第45話 不死鳥の繭
其処は、総てが真っ白で、総てが真っ黒なセカイ。
其処では、どのような生物も往々にして〈死〉へと到る。
しかし、少年は違っていた。
「……………」
少年は、その場に体育座りをして、小さく蹲っている。
「また此処に来ていたのか?ユウヤ」
その少年の元に、別の人物が現す。
しかし、その人物の『姿』は無い。あるのは、その者の〈影〉と〈気配〉だけ。
「…………」
少年は、無言のまま。
スルスルと伸びる、妖しげな〈影〉。
それは、少年の存在の一つであり、願いのカタチでもある。
「此処へ来ても何も変わらない事は、オマエが一番知っているはずだが?」
「……………」
少年の口数が少ないことは、〈影〉がよく知っている。
だが、〈影〉が頼る少年は今、〈影〉の知る少年とは少し違っていた。
「ボクは、何を間違えたのかな?」
「え………?」
少年は、ようやく言葉を発する。
しかし、〈影〉はその言葉を聞き逃してしまう。
「本当は、何が正しかったのかな?」
「ユウヤ…………」
少年は、後悔していた。
自分のしてきた事。正しいと思ってやってきた事は、結局誰の為にもなっていなかった。
少年は、ずっとその事を悔いていたのだ。
「誰にだって『正しさ』なんてモノは見出だせない。ただ、自分がその事にどのような責任を持つかだ」
「『責任』……………」
少年は、顔を上げた。
「じゃあ、ボクのしてきた事は、責任感の無い事だったの?」
少年は、訊ねる。
その言葉に、少年の畏怖が混じっていることを、〈影〉は感付いていた。
「そんな事は無い。それに、今からでもやれる。…………それに、それが《小薙悠哉》という人物だろう?」
「ボクは……………」
少年は、戸惑う。
自分が、本当に小薙悠哉で良いのか。
本物の小薙悠哉は、何を望んだのか。
それが、少年には何一つ理解できていなかった。
「……………解った。ボク、やるよ」
少年は、決断する。
自身がその役目を担った以上、それをやり遂げるのが、自分の存在理由だと勘違いしてしまっている。
そもそも、小薙悠哉という人物は、この世には存在していない。
少年は、本当はとっくに気付いていた。
だけど、ずっと気付いていない振りをし続けた。
少年には、それしか出来ないから。
少年が背負った〈罪〉は、それほどに重い。
それに、もう止まれない。
だって、それが《小薙悠哉》だから…………。
〈夢〉は、そこて終わった。
それは、何の事かさっぱりな夢ではあったが、一つ確かだったのは、少年は自ら望んでそう選択したということだけ。
そして、その為に必至に彼の思惑を止めようとする者達。
そんな彼らも、あの少年と同じなのだろうか?
ワタシの中で、同じ疑問が何度も往復する。
「柚希、起きた?」
ノックも無しに部屋の扉が開けられ、外から聞き慣れた声が聞こえる。
「あ、はい。起きてます」
ワタシは、その声───小薙伊織に返答する。
小薙……………。
それは、夢の中でも出てきた姓。
その姓を持つ者は、ワタシの知る中でも四人いる。
今現在、行方の解らない美琴さんと悠哉さん。ワタシの傍にいる最中さんと伊織さん。
幾度となくその名を聞いてきた悠哉さんと、知る者と知らない者が存在する美琴さん。
その二人の関係は解らないが、ワタシの〈夢〉の中で、小薙美琴という人物は一度だけ出てきたことがあった。
その時に出てきた小薙美琴の顔立ちは、どことなく伊織さんに似ていた。
「秦が見えたって」
それだけ言い残し、伊織さんは部屋を出て行った。
ワタシは、ゆっくりと起き上がり、伊織さんの後を追うように甲板に出た。
「あ、柚希」
甲板に出ると、最中さんの姿もあった。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
軽い挨拶を済ませ、ワタシは二人の近くに行く。
「おや、皆さん。早いですね?」
僅かな島の輪郭を眺めていると、横から声が聞こえた。
視線をソチラに向ければ、そこにはこの船の持ち主マルクト・ルヴァーチェがいた。
ワタシ達は今、そのマルクトさんが経営する《ルヴァーチェ商会》の輸送船の一隻に搭乗し、帰還している最中。
競売会会場となっていた島から秦までは、およそ二日掛かる。
そして今は、その二日目の朝の光景だ。
目の前に見える大陸はまだまだ遠いが、早朝にしか見れないその景色に、最中さんと伊織さんは歓喜の声を溢していた。
ワタシ達が目的としている奈岐穂市は、海に面していない。なので停泊するには神代港に停める必要がある。
ゴッ!という音を立て、船は港に到着する。
乗っていた他の乗員達が、船の状態を確認している間に、ワタシ達は奈岐穂市へと走り出した。
奈岐穂市はいつもと変わらない状態だった。
スラム街とカジノ地区を抜けると、その先は佐久真となる。
其処が、鳴滝家の総本山。
その佐久真に入れば、これまでの状況が一変する。
スラム街やカジノ地区とは違う、ピリピリとした雰囲気。
先日訪れた時とは違い、行き交う人の数も、その気配も、不自然なほどに少ない。
鳴滝邸までは、ほぼ一本道だ。
だが、その不自然なほどの人の少なさが、ワタシは妙に引っ掛かっていた。
その疑念は、すぐさま現実のものとなった。
鳴滝邸が目前に迫る中、その建物が視界に映るとほぼ同時に、怪しげな人影もワタシ達の眼に映った。
神成神社にあった鳥居と同じような大きさの門のすぐ目の前に、真っ黒な服に身を包んだ男達が数人たむろしていた。
彼らに見付かる前に屋敷内に潜入したかったが、生憎この家の入口は、此処にしか無い。
「どうするの?柚希」
少し後ろで、伊織さんに訊ねられる。
そこに作戦なんて無い。やることは、ただ一つだ。
「強攻突破しましょう」
それが最善で、それ以外の道など最初から存在しない。
「了解」「うん」
二人は、ほぼ同時に了承した。
それから多少の時間が掛かったものの、ワタシ達は難とか屋敷内に進入する事ができた。
「ッ!?」「何だお前らッ」
屋敷内に入って早々、ワタシ達は先程以上の数の男達と出会した。
相手は、元猟兵団《紅の牙》。
先程は難とか行ったが、今回はさすがに数が桁違いだ。
ぞろぞろと湧き出る男達。
ワタシと最中さんは、その数と迫力に圧倒されように、少しずつ後ずさる。
だが、そんな状況下でも、伊織さんだけは違っていた。
「ぐあっ!」
突然聞こえた男の叫び声。
「グフッ!」「ガッ!」「グアァッ!」
そして、それは次から次へと聞こえ、男達は丸焦げ状態となる。
有象無象のようにいた男達は、その一瞬にして半数近くにまで減っていた。
「まったく、しょうがないなぁ~~」
後ろから聞こえた伊織さんの声。それと同時に、伊織さんの姿はワタシの一歩前に出る。
「姉さん…………?」
目の前に映る信じがたい姿を見て、最中さんが面喰らう。
ワタシ達と男達との間に入った伊織さんの左手には、御札のようなモノがあり、右手には紅色に輝く小太刀があった。
ワタシは、一目でそれが護符と妖刀であることに気付いた。
おそらく、最中は自身の反応の意味に気付いていない。
最中の反応は、無意識に発動した防衛本能にやるもの。
それゆえ、今の伊織さんから放たれる『覇気』に似た感じに身体が勝手に反応してしまっているのだ。
「まぁ、此処はアタシに任せて」
迫り来る男達を御札で動きを封じ、伊織さんはそう言った。
「ですが………」
その現状からは想像しづらいが、ワタシは少し不安になった。
「たまには、お姉ちゃんに任せなさい」
そう言って、伊織さんは自身の胸板をポンッと叩いた。
今だ心配な部分はあるが、状況が状況だ。
ワタシと最中さんは、この場を伊織さんに任せて先を急いだ。
以前、火垂さんから家の中をおおまかにどが案内された事があった。
その時に、少しだけ気になる場所を発見した。
それは、この屋敷の奥。
そこにある壁だけ妙な煉瓦造りとなっている。
その造りは精巧だった。
屋根の煉瓦は軽く破損している事から、この壁だけ一度崩れた事があるのだろうと予想される。
おそらくは、それが狙いだろう。
ワタシは、その煉瓦の一つに触れた。
「どうかした?」
隣で、最中さんは首を傾げる。
「『風』………………」
ワタシは、ボソリとそう呟いた。
見た目は精巧な造りでも、その煉瓦同士の間には、僅かな隙間があり、微かにその隙間の奥から覚えのある風を感じた。
その風がこのはさんのモノであることは、すぐさま予想できた。
ワタシは、触れていた煉瓦をゆっくりと引き抜いてみた。
引き抜くのに多少の技能が必要になったが、それは思っていた以上に簡単に取り外せた。
普通、このような煉瓦造りは、下一つを抜いただけでも崩落するものだが、この煉瓦達は少しぐらついた程度で崩れることなく、その状態を保っている。
「…………」
確かにこの状態は変だと思ったが、それよりも違和感を感じたのは、ワタシが今手に持っている煉瓦に対してだった。
「耐火レンガ………」
ワタシは、ふとそう呟いた。
その煉瓦から感じられる匂いも、その弾力も色味も、どれもそれに近いものがあった。
「『先』には行かないの?」
それは、唐突な出来事であった。
背後から聞こえてきた声。それは、最中さんのものとは全く違っていた。
ワタシは、驚き振り向いた。
「アウラさん………」
驚きは、少し増した。
ワタシの後ろにいたのは《七罪聖典》の一人、アウラ・オーだったのだ。
「先、急いだ方が良いんじゃない?」
そう言って、アウラさんは煉瓦の壁を蹴飛ばした。
威力はそれほど無かったはずなのに、煉瓦はボロボロに砕けてしまった。
その様子はおかしく思えたが、アウラさんはその事を気にしている様子もなく、壁の先へと続く抜け道のような暗がりを進んだ。
「柚希………?」
アウラさんの姿は暗がりの奥へと消えたが、ワタシはその場で立ち尽くしていた事に疑問を覚えたのだろう。
「行こ」
最中さんは、ワタシの手を引き、共に暗がりの奥へと進んだ。
暗がりの奥は、森。
それも、普通の森では無い。
以前、ワタシは火垂さんからこの森の事を聞いていた。
鳴滝邸の奥にある森。
そこは、かつて立や薗と対立していた時に、帆が使用した《神器》が奉納されている祠が存在する。
ワタシはこの時、違和感を感じていた。
何故、そこに用があるのか。それは、いったいどのような理由なのか。
一人で先走って考えても分からない事だが、どうしても少々気になってしまう。
森の中は、驚くほど綺麗な一本道で鋪装されている。
ワタシと最中さんは、その一本道を道なりに駆ける。
奥へ進むに連れ陽の光は弱くなり、数分ほど進んだだけで辺りは夜中と変わらない場景となった。
だが、そんな場景はさらに一変する。
陽の光はそのままに、森の中は微かな灯りに包まれ始めた。
「此処は?」
突如、ワタシ達の目の前に現れたソレに、最中さんは何故かワタシに訊ねる。
ワタシ達の目の前に、突如として現れたソレは、もう何百年もの間放置されていたのではないかと思われる、小さな祠に見えた。
それが、火垂さんの言っていた祠かは分からない。
けれど、微かにだがその祠から、何か奇妙なニオイを感じた。
「柚希、見て」
いつの間にか祠の裏手に廻っていた最中さんに招かれるように、ワタシは祠の裏に廻った。
「───ッ!」
それは、その刹那だった。
ワタシは、突然の頭痛に襲われ、その場にしゃがみこんだ。
「柚希?」
最中さんが心配して、ワタシの顔色を伺った。
そして、ゆっくりとだが痛みはその一瞬だけで治まった。
「………?」
それとほぼ同時に、妙な違和感を感じとった。
「今度は、何?」
最中さんは、ワタシの様子にいち早く気付いた。
「『風』が…………」
「風………?」
それは、つい先程まで荒々しく吹いてはずの『風』が、ぱったりと止んでいたのだ。
最中さんは、首を深めに傾げた。
その反応は当然だと思った。
今まで、最中さんはこの『風』を知らなかったのだから。
「………ッ」「うわっ、ぷ………」
唐突に、吹き上げるような一陣の風が舞った。
ワタシは、視線を祠に戻した。
「あ…………」
そこには、祭壇のような石造りの土台があり、その足場のような部分には、何かを置く場所のように隙間が空いていた。
「これって………」
最中さんが呟く。
おそらく、此処が帆が所持している《神器》が納められる場所なのだろう。
しかし、現状その場所には何も無かった。
ワタシは、ふと先程止んだ『風』の吹く方角を見つめた。
暗がりの中でも解る。
この一本道は、まだ続いていた。
その奥から、『風』は吹いていた。
そして、その『風』が止んだことで、奥から激しい金属音のようなものが響いていた。
ワタシは、一度最中さんと顔を見合せ、一本道の奥へと真っ直ぐ進んだ。
進む途中で、その奇怪な金属音は止んだ。
ワタシは、走るスピードを上げる。
「柚希ッ!」
突如、後ろの最中さんが声を挙げた。
ヒュヒュッ!という音の後に、ワタシの足元に複数の何かが飛来する。
それは、間一髪の出来事だった。
最中さんの言葉が無ければ、それは当たっていた。
ワタシは、目を凝らしソレの正体を確認する。
ソレは、両端の尖った鋭利な木の杭であった。
その木の杭はワタシ達の前方斜め上から降ってきたいる。
ワタシはゆっくりと顔を上げた。
その刹那────ビュッオ!という風切りと共に右側から何かが飛んできた。
これは直前に音がしたので、難なく避ける事ができた。
ガサガサッ!
その直後。両端の藪から物音がする。
ワタシも最中さんも警戒を強めた。
その時だった───。
「───ッ!」「おわっ!」
突如、大地は激しく揺れ、辺りの木々は根ごと倒れた。
それは、一度きりの出来事だった。
その直後から、物音も、見えぬ攻撃も無くなっていた。
ワタシは不信に感じたが、今は少しでも先を急ぎたかったので、その不信感を頭の隅に追いやり、何処までも続いていそうな一本道を、再び走り始めた。
そこからは幾分も経からなかった。
「───ッ!」「おわっ!」
勢い良く走っていたワタシ達の眼に、鋭い光が入り込む。
ワタシも最中さんも、慌てて目を閉じた。
その光に慣れる間、ワタシは現状を悟した。
秦と隣接している他の国々は、深い山々で国境が阻まれている状態のはずだ。
「ん…………」
ワタシは、その疑問を胸に、ゆっくりと目を開いた。
「あ………」
ワタシは、小さな声を漏らす。
それは、驚くべき光景だった。
視界に映るのは、真紅の世界。
それはまるで、鮮血の如き赤黒い景色。
当然、その光景を見れば、誰もがおかしいと思うだろう。
そんな場景の中でも、ワタシはさらにおかしな箇所に目を凝らした。
「火垂さん………ッ!」
ワタシは、思わず声を張ってその名を呼んだ。
半円状に広がった不可思議な世界のその奥に、火乃華さんが探していた鳴滝火垂の姿があった。
火垂さんは、この空間よりも赤黒く太い糸に両の手足を縛られ、まるで蜘蛛の巣のように張り廻らされたソレの中央に拘束されていた。
「柚希、その下」
最中さんの言葉に、ワタシはその真下に視線を落とした。
いくつもある人の影。その少し奥には、黄金色の炎が舞っていた。
「あれは…………」
ワタシは、思考を廻る。
その炎は、どこかで見覚えのあるモノだった。
「……………」
いや。見覚えがあるのは、『炎』では無い。この光景だ。
それも、つい最近のはず……………。
ワタシは、必死に思考を廻らせる。
そして、浮かんだ一つの単語…………《氷菓の心臓》。
そう。この場景と状態は、薗での件と類似しているのだ。
「………イッ!」
そう結論付けた時、ワタシの頭に微弱な痛みが走り、脳裏に別の単語が浮かび上がった。
「《不死鳥の繭》…………?」
ワタシが、その単語を口にした刹那。現場は一変する。
「な、何だッ!?」
───ゴゴゴゴゴッッッッ……………ッ!!!
突然の地鳴り。それと同時に火垂さんの足下が、不気味に赤黒く光り、奇妙に蠢き始めた。
「っ。どうやら、一足遅かったようですね」
地盤の蠢きがコチラにまで及ぶとほぼ同時に、背後から声が聞こえた。
振り返れば、そこにはマルクト・ルヴーチェを筆頭とした《ルヴーチェ商会》の面々が数人いた。
「いいえ。おそらく、まだ間に合います」
ワタシの〈記憶〉かま正しいなら、そうのはずだ。
「柚希?」
「何か、作戦が?」
最中さんは心配そうな表情をし、マルクトさんは何の疑問も持っていないかのように訊ねた。
「いえ、それほど皇行なモノではありませんが…………」
それは作戦ではない。単なる、記憶の解放だ。
ワタシは、みんなに説明する。
ワタシの脳裏に浮かんだその単語の名と、その影響を。
そこから、彼らの画策を得るのがワタシがワタシなりに導きだした作戦だった。
話し合いという作戦が続く中、火垂さんを捕らえていた真紅の糸に異変が生じ始める。
真紅の糸は、まるで触手のようにうねうねと蠢き、火垂さんの身体を這い回る。
そして、真紅の糸は次第に火垂さんの身体を完全に包み込み、巨大な球体となる。
それこそが、《不死鳥の繭》の真の姿だろう。
「くっ───アがッ!」
「柚希ッ?」
頭痛よりも酷い痛みの脳裏に感じたワタシは、その場に崩れ落ちた。
その中で、何処からか多くの〈情報〉がワタシの脳に刻み込まれていく。
「な、に…………?」
痛みと苦しみに苦悶しつつも、ワタシはその〈情報〉を読み解いていく。
そこに、この状況を打破できるものがあると信じたからだ。
そして、結果は功を奏す。
ワタシは、左手を前方に付きだし、心中である言葉を唱えた。
それは、決して行ってはいけない所業だった。
だが、今のこの状況ではコレか打開策が見当たらないのが目に見えていた。
ワタシが唱えた《龍唱》によって、真紅の糸は数秒と経たずして火垂さんの身体から剥がれ落ちていった。
その後、ワタシは意識を保っていられず、すぐさま気を失ってしまった。




