第46話 風の行方
現在、ワタシは再び真っ暗な森の中を駆けていた。
そこに、明確な行き先など無い。
ただこのニオイの先を追っているだけだ。
そして、その理由はつい数分前に遡る。
数十分ほど意識を失っていたワタシが目覚めた時、全てが完結していた。
それでも、その中には僅かなやり残しがあった。
その事について始めに口を開いたのは、他でもない火垂さんだった。
「お願い。このはさんを…………、この帆を助けて下さい」
そう言って、火垂さんは深々と頭を下げた。
その行動を誰も止めようとはしなかった。
それが、彼女の決意だと、心意で悟っていたからだった。
しかし、ワタシにはそれが解らなかった。
どうしてそこまでするのか、する必要があるのか。
解らない事だらけだ。
だけど解る。それが、『人間』なんだ。
だかり、今ワタシは此処にいるんだ。
「さぁ、最後の決断だよ」
その時、森の奥からその言葉と共に何かが飛んできた。
「………ッ!」
ワタシは、少し驚いたが、反射的にそれを掴んだ。
それは、一本の太刀。
「行こう。総ての条件は、揃ったのだから」
太刀は喋る。鳴滝火乃華の声で。
ワタシは既に悟していた。その意味も、この結果も。
後は、ワタシがそれを成すだけだった。
ワタシは無言で小さく頷き、踵を返して森の奥へと駆けた。
神代学園、生徒会室。
その部屋にある唯一の窓から空を見上げる形で、金髪紫眼の少女は黄昏るように口を開く。
「ようやく、希望の光が照らすのですね」
それは、彼女達の役目だった。
彼女達は、その為にこの地に顕現させられたのだから。
「ですが、寂しいものですね………お役目というものは……………」
それが、少女が黄昏れていた理由。
だが、それももうじき終わる。
そして、その役目が終われば、彼は………、彼女は………。
それは、既に決められた事。
抗いたくとも、今の少女達にはその権限も能力も持っていない。
それこそが、《魔桜獣》の在り方なのだから…………。
森の中を全速力で駆けて行く。太刀から発せられる火乃華さんに似た声と会話しながら。
「ニオイ、まだ続いてる?」
太刀から、そんな質問が度々繰り返されていた。
「はい」
ワタシは、正直に答えた。
そのニオイを辿っていなければ、こうして真っ暗な森の中を走り続けていない。
それは、声の主も分かっているだろう。
ただ、その者は不安なのだ。
声の主は、このニオイを感じ取れない。それどころか、思うように身体を動かせないのだ。
彼女は、自身の事を《炎桜柱》と言った。
その名に聞き覚えは無いが、すぐに何処に関係しているかは予想できた。
この状況と、この姿。
その二つを繋ぐ、これまでの出来事。
それだけで、総てが解る。当然、この先の出来事にも。
彼女………いや、彼女達は、この展開になる事を予測できてはいないだろう。
できていれば、このような事態になるはずも無い。
小一時間ほど走ると、視界は一変し辺りは真っ白な世界へと突然変異を起こす。
ワタシは、その真っ白な世界に視野を慣らせ、辺りを見渡した。
その場所はとても拓けていた。それに、どこか見覚えもあった。
「鉱山地帯…………」
ワタシは、そう呟いた。
そう。其処は、とてもよく似ていた。
ワタシが以前、手馴れた男達と戦闘を繰り広げた場所に…………、
「……………?」
その時、ワタシはとある違和感を覚えた。
それは、この鉱山地帯と帆が繋がっているのかという小さな問題ではない。
何故、この場所までニオイは続いていたのか、だ。
と。その刹那───ヒュヒュヒュヒュヒュ…………ッ!!
という空を切る音が聞こえ、その音は次第に大きくなる。
「柚希ッ!」
「分かってますッ!」
その音は、一瞬だった。それゆえに、そう終わりはしなかった。
幾度となく、空を切る巨大な物体は、ワタシの姿が見えているかのような、後を追っているような感じでワタシへ目掛けて追い続けている。
「柚希、私を抜いてッ!」
「何か、策があるのですか?」
「無い訳じゃない。ただ、今試しておかないと、この先に支えるから」
「……………」
ワタシは、しばし考える。
ワタシは今、持参している小太刀を用いてこの場を回避し続けている。
別に、太刀を抜かないわけではない。ただ、ワタシ自身が、太刀の扱いに慣れていないのだ。
この太刀は、ワタシと同じくらいの刀身を持つ。
それゆえ、ワタシの得意とする俊敏性を損ないかねなかった。
「大丈夫。私達を信じて」
『達』という部分にいささか疑問を覚えたが、今の状況では埒が明かないのも事実だった。
「分かりました」
そう言って、ワタシは太刀を鞘に収まったまま、後方から迫る巨大な物体に向かって投げ付けた。
太刀の鍔が物体の上腕部に当たり、太刀は上空へと弾かれる。
と同時に、目眩まし程度でも威力を削がれた巨大な物体は、その進路を歪ませ、ワタシすれすれの孤を描き、過ぎ去った後でまた軌道を修正しながらワタシ目掛けて飛游する。
ワタシは、この時出来た時間を逃さず、すかさず地を蹴り、空中で太刀の握りを掴む。
そして、鞘を服の襟に引っ掛け、捻りながら抜刀する。
その刹那、ワタシはこの太刀に違和感を感じた。
「───ッ!!」
しかし、ワタシの違和感は巨大な物体によって阻まれてしまう。
ワタシは、咄嗟に抜いた太刀で身を挺してしまった。
その時、その違和感の答えを見出だした。
「コレが…………」
「そう。私達、《魔桜獣》の真の在り方」
「オムニア……………」
その単語は、どこかで聞き覚えのあるものだった。
「あ…………」
忘れかけていた記憶を、ワタシは何故か瞬時に思い出せた。
そして、その記憶の中から《神桜樹》の〈情報〉を開示する。
その中で、最も見付かりにくい場所に、その〈情報〉は存在していた。
《魔桜獣》────。それは、とても不可思議な存在だった。
ワタシの中にあった〈情報〉では、《魔桜獣》とは《神桜樹》の媒体のような存在とある。
そこから導き出されるのは、この太刀も、この『風』も、その《魔桜獣》であるという事。
そこで、ワタシはある疑問を浮かべた。
ならば何故、ワタシが百瀬咲良と出会う直前、その咲良さんが《魔桜獣》と呼んだ狼にワタシは襲われたのだろう。何故、その《魔桜獣》に似た熊は、咲良さんを襲ったのだうか。
疑問はそれ以外も沢山ある。
しかし、ここで思うのは、最初見たモノと、今目の前にいるモノ。その両者が同じモノとは到底思えない。
「柚希は、《響想珠》の事をどこまで知ってる?」
不意に、《炎桜柱》に訊ねられた。
「六つに別れているという事だけです」
ワタシは、正直に答えた。というより、それしか知らなかった。
「そっか…………」
《炎桜柱》は、ため息のようにそう呟いた。
「…………」
その後、《炎桜柱》がその事について何か喋ることはなかった。
それを確信した時、ワタシは思考を太刀へと戻した。
だが、今のそれはもう太刀ではなかった。
ワタシが先程まで使用していた小太刀と、形状も寸法も全く一緒の姿に変わっていた。
それこそが、《魔桜獣》の真の役割。
《魔桜獣》は、宿主となる者の〈想い〉によって、その姿形を変化させる。
ワタシは、それを既に見てきている。
水瀬翠の時も、鳴滝火垂の時もそうだった。
だから余計に思ってしまう。今回も、そうなんだ。
「柚希、余所見をしないでッ!」
それは、小さな安堵のつかの間だった。
突然の声に驚き、ワタシは警戒心を最大にし強く身構えた。
それが余計な行為だと、後になって気付く。
「かはっ!」
相手の攻撃は思った場所からは来ず、別からの襲来によって横腹に大きなダメージを喰らい、ワタシは体勢を崩した。
微睡む意識の中で、ワタシはようやくその攻撃までに使用された巨大な物体の細かな形状を把握した。
真っ黒な球体のように見えたそれは、大きな刃が十字に飛び出した形状をしており、その大きさはおよそ二メートル半はある。
そして、その形状から最も近しい武器のは、手裏剣。
その名の武器は、最初から知っていた。
しかし、その武器と、ワタシの知識にある武器とでは、その大きさと細かな形状が異なっている。
四方に飛び出た強靭な刃。その刀身は根元から刃先まで斑無く鋭利な仕上がりをしている。
だが、ワタシの知識としてあるそれは、先端数ミリほどの長さしかなく、その武器全体の大きさは数センチほどのもの。
そのワタシの倍近くの大きさを誇る刃を見れば、誰とて足がすくむ事だろう。
それでも、ワタシはしっかりと地に足を着け続けた。
そして、体勢を整え、身構えた最中。
────「“朧分身”………」
巨大な手裏剣は、二つに分裂した。
「───ッ!」
ワタシは、咄嗟に締まっていた自前の小太刀を抜き、《炎桜柱》と合わせて両サイドから迫るそれらをなんとか凌いだ。
そんな一息も束の間。巨大な手裏剣は折り返すと同時に再び二つに分裂した。
今度は四つとなった巨大な手裏剣。
流石に弾くのは難しいと感じたワタシは、立ち位置を少しずらして当たるスレスレで回避した。
だが、無論そんな事では埒が明かない。
巨大な手裏剣は更に倍に分裂し、ワタシはそれを再びスレスレで回避する。
そしてまた、倍に分裂し、ワタシは回避する。
それを幾度か繰り返す内、巨大な手裏剣は三十・四十を軽々と越えていく。
「……………」
「ホント、あの子は………」
ワタシは、ふと異様な違和感を感じた。
「《炎桜柱》、彼女はどの程度までコレらを同時に操れるんですか?」
「え?………多分、無限だと思うけど?」
無限…………。
本当にそんな事が可能なのだろうか。
「何?何か良い策でも立った?」
こんな会話の最中でも、巨大な手裏剣の数は増え、とうとう三桁台へと到った。
「何とかは出来るかも知れません」
そう言って、ワタシはゆっくりと目を閉じ、音の感覚だけを頼りに迫り来る攻撃を交わしつつ、《全能虚樹》の『根』に回路を接続した。
その中でも、“対戦闘覇戒兵装”のみを起動させ、その鎖環をいくつか外していく。
「アグッ!ウッ…………ガッ、ハァハァハァ…………」
今回外した鎖環は………、七つ。ほぼ、自我を保っていられない程ギリギリだ。
「……………」
その刹那、《炎桜柱》がその一瞬だけ朱白く光った気がした。
「ねぇ、柚希」
小さな沈黙の後、《炎桜柱》は口を開いた。
「アナタ、もしかしなくても、自分の身体能力に制限を掛けてた?」
《炎桜柱》は、まっすぐに訊ねる。
「はい」
当然、ワタシは正直に答えた。
特に隠す事でも無いと思ったし、先程の発光がそういう意味だと感じたからだ。
「どうして?」
ワタシは、以前セレナさんにした話をそのまま《炎桜柱》にした。
《炎桜柱》は、しばし沈黙する。そして…………、
「少し早いけど、仕方ないよね?」
そう発言した。
その直後だった。
突如、《全能虚樹》の『根』に回路が接続された。
そして、そのままワタシの中の〈情報〉が、いくつか改竄されていった。
「アアッ………ガッ、アアアアッッ────!!!」
ワタシは、酷い頭痛に襲われた。
それは、尋常ではなかった。
痛みの最中、ワタシは自身の脳内で書き換わっていく情報を認識した。
その中でも、最も目を奪われたのは、《神桜樹》に関する〈情報〉だった。
《神桜樹》は、誰が植えたかも、何時から存在しているのかも、全く解らない存在。
だけど、その疑問はこの改竄の中で書き換わる。
七億年前に、ワタシが植えた。
理由は解らない。
けれど、それで良かったのかもしれない。
「…………」
ワタシも《炎桜柱》も、しばし沈黙する。
「さぁ、行こう。我らが新たなる主よ」
それからは、ほんの一瞬の出来事だった。
《神桜樹》に隠されたもう一つの謎、その『主導権』はワタシに移った。
そうする事で、ソレに関係する様々な事柄に容易く介入する事が出来るようになった。
それは、少し不思議に感じていた《炎桜柱》についても、この『風』についても同じ事だった。
この問題が終われば、それはほんの些細な出来事に過ぎなかった。
そして、ワタシは今神代港に足を運んでいた。
此処での用事を済ませたという《ルヴァーチェ商会》、その代表であるマルクト・ルヴァーチェを見送るためである。
「この度は、良い経験をさせてもらいました」
マルクトさんは、別れ際にそんな発言をした。
ワタシは、そんなマルクトさんにとある提案をした。
マルクトさんは、始めは驚いて見せた。
だが、ワタシの意図に気付くと、すぐさまその提案を呑んでくれた。
《ルヴァーチェ商会》の面々は、皆すでに船に乗り込んでいた。
「では、ワタシは失礼します」
「はい」
「この契約は、ワタシ共としましては嬉しいですが、本当に宜しいのですか?」
マルクトさんは、最後まで腰が低かった。
「はい、構いません」
「……………。では、コチラから一つだけ」
そう言うと、マルクトさんは一度暗い表情を見せた。
「我々は、《皇》の思惑も意向も全く知りません。ですが、それでも我々はあの方に従う理由があります」
それは、伏線だった。
ワタシは、小さく困惑した。
しかし、ゆっくりと去っていく船を見て、それがこの先に影響を及ぼす言葉だったと静かに気付いた。
今回の二つの出来事が過ぎて、環境が変わったのは奈岐穂市だけではなかった。
その影響は、神代学園にも及んでいた。
ワタシがその異変のような状況に気付いたのは、久しぶりに学園に登校してその昼休みに中庭に出た際の事だった。
湯球市での一件までは、此処で葵さん達が昼御飯を食べていた。
それが湯球市での出来事が落着した後はしばし火乃華はおろか、誰も此処には立ち入っていなかったのに、今となってはいくつかの女子高生グループがそれぞれの輪を作って思い思いに昼休みを楽しんでいた。
それはおそらく、不思議な光景ではない。今までが異常だったのだ。
その意味は、その午後に中等部の教室棟を覗いた時の事だった。
そこに葵さんや火乃華さんの姿が無いのは当たり前であろうが、まさかこのはそんを含めたその三人の存在を誰一人として覚えていなかったのだ。いや、正確には、『知らなかった』というのが正しいのだろう。
それは、とても不可思議な現象だった。
それでもワタシは、校内を廻った。
しかし、行けども行けども、何処も空振りに終わった。
誰一人としてその三人の事を覚えている者も、知る者も存在していなかった。
その時は、何故か胸の辺りに小さなモヤモヤを感じた。
それから数日が経ち、ワタシは一人で桜公園を訪れ、今だ綺羅日やかに咲き誇る《神桜樹》を見上げていた。
綺麗な桜の花をしばし見つめた後、そっとその幹に触れた。
こうした行為は、幾度も行ってきた。
こうして何かが起こる時は、今までバラバラだった。それは、今回も同じ事。
「……………」
《炎桜柱》が書き換えた〈情報〉は、まだワタシの中ではそのまま。
《魔桜獣》とは、〈想者〉の想いに応えて《神桜珠》が生物の造形を象ったもの。
その存在は曖昧。
無論、今のワタシにはその存在の過去の出来事も記憶として残されている。
その中での多くの存在は、いずれも人の形をしていた。
『友達』や『家族』、『恋人』等、その存在は様々ではあった。
しかし、今回の件での多くは、『家族』が一番だった。それは、残りも同じはずだ。
以前、この樹に触れた時、その声は『六つに散らばった器』と言っていた。
その器が、《炎桜柱》達だとするなら、この先もこれまでと同じ事の繰り返しとなるだろう。




