第64話 季節外れの祭典~天柳祭~
秋とは、何をするにも絶好の季節だと、誰かが言っていた。
それは当たっていると思う。
現に、これまで沢山のお祭りが開催されてきた。
どれも個性的で、どれも摩訶不思議なものばかり。
されど、そんな祝いを台無しにするかの如く、先日に起こった出来事。
その劇化にあった、それぞれの『願い』。
「お願い、あの人を助けてあげて…………」
そう願ったのは、葉月さん達《神桜珠》の面々。
「ははっ、キミなら止められるかもね?あの人の、〈幻想〉を…………」
だが逆に、アスカさんはそう口にしていた。
手助けを懇願した《神桜珠》と、阻止を画策するアスカさん。
どちらが正しく、どちらが間違っているのかは、この際どうでもいいことだろう。
肝心なのは、ワタシが今、その両方の言葉に大きく揺れているということ。
それをどう決断しようとワタシの勝手ではあるが、その決断を決めかねていることは事実。
その不我の心を少しでも和らげようと、ワタシは燈架李さんのいる病室を訪ねた。
あの事件から、もう五日ほどが経った。
のはずが、燈架李さんは今だ目を覚まさない。
アスカさんから受けたキズは相当なものらしく、伊織さんの話では、医療棟に運んでいる間に意識を失ったと聞く。
「あ、柚吉…………」
と。棟内を歩いていると、声が聞こえてきた。
声のした方に目を向けると、唯一ワタシをその名で呼ぶ人物が一人でやや遠くの方にいた。
その人物───五十嵐蕩花は、ワタシが彼女の存在に気づくと、軽やかな足早でワタシの元に駆け寄ってくる。
「柚吉も、あの子の元に?」
「ええ、一応………」
曖昧のように答えたワタシは、蕩花さんが手にしている大きすぎるお見舞い品に横眼を向けた。
運ばれてから数日ほどで、彼女達と最も縁のある阿莉子さんは既に退院しているにも関わらず蕩花さんが此処を訪れるのは一つしか考えられなかった。
蕩花さんと共に、その人物の病室に到着するが、部屋の主は今だ眼を醒ましていない様子。
とりあえず、持って来たお見舞い品を適当な場所に置き、今だその華やかさを残す花の水を取り換える。
「柚吉は、これからどうするの?」
作業を一通り終えたところで、蕩花さんからそんな事を訊ねられる。
「えと、分かりません」
分かるはずもない。
結局のところ、この地で何が起きているのか。伊織さんもそうだが、燈架李さんは何の為に此処に来ているのか。それが今だ不明なのだ。
これほど危機するモノが無ければ、ワタシはおそらく普段通りにそこら辺をぷらぷらと出歩いていただろう。
そういう意味では、この環境は良好と言える。
「ところで、柚吉のこの後の予定は?」
唐突に訊ねられ、ワタシは一瞬驚き思考を廻らせる。
そもそも咄嗟であった為、今後の予定など覚えてはいない。
とは言え、何か用事がある訳ではなかった。
「………そうですね。今のところは無いと思います」
「………そっか。じゃあ、ちょっと手伝ってほしい事があるんだけど…………」
「…………?」
ほほ毎日のようにお見舞いをしているので、今回くらいはと軽く済ませ、病室を後にした。
蕩花さんの後ろを付いて行くと、蕩花さんは学園の裏手へと進んでいく。
学園の裏手は、まさに森と化した私有地。
唯一の舗装された一本道。その両側は雑木瓜林が往々と生い茂っている。
つまり、蕩花さんが案内した場所は、彼女の自宅が隣接している神代家の私有地を含む、神代家の主館。
およそ二キロ近くにもなる雑木瓜林の一本道を抜け、ワタシはそこに拡がる雄大な街に呆気にとられていた。
此処までは来たことは無かったが、その手前までの雑木瓜林で何度か迷子を経験している。
そういう意味では此処はある意味、圧巻だ。
「む。蕩花殿、その娘は?」
街に入る直前。門番とおぼしき重武装をした男に止められ身元を確認される。
「ああ、柚吉?監視塔から度々連絡があった、迷子の仔猫………かな?」
ワタシの身元は蕩花さんが適当に辻褄を合わせ、ワタシは何とか街に入ることに成功する。
街の中央。大きな噴水を背に、蕩花さんは一度立ち止まった。
「改めて───。ようこそ、旧神成市へ」
どこかで見覚えのある作法で、そんな発言を悠々としてみせた。
そう。此処が、始まり────。
この旧神成市こそが、この黄園郷の源典にして、紀元とされる場所。
そんな街だが、ワタシは此処へは初めて来た。
特に来たかった訳ではないが、こうしてこの街を見上げていると、何か思うところがちらほらと出てくる。
「何を突っ立ってるの?ほら、行くよ」
いつのまにか先行していた蕩花さん。ワタシは見失わないように、その背を追った。
旧神成市と呼ばれる街の、特にその先にある大きな建物。
「着いたよ」
その建物こそが、このセカイの中核。───そして、終焉。
「─────ッ!!?」
「ゆ、柚吉ッ!?大丈夫…………ッ?」
「っ。──え?あ、はい…………」
な、何?今の……………。
一瞬、ワタシの中に〈何か〉が復元された。
それは、記憶、あるいは史書。はたまた、どちらでもない〈遺物〉か。
ま。それは今はどうでも良いだろう。
それよりも────。
「大丈夫です。ちょっと、目眩がしただけですから」
そう言って、ワタシは畏怖を取り払うように正気を呼び覚まし、蕩花さんに大事無いことを報せる。
「…………そっか。なら、良いけど。じゃ、行くよ?」
蕩花さんは、特に気にする様子もなく、目の前の建物──神代宅へと案内する。
街の形相から感付いてはいたが、この建物どころか、旧神成市全体が北欧の帝都のような情景をしている。
それが何を意味するかは、今のワタシでは思考するも繰言だろう。
なれば、今はそっとしておこう。
そう思い至り、ワタシは蕩花さんの後を追って、一室へと通された。
「ごめん、遅くなった」
「お帰りなさ───って。その子はどうしたんですかッ?」
出迎えた部屋の主と、その付き人。
主の方は何か重要の作業なのか、机をにらめっこでもしているかのように突っ伏していた。
その代行ともいうべきか、ワタシの来賓を出迎えたのは、お付きの片方である萩原殊葉であった。
殊葉さんは少し驚くような素振りを見せるも、ワタシにどこも異常が無いことを再確認すると、そのまま中央のソファに通された。
「…………」
ソファに座って早々、ワタシは長卓の上に拡げられた書類から一枚だけ取り、その内容に目を通した。
「〈天柳祭〉、ですか…………」
それは、二日後に予定しているお祭りの案内や機材などの簡易見積書や依頼書であることが判明した。
「そ。悪いけど、柚吉にはこの祭りの開催の手伝いをして欲しいんだ」
「…………」
ワタシは、しばし黙っていた。
本来ならばこんなことをしている場合ではない。
だが、これも必要な『業務』だと蕩花さんは言った。
おそらく、それは此処にいない者への配慮なのだろう。
そういう考えや想いを持たないワタシには理解に苦しむ点であるが、病室で蕩花さんに訊ねられたように、今のワタシは閑人なのだ。
そういう意味では、手伝う理由には十分だろう。
ワタシはそれ以上に何かを訊ねることはなく、これまでにやって来たことを思い返して独断での行動を開始した。
天柳祭とは、云えば七夕のような行事に該当するらしく、その風潮も同じようだ。
旧世紀時代。人々は女神を遺骨を祀る為、その女神が愛したとされる街を焼き払ったという。
それはあくまで伝承であり、口実であった。
本来であれば、街を焼き払う必要などどこにもなかった。
けれど、それが女神の願いだと、人々は疑わなかった。
当時にはまだ、『供養』という言葉はなく、そうした〈儀式〉は存在していた。
その儀式の『贄』とされた、その街の住人達。
後に住人達の魂の浄化と、女神の願いの供養を兼ねた大規模な火葬は行われたが、墓標や慰霊碑などは建てられなかったという。
それから人々は、とある周期を目安とした年に一度だけ國全体で祈祷を捧げる日を設けたという。
その日が何時なのかは、もう何百年も前から分からなくなっているらしい。
それでも今回、神代家がこの祭りを開催するのは訳がある。
───ま。ワタシはそれを知らないんだけどね…………。
と。感傷に浸っている間にも、ワタシのひとまずの仕事は完了した。
そして、二日後のお祭り当日───。
先日起こった『事件』が嘘だったかのように、國中がこの祭りを楽しんでいた。
「こんな時に、ちょっと不謹慎じゃない?」
ワタシの隣で、そう呟く伊織さん。
しかし、伊織さんの両手は屋台で出されていた料理や産物でいっぱいだった。
その格好からは、説得力がまるで感じられない。
「だからこそ、じゃないですか?」
ワタシは、伊織さんからフランクフルトを一本受け取り、そう言い返した。
神代家の意図は解らないが、この祭りの側面には、そういう意味があるのではと憶測を立てている。
「じゃあ、この祭りは国民の気を紛らわせる意図があると?」
「だと思いますよ」
現に、主催者たる人物の姿は何処にも存在しない。
「という事で、もう少し屋台を回ってからその人の元に向かいましょう」
そう促し、ワタシと伊織さんはもう一時間ほど廻り、その主催者の元へと向かった。
先の事件での被害は一ヵ所にのみ留められ、その場所に向かうものがいなければ、其処はいつもと何一つ変わらない場所であった。
それを公言できないようにする為、そのいつも通りを押し通す為、ワタシは一刻もの早い復興を立ていた。
その現場───神成神社に到着したワタシと伊織さん。
既に三十人近くの男の人達の姿がある。
男達の手もあって、神社は復刻されつつあった。
鳥居、境内、本殿と。着々と元の状態へと再生していく。
ワタシも伊織さんも、その労を労うために先程まで廻っていた屋台の料理を男達に振る舞っていく。
そうしていく内、神社の奥の方で一人黙々と作業に勤しんでいる人物を発見する。
男達への配給を終えたワタシと伊織さんは、最後にその人物の元に近付いた。
「お疲れ様です。阿莉子さん」
「別に、アリスがやらなくても、男達がこれだけいるんだから任せてしまっても良いと思うんだけど………」
「そうはいきませんよ。これは、私の力不足でもありますから」
「…………」
阿莉子さんの返答に、言い返せない伊織さんは、ワタシに助けを求めるような眼差しを向ける。
ワタシは軽く頬を掻き、一時休息を取ってはと阿莉子さんに提案した。
阿莉子さんはしばし渋ったが、一度境内を一瞥し、ワタシの提案を呑んだ。
だが、阿莉子さんは三十分ほどしか休憩せず、すぐさま作業を再開してしまった。
「柚希………」
再び、伊織さんがワタシに助力を求める眼差しを向ける。
ワタシは素直に手伝いを提案し、伊織さんはそれを軽々と引き受ける。
特に手伝う気が起きなかったワタシは、改めて境内を見渡した。
今、神社の復興に助力しているのは鳴滝家の人達。
単に、阿莉子さんが神代家を今だ遠ざけているということもあるが、この秦では、鳴滝家の人達の方がいくらか頼りになるという配慮の方が大きい。
復興作業の方は彼らに任せ、ワタシは男達から空いたゴミを回収し、神社を後にした。
「あ、いた!」
適当は場所でやや遅れた昼食を摂っていたワタシの元に、この場にいるはずのない人物が近付いてきた。
その人物は、二人。
「葵さん、火垂さん………」
現在、この二人は神代家と共に祭りの主催者扱いとなっているはずなのだが。
二人は、ワタシを挟むように両隣に座ると、それぞれ違う料理を頼んだ。
「やっぱりダメだね、ああいう固っ苦しい役割は」
と。葵さんは、運ばれたスパゲッティを頬張りつつ愚痴を溢す。
「ですが、良い経験にはなりましたよね?二~三ヵ月ほど前の件があり、神代家の方々には多大なご迷惑をお掛けしていましたから」
暢気な葵さんとは対照的に、火垂さんは律儀にその時の事を悔やんでいた。
つくづく、この二人が一緒にいる理由が分からなくなってくる。
「ところで、コチラに何の用ですか?」
お互いに昼食を食べ終えた頃、ワタシは忘れぬ間にそもそもの用件を訊ねた。
「…………。あれ、何だっけ?」
「えっと。確か、とても重要なお役目だったように記憶していたはずなのですが………」
………、前途多難だ。
「何でしたか?」
何故、それをワタシに聞く。
確か、ワタシがそれを訊ねたはずだが………。
「あ、思い出したッ!」
急に大声を挙げたかと思うと、葵さんは懐から数枚の紙の束を取り出した。
「はい。柚希の分」
「?」
葵さんから手渡されたのは、長方形の紙切れ。
その紙切れはどれも、一色染めのもので数はおよそ数十枚ほど。麻紐によって縛られ、頭頂部には穴が空けられ紙縒状の糸が通してある。
「『短冊』です」
不思議そうに見ていたワタシに、火垂さんがその名称を口にする。
その後、二人から大雑把な説明を受け、もう四~五束ほど受け取ると、二人と別れて神成神社へと向かった。
時刻はおよそ夕刻前、神社の復興は半分ほどが終わっていた。
ワタシが神社に到着した頃には、境内には誰の姿も確認できなかったが、微かな気配は奥の方から感じられた。
建物は崩壊し、炭木と化した柱は撤去され、境内には平地が広がるのみ。
そんな境内に人の姿はなく、けれど微かに人の気配がするということは、神社の裏手にある手付かずっぽい森の中にいる可能性があるということ。
その森に入ることを危惧していたが、そうこうしていても埒が明かないので、多少警戒心を強めて森の中へと入っていく。
歩き始めて数分、いや数十分。
当然の如く、ワタシは森の中を縦横無人とさ迷っていた。
「ねぇ、柚希」
今回がこの短時間で済んだのは、ただの偶然かもしれない。
「さっきから何をしているの?」
そう訊ねてきたのは、他でもないワタシが探していた伊織さんだった。
「ずぅ~っと、廻りを行ったり来たりして」
「へ?」
ワタシは、伊織さんの突拍子もない発言に首を傾げる。
どうやらワタシは、森の中には入ったもののそれほど奥へは進まず、出入口近辺を右往左往していただけだと言う。しかも伊織さんと一緒にいた阿莉子が証人だった。
どうにもならなさそうな『癖』はさておき、ワタシは此処へ理由を二人に説明し、蕩花さんから預かっていた短冊を一束ずつ渡した。
「ちょっと待って」
踵を返し来た道をそのまま引き返そうとした途端、伊織に呼び止められる。
「こんなところでまた迷子になられても困るから、神社の外まで送るよ」
と。伊織さんから、お情けのような提案を受ける。
「それはさすがにお節介が過ぎるのでは?」
その隣で阿莉子さんが口を挟む。
「いや。そうもいかないんだよ」
「??」
伊織さんの意味深な台詞に、阿莉子さんは小首を傾げ頭に疑問符を二~三個出現させる。
「これが結構な割合でなってるんだから。なんだったら、なってない方がおかしいって思えるくらいに」
小笑混じりに、伊織さんは色んな事を話す。
これまで起きた事。それが、どんなに奇想天外で不可思議な事なのか。
なんだったら、ワタシのこの『癖』が、この國で一番の謎なんじゃないかと思わせるくらいに。
そうして無駄話に花を咲かせていると、空はいつのまにか暗くなり始めていた。
そして、ワタシと伊織さんが大会場に到着する頃には、お祭りは終盤に差し掛かっていた。
ここからが、このお祭りの主旨。
元ネタという意味でもある『七夕』を意識し、国民全員が用意された大きな笹竹の枝に、それぞれが書いた短冊を吊るしていく。
本来、七夕とは女神の命日、回忌の日に行われることが由来であるらしいのだが、このお祭りを主催した神代家によると、こうしたことができるのは今回くらいなものだという。その点に関して、阿莉子さんは眼を瞑るとのこと。
全員の短冊が吊るされた事を確認すると、宝さんの掛け声で、葵さん、火垂さんと共に協力して奥で劫焔となって燃え盛る炎の中に放り込まれた。
笹の葉、短冊、幹と移っていく火の手は、ものの数秒ほどで総てを灰と化していく。
十月も終わり、十一月へと移り変わる頃、ここ秦は、ようやく新たな一歩を歩み始めたかに見えた。




