第28話 響想者の依代
それは、その何気無い日常が、一変することの前触れだったのだろう。
この時はまだ、それに気付けていない自分がいた。
これは、そんな前兆の兆候を指し示す。とある数日のお話だ。
六月も、既に一週間が経っていた。
それでも、大雨は今だ続いている。
そんな時に、ワタシは学園を訪れていた。
かと言って、授業に出る訳ではなかった。なので、お馴染みと成りつつある図書室にいる。
特に用は無い。ただ、思えば一度も来たことが無かったな。と思い足を運んでみたのだ。
「……………」
かと思い室内を散策するが、特に読みたい本も無かった。
けれど、現状暇でする事など特に無いのが事実。
今届いている依頼は、然程の急ぎの件のものは無く。《神桜樹》や《皇》の件についても、何一つ進展が無いのもまた事実だ。
お。コレなんか良いかな?
目に付いた本を手に取り、近くの長椅子に腰を降ろして、読書に専念する。
読み始めてどのくらいが経つのだろうか……。
気が付けば、読書に没頭していた。
懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「昼前……」
そっと、自身のお腹に触れる。お腹は空いていない。しかし、他にする事が見当たらない。
そこで、ふと思う。四限目はもうそろそろ終わる。
多くの生徒が、一斉に食堂へと雪崩れ込んで来るまで、後少しだ。
ならば急ごう。ワタシは、そう思い至る。
そして、食堂の入口付近に設置された券売機に向かった。
しかし───、
「…………」
こうも問題?が発生すると、自分の人生について再思考してみる必要が出てくる。
その問題とは、ワタシの目の前──つまり、券売機の真ん前で立ち往生?している水瀬葵の姿があった。
葵さんは、券売機の上の方にあるボタンを押そうとしているが、車椅子に座ったままの状態の為、いくら手を伸ばしても、そのボタンの位置までは届かない。
そんなもどかしい行為をし続けている葵さんの姿を見かねたワタシは、葵さんの真横に立ち訊ねた。
「どれを、押したいのですか?」
「え?あ、ゆずちゃん」
健気に、愛想を振り撒く葵さん。
今はそんな事をしている場合ではない。
「えと、上の方の………」
それは見れば分かる。
「山菜定食、っていうのをお願い」
「分かりました」
そう返事をして、ワタシは券売機から二歩下がる。葵さんが首を傾げたのを他所に、右足を踏み込み勢いを衝けて券売機の真ん前までダッシュし、その直後に真上に跳躍する。そして、狙い通り、ワタシの手は山菜定食と書かれたボタンを押した。
ワタシの身体は反対側にあるため、本当に押せたかは葵さんの側に戻った時だった。
「…………」
その葵さんは、呆気らかんとした表情をしていた。
比喩するつもりは無いが、自分自身、これは上手くいったと称賛できると自負している。
「あ、ありがとう………」
我に還った葵さんは、引き吊った表情でお礼を述べた。
その表情を気にすることなく、ワタシは適当に食券を買い、車椅子を押して葵さんと共にカウンターへと向かった。
なるべく目立たない席を決め、そこで二人で昼食を摂った。
正直、珍しいと思った。いつもは三人でいる葵さんは、今日は一人のようだ。
「いや~、助かっちゃったぁ~」
そんなワタシの考えを察してか、葵さんが口を開く。
「今日は、このちゃんもほのちゃんも来ないんだもん」
ワタシは辺りを見渡し、気配を探る。
当然、その気配は無かった。
「どうしちゃったのかな………?」
食べるペースの落ちる葵さん。本当に心配のようだ。
「何か、心当たりはあったりしますか?」
ワタシは、不意に訊ねてみた。
「………。多分、無いかな?」
葵さんの返事は、酷く曖昧だった。
「けど……。最近、ほのちゃんの様子がおかしい気はしてたかな………」
「どのように?」
「う~~ん。何と言うか、思い詰めた?というか、焦っているような?」
「………」
ワタシは、鳴滝火乃華の事を思い出す。
猪突猛進と炎髪灼眼を画に描いたような少女。葵さんから発せられる謎の冷気を抑え込んでいるような役目を果たしていた彼女がいないことで、今は度々座席の廻りをその冷気が包み、床を凍結させて行く。
しかも、その冷気から、最中さんに似たモノを感知した。
それが、《人工生命体》としてのモノとは違うことは認識済みだった。
「外、出てみますか?」
ワタシは、不意に訊ねた。
「え?」
当然、葵さんは頭に疑問符を付けた。
「気になるんですよね?」
「それは……そうだけど…………」
別に無理強いをするつもりは無かった。ただ、自分が暇で、この感覚について知りたいことがあり、そして、葵さんを一度、外へ連れ出してみたいと思ったのだ。
「うん、分かった。外の世界はちょっと怖いけど、私、外に出てみるよ」
葵さんは、意を決す。
そして、ワタシと葵さんは、四限目が終わる直前で学園を跡にした。
向かうは、校外。
しかし、その目的地は明確では無かった。
お互いに、火乃華さんとこのはさんの住所を知らなかった。
行く宛も無く神成市内を廻るが、それらしき人影も気配も見付からなかった。
「大丈夫?」
葵さんに心配される。
歩いているのはワタシだけ。葵さんは、ただ車椅子に座ったままでワタシに押されているだけだった。
それに、ワタシはいつも以上に疲弊していた。
街をぐるりと一周するぐらいであれば何ら問題は無いはずの体力が、この数十分程で大きく削られているのだ。
原因は予想できている。しかし、その要因が解らない。
それが、《神桜樹》と何らかの関係があることは、なんとなく気付いている。
しかし、ワタシの中のその〈情報〉の中に、それを記述する情報は無い。
ワタシは、そこを不審に思った。
「ゆずちゃん………」
「なんですか?葵さん」
葵さんは、一点を見つめ首を傾げていた。
「あの先には、何があるの?」
葵さんが指を差す場所は商店街のT字路。
その曲がり角の向こうには、当然《神桜樹》がある。
「行ってみますか?」
「…………」
葵さんに訊ねるが、葵さんはその答えを渋った。
ワタシ達がその場でじっとしている間、葵さんから発せられる冷気は、蜘蛛の巣を張るかのように、その氷床の範囲を拡大させていく。
この時、ワタシはふと思った。
以前にもなんとなく気になっていたが、葵さんに接しているはずの車椅子は、その冷気の影響を受けていない。
気にはなるが、それを納得させられる情報が見当たらず、ワタシは首を傾げた。
「ゆずちゃん………?」
「あ、はい……!」
葵さんの呼び掛けに、ワタシは我に還った。
「何ですか?」
「あの先、行ってみない?」
予想外の言葉に、ワタシの脳は一瞬だけ思考停止した。
「あ、はい。分かりました。では、行きましょう」
そう言って、ワタシは車椅子を押した。
目指す先は《神桜樹》のある桜公園だ。
二キロに渡って続く桜並木は、この大雨の中でも満開と言わんばかりに咲き誇っていた。
「此処の桜は、まだ咲いているんだね…………」
葵さんの言葉に、ワタシはそっと桜の花を見上げた。
特に疑問にも思わなかった。
確かに春に咲く花は、大抵が一月ほどしか開花しないとされている。
だが、中には半年近く咲き続ける花もあるので、今の桜の状況が不審だとは考えもしていなかった。
「それは、不自然な事ですか?」
なので、葵さんに訊ねてみた。
「うぅ~~ん、どうかな……?」
葵さんは、首を傾げて顎に手を置く。
「私の聞いた話だけど、『この國の大きな桜の木が、十年程前に枯れ、その影響で世界中の桜も同時に枯れた』って………」
「そうですか……」
その情報は、ワタシが持つ最低限の情報と一致した。
地元の人がコレなら、大きな情報は得られそうに無さそうだ。
それにしても………。『聞いた話』か…………。
なんとなく、その単語に引っ掛かってしまった自分がいた。
「此処が、桜公園………」
桜公園に到着し、葵さんは《神桜樹》を見上げて、そう呟く。
《神桜樹》は特に何の変化も無い。二ヶ月前と同じに見える。
「コレが、《神桜樹》?」
「知ってるのですか?」
「え?あ、うん。有名だからね。神成市の桜は」
「そうなのですか………?」
「うん。あれ?もしかして、ゆずちゃんも他国の出身なの?」
も?
「『も』ということは、葵さんは神成市の出身では無いのですか?」
「え?あ、うん。違うよ?」
思わず、目を見開いてしまった。
まさか、現地の人でなかったとは………。
「それにしても。此処、落ち着くね………」
葵さんは、ポツリと呟いた。
鮮やかな桜色の景色は、この大雨でもその存在を劣ろわせることなど無く、優雅に咲き誇っている。
「綺麗だね~~」
「そうですね………」
「お花見、したいね?」
「え?」
「ん?」
『お花見』って………何?
「ゆずちゃん?」
「はい………?」
「もう戻らない?」
言われて、ワタシは空を見上げた。
勢いの衰えることなどないかのように降り続く大雨。
そのせいか、何だか今日は疲れた。
「そうですね。帰りましょう」
車椅子の取っ手を掴み、葵さんを押して歩き出した。
桜公園を出ようとしたその刹那────、
ーーー《聖なる加護》。六なる『依代』に散らばりし、我が権能………。
という声が聞こえた。
「───ッ!!」
ワタシは咄嗟に足を止め振り返った。
「……………」
しかし、その場にはワタシと葵さん以外、誰もいなかった。
「ゆずちゃん?」
「いえ、何でもありません」
再び、車椅子を押した。
ワタシの中にある《神桜樹》の〈情報〉は、曖昧な部分が多すぎた。
例えば、《神桜樹》と《神威兵器》について。
今の技術ではおそらく創造することなど出来ないであろう強大なチカラを秘めた武器。
その存在は、ワタシの中に〈情報〉として存在する。
しかし、その存在は、保持者でもあるワタシにも理解に苦しむ代物でもあった。
そんな《神威兵器》と《神桜樹》の関連性は、殆ど無い。
唯一の関連性は、二つの存在が存在していた時代が一緒である点だろうか。
葵さんを医療棟に返したワタシは、一人中庭を歩いていた。
そして、歩きながら先程の桜公園での一件を思い出す。
確かに聞こえた、清純な声。
それは、以前何度も聞いてきた《全能虚樹》の声とは、明らかに違っていた。
では、いったい何者の声なのか………。
見当は付いている。しかし、その確証は無い。
《神威兵器》を顕現させる為に《全能虚樹》との契約を交わした際に、《全能虚樹》が最後に発した単語。〈冥樹〉と〈仙樹〉。
その二つの存在は、今だどのようなモノかは理解できていない。
それでも、〈冥樹〉の方は、ワタシが《神威兵器》を顕現する度に何らかの関係を兆候させていると思われる。
なので、問題は〈仙樹〉の方だ。
今だ何の確認も兆候も見受けられないその存在は、ワタシに微かな疑念を抱かせる要因の一つとなっていた。
場所は変わって、───再び、《神桜樹》の前。
用件は単純だ。少しの好奇心によって衝き動かされた結果だ。
まぁ。正確には、ちょっと気になる事が発生したのだ。
「…………」
ふと、此処へ来た時のことを思い出す。
そういえば、以前、ワタシが《神桜樹》に触れた事で、《神桜樹》は開花した。
それは、この二ヶ月の間、謎のままだった出来事。
その事が原因か。ワタシの廻りで、多々の大きな事件が起きてきた。
それらの事件と《神桜樹》に何の関係があるか今は謎だ。しかし、何らかの関係があることは、ワタシの中でなんとなく可能性として思考している。
それを確かめたくて、今、ワタシは此処にいる。
あの時のように触れてみれば、もしかしたら……………。
「……………」
しかし、その手は伸びなかった。
それは、畏怖かも知れない。
けれど、その感覚はワタシの中で、最も最弱なモノだった。
ワタシは、ゆっくりと手を伸ばした。
そして、そっと《神桜樹》に触れた。
その刹那だった───ワタシの中に、何かが入り込んできた。
「───ッ!!」
ワタシは顔を歪ませて、入り込んできたその『映像』に目を向けた。
「これ、は…………?」
「コレは、《神桜樹》」
「イン、ヴォルジア………………」
そこにいたのは、二人の男性。
一人は十四・五くらいの少年で見覚えがあるのだが、もう一人の男性は見覚えの無い顔だ。
「ですが、どうして僕を此処に?」
少年は、男性に訊ねた。
「お前は、この《セカイ》をどう思う?」
逆に訊ねられ、少年は首を捻り苦悩する。
「そう……ですね。特に無い、ですね」
悩んだ末の、少年の答えはそんな感じだった。
「そうか…………。なら、コレをやるよ」
「??」
男性は、少年に『あるモノ』を手渡した。
「コレは………?」
少年は、手を拡げて、その中のモノを訊ねる。
少年の手の中には、アンティーク調の小物が六つある。
それらは、それぞれ固有の光沢のある光を放つ異質な物体。しかし、その個体は、それぞれ誰もが知る物体でもあった。
紅い糸の束。蒼いスライム状の種。碧色をした何かの爪。黄色い小さな水晶玉。純白の金属管。漆黒色のロケット。
形状も用途も違うはずのそれらの唯一の共通点と言えるのは、その異質な気配だけだ。
「《響想珠》。『奇跡の殊珠』だ」
「それって…………」
聞き覚えのあるその名前に、少年は眉を寄せた。
「お前には、遣ってもらいたい事がある」
そう言って、男性は少年に何かを伝えた。
それを、ワタシは聞き取ることができなかった。
「…………」
そして、しばしその場が沈黙に包まれ、次第に映像が激しい雑影と共に途絶えた。
「…………」
ワタシは、しばし黙り込む。映像に出てきた登場人物と、その会話の意味を。
見覚えのある少年は、おそらく織詠修哉と名乗っている────小薙悠哉、その本人だろう。
顔は、悠哉さんに似ていた。しかし、その造形はワタシの知る彼とは明らかに若かった。
しかも、その悠哉さんと会話していた男性……その見覚えは無いはずなのだが、どこか懐かしみのある………そんな『違和感』を感じた。
「インヴォルジア…………。アルディジャーノ…………」
登場した二つの新たな単語を復唱する。
男性が渡した六つの小物───《響想珠》。
それと《神桜樹》の関係はよく解らなかったが、その《響想珠》の行方を探すのが、次なる目的となることを確信した。
「…………」
もう一度、《神桜樹》に触れる。
………………。
しかし、《神桜樹》もワタシの中の〈モノ〉も、何も反応も示さなかった。
それどころか、《神桜樹》は普通の木々とは、何か違う感触を感じた。
その違和感を気に留めつつ、ワタシは踵を返した。
「神威さん……?」
そこに、阿莉子さんの姿があった。
「このような場所で出会すなんて、奇遇ですね?」
阿莉子さんは、何の警戒も無く近寄ってくる。
別に、何がある訳でも無い───はず、だった。
「アガッ!アッ、アア………」
突如、ワタシの右目が酷い激痛に襲われた。
ワタシは、その痛みに耐え切れず、その場に膝を突き、悶え苦しんだ。
「やはり、貴女でしたか…………」
阿莉子さんは、ゆっくりと近付きワタシの背中を撫で、そう呟く。
「な、ぜ…………?」
ワタシは痛みの中、そう発言するので精一杯だった。
「貴女も、《竜皇の権能》の一柱を担う一人ですね?」
「貴女は………何を、言って………」
「気付いていないのですか?貴女ご自身の『お役目』を……」
眈々と紡がれる言葉は、真実に聞こえた。
「やく、め………?」
それは、ワタシの知る『役目』とは、明らかに違う意味合いを持っているように感じた。
「まぁ良いでしょう。ひとまず、確証が得られただけでも、上出来です」
そう言って、阿莉子さんはワタシから離れて行った。
たった一言。
「疑問があれば、またお伺いします」
そう、言い残して…………。
ワタシは、痛みを何とか圧し殺し、ゆっくりと立ち上がった。
そして、天を仰ぎ見る。
今だ激流の如く降り続く大雨。
その激しさは、この痛みを煽るようにワタシの身体を貫く。
解らない事だらけの中のはずなのに、次から次へと新たな疑問が生まれる。
それが何を意味するのかは不明だが、全てが一つに繋がる事を祈り、ワタシは帰宅した。
この時、ワタシは自身の右目にとある違和感を抱いた。




