第29話 神災
火事、地震、洪水、台風など………その災害の発生原因は、いつの時代も謎とされていた。
そういう謎な災いを、人々は〈神々の怒り〉の象徴と捉え、それらの災厄を総称して………《神災》と呼んだ。
六月も、早二週間の月日が経っていた。
そんな中、《秦》は、未曾有の大災害に見舞われていた。
降り続いた大雨の影響で、河川は氾濫。海辺近くの岩場は大きく抉れ、木々の多くは薙ぎ倒され、家の殆どは半壊状態。
それでも、ワタシや最中さん。葉月さんの誘導と理事長や神代さん達の人徳も合わさり、住民への被害は無かったのが幸いと言えよう。
「こんな時でも、生徒会は役立たずですね?」
嫌味のように、神代さんが葉月さんの目の前でぼやく。
「申し訳ありません………」
それに対し、葉月さんは頭を下げた。
それを見て、ワタシは変な気分を感じたが、それを止めない自分がいた。
「とりあえず、どうしようか?」
最中さんが、ワタシの真横に立ち、そう訊ねてきた。
「そう、ですね………」
ワタシの言葉を、最中さんだけでなく、神代さんや葉月さん、理事長までもが待っていた。
なので、ワタシは疑問に思っていた事を訊ねた。
「そういえば、奈岐穂市や湯球市の方はどうなっているのでしょう?」
「……………」
この問いに、その場の誰もが隣の人と顔を見合せ、気まずい雰囲気を醸し出した。
その反応で、ワタシは悟る。
ああぁ。この國は終わりだな──と。
「何処行くの?」
歩み出したワタシに、咲良さんが後ろから訊ねる。
「ちょっと、他の所に顔を出してみようと思います」
足を動かしたワタシの後ろを、咲良さんと最中さんが付いてくる。
始めに向かったのは、神成市から近い奈岐穂市。
奈岐穂市は、金融や性商業で有名な地だ。
なので、市内にある店の多くは、風俗系ものばかり。
暗がりの中で怪しく光るピンクのスタンドライト。
その奇妙な灯りを抜け、緊急避難場所である奈岐穂高地会館へ向かう。
神成市ほどで無いにせよ、奈岐穂市でもここまでの大雨は初めてのようで、市内には混乱の様子が垣間見える。
そして…………、
「あ、ちょっと遅かったみたいだね」
ワタシ達が会館に着いた頃、住民達は会館から出ていく所だった。
ふと、空を見上げた。
雨は弱まり、雲は次第にその面積を縮めていた。
「止みましたね」
ワタシは、そう呟いた。
それを聞き、咲良さんと最中さんも空を見上げた。
「ホントだ」
ここで、一つ疑念が生まれた。
「どうして止んだのでしょう」
「え?」
ワタシの呟きに、咲良さんと最中さんは首を傾げる。
「どうしてって、それは…………。どうして?」
咲良さんは、一度その事について思考したが、答えは見出だせなかった。
そう。見出だせないのだ。
おかしな現象ではあるが、それが現実だった。
「小薙殿に、神威殿?」
人通りの中で、名を呼ばれた。
見れば、目の前にアスカ・プラティエの姿があった。
「アスカ。どうして此処に?」
最中さんが、アスカさんに近寄り頓珍漢なことを訊ねる。
「どうしてとは、拙者が、この奈岐穂市の警備任務を任されているからでごさるが」
「そっかぁ………」
最中の反応から察するに、どうやら忘れていたようだ。
「小薙殿達こそ、どうされたでござるか?」
「え?ああ………」
最中さんは視線を泳がせ、ワタシにその視線を向けた。
どうやら、此処へ来た意味も忘れているようだ。
「現在、神成市で未曾有の大災害に見舞われていますので、他の地はどうかな?と偵察に来た次第です」
「あ。そうそう、それ」
「そうですか……。ですが、大丈夫ですよ。先程まで降っていた通り雨が、例年に無い大雨だっただけで、そこまで気にする事態でもありませんでしたから」
口調が元に戻っているような気がしたが、それは今は気にすまい。
それより、気になるのは、アスカさんの言う『通り雨』だ。
「えと、奈岐穂市では、今月降った大雨は、今日が初めてですか?」
「え?……ええ。幾度か小雨は降りましたが、大雨は今日が初めてですね」
「そうですか…………」
やはり、おかしい…………。
神成市だけが、途切れることなどなく大雨が降り続いている?
この感じだと、湯球市の方も一緒かもしれない。
そう結論付け、ワタシは踵を返した。
「もう良いの?」
「はい、おそらく」
「みたいだから、私達は戻るね」
「あ、はい。お疲れ様です」
最後まで口調が戻ったままだったが、まあ良いかな。
結局、この点の謎も深まっただけで、なんの収穫も無かった。
なので、ワタシ達はとりあえず神成市に戻ることにした。
それから三日間大雨は続き、被害はとうとう住民にも及び始めていた。
氾濫した濁流は、高さ三メートル程にも及ぶ高波を起て、神成市内を瞬く間に深海へと沈めた。
神成市が他の市町村と比べて高地にあるのに、その被害はほぼ神成市のみが受けていた。
「こんな事、今まで一度も起きたことなど無かったのに………」「ああ、神様……」「誰か、助けて……」
避難した住民から不安の声が発せられる中、ワタシは避難所を離れて神成神社に向かった。
神社へと続く石の階段は、相変わらず大雨を被害をまともに受けている。
しかし、階段を登りきり鳥居を潜ると、そんな影響など微塵も感じさせない程に何の事態も起きていなかった。
普通、最も高台にある場所は、天からの影響を受けやすい。ただ、其処が天より上にある場合は別だ。
だが、神成神社は、それほど高台にある訳では無い。
ならば何故、この神社はその影響を受けていないのか。
その答えは、おそらく誰にも分からないだろう。…………この現象を起こしている人物以外には……。
「あらら、もう来てしまわれたのですか?」
その人物、神宮寺阿莉子は用件を訊ねる。
「ええ。どうしても、訊ねたい事がありまして」
「訊ねたい事?」
阿莉子さんは、首を傾げる。
あからさまな態度に見えるが、その根拠は無いので追及しようがない。
「この大雨についてです」
ワタシは天を指差す。
「大雨?」
阿莉子さんは天を見上げるが、無論、神社は大雨どころか雲一つ無い。
「今月に入って、神成市にのみ大雨が降り続いています」
「そう、それは不可思議ですね」
「…………」
あくまで白を切るつもりだろうか。………いや。そんな事は今はいいのか。
「ですが、この神社はその影響を受けていないようですが。その点については………どう思われますか?」
「そう……ですね。大変心苦しいですが、これが現実です」
この神社の当主と言っても過言ではない人物の口から、このような発言が出るとは………。
そう思いながら、ワタシは質問を続ける。
「これが、この《秦》の在り方ですか?」
「そうですね。これは、仕方がない事かも知れませんね」
「??」
ワタシは首を傾げた。
阿莉子さんは、曖昧な表現でこの話題から逃げようとしているのか、本当に知らないのか。それを考えされる表現ばかりしている。
「では、少し話をずらします。神災が起きた際、《秦》の住民はいつもどうされているのですか?」
「どうもいたしませんよ。それが、『神様』の審判ですから」
「神の審判…………」
《秦》は、思っていた以上に複雑な場所だった。
だからか、ワタシの頭は酷く混乱していた。
「分かりました。とても、参考になりました」
その混乱を整理すべく、ワタシは一礼してその場を去ろうとした。しかし、阿莉子さんはそんなワタシを止めた。
「まだ、『覚醒』へは至れませんか?」
彼女が何を言っているのか、正直検討も付かなかった。
特に焦る様子も見せることなく、阿莉子さんのの問いは続いた。
「分からない事があれば、その周辺をもう一度洗い直したほが良いと思います」
その言葉は理解できた。しかし、それが何かの助言のように聞こえたのは、ワタシだけだろうか……………。
柚希が境界線を越えた事を確認すると、阿莉子は鳥居の前で呟やく。
「もう良いですよ。云業、安業」
「何でしょう?」
天の声のような声音が、境内に響く。
「すこし。アナタ達に頼みたい事があります」
「唐突だな。急に、何だ?」
「実は───」
阿莉子の頼み事に、謎の声は有無もなく承諾した。
後日、神成市に『異変』が生じた。いや、正確には異変とは呼べないだろうが。
突然雨は止み、天は晴れ、大地は次第に渇き出していく。
そこだけ見ればそれが通常であろうが、この状態に至るまで…………つまり、つい先日まで街の道路は浸水していた。そこからの、この状態だ。
それは、あまりにも不自然に思えた。 河川や海が氾濫したことで大きな被害のでていた住宅街は元通り。浸水していた道路や畑も被害の出る前の状態に戻っていた。
雨が止んだことで、住民の不安は減りいつも通りの日々が再開した。………に、思えた。
いつも通りというものが早々続く訳もなく。わずかその二日後に、新たな事件が再び神成市のみで発生した。
その事件は、原因不明の『火災』だった。
しかも、その影響は一件二件には留まらず、七・八軒の家々を同時に巻き込んだ大きな火災が発生した。
この不足の事態と原因不明な出来事に、住民は焦りを隠せずしばし混乱が続いたが、早急な鎮火作業が行われたことで、事態は最悪というモノを難とか回避出来たと言えよう。
そんな安堵も束の間だった。
謎の火災の約二時間後。今度は、謎の地震が発生した。
その地震による被害は、大雨の時ほど甚大ではないが、火災の時ほど小規模という訳ではなかった。
問題は、その震度にあった。
大雨や火災のように避難ができる訳ではないこの地震は、多くの死者を出し、住民に多大な損害を与えた。
翌日。大雨も、火災も地震も発生しなかった午前中の事だ。
ワタシは、先日被害に遭った場所に訪れていた。
「…………」
予想通りか、被害に遭った場所は、その惨状を見る影も無いほどに元通りとなっていた。
ワタシは、ずっと疑念に思っていた事を、再び考え始めた。
何故、この世界は幾度も書き換えられているのか。
何故、神成市にのみ、これほどの災厄が立て続けに起こるのか。
それは、誰にも解らないだろう。
その謎を解明する為に、ワタシが選ぶべき選択は何なのか。
それさえ分かれば、ワタシの次の行動も定まるはずだ。
商店街を抜け、今だ火災の起きていない地域を順番に見て廻る。
火災の原因は、大抵が人による火の不始末だが、それだが要因と言えないのが現状だ。
現に、その『要因』は向こうから訪れてきた。
「何やら嗅ぎ廻ってるってのは、アンタか?」
大きく胸元の開いた巫女服の子が、そう訊ねてきた。
「え。ええ……」
ワタシは、訝しげに巫女服の二人組を観察しながら、返答する。
一人は今にも喰って掛かりそうな形相。もう一人はコチラの行動を見極めているかのような面持ち。
まるで正反対な感じのする二人だが、それご逆に息の合っていそな二人とも見て取れた。
そして、それはすぐに思い知らされた。
「ガ、カハッ………!」
活発な巫女さんの左膝か、ワタシの鳩尾を殴打した。
ワタシは嗚咽を吐き、途端に彼女達と距離を取った。
しかし、その距離も途端に命取りとなる。
「そうそう、逃がしはしないッ!!」
後方から飛んでくる紅蓮の火球がワタシの逃げ道を塞ぎ、目の前の敵とは圧倒的な武力差で押し切られる。
攻防とは言い難い、防ぎようの無い猛攻がワタシを攻め続ける。
「ガ、ア……………クハッ!」
どう、すれば…………。
防戦に見えぬ防戦を続け、ワタシの体力は限界に近づいていた。
この戦闘が始まった時、ワタシは《対戦闘覇戒兵装》と《対戦術予知視眼》を同時に起動していた。
おそらくは、その反動の性でもあるだろうが、現状それを抜きにしても押されていた。
刹那───、
「───ッ!」
活発な方の巫女さんは『何か』に気付き、咄嗟に後方へ大きく跳躍する。それによって、無謀な防戦に一時的な終止符が打たれた。
岩盤を穿つ視認出来ない攻撃が、二人の巫女さんを襲う。
「くっ、何者ッ!?」
巫女さんは、咄嗟に頭上を見上げる。
しかし、天上には誰もおらず、空は雲間一つ無い快晴だった。
「『白皇経書』。“双影駆動弾”ッ!!」
視認出来ない攻撃は、光速の速さで相手の胸部を撃ち貫いた。
「ガッ、カハッ!!」
何が起きたのか理解しようとした時、ワタシの後ろから声が掛かった。
「大丈夫?柚希」
その声の主に支えられ、ワタシは声の主の顔を見上げた。
「葉月、さん…………?」
葉月さんは、ワタシの腕を自身の肩に回すと、小さく跳躍して巫女さん達と距離を取った。
「どうして、此処に…………葉月さんが……?」
苦悶の表情で、ワタシは訊ねる。
「貴女、最近学園に来てないでしょ?だから、心配になって」
言われて思い出す。
そういえば、ここ一週間ほど学園には行ってなかった。
「それで、此処まで………?」
「まぁ。実際はモノの次いでだけどね?」
言って、葉月さんはスッと立ち上がり相手を見据える。
「まだヤる?」
葉月さんは、全霊の敵意を巫女さん二人に向けた。
「くっ、仕方ない。今回は退かせてもらう」
その言葉だけ残して、巫女さん二人は退場した。
ワタシは、葉月さんに支えられ、学園に連れていかれた。
ワタシの身体は学園の医務室に寝かされ、葉月さんから酷いお説教を喰らった。
「それで?」
一通りの文句を言い終えて、葉月さんは訊ねてきた。
「今度は、何を調べてるの?」
「…………」
ワタシは、しばし黙った。
そして、ゆっくりと口を開き、その問いに答えた。
「《神災》の謎?」
葉月さんは、そう結論付ける。
おそらく、葉月さんにとっては、《神災》が起こる事は何ら不思議な事ではないのだろう。
しかし、ワタシは疑念に思っていた。
今回、立て続けのように起こる《神災》を。
「それで、あんな事になってたの?」
「おそらく………」
襲われた理由には、何となく心当たりがある。
しかし、何故そのような事に発展したのかまでは理解できていなかった。
「それで?この後のご予定は?」
その問いに、ワタシは疑問を感じた。
「いえ。特にありません」
「そうですか。では、こちらを手伝ってくれますか?」
「良いですけど、何をするんですか?」
「えと、まぁ。いつも通りの書類仕事?」
最後の疑問符が気になったが、とりあえず葉月さんの後を着いて生徒会室へと向かった。
葉月さんはソレを予知していたのか、案の定、問題が発生した。
デスクワークであるはずの書類仕事は一変。その延長線上の業務とも言える現地視察という仕事内容になった。
「これは、いったいどういうことですか!?」
葉月さんは、そこの責任者たる男性を怒鳴る。
「そ、それは………」
責任者の男性はたじろぎ、言葉に詰まる。
その仕事は思いの外、長引いた。
書類の数は多くはなかったが、相手は大人。コチラは子供二人で、どちらも見た目の印象はさらに幼い。故に、相手から嘗められる節がある。
おそらくは、それが要因と言える。
神成神社、境内。
「どう、首尾は?」
阿莉子は、戻ってきた『二人』に訊ねた。
「どうとも無いかな?」
片方の『声』が、阿莉子の問いに答える。
「じゃあ、ハズレ?」
「そうでも無いと思う」
「確かに〈竜〉の因子を感知しました」
「そう………」
二人の報告を受け、阿莉子はしばし思考した。
現実に実在するはずの無い、架空の生物───〈竜〉。
その存在には謎が多く、多くの学者がその研究に明け暮れ、短い期間で命を落として逝っている。
それ故、いつしか〈竜〉の研究は禁忌とされ、その存在は永らく迷宮の果てへとお蔵入りにされていた。
その存在が今回、こうしたカタチで確認されている。
阿莉子は、その存在に意図的な何かを感じていた。
しかし、阿莉子は実質〈竜〉という存在がどのようなモノなのかは、明確には認識していない。
ただ噂に聞かされていた存在。
その存在は、災厄を再現したような存在。あるいは、その体現とも言える存在。
そして、〈竜〉と呼ばれる存在は、決して一体だけではない。
―――〈竜〉は、十体存在する。
阿莉子は、《皇》からそう聞かされている。
だが、そう伝えた《皇》でさえ、〈竜〉を見たことは一度もない。
その《皇》も、他人から伝え聞いたに過ぎなかった。
そのことは事前に阿莉子にも情報が伝えられ、その《皇》の持つ最低限の〈情報〉を用いての〈作戦〉が用意されていた。
しかし、その〈作戦〉が破綻する可能性を、阿莉子は危惧していた。
高い洞察力と行動力を兼ね備えた〈竜〉。
その権能の本質は未知数だが、阿莉子は微かに察していた。
自身の行動が無駄に終ることを。
もし仮に、その娘が〈竜〉だとしても、阿莉子はどうとも出来ない。
「〈無の竜〉───“慰壊のヨルムンガンド”」
それは、《皇》から聞かされていた〈竜〉の固有認証。
遺された最後の〈竜〉。十一番目の災厄を生む〈竜〉の名だ。
だが、その存在もまた、架空の伝承に載るような存在。
実在したとするならば、その存在は今を騒がす《神災》と同一視されても可笑しくはない。
人工の《神災》と、架空の《神災》。
敵うはずの無い状況だが、阿莉子にには遣るしか無かった。
それが、《皇》の為でもあり、《セカイ》の為でもあり───何より、自身の為でもあるのだから。




