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ある男の振り返り

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目を閉じると、思い浮かぶのは遠いあの頃のこと。


家族全員が揃って暮らしていた、温かなあの日々。


商会を切り盛りし従業員に慕われて、どんどん商売を拡大させていく父に、子供ながら憧れたし、かっこいいと思っていた。


母は……叱る時はめちゃくちゃ怖かったけれども、常に柔らかな笑みを浮かべる、とても温かな人だった。


使用人がいるのに、料理は欠かさず母親が作っていて、父親を陰日向に支えていて。なんとなく、父親と母親が微笑みあっている姿は子供ながら誇らしくて、温かい気持ちになったものだった。


それから元気いっぱいで、笑顔が愛らしい弟。自分より年下という存在が、初めてで。だからこそ、自分が守ってやるんだと心の中で誓った。


そんな、温かな家族。優しい日常。

それを喪ったのは、本当に突然のことだった。


……人は喪ってなら、初めてその物の価値を知るというが……正しく、それだった。

当たり前のものとして享受していたものが、どれだけ得難いものだったのか。どれだけ、恵まれていたものだったのか。


当時を思い出しては、悔しく……そして悲しくなる。


それだけ、俺にとってあの日々はとても大切なものだったから。


ふと、目を開けた。


目に映るのは、書斎。


今自分がいるのは、会頭専用のそれ……つまり、かつて父が仕事に打ち込んでいた場所だ。


昔見た時は、もっと書物や書類が沢山あって

、随分と乱雑な部屋だと思ったけどな。


今はガランとしていて、視界に映る光景が妙に寂しい。


そんなことを思い出しつつ、背もたれにもたれた背を伸ばし拳を握る。


ようやく、取り戻した……と。


失ったのは、本当に唐突だった。


あの日……父と母は所用で馬車に乗って王都を出ていた。


まさか、事故に遭って帰らぬ人になるとは、見送った時には勿論思いもしなかったし、想像すらできなかった。


父と母が亡くなったという知らせを受けて。悲しむ間も無く、葬儀やら様々な手続きをこなすこととなった。


幼かった当時の俺に代わって、その全てを行ってくれたのが当時副頭を務めていたヴルド・ランカムだった。


「自分に全て任せてくれれば、大丈夫だから」


頼る者を喪い、心細さと共にあった俺にとってその言葉は何よりも嬉しいもので。


俺は全て彼に言われるがままだった。


「……少し、商会がマズイことになっているんだ。申し訳ないが、前会頭だった君たちのお父様のところにも調査が入るかもしれないから、暫く家から出て別のところに隠れ住んで貰えないかな?」


だから、こそ。……そんな彼の言葉をも、あっさりと信じてしまった。


そして家を出て、王都の隅にある地区の古ぼけた家に隠れるように住み始めた。


「いつか、迎えに来るから」


そんな言葉と共に僅かばかりの金を渡され、俺と弟はそこで暫く身を潜めるように暮らした。


一週間……二週間、そして一ヶ月。


流石に三ヶ月過ぎたあたりから、おかしいなと思って、商店に行った。


そして、そこで俺は初めて騙されたことを知ることとなる。


「……すまないが、君は誰でしょうか」


そんな言葉を、平然と彼は(のたま)った。


「何を言っているんだよ……俺だよ、カリムだよ。この商会の前会頭の息子だよ」


「……前会頭のご子息は、不幸な事に前会頭夫妻と共に亡くなられましたよ」


「あんたこそ、何言ってるんだよ………!」


「……誰か!」


更に口を開こうとしたら、ヴルドは人を呼んだ。


「前会頭の息子を騙る、不届き者です。外に放り出しなさい」


そして、無情にもそう言ったのだった。


「やめろよ……!なあ、やめてくれ……!」


ジタバタと暴れる俺に、ヴルドは哀れむような視線を寄越した。


そして引きずられる俺に近づいてきて、耳元に唇を寄せた。


「……この商会で貴方を知る者皆に、暇を出しました。貴方が何を言おうとも、無駄ですよ」


「……なっ………!」


「貴方は、とても良い子でした。純粋で、人の言う事為す事に対して疑う事を知らない、そんなね。貴方を上に立てて私が貴方を操ることも考えたのですが……私が思っていた以上に事が上手く進みました」


にこやかにそう言うと、奴は用は済んだと言わんばかりに俺を引きずる男たちに視線で指示を出した。その結果、俺を引きずる力が強まって、あっさりと俺は商会の外に放り出された。


まだ幼かった俺は、どこにどう訴えれば良いかなど分からなくて。

分からないまま日々は過ぎて、けれども生きていくにはどうにかして金を稼ぐしかなくて。


何とか食いつなぐことができるようになって、けれども今度は弟が病に罹り、更に金が必要になってしまってからは復讐どころの話ではなくなってしまって。


そのまま、ズルズルとここまできてしまった。


行き場のない、怒りを抱えて。


そんな中、現れたのが彼女だった。俺の名と力を借りたい、そう言いながら。


「……失礼します。アズータ商会の会頭が、いらっしゃいましたが」


ノック音と共に現れた従業員の言葉に、俺は我に返った。


「ここに通してくれ」


暫くして来たのは、あの時俺を掬い上げた女性。


「忙しいのに、無理に時間を取ってしまって申し訳ないわね」


「いいや。あんたの為だ。時間を取るのは当たり前だろう」


「ふふふ……随分口が上手くなった事ね」


彼女はふわりと笑う。あの暗闇の中でも美しいと思ったが、明るい中でもその印象は変わらない。


「今日は、契約を交わしにきたのよ。今まで口約束であったものをしっかり書面にて明文化しましょう」


「ああ。その方が良い」


彼女の(かたわら)にいた女性から契約書を渡され、それを確認しサインをする。


「確かに。では、明日から宜しく頼むわね」


彼女との口約束とは……そもそも、俺の力を借りたいと言っていたそれ。


俺の商会とアズータ商会の運送部門を統合し、俺の商会の名の下で運送を行うということ。


「仕事はどうかしら?」


「まだまだ分からないことがたくさんある。正直、あんたのところから人を派遣して貰って助かってるよ」


ヴルドに加担した奴らを商会から追い出した結果、商会の人材不足は深刻な問題となってしまった。


そこで、アズータ商会から人材を派遣して貰ったのだ。


「ふふふ、彼らから話は聞いてるわ。貴方は決して人任せにすることなく、そして随分貪欲に学んでいると」


「……」


何となく肯定も否定もできず、思わず口を閉じてしまった。


その様に、彼女は再び笑った。


「良い事だわ。私を含め、彼らも利用なさい。決して、他者に流されることなく意思を持って仕事に取り組みなさい。そうすれば、きっと迷っても貴方らしく仕事ができる。それが、先輩としての助言よ」


「……あんたも、迷うことがあるのか?」


「あら、当然じゃない。私は貴方と同じ人だし、先輩といってもほんの数年。迷う事も後悔することも苦しく感じることだって、沢山あるわ」


少し意外だった。彼女のことだから、何か障害があっても、初めて会った時と同じように不敵に笑って乗り越えていきそうだと思っていたから。


「……でも。私の手でも何かを為すことができるかもしれない、とビジョンが定まったおかげでここまでくることができたのよ」


「……その、ビジョンって?」


「孤児院の子達と会って、その子達に物語を読み聞かせることがあった後……その物語を絵本として売り出す商売を始めたの。そして、それで得た利益は孤児院に寄付する形にして。そんなことがあってからかしら。金を得ることは勿論必要だけど、商会の得るべき『利益』とはそれだけじゃない、ということが分かって、それを励みにしているわ。……貴方も、何かそういう目標だとかビジョンはあるのかしら?」


彼女の言葉に、一瞬俺は考える。


俺の求める、ビジョン……か、と。


「今特にないのであれば、急いで決める必要はないわ」


随分長い間口を開かなかったせいか、彼女はそう言って微笑む。


「……いつか……」


俺は、思った事をそのまま発すべく口を開いた。


「薬に関わる仕事、それから、あの下町の人たちが笑顔になるような仕事がしたい」


「そう……」


全く、そこに至るまでの道筋は見えてない。どうすれば良いのかなんて、分からない。


けれども、それができたら……きっと、俺の経験は決して無駄じゃなかったと言えるんじゃないかと、そう思う。


彼女は、俺のその言葉にただただ笑みを深めていた。


再度この場をお借りしてご報告を。

大変申し訳ございません。

現在発売中の書籍ですが、一部誤植がございます。

最初の挿絵のライルとディダの名前が逆になってしまっているというものです。

重版された際には、そこは修正されるとのことでしたが……。

既にご購入いただいた方、大変申し訳ございません。

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