのだ。
「…………」
「…………」
お昼を軽く済ませ、受注した依頼書を見せてオーナーが在着している応接室に通されたのだが、ワタシもリッチさんも見た目がアレなので、中々信じてもらえず、こうして膠着状態がおよそ三十分ほど続いている。
「オーナー」
小一時間が経とうとしていた頃、応接室に無線の声が入る。
「なんだ」
眉をピクッと動かし、重い腰を持ち上げ無線の元に向かうオーナー。
無線とはいえ、今のは着信音のようなもの。本文を聴くには受話器のようなモノを取る必要がある。
無論、このような装置はワタシの家翡翠亭にもある。
だが、ワタシの場合、掛けてくるような人物はいない。いないことは無いが、その達は皆突然の襲撃のようにやって来るので、この装置の必要性が無いのが事実だ。
「そうか、分かった」
およそ二~三分ほどで、オーナーは受話器を元の位置に戻す。
「済まないが、今回の件はコチラでクラウス殿に再度確認を取ってみるので、今はお引き取り願いたい」
「分かりました」
リッチさんの怪訝な表情を他所に、ワタシは素直に聞き入れ、深々と頭を下げて応接室を出た。
「どうしてあのような態度を?」
ホールへの一本道に、リッチさんは怪訝な表情のまま訊ねてくる。
「貴女は《皇》で、あのような輩など下司に値しないかと」
リッチさんの考え方は、ワタシとは少し違うようだ。
「わざわざ、『見せしめ』のようなものを造りたくないだけです」
ワタシは、お茶を濁すように返答した。
それに、いくらワタシ達が何かやったところで彼らは怯みもしないだろう。ここいう経験は、自衛局に居た頃とほとんど変わらない。
「それに、やり方は色々とあります」
「??」
リッチさんは大きく首を傾げるが、ワタシは一切気にするような素振りを見せずロビーへの細道を歩く。
「あのぉ、柚希さん」
細道を歩く中で、リッチさんは何かを見付け、ワタシに同じものを見せようと、ワタシの袖をやや強めに引っ張る。
勿論、ワタシが開場の様子に気付いていないわけではない。
毎度の事のような騒動に巻き込まれないよう、見てみぬ振りをしているのだ。でなければ、わざわざ、迂回するような道である細道を使うはずもない。
だが、今回はそうもいかなかった。
「良い機会ですね。少し見て行きましょう」
そう言って、ワタシはロビーまで到着した途端にUターンし、その人混みの群がる場所へと近付く。
四~五十人ほどが詰め合わされている人混みに近付いた瞬間、その人混みの中央から騒ぐような声が聞こえてきだす。
「もうお止めください、火垂様ッ!」
その叫び声が聴こえてきた瞬間、ワタシは二歩、いや、五歩後進する。
その刹那、ロビーと機務室を結ぶレッドカーペットを翻すような形相で、オーナーが人混みへと突撃した。
オーナーが近付いたことで人混みは自然とオーナーの通る道を作る。ワタシはその一瞬を見逃さず、二~三秒ほどの刹那をリッチの手を引いて人混みの中へと滑り込む。
「はい。ビンゴッ!!」
「……(ガクッ)!」
人混みの中央に居た見慣れた少女。その背を三人の大男とオーナーが囲む。
少女の向かいには、このゲームのゲームマスターが立ち、二人の間を大きな卓が陣取っている。
今彼女が遊んでいるゲームのルールはさっぱりだが、カジノの関係者や周りの野次馬の感じから、火垂さんは今、完封勝利をしているような状態にあるようだった。
「火垂様。またいらしてたんですか?」
オーナーは、次戦が始まるまで手持ち無沙汰となっている火垂さんに訊ねた。
「うん。鳴滝家には、結構優秀な人材が集まってるし」
火垂そんは余裕綽々といった感じで、次戦の為に配られたカードに目をやる。
「ですが、今や貴女はこの秦の当主の一人。このような所で遊び呆けているなど、他の者への示しがつきません」
なんとか説得を試みるオーナー。
しかし、火垂さんはゲームを止めるような素振りを一向に見せない。
「大丈夫大丈夫。これも当主としての面目」
「ですが───ッ」
「よしッ。なら今日は、ここに来ているお客さん全員に豪酒をプレゼントしようッ!!」
途端に席を立ち、掛け金を全額に乗せ替えた火垂さん。
その突発な行動に、カジノ中の観客が一斉に歓喜の声を挙げる。
これが、火垂さんのカリスマ性。それは、時に心強いモノとなる時がある。
「て。あれ?柚希。珍しいね、こんな所で逢うなんて」
ゲームマスターが賽子を振る間、ワタシの存在に気付いた火垂さんは、即座に冷静さを取り戻した。
火垂そんがワタシの存在に気付いたことで、オーナーや他の従業員、観客の視線がワタシに集中する。
「えっと…………」
「アナタ、まだいらしてたんですね」
オーナーは、怪訝な表情を向ける。
「何々?柚希は、ここで何をしてたの?あっ、もしかして、ようやく柚希もギャンブルの良さが────」
「そんな訳は無いです」
火垂さんが言い終わるより先に、その私孝を止めた。
そうしたことで、従業員達の眼がなかば睨むような眼差しへと変わる。
「あの、火垂様。コチラの方は?」
今だ怪訝な表情のままのオーナーが、恐る恐るといった感じで火垂さんに訊ねる。
「ん?私の知人。友人とも言うかな?………まぁ要は、度々私の仕事も手伝ってもらってるありがたい存在かな?」
何故、疑問系。そして、何、その紹介の仕方。
おそらく、彼女よ中でのワタシの存在は、そのような感じという事だろう。
そして、賽子が盤上へと投げ込まれたことで、火垂さんは瞬時に卓へと視線を戻す。
「よしッ!!」
出た目を見て、火垂さんは強くガッツポーズをする。
今回の掛け金で、得られるコインは何十倍にも膨らんでいた。
しかし、火垂さんはそれらを手元に揃ったことを確認すると、途端に座席から降りて観客達を整列させ、コイン全てをその者達全員に配っていった。
本当に、約束通り豪酒出来るほどのお金を手に入れた観客達。しかし、カジノ側は唖然としていた。
「それで?」
何事も無かったかのように本題に戻す火垂さん。
その姿には、流石のリッチさんは困惑していた。
説明は我に還ったオーナーにより行われたが、その中でまたしても問題が発生してしまった。
…………数分後。
「なんだが、スゴい感じでしたね」
そう暢気なことを言うリッチさん。だが、おそらくそんな彼女が一番疲弊しているのだろう。
「で。コレ、何処に向かってるの?」
そう訊ねてくるのは、この依頼に無理矢理着いてきている火垂さん。
現在。ワタシとリッチさん。その後ろを歩く火垂さん。そして、ワタシ達の少し前には、この依頼の主、カジノのオーナーがいる。
ワタシ達は今、奈岐穂市を東へ進み、目的の場所という説明だけされた場所へと向かうため、補整された山道を歩いている。
護衛という依頼で参列してはいるが、ここまでの道のり(およそニキロほど)で何か蠢くようすも、変化が訪れる気配も予兆も無いまま。
「到着しまたよ」
そんな事を疑問視していると、依頼主の足は止まった。
ワタシだけでなく、リッチさんも火垂さんもほぼ同時に目の前にあるその存在感に思わず息を呑んでしまう。
ワタシ達の目の前にあるのは巨大な建物。それも、廃墟となり、今では大量のコケや蔓が建物全体に覆い被さっているような状態。
普通、このような廃墟の場合、しがみつく為に伸びている程度の蔓の成長具合のはずなのに、この建物の場合はこの建物そのものを、まるで養分にでもしているかのように綺麗に覆い被さっている。
「ちょいちょい……」
少し唖然として、建物全体を見渡していた時、他の二人と離れた辺りの所でリッチさんに呼び止められた。
「柚希さんは、このセカイのこと。どの程度までご存じですか?」
その問いは無論、虚界だけの事ではない。きっと、黄薗郷そのものの話だろう。
ワタシは、ワタシ自身が知っている事を簡単に説明する。
おそらく、リッチさんはこの建物の異様な状態に検討が付いている。
でなければ、リッチさんは先ほどあのような質問はしなかっただろうし、なにより、この建物を見た時の一瞬の表情がワタシには一番疑念に感じる反応だったように感じた。
このセカイの年暦は、およそ二千年ほど。それは、人類が栄えた刻の数だという節があり、様々な研究機関での研究結果から、実はこのセカイは何万年あるいは何億年と経っているのではないかという節もちらほらと発表されている。
しかし、およそ二千年以前、一般的な紀元前と呼ばれる時代の事には、何一つ確たる証拠が無い。
それは、単純に二千年以前の記録が、『文献』にも、『地層』にも存在していないことが原因であった。
それならば、どうしてその研究者達は、『紀元前』なんてものが存在すると言い切ったのか。
それは単純に、その証拠が見付かったからだ。
その証拠こそが《超古代遺失物》。
所謂、現代科学では特定不可能な物品の存在である。
その存在は文献にも地層にも何も記されておらず、その事が逆に『無い時代の証明』ではないかという節が浮上するキッカケであった。
無論。ワタシもリッチさんも、そんなデマを信じるような思考回路は生憎ながら持ち合わせていない。
ただ、それよりも濃厚な節。しかし、それが最も証明出来ない真実がソコにあった。
そう。まさしく今、ワタシ達の目の前にあるこの建物もまた、証明出来ない模造品であり、人類が栄えるよりも太古の《超古代遺失物》という扱いと成り果てる存在。
妖界、どこかの茂み。
「さてさて、こうして身を潜めて至って現実は変わらないわけだが………」
「分かってます」
「ても、着々とは変わってるよね?刻々と『崩落』には近付いているわけだし」
「まぁ、幸いは、妖皇が妖界を離れているということだけだろうけど」
と。彼女達が、判断に迷っていると───
「あぁ~、良かった。まだ無謀なことはしてないみたいだね?」
刹那に、《博姫花》達さえ知らぬ人物が、声を掛けてきた。
「だ、誰ッ!?」
「お、ぉぅ。ビックリだ。まさか、それほど驚くとは………」
伊織達の背後に立っていたのは、長身の女性。
しかし、その声音では女の人だと認識できても、その風貌や顔立ち、しゃべり方などは断然、男と言われてもしかたのないものだった。
「アナタは………?」
《博姫花》が、恐る恐ると訊ねる。
「オレ?う~~ん、まぁ、そうだなぁ~………。別に隠せもは言われてないし、良っかな?」
男勝りな感じの女性は、考えるような仕草をして見せたものの、自身に言い聞かせるように一人で納得し、自身の名前だけでなく、『所属』と『目的』さえも淡々と打ち明けた。




