第59話 恍惚の神鳴祭
星憲祭最終日。
このお祭りで、一週間に渡って続いた学園の行事もようやく大トリを迎える。
その目玉である神鳴祭は、梅雨頃の胤厭祭と同じくこの国では重要視されているお祭りだという。
そんなお祭りであるのに、阿莉子さんは星憲祭の初日に〈舞〉を奉納していた。
それは有りなのだろうか、と感じてしまうが、それは阿莉子さんが神代家を多少なりとも許したことの表れともとれてしまう。
それに、これまで神成市内でのイベントばかりであったお祭りも、今回だけは神代学園を舞台としている。
それが何を意味するかは不明だが、少なくとも今回は学園の生徒達が主催として行えるのが大きな要因であろう。
そして、その神鳴祭の主な流れは、学園の校庭に高く積み上げられた木組みの塔に、業火のような焔を灯す───いわゆる、キャンプファイヤーと呼ばれるものだ。
ま、ようするに、このお祭りは他の学園祭で言うところの後夜祭に類似している。
この焔のせいか、校庭の四方を囲んでいた屋台は校庭に隣接している通路に移動されてしまった。
ワタシは、そんな屋台よりもさらに遠い位置から、この焔を眺めていた。
「あ、柚希発見ッ」
最近、よく発見されるな。と、心中で呟きつつ、話し掛けられた方へと視線を向けた。
ま、ここのところ一人でフラフラしていることが多かったから仕方ないっちゃあ、仕方ないのかな?
「伊織さん、燈架李さん………」
最近よく一緒にいるところを見る二人が、ワタシの両隣に座る。
「何見てるの?」
座って早々、伊織さんが訊ねる。
「火です」
キャンプファイヤーの焔に視線を戻し、そう答える。
「それって、見てて面白い?」
「いえ……」
今度は燈架李さんから訊ねられる。
その後も、そんな感じの他愛も無い質問がいくつか続き、三人で早朝の業火に似た焔を見つめていた。
揺らめく焔は、ワタシの何時しかの記憶を復元させる。
他愛も無い過去。
その中に、こうした記憶が果たしてあったのだろうか。
答えは、NOであった。
脳裏に映し出された記憶に傾ければ、そこには苦悩と悲劇の日々しか無かった。
それは、“今”も“昔”も変わらない現実。
そして、それこそがワタシの本当の過去。
だからこそ、何もできないのかもしれない。
だから、今は何かをしようと奔走してきたはずだったのに、何故ワタシは過去と何一つ変わらない日常を送っているのだろうか?
そして、あの時の記憶は何故、あんなにも多くの人を惹き付けることが出来たのだろうか?
確かにそれは、今のワタシと何一つ変わらないのだろう。
だけどワタシは、彼女達を望んで自分の近くにいさせているのだろうか。
解らない。分からない事だらけの日常だ。
「ユズキ?…………柚希ッ」
「────ッ!」
思考を巡らせ過ぎたせいか、燈架李さんの大声によって叩き起こされる。
「柚希、大丈夫?」
伊織さんが、心配そうな表情でワタシを見つめる。
「あ、はい。大丈夫だと思います」
自身の表情が、二人にどう見えていた分からないため、そんな感じの返答になってしまう。
「考え事?」
「えと………、そんな感じです」
それさえも曖昧になってしまう。
「ま、良いけど。あんまり、深く考え込んじゃダメだよ?」
何か、意味深な言い方をする伊織さん。
「考え込んだ分だけ、老け込んじゃうらしいから」
大きなお世話であった。
「じょあ、アタシ達はもうちょっと前の方に行ってみるから」
「お気をつけて」
何をどう気をつけるのか。と、心中で突っ込みつつ、ワタシは二人を見送った。
二人と別れたことで再び一人ボッチとなってしまったワタシは、先程と何一つ変わることなくただただ少し遠くのやや大きな灯火を眺めるだけであった。
正午前。
気付けば陽は中頃まで来たり、そろそろお腹の具合もその頃合いへと動き出す。
しかし、だというのに!ワタシの身体は一向に動く気配を感じさせなかった。
正直に言って、怠いのだ。
いつの間にか寝ていた事もあってか、ワタシはやや昏睡している意識で今後の予定を思考する。
「……………」
とはいえ、幾分考えたところで、何も思い浮かぶはずも無かった。
当然だ。いくら考えても、それを実行しようと言う意思が無いのだから。
「ッ、………(スンスン)」
再び意識が朦朧としかかった時、何処からか良い匂いを感知した。
「お昼、食べた?」
頭頂部に木の板のような重みを感じると共に、背後から声が聞こえた。
落ちかけた目蓋をゆっくりと上げ、再び埋まった両隣を交互に見る。
「未美さん、雅さん…………」
ワタシの声に覇気は無く、少しでも力を緩めれば、目蓋は落ちてしまいそうだった。
「どうしたの?いつも元気の無い柚希だけど、今日は特に元気が無いように見えるけど」
そう見えていたんだな。と、心中で思い老けつつ、ワタシは背を預けていた樹から上体を起こす。
「いえ、目の前の焔を見ていたら、いつの間にか寝ていたようで…………」
目蓋を軽く擦り、小さな欠伸をする。
「朝から?」
未美さんが、深く訊ねてくる。
「いえ。おそらく、ほんの二時間ほどのものだと思います」
「そ………」
そんな素っ気ない返事をすると、雅さんがワタシを持ち上げ、その間に未美さんがブルーシートを敷いた。
そうすれば、二人が何をやりたいかは容易に想像がついたので、靴を脱いでブルーシートの中央まで近付いていく。
「おっ弁当ぅ~、おっ弁当ぅ~!」
リズムを刻みながら、未美さんは五段式の重箱を三人の前に並べていく。
一段目の蓋が取られたことで、お弁当の中身が全て晒される。
見映えの良い彩りと、食欲を誘うような沢山の料理達。
「ちなみにコレら、出店の料理の残りだから………」
と。雅さんが、蚊の鳴くような声で呟いた。
「どう。凄いでしょッ?」
何故そこで未美さんが胸を張るのかはさておき、確かにこれは凄いと思った。
雅さんに頼んで屋台で出してもらっていた料理は、ワタシには何一つからっきし名前すら分からないが、料理そのものの種類は大雑把で、一度として全く同じ料理は出されなかった。
それは、今回のこのお弁当も同じである。
重箱の中に入っているどの料理も、屋台で出されていたモノと全く同じモノは存在しない。存在していても精々、少し味付けや付け合わせが違っている程度のものだ。
「はい、柚希。肉と野菜はバランスよく」
そう言って、未美さんはワタシの小皿に次々と料理を乗せていく。
「こらっ、未美!自分が嫌いなモノを柚希の皿に乗せないのッ!」
反対側から、一喝する声を上げる雅さん。
「ええぇ~、だってぇ~~」
怒られ、少しむくれる未美さん。
とても仲の良い二人。
そんな二人に挟まれて、ワタシは少し賑やかな昼食を摂っていく。
「んじゃ、またねぇ~」
昼食を食べ終えしばらく経つと、二人はその場から立ち去り、ワタシはまたしても一人ボッチとなってしまった。
やや騒がしかったこともあってか、一人で三度見る遠くの焔は、一定のリズムを刻むように感じられ、無音の子守唄を奏でているようにワタシを深い眠りへと誘うのであった。
それは、〈幻想〉…………だったのかもしれない。
ワタシは、ワタシの中に無いはずの過去の出来事を思い返していた。
「キミは…………?」
十五歳くらいの少年の声で、ワタシは目の前にいる同い年くらいの少女に訊ねていた。
「お久しぶりです。ご主人様」
少年にとっては見覚えのないはずの少女。だが、少女にとってはそうではなかった。
「あれ?覚えていませんか?ワタシです。コノハサクヤです」
「…………?」
どこかで聞いたことのあるその名前に、少年は思考を巡らせ自身の過去を振り返ってみた。
「…………、……………」
しかし、いくら記憶を巻き戻しても、少年の記憶にその名を持つ人物は存在しなかった。
ただ唯一、その名を冠したモノが存在していた事を除いては……………。
「では改めまして。はじめまして、ワタシ、コノハサクヤと申します」
二度目の挨拶。今度は、まふで初対面であるかのように演じた少女。
若干困惑しつつも、少年はコノハサクヤと名乗る少女と同棲することとなった。
それからの生活は、より一層賑やかしくなり、それが少年の心を開くキッカケとなっていった。
そして、それと同時にその存在こそが、少年にとっての破滅へと直結するキッカケでもあった。
その破滅は、幾度目の人生であろうか……………。
気が付けば、総てが奪われていた。
街も、人も、そこで育んできた思い出も。
総てが灰も残らぬ程に紅々しく燃ゆり、夜天の空へと消えていく。
全てが消えてもなお、〈焔〉は今だ燃え続けている。
それは、まるで紅蓮の業火。あるいは、虚飾の灯火。
幾度も見てきたはずの炎も、今回ばかりは全くの別物のように、少年の心に傷を付け、思考を麻痺させる。
そして、初めて得た感情によって、少年は理性を欠き、その〈焔〉の中へと一心不乱に突進する。
向かう先は、一つ。
ただ一人、自身を心の底から愛してくれた、唯一無二の少女の元へ……………。
何万度という炎にその身を焼かれようと、少年はがむしゃらに自身の意志のみで走り続けた。
「ハァ、ハァ、ハァ…………」
何故だろう?走り出して幾分も経っていないはずなのに、ものすごい息が上がっている。
「サクヤ………、サクヤ……………」
少年は、何度も少女の名を呟く。
走馬灯のように、少年の脳裏に少女の姿が浮かぶ。
桜色の髪に、青玉色の瞳。天真爛漫な性格に、突拍子も無いことを連発してコチラを困らせるほどの愛情表現。
少女の存在そのものが、少年の中で大きくかけがえのない存在となっていた。
だからこそ、余計に急がねばならない。
「サクヤッ!!」
自宅へ到着したのは三十分後、少年は玄関の扉を勢い良く開けると、今までにないほどの大声でその名を叫んだ。
……………。
数秒ほど反応を待つが、帰ってくる声は聞こえず、少女の気配も感じられなかった。
此処に来るまで人の気配が一切無かったので、少女も避難したのだと悟り、少年はゆっくりと扉を閉め、紅蓮色に染まる空を見上げる。
雲一つ無いはずの空に浮かぶ、雲に似た灰色の物体。
それは、〈災禍の焔〉によって塵と変異させられたこの街そのもの。
もう虚空をさ迷うことしかできなくなった者達が残した、最後の想い。
少年は、その想いを自身の胸に刻む。
「やはり、オマエには『こういった場所』がお似合いだな」
と。頭上から聞こえてきた男の声。
少年は驚きもせず、目線だけを声のした方へと向ける。それと同時に、この惨状が《神威兵器》によるものだと気付く。
だが、気付いたところでどうしようもなかった。
なぜなら、今の少年に《神威兵器》を扱う〈核識〉が無いのだから…………。
「都合の悪い〈人型兵器〉には、ここで消えてもらう」
「─────ッ!」
振り翳された男の右腕。少年は、男の『攻撃』を受け入れる覚悟を決める。
その刹那────、
「ダメですッ!ご主人様ッ!!」
激を飛ばすような大声と共に、桜色の長髪を靡かせる人物が二人の間に割って入る。
「サクヤッ?」
二人が少女を視認した時には既に遅く、男の放った弾丸が少女目掛けて飛ぶ。
「あっ…………」
少年の叫びも虚しく、弾丸は少女の胸元を貫通した。
「サクヤっ、………サクヤッ!」
目の前で崩れていく少女の身体。
少年は、咄嗟の判断で少女の身体を受け止め、その名を叫んだ。
「ハァ──、ハァ───、ハァ────。………ダメ、ですよ………ご主人様。早まっては…………」
息を絶え絶えに、少女は声を絞り出して言葉を紡ぐ。
「どうして…………」
少女の言葉など聞こえていないかのように、少年は絶句していた。
「それが………ワタシの、《夜天二十八罫》の『願い』………ですから…………」
「ねがい…………」
「この、死にぞこないが……………」
男は、小さく舌打ちをする。
「だから…………生きて、下さい………」
「だけどッ!オマエがいなかったら、俺は…………」
「ははッ…………。大丈夫ですよ、ご主人様、なら…………」
二人の間に、小さな静寂が吹く。
「だって………。ご主人様は、一人じゃありませんから……………」
「サクヤ…………」
悲しみにうちひしがれる少年、稚劇を見せられている男。二人の間には、大きな溝があった。
その溝とは何なのか。何故、こんな事が起きたのか。
それを知ることは、今はできない。
なぜなら、これは………〈過去の遺物〉なのだから…………。
ワタシは、ゆっくりと目蓋を上げる。
先程よりはやや弱々しい暖かさに、今は心地好さを感じつつ、若干朦朧とした意識で辺りを見渡す。
目の前には、キャンプファイヤーの焔。
その手前───眼前には…………、
「あ、やっと起きた」
トトロ・グリリンスハートの顔があった───というか、近すぎる。
ワタシと目があうと、トトロさんは顔を上げる。その瞬間に吹いた風、前は涼しさを感じたが、なぜか後ろ───特に、背中からお尻にかけてが妙に生温かく感じた。
「…………」
もっと早くに気付くべきであった。
目の前にトトロさんはいるのに、その近くにはいつも一緒にいる人物の存在を。
「リグレット、さん………?どうして、後ろから抱き付いているのですか?」
「んん~?」
リグレットさんは、一向に離れる気配がない。
正直、嫌ではないが、そうされ続けていると、段々と熱さが増してくる。
「柚希、泣いてたから、慰めてたの………」
「え………?」
リグレットさんの言葉に驚き、ワタシは自身の目元に手をやった。
「あ…………」
少し遅れて、自身の目の下に透明な液体が大量に乗っていることに気付く。
泣いてる?どうして…………。
理由には、見当が付いている。おそらく、先程まで見ていた〈夢〉にあるのだろう。
「ちょっと、やり過ぎたかな?」
トトロさんは、気まずそうに頬を掻く。
「じゃあ、今度こそ。成功?」
リグレットさんは、ようやくワタシを離してくれる。
「かもね」
リグレットさんはワタシの隣に移動し、トトロさんはその反対側に腰を降ろす。
「で、どうだった?」
それは、唐突な質問。
されど、彼女が問いたい事には理解しているつもりだ。
だから、ワタシはゆっくりと口を開いた。
「とても、不思議な夢でした………。なんだか、胸の奥がズキズキするのが、二重になっている気がします」
「そっか………」
何故か、トトロさんは感心するように何度か頷いている。
そう言えば、以前もこんな事があったな。
そんなどうでもいい事を考えている間に、二人は立ち上がる。
「んじゃ、私たちも行くから」
軽い会釈だけをして立ち去る二人。
結局何の用だったのか解らず、ワタシは再び一人となった。
神鳴祭は佳境を迎え、校庭の様子は一変し始める。
徐々に人混みも薄れ、キャンプファイヤーの焔は弱々しくなっていく。
空は茜色に染まりだし、生徒達は帰宅の準備をし、教員達は火消しの用意に取り掛かる。
校庭の中央に、業火の焔に焼かれた数本の丸太。火消しは校庭の砂で行われ、鎮火した丸太からは真っ白な煙が立ち上がる。
それが土煙なのか、焼煙なのかは解らない。
けれど、この焔が消えたことで、七日間に渡って続いた星憲祭が終わりを迎えたことだけは理解した。
「あれ、柚希ちゃん?」
踵を反し校門へ向かう道中、ワタシの倍近くはある大男に声を掛けられた。
声で男だと認識したが、夕日の逆光によって判別は難しい。
だが、その声音には聞き覚えがあり、なにより、全身が一瞬逆立つのを感じた。
「クラウスさん………」
それよりも気になるのは、何故この人が此処にいるのかということ。
「んん~~。ま、単純に言えば、以前から気にはなっていたから、かな?」
その言い回しだと、深刻な理由があるということになる。
「そうだ、柚希ちゃん。アスカちゃん、見てない?」
それが本当の理由だったかのように、クラウスさんは話題を変える。
「いえ、見てませんが」
「そぉ…………」
クラウスさんは、残念そうに肩をおとす。
「どうかしたんですか?」
珍しい来訪者に、ワタシは怪訝しく訊ねた。
「ん?あ、ううん。毎年気にはなっていたんだけど中々暇が出なくてね?」
それで、今年こそはと来てみたものの………、というやつだろう。
「アスカちゃんの所を訪ねたら居ないし、近隣の方達に訊ねたら学園に向かったって言うし………」
「…………」
「柚希ちゃん?」
「あ、いえ。何でもありません」
「歩き損かな?」
そう呟いて、踵を反すクラウスさん。
その背中から、違和感のある寂しさのようなものを感じた。
神代学園、生徒会室。
「お久しぶりです、“光桜柱”殿」
唐突に現れた人物、腰下まで伸びた焦げ茶色の長髪に、背を越すほどの長刀を携えた少女───アスカ・プラティエが、その部屋で事務仕事をしていた佐久屋葉月に声を掛ける。
「…………何か用ですか?」
葉月は、あしらうように冷たい言葉で返す。
「いえ。もう先陣組も動くようですから、その報告にと思いまして」
「そうですか…………」
葉月は、耳だけは傾けているようだが、その手は一向に静まる気配がない。
「それで、“光桜柱”殿はどうされるおつもりなのですか?」
「さぁね。柚希次第ではないですか?」
「では、邪魔はしないと?」
「もれも分かりませんよ?全ては、本核次第です」
「あくまで、ご自身は無関係だとおっしゃるのですね」
「そうではありません。私たち《神桜珠》にとっては、本核の命が第一というだけのことです」
「そのわりには、何人か意図的に早めたような気もしますが?」
「それは、その柱達がそうしただけ」
「では、アナタはそうはしないと?」
「どうでしょうね。今後のアナタの動き次第でしょう?《華騎隊》が一騎、“魂葬花”さん?」
互いを挑発するように、けれどお互いに戦う意思も意図もなかった。




