第47話 姉妹の絆
『姉妹』とは何か。『家族』とは、いったいどういうモノなのか?
それは、最も近くに存在し、今、目の前に存在する二人を見て学んでいる。
そして、目の前の『家族』は、そんな今のワタシの目でも最悪だと理解できるほどの関係であった。
「……………」「い、いったい、何があったの!?」
ワタシの隣で、咲良さんが叫ぶ。
ワタシと咲良さんの目の前には、ハリセンを握りしめている最中さんと、その最中さんの足元で、大きなたん瘤を腫れ上がらせ、うつ伏せで倒れている伊織さんの姿があった。
その現状は不可思議としか思えなかった。
「えと、コレは…………」
咲良さんが、呆気に取られたまま呟く。
原因には予想が着くが、ココに至るまでの経緯がほぼ謎だ。
「アレが出たんだよッ」
正直、だろうな。としか言い様が無かった。
何せ、倒れている伊織さんの先には、虫取網と虫かごが落ちていたからだ。
「『アレ』って?」
答えはほぼ出ているのに咲良さんが訊ねるので、最中さんはこの状態に至るまでの経緯を話し始めた。
それは、ワタシと咲良さんが買い物に出掛けてから暫く経った頃の事だと言う。
とは言え、ワタシと咲良さんが買い物に出掛けてから二時間と経っていないし、伊織さんのたん瘤から出ている煙を見る限りでは、この惨状なったのはほんの数分前のように窺える。
「暇だね」
と、先に声を発したのは最中さんだそうだ。
「何、唐突に」
伊織さんは、縁側で仰向けになり全身を使って日向ぼっこをし、その隣では最中さんが難しそうな雑誌に目を通していた。
天気は快晴だった。しかし、現在は梅雨。ギンギンに降り注ぐ紫外線の中にも、ジメジメとした感覚はある。
「何かないかな?」
雑誌を閉じ、居間の棚を物色し始める最中さん。
「何もないんじゃない。だから買い物に出掛けたんだろうし」
そう言って、伊織さんは身体を反転させ、うつ伏せになった。
「う~~ん。……………あっ」
最中さんは何かを発見した。
「んあ……、今度は何?」
伊織さんは、うとうととし始める。
「ううん。何か黒いのが見えた気がしたんだけど気のせいだったみたい」
「そ………」
しかし、この会話が悲劇の始まりだった。
それから小一時間は何とも無かった。
空は朱く染まり始め、時刻は夕方を迎えようとしていた。
その合間、この事件の切っ掛けとなる出来事が始まった。
「ヒャッ!」
突如、伊織さんは声を裏返し、何かに驚いたように微かに跳び跳ねた。
「どうかした?」
その突然の声に、トイレに行っていた最中さんが居間にひょっこりと顔を見せた。
「ううん。たぶん、何でもない」
また少しして、二人の間に静寂が訪れた。
───カサカサカサッ………。
と。何かが、畳の上を走った。
「ヒャッ!」
伊織さんは、再び声を裏返した。
「な、何…………?」
ソレは、伊織の足の間を走った。
ソレは、小さな黒い塊のような奴だった。
「アレって…………」
最中さんが、ゆっくりと伊織さんの隣に立つ。
「まぁ、間違いなく『G』でしょうね」
平常を装い、伊織さんはその物体の名称を口にする。
「G?」
「ゴキブリ」
「ああぁ………」
二人の視線は、目の前でピタリと動かなくなったその黒光りの物体を見つめていた。
「アレって、殺すんだッけ?逃がすんだっけ?」
「どっちでも良いよッ!とりあえず、襖を全部閉めて逃げられないようにするよ」
「ガッテン!」
二人は、咄嗟の判断で部屋中の扉を全て閉め、一旦その部屋から出て行った。
そして数分後、居間に戻った二人は、互いの装備を確認し合った。
「アンタ、何でハリセンなんて持ってんのよッ!」
「そういう姉さんこそ、何故虫かごと虫取網?」
どちらの装備も不正解な気がするのは、ワタシの気のせいだろうか。
ごく一般的な家庭ではやや広い居間で、小薙姉妹は三センチほどの『G』を追い、部屋中を駆け回った。
家具や襖など壊れやすい物が多々ある室内で、力加減にも気をつけながら、二人はそれぞれの認識の元それを行う。
始めは、流石姉妹と言えるほど、息もピッタリだった。
しかし、二人の思想は全く別の方向を向いていたため、その悲劇の実現まではそう時間は掛からなかった。
「うわっ、飛んできた!」
「姉さん、危ないッ!」
二人は、ほぼ同時に所持している武器を思いっきり振りかぶる。
「よしッ、捕まえた!」
『G』は、吸い込まれるように伊織さんの虫取網へと入っていった。
だが、それが悲劇の引き金となる。
「え、ウソッ!」
最中さんの言葉も虚しく、スパンッ!!という壮絶な音を発てて、伊織の後頭部は強打された。
「っ…………!(バタッ)」
数秒ほど意識のあった伊織さんだが、突然の事に思考が追い付かず、そのまま呆気なく倒れてしまった。
ワタシと咲良さんは、そのタイミングで帰宅したのだった。
「とまぁ、こんな感じ?」
何故疑問系なのかはさておき、経緯はワタシの予想した通りだったので特に驚くこともなかった。
しかし、咲良さんは違っていた。
「……………」
視線を隣の咲良さんに向けると、咲良さんは呆然としていた。
おそらく、咲良さんのその反応が最も正しいだろう。
だが、この姉妹はあらゆる面で別格だ。
それに、これに似た出来事はこの梅雨の間だけでも十件を越している。
こういう姉妹もいる中で、それに近くもなく遠くもない姉妹をワタシはもう一つ知っていた。
それが、神代宝と神宮寺阿莉子の姉妹だ。
元々は、亡き神代直人の娘で、その父の暴略により長年離れ離れとなっていた二人。
その姉妹は現在、十日ほど前の一件を経てその関係も大きく変わっていた。
阿莉子さんは、神代邸に度々訪れるようになり、宝さん達神代家の人達は彼女をすんなりと受け入れているそうだ。
そんな頃と同時期、宝さんだけでなく葵さんや火垂さんは、神代学園に登校しなくなった。
その理由は、二つらしい。
一つは、各国の強化。
二つ目は、秦への新たなる試み。
過去、秦への合併は三度失敗しているらしく、今回の試みは四度目となり、その担当者は当時までとは大きく違う。
彼女達は三人とも、それぞれの国を統治し、その財政を大きく支える存在となった。
しかし、そんな彼女達でもやはり年頃の女の子と言うべきか、ワタシは彼女達と度々会っている。
そして、その際にそれぞれの情勢を伺っていた。
とはいえ、それを別の誰かに告げ口などはしていない。
ただ、ワタシが個人的に知りたいのだ。
その情報の中に、秦の過去の問題がいくつか出てきた。
その内でワタシが最も気になったのは、この地に伝わる〈ドラゴンの伝承〉についてだった。
その伝承は、各国で内容が少しだけ違っていた。
立では、ドラゴンは神秘の象徴。
帆では、ドラゴンは破壊の象徴。
薗では、ドラゴンは奇跡の象徴。
それぞれの国が、それぞれの伝承を信じている。
どのような災厄からでも國や民を守る守護竜。
総てを壊わし喰らう破壊竜。
あらゆる難病から様々な生物を救う智癒竜。
これほどまでに違うはずなのに、何故だろう。三国の伝承はどれも同じ道筋を辿っていた。
主人公である少年。彼は民を怨み、家族を恨んだ。その少年に唯一手を差し伸べた一人の〈竜の巫女〉。少年は、その巫女にのみ心を許し、彼女から沢山の『外の世界』の情報を知った。
巫女の話を聞く内、少年は自身の眼で『外の世界』を見たいと家族や民に問い掛けた。
しかし、周りはその事を認めなかった。そればかりか、民は巫女の打ち首を王に進言し、王はそれを苦することなく承諾。巫女は呆気なく死刑となった。
そして、少年は巫女の意志を継ぎ、《竜》の権能を受け継いだ。
ここまでは、三国ともほぼ一緒だった。
違うのはこの先。
少年が受け継いだ《竜の権能》そのものだ。
守護、破壊、智癒。
受け継いだ権能も、その後の彼の行動も、全ては彼に対する周りの在り方に問題があっただけ。
彼自身は、何も進んで行っていない。
自らの命を断ち、国を守護したとされる立の伝承。
その怒りや悲しみを力に変えて暴虐の限りを尽くしたとされる帆の伝承。
巫女の願いであった『世界の救済』を実現しようとしたとされる薗の伝承。
それぞれは、違う形で終わりを向かえている。
そんな些細な違いを、ワタシは別に気にしていない。
ワタシが一番気になったのは、その伝承とワタシの記憶が若干似ている事だった。
伝承の中核となる、少年とドラゴン。少年の祖国。巫女との出逢い。
それらは、偶然と言ってしまえば楽だろう。
しかし、その類似点が多く在りすぎる。それは、全く同じモノだと言っても過言ではないほどに。
だが、この伝承を知った時、ワタシは二つの矛盾点に気付いた。
一つ目は、その伝承の年代。
それは定かではないが、どの民も口を揃えて言うのは、この伝承が紀元前であるという事。
二つ目は、登場人物とその関連性。
ここで問題となるのが、主人公である少年の身の回りの人物達。中でも一番気になるのは、〈竜の巫女〉という少女の存在。
その少女は、何処かの誰かに似ていたような、そんな気を感じた。
そして、その点を気にしていたのはワタシだけではなかった。
それは、阿莉子さんも同じだった。
阿莉子さんは、ずっと〈竜〉の存在を模索していた。
秦に伝わるそれぞれの伝承のストーリー。
それは、きっと答えの無い疑念なのだろう。
それでも、阿莉子さんはその答えを模索し続けた。
伝承には、〈竜〉の存在ははっきりとは出てこない。
そこが、阿莉子さんが引っ掛かっている点だった。
それに、竜の権能を得た少年は、伝承の中ではっきりとした〈竜の権能〉を使用していない。
それどころか、少年が竜の権能を継承してから最後までの物語が、すっぽり抜けているのだ。
阿莉子さんは、そこにちゃんとした明確な答えがあるはずだと言っていた。
ワタシもそう思う。
それからしばらくして、ワタシはあの競売会会場で手に入れた書類を阿莉子さんに手渡した。
阿莉子さんは始め目を丸くしていた。
そしてその後、何かに取り憑かれたかのように神社から出て来なくなり、コチラから食料などを差し入れしなければ餓死寸前へとすぐに陥るほどに熱中しだした。
神代学園、生徒会室。
四番目の〈柱〉は、想定外のカタチで薙ぎ倒された。
「まさか、あんな事になるなんてね」
最中は、佐久屋葉月の仕事を手伝いながら、そんな事を呟く。
「何時までも、くどくどと…………」
葉月は、はみ出た書類の角を整えながら、呆れたよえに言い返す。
「仕方ないじゃん。《癌桜柱》が倒れるなんて、とても納得できる結果じゃないよ」
「そうね………」
《癌桜柱》百瀬咲良は死んだ。
その事実は最中だけでなく、葉月の心にも深々と突き刺さっていた。
しかし、それはもう抗いようのない『過去』。
だからこそ、葉月は諦めているのだ。
もう、百瀬咲良は戻らない。
そもそも、彼女の誕生こそが想定外の事態だった。なれば、この出来事は当然の事と言えよう。
だが、何も葉月はこの事を芯から受け入れていた訳ではなかった。
「けど、これで私達の『役目』も早期に達せられそうね」
「……………」
葉月のその言葉に、最中は一瞬考える素振りを見せた。
最中は再び考える。自分達の『役目』と、自身の『在り方』を。
「そうだね」
「次は、アナタの番よ」
「解ってる」
そう。もう四つもの〈柱〉が倒れた。
それ故に、『約束』はもうじき叶うのだ。
「《異界の門》は開かれ、再戦の楔は切られた」
それが、彼女達の主が提示する《第三計画》の意味。
「まさか、その異界の一つ《妖界》に身を置いていたなんてね。そりゃ、いくら探しても見付からないわけだ」
「そうなると、いくら《闇桜柱》でもさすがにキツいんじゃない?」
「ん?そうかな?案外、すんなりイくんじゃない」
「だと良いけど…………」
葉月にしては珍しく、最中の事を心配していた。
それもそのはずだ。葉月は、一度だけ彼女の姉・小薙伊織と一戦交えた事があった。
その時に感じた常人以上の力の振るい方に、葉月は少なからず畏怖を抱いているのだ。
その存在は正に………、
「大妖怪」
そう呼ぶに相応しい実力だった。
「姉さんの事?そう感じるかも知んないけど、姉さんは歴とした半妖だよ」
そう。小薙伊織は、正真正銘の半妖なのだ。
いや。そうでなければ、いけないのだ。
「そう。なら、後の事はアナタ一人で大丈夫よね?」
「あれ?あの天下の葉月ちゃんも、今回ばかりは手伝えない?」
「…………」
葉月は、最中を強く睨んだ。
「おととっ!そんなに睨まなくても大丈夫だよ」
「確証は?」
正直、今回ばかりは明確な勝算など無い。
それは、彼女達のリーダー格である佐久屋葉月が直に感じている。
なので今回の一件、コチラの勝率はゼロだ。
「こんな時にこそ《癌桜柱》がいないのはイタイね」
「そうかな?まぁ、彼女がいないからこそ勝率を上げられるんだけどね」
「アナタ、何する気?」
葉月は、再度睨む。
「…………」
その後、葉月がいくら訊ねても、最中が勝率を上げる方法を話すことはなかった。
八月二十二日。
神成神社での一件も終えてから、早十日が経とうとしていた。
それから二~三日経った今も、咲良さんが戻ってくる事は一度もなかった。
その後に、伊織さんから彼女は亡くなったと知らされた。
それとほぼ同時、それを知らせた伊織さんの姿は唐突に消え、その行方は全く解らなくなってしまった。
そして、それからしばらくして、この夏最後の事件が始まる。




