決着
1/2
そうして、彼はこちらが準備した書面を入念に確認してからサインをし印を押した。
「……確かに」
私も書類を確認し、受け取る。そして、セイに手渡した。後はセイが、写しを商業ギルドに提出するだけか。
「……ではヴルド様、今日はこれにてお開きにさせていただきましょう。時間は惜しいものですから。私にとっても、貴方にとっても」
「これはこれは、随分性急なことで。まあ……貴女は商会の会頭として忙しい身でございましょうが、何せ私は今この時を以って仕事を退いた身。惜しむ時間など、ありましょうか」
憎まれ口を叩きながら、けれども彼は笑っていた。
そんな彼に、私はそうと分かるように首を傾げる。
「あら……私などより、貴方の方が忙しいでしょう?仕事を退いた身ならば、業務の引き継ぎがあるでしょうから」
「そんな、引き継ぐ仕事などありませんから」
「はあ、そうですの。……ああ、でも。荷造りは宜しいのでしょうか?商会にある私有物は、一週間以内に荷物を纏めて持ち出すようにして下さいね」
彼は、ふふん……と嘲笑とも言える笑みを浮かべる。
「別に、必要ないのでは?先ほど私が書類にサインと印を押した時点で、この商会も畳むことが決まりました。商会が無くなった時点で、けれども借財も貴女が清算してくださることになったこの状況では、商会名義の土地や建物も私の個人のものとなります。故に、私有物を退去させる理由などありませんよ」
ククク……と彼は笑い声つきで、わざわざ丁寧に説明をしてくれた。
「……どういう事です?確かに貴方は先ほど商会を退く旨を記した書類にサインしていただきましたが……商会を畳むとは一言も書いてなかった筈ですよ」
それに対して、私は思ったよりも低い声で返答していた。
「どうもこうも……。私がサインをした書類は、あくまで私の退任についてで、許可書については一切触れていないものでした。私はこのまま許可書を誰にも譲るつもりはありませんから、必然、店は畳まないといけないことになりますなあ……」
彼の言葉に、私の身体は震えた。その様を見てか、彼の瞳には優越感が写る。
そしてそれを見て、ますます私の身体は震えた。
ああ、もうダメ……。
吹き出す笑いを堪えきれず、扇で口元を慌てて隠した。
「……何がおかしいのです?」
彼は不機嫌さを隠しもせずに問いかけてくる。
「丁寧なご説明、どうもありがとうございます。ですが……そのお話は少し先走り過ぎでは?」
「どういう意味でしょう」
「どういう意味も何も……だって、この商会は“貴方の持ち物”ではないでしょう?」
ふふふ……と、笑いが止まらなくて、言葉を紡ぐのも一苦労だ。
「10年前……この商会の当時の会頭とその奥様が馬車の事故で急逝された後、商会を仕切りだしたのが貴方。当時跡取りである息子が未成年だったことを良いことに、商会での地盤を固め実権を握り……そして、息子を息子側についた関係者共々商会から追い出した。違いまして?」
私の問いに、彼は驚いたように顔を上げ、私を見つめる。
「何故、それを……!」
「何故って、それは商業ギルドで確認すればすぐ分かる事でしてよ?」
「だが、分かったところで当人が届けを出さなければ意味を無さない筈」
「ふふふ。言ったでしょう?我が商会には大きな耳があると。既に彼の居場所を突き止め、話をまとめたわ。彼はここを継ぐと、先ほど商会で許可書の更新も行ったの。あとは、貴方が退任をする旨を認めたこの書類を提出するだけで……この商会は、彼のものになる」
「くっ……!」
「残念でしたね。商会が潰えれば、商会の物は貴方個人の所有物となると計算されたのでしょうが」
じっと彼を見下ろせば、彼の顔色は血の気が失せて真っ青になっていた。身体は、そうと分かるほど震えている。
「……ふざけるな……」
ぼそり、囁くように呟いた。けれどもあまりにも小さな声だったため、私には言葉が拾えない。
「ふざけるな、ふざけるな……!お前に何の権利があって、そんな……」
どんどんヒートアップしていくにつれて、徐々に彼の言葉が聞こえてくるようになった。
叫ぶような、そんな声。部屋の外まで聞こえていたのだろう。なんだなんだ、と扉を開けて人が様子を見に来ていた。
けれどもヴルドはそれに気づいていないのか、はたまたそんな事に構っていられない精神状態なのか、彷徨っていた視線は、セイの方に固定されていた。
そして、セイの契約書を奪い取ろうとして彼につかみかかる。
それを止めたのは、物陰に隠れていたしターニャだった。
ターニャは、彼の手を取るとそのまま手を後ろで組ませて捕まえる。
「ぐっ………!」
「そこまでだ、ヴルド・ランカム」
人混みを縫うようにして、男が一人入ってきた。彼を見て、ヴルドは目を見開く。
「何故、カリムがここに……」
「語るに落ちたなあ、ヴルドさん。10年ぶりだってのに、よく俺の名を言えたもんだ。そんなに俺は、親父に似てるかあ?」
つい、といった感じで漏らしたその言葉に、彼は楽しそうに言葉を返した。
「……あ……」
ヴルドは呆然と、彼……カリムを見ている。
「10年前……親父とお袋をいっぺんに亡くした俺に、“自分に全て任せてくれ”と言って、よくも商会どころか家からも追い出してくれたな。おかげでこの10年、死に物狂いで生きてきたぜえ」
ニコニコと笑っているけれども、カリムの瞳は全くもって笑っていない。むしろ、今すぐにでも力に訴えそうな雰囲気すら醸し出している。
「……カリム」
私が制止の意味を込めて名を呼ぶと、カリムは分かっているとでもいうかのように笑みを向け、一瞬目を閉じた。
「言ってやりたいことは色々あるけれどもよ、まあ……なんだ。実際目の前にいると、思い浮かばないもんだな」
そしてそう言って、再び目を開ける。
「先代会頭の第一子、カリム・ドゥーマがこの商会を継ぐと商業ギルドには申告してきた。既に成人の俺は、ヴルドが退任するとサインした今この時を以って、この商会の会頭だ」
そう言って、周りを見渡した。
訳が分からない、とポカンとしている面々に向かって見せつけるように、商業ギルドの権利書を掲げる。
「そして、商会の会頭として正式にアズータ商会との業務提携をすることを決定した。異論は認めない」
矢継ぎ早に、カリムは宣言した。その様は堂に入っていて、貫禄すら感じられる。
「……申し訳ないが、その男を摘み出してくれねえか?大事な取引相手のあんた達に、この場で危害を加えられちゃ堪らねえ。それに、この男はこの商会とはもう何も関係もないからな」
その願いにターニャは頷き、ズルズルとヴルドを引っ張って行っていた。ヴルドは呆然としているせいで、抵抗らしい抵抗もせずに引きすまられていく。
「……あ、そうだ。ヴルド様」
名を呼ぶと、彼を引きずっていたターニャが立ち止まってくれた。
「商会への援助金ですが、あくまで商会の赤字部分のみ。貴方が最初に提示された金額は、貴方の借金も加算されていたようですが……先ほどサインいただいた書類には、“あくまで商会の借金分”のと明示されていすから。確りとご自身の借金はご自身で返済下さいね」
ニッコリと微笑みながら、そう言う。
ヴルドは、顔色を真っ青にして……がくりと肩を落としていた。




